東急7000系電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
7000系電車(7000けいでんしゃ)は、東京急行電鉄に在籍していた通勤形電車である。
1962年(昭和37年)1月から1966年(昭和41年)にかけて134両が東急車輛製造で製造された。主要電機部品は東洋電機製造または日立製作所が担当している。東横線と帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)日比谷線との相互乗り入れを前提として設計された車両である。
目次 |
[編集] 車体形状・性能
米国Budd社(参照:en:Budd Company)との技術提携の基に製造された、日本初のオールステンレス車である。 Budd社が製造した米国フィラデルフィア市の地下鉄(SEPTA)車両をモデルにしている。
- 車体寸法は長さ17,500mm(連結器面間18,000mm)、幅2,800mmで、日比谷線直通車両の規格である。床面高は1,125mmである。
- 車体側面の客用扉は両開式。扉間に3枚と扉~車端に1枚の窓を持ち、上段下降・下段上昇式であったが、最大開口の制限はなかった。このため、地下鉄線への乗り入れの安全基準を満たすため、下段には保護棒が取り付けられた。その後1978年~1984年に行われた車体更新工事の際に下段を固定する改造が行われ、保護棒が取り外された。
- 前面は3つ折妻型で貫通路を設置する。東急の車両では初めて前面に方向幕を設置した。前照灯および尾灯は左右の窓下部分に1組づつを設置している。なお、急行灯は7011以降で取り付けられ、その後製造時になかった車両も取り付けられた。
- 屋上の通風器は横側に通風口がある形状をしており、冬季は開口部に蓋をしていた。車内側は1982年~1984年頃にファンデリア(シャンデリア状の換気扇)から扇風機に換装されている。
- 台車は、Budd社のパイオニアⅢ型を採用している。車軸の先端にディスクブレーキを持ち、軸バネを廃止し、軸を環状に囲んだ形の防振ゴムに置き換えた構造が特徴であったが、振動の吸収性が劣るなどの理由により、他社で採用されたのも含めて、後に軸バネ方式の台車と交換された車両もある。
- 制動方式は、回生制動併用電磁直通空気制動(HSC-R)を採用した。
- 主電動機は複巻式で、東洋電機製が端子電圧187.5V・出力60kW(TDK826-A)、日立製作所製が端子電圧375V・出力70kW(HS-830Arb)で、駆動装置は中空軸平行カルダンである。出力が異なるのは、日立製のものは東横線内で急行として使用することを考慮したためである。
- 主回路制御方式は抵抗式で、1制御器あたり8つの主電動機を、日立製の制御装置搭載車両は直並列制御、東洋電機製の制御装置搭載車両は永久直列制御する。制御器は日立製がMMC-HTR-10A(直列10段、並列8段、弱め界磁5段)、東洋製が6000系で使用された制御器の改良型であるACRF-H860-757A(永久直列14段、弱め界磁4段)である。この2つの制御器においてもっとも異なっているのが弱め界磁制御の方法である。日立製制御器の弱め界磁は主電動機の分巻回路に抵抗器を挿入するごく一般的な電動カム軸式だったが、東洋製制御器の弱め界磁はサーボモータで駆動する界磁調整器と呼ばれる整流子形の可変抵抗器を使用する。マスコン段数は全車4段で統一されており、第1段目は「起動」、第2段目は「直列制御」で統一されていたが、日立製車両の第3段目は「直並列制御」なのに対して、東洋製車両は「直列制御+弱め界磁制御(2段のみ使用)」であり、第4段目も同様に日立製車両が「直並列制御+弱め界磁(5段すべて使用)」で、東洋製車両は「直列制御+弱め界磁(4段すべて使用)」である。特に、第3段目が大きく異なるのは東洋製車両の全界磁定格速度が低かったことによる。
- 起動加速度・減速度ともに4.0km/h/sの高加減速性能を有する。前述したが、日立車は急行運用にも使用されるために高速性能も確保している。設計最高速度は110km/hだが、当時の東横線急行の最高速度は90km/hであった。
- 電機品が東洋電機製造製の一部の編成は日比谷線直通用としてATCを搭載した。
[編集] 運用他
最初に東横線に投入された時は、前述の通り電機品が東洋製の編成は日比谷線直通運用に、日立製の編成は急行運用を中心に使用された。その後、田園都市線(大井町線)および、ごく短い期間ではあるが目蒲線でも使用されていた。なお、東横線で急行運用に使われた時は7200系・6000系・8000系と同様に「急行」の種別札を装着していた。
1987年(昭和62年)から56両(4両編成14本)が冷房化・VVVFインバータ制御化などの改造工事を受け、7700系になった。一方で同形式に改造されなかった車両は、1989年(平成元年)にデハ7057とデハ7052がワンマン運転対応改造と外装の変更などを施工させた上でこどもの国線の専用車となった他は1988年~1991年に廃車となり、一部車両は他鉄道事業者へ譲渡された(後述)。
最後まで使われていたデハ7057とデハ7052は、こどもの国線の通勤線化に伴い、1999年(平成11年)7月31日限りで横浜高速鉄道Y000系に置き換えられて営業運転を終了した。ちなみに、この2両は運行終了まで冷房化は行われず、東急最後の非冷房車(世田谷線を除く)でもあった。
なお、1988年(昭和63年)春からは、7200系・7600系・7700系・8000系とともに先頭車の前面に赤帯が施された。
[編集] 他鉄道事業者への譲渡
7000系は、東京急行電鉄での直接廃車の後、一部車両は以下の5社に譲渡されている。秩父鉄道には4両編成で譲渡されたが、他の事業者には2~3両編成で譲渡された。このため、先頭車が不足し、中間車に運転台を新設したものがある。また、冷房装置搭載や架線電圧対応の工事を受けている。他社では回生ブレーキは使用せず、スイッチを切っている。なお、譲渡先では秩父鉄道が2000形を名乗った以外は東急時代から引き続き7000系を名乗っていた。
-
- すべて東洋製電機品車両。一部に先頭車化改造車と冷房改造車あり。現在更新工事と1000系への改番を実施中。
-
- 電動車はすべて東洋製電機品車両。先頭車はすべて中間車からの改造車。一部に3両編成と冷房改造車あり。
-
- すべて東洋製電機品車両。4両編成。※既に廃車
一方、こどもの国線専用車だったデハ7057とデハ7052は廃車後に東急車輛製造に譲渡され、同社横浜製作所で「スイッチャー」として構内の入れ替え作業などに使われている。現在でも外装はこどもの国線旧塗装(ステンレス地に緑・赤・青の帯)のままである。
[編集] 譲渡車両の画像
北陸鉄道7000系 オリジナルの先頭車 |
弘南鉄道7000系 大鰐線所属のオリジナルの先頭車 |
||
福島交通7000系 中間車の先頭車化改造車 |
水間鉄道7000系 中間車の先頭車化改造車 |
[編集] その他
- 1963年10月にはPⅢ台車の高速走行時のデータを得るため、デハ7019・7020を使用して小田急電鉄小田原線へ入線し、新宿~小田原間で性能試験が行われた。
- また、1960年代中盤には夏季に伊豆急行に貸し出され、普通列車として使用された。
- 前面形状から、「弁当箱」というあだ名があった(鉄道車両・船舶の俗称も参照)。
[編集] 参考文献
- 内田修平「東京急行電鉄デハ7000形」『鉄道ファン』9号、交友社、1962年。
- 荻原俊夫「東急7000系ものがたり〔前編〕」『鉄道ピクトリアル』548号、鉄道図書刊行会、1991年。
- 荻原俊夫「東急7000系ものがたり〔後編〕」『鉄道ピクトリアル』549号、鉄道図書刊行会、1991年。
- 守屋之男「バッド社とステンレス車両」『鉄道ピクトリアル』696号、鉄道図書刊行会、2001年。