東京急行電鉄の機関車・貨車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東京急行電鉄の機関車・貨車(とうきょうきゅうこうでんてつのきかんしゃ・かしゃ)においては、東京急行電鉄(東急)の前身である目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄の開業間もない時代(無蓋貨車は建設当時から)から在籍していた、電気機関車・電動貨車・無蓋貨車に関して記す。なお、デワ3040形については東急3000系電車 (初代)を、長津田車両工場入換車ED301については国鉄ED30形電気機関車 (初代)を参照のこと。
目次 |
[編集] 形式各説
[編集] デワ3000形・デト3010形
東京急行電鉄の前身目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄が発注した全長7mの木造4輪単車形電動有蓋・無蓋貨車でデワ1形・デト1形と称していたが、大東急成立による改番でデワ3000形3001~3003・デト3010形3011~3015と改称した。デワは貨物室に2個の窓を持ち、デトは前後に屋根付き運転室、荷台中央にパンタ台として鉄骨の大きな櫓が載っていた。塗装は黒、台車は全てブリル21Eである。自重はデト3010形が8.75t、デワ3000形が10tに過ぎないが、貨車牽引を考慮してか主電動機出力が48kW×2であり、空荷の際は相当なスピードが出たという。制御方式は直並列直接制御である。
架線電圧の1500V昇圧に伴い、昇圧改造としてデト3014・3015が2両永久固定編成に改造された。間接制御化したうえで主電動機を4個直列とし、外観も運転室が3014の一端のみとなり、他は床上に機器が搭載されるなど原型とは大きく変わった状態で元住吉工場の入換車となっていた。ブリル21E単台車を使用した直流1500V用車両は他に例が無いと思われる。末期は黄色に黒の警戒色であった。1970年廃車された。
前述のデト3014+デト3015、及び昇圧まで碑文谷工場の入換に使われたデワ3001が1963年まで放置状態で在籍した他は、昇圧までに除籍された。1946・49年にデト3011・3012が江ノ島電鉄、1951年にデワ3002(初代)、1953年にデト3013を有蓋化したデワ3002(2代)が秋田中央交通に、1952年にデワ3003が長岡鉄道に譲渡された。長岡鉄道に譲渡されたものは後に秋田中央交通に移籍した。江ノ島電鉄ではポール集電化及びレール運搬に対応するため運転室が狭幅化された。秋田中央交通では順次出揃った計3両が機関車代用として使用された。晩年は赤と青に塗り分けられ、国鉄キハ41000形(→キハ04形)を改造した客車を牽引していた。
[編集] デキ3020形
1929年に東京横浜電鉄が貨物列車用に発注した川崎車輛製の凸型電気機関車で、全長8m強の小型機である。当初の形式番号はデキ1形1、大東急成立による改番でデキ3020形3021となる。主電動機出力は600V時60kW、1500V時75kW×4、制御方式は間接非自動直並列制御(HL)である。
主に東横線菊名-田園調布間の貨物列車牽引や、工事列車牽引等に用いられていたが、貨物列車廃止後は元住吉工場の入換車となり、同工場が長津田へ移転した後も引き続き長津田車両工場の入換車として使用されている。なお、1980年除籍され、現在は同工場の入換用機械としての扱いである。
[編集] ト3050・3060・3070・3090・チ3090形
社線内専用として使用された10t積み無蓋貨車・長物車。形式別の出自は下記のとおり。
- ト3050形(3051~3054):1924年汽車会社製・目黒蒲田電鉄フト1形
- ト3060形(3061~3065):1925年日本車輌製・目黒蒲田電鉄フト30形
- ト3070形(3071~3086):1925年日本車輌製・東京横浜電鉄フト40形
- ト3090形(3091・3092):1924年東洋車輌製・播丹鉄道(現在のJR加古川線)→目黒蒲田電鉄フト20形
いずれも国鉄ト1形(初代)等、明治~大正期の10t2軸無蓋貨車と大差無い形態で、形式間でも軸距等に差異があるほかはほぼ同系である。但し、旧称フトの記号が示すとおり全車妻面に手ブレーキが装備されており、このためか旧目蒲・東横ではワフ・トフ等の緩急車は存在しなかった。
ト3090形2両は1951年、ト3060形3062、及びト3070形3075は1963年、後述するレール輸送貨車チキ3095形の伴車として長物車チ3090形(3091~3094)に改造された。
空気ブレーキ装置は1953・54年にト3070形に対し装備されたが、他形式は引き通し管のみが設置された。ト3070形のうち3081~3084は1961年伊豆急行に貸し出され、うち3081・3082は1966年そのまま譲渡されト31・32となった。
無蓋車各形式は、目蒲・東横両電鉄の建設工事に使用され、開業後は多摩川から産出する川砂利の運搬として、川砂利の採掘禁止後は保線用としてバラストの運搬や、元住吉工場-碑文谷工場間などの部品・資材輸送や回送列車の緩急車代用として使用されたが、空気ブレーキを持たないト3050・3060形が1970年に廃車されたのを皮切りに、1976年までに全車廃車された。
[編集] チキ3095形
1951年、国鉄から鉄道院新橋工場1914年製の戦災木造客車マニ19706号の台枠・台車の払い下げを受け、レール輸送用の長物車としたもので、1両のみが存在した。東急初の20m車であり、かつ客車用3軸ボギー台車TR71を装備した、特異な貨車であった。8000系入線による限界拡張以前ではあったが、車体幅が2400mmで、限界抵触は無かったという。
チ3090形を前後に連結し、後年はホイストクレーンを装備して25mレール輸送に使用されたが、次第に使用機会が減り、専ら新丸子駅の側線に留置されていた。ト3070・チ3090形の残存車と共に1976年廃車された。