東京都立江北高等学校
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東京都立江北高等学校(とうきょうとりつこうほくこうとうがっこう)は、東京都足立区西綾瀬にある都立高等学校。
東京都立江北高等学校 | |
過去の名称 | 東京府立第十一中学校 東京府立江北中学校 東京都立江北中学校 東京都立第十一高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京都 |
創立記念日 | 1938年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 定時制 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科(1・2年7クラス、3年8クラス) |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 13162J |
所在地 | 〒120-0014 |
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電話番号 | 03-3880-3411 |
FAX番号 | 03-3880-6755 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
府立十一中を前身とする都立中堅進学校。江北という校名は、綾瀬川や荒川などの川(江という字は、中国語で大きな川を意味する)の北にある学校という事から名付けられたものであり(実際の所、現在の綾瀬川は学校のすぐ東側を通っているが)、足立区西部にある江北という地名とは無関係である。実際に足立区江北にある高校は足立西高校である。ちなみに3年B組金八先生に幾度か登場する都立緑山高等学校は、当校がモデルとの説が有る。
かつては早慶への合格者を多数輩出した時期もあった。しかし近年は低迷が続いて入試倍率も下がり、現在では進学情報誌などで中堅校扱いをされることが多い。進学実績の回復の為に2006年に都の重点支援校に指定され、2007年から駿台予備学校のオンデマンド駿台サテネットシステムが導入された。
[編集] 沿革
- 1938年1月22日 東京府立第十一中学校として東京市赤坂区に開校。
- 1940年4月1日 現在地に移転。
- 1941年4月1日 東京府立江北中学校と改称。
- 1943年 最寄駅である綾瀬駅が開業。
- 1943年7月1日 都制施行により東京都立江北中学校となる。
- 1948年4月1日 学制改革により東京都立第十一高等学校となる。
- 1948年4月20日 定時制課程を併設。
- 1950年1月28日 東京都立江北高等学校と改称。男女共学開始。
- 1967年 学校群制度導入、旧第五学区内で足立高校と53群を組む。
- 1982年 グループ選抜制度導入、52グループを組む。
- 1994年 単独選抜制度へ移行。
- 2003年4月1日 2学期制開始。
[編集] 教育目標
(1)地域の期待に応える「公立の進学校」を創造する。
- 学力を向上させ、大学進学を中心とする進路実現を図り、地域の信頼に応える東京東部の上位進学校を目指す。
- 部活動などの特別活動に「本気」で取り組む生徒を育成し、個性と社会性を伸ばす教育を確立する。
(2)江北高校は21世紀に生きるたくましい人間を育てる。
- 科学的認識を持ち、情操豊かで創造性に富む人間の育成。
- 人間性の尊重と自主・協調の精神に満ちた人間の育成。
- 社会のルールやマナーを守り、思いやり溢れる心身ともに健康な人間の育成。
[編集] 部活動
- 1999年に全国大会に出場を果たし、その後も東京都予選で何度も上位に進出している軟式野球部や(硬式野球部はない)、多くの大会で賞を獲得し1998年・2005年には全国大会に出場している演劇部が近年では有名である。
[編集] 最寄駅
[編集] 学園祭
- 「江北祭」が、毎年9月に行われている
[編集] 同窓会
- 江北会
[編集] 著名な出身者
- 北村和夫 - 俳優
- 山口俊夫 - フランス法学者、東京大学名誉教授
- 田沼武能 - 写真家
- 石川弘義 - 社会学者、成城大学名誉教授
- 深谷隆司 - 衆議院議員、元通産大臣
- 長尾立子 - 元参議院議員、元法務大臣
- 千葉功 - 元パ・リーグ記録部長
- 矢田美英 - 中央区長
- 中田康雄 - カルビー社長
- 柳家小里ん - 落語家
- 諸星大二郎 - 漫画家
- 鈴木健 - 日本テレビアナウンサー
- 原元美紀 - アナウンサー
- 雛形あきこ - タレント(定時制、中退、その後別の高校を卒業)
- 岸田健作 - タレント