横浜高速鉄道こどもの国線
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こどもの国線(こどものくにせん)は、神奈川県横浜市緑区の長津田駅と、横浜市青葉区のこどもの国駅を結ぶ鉄道路線。車両、施設を横浜高速鉄道が保有し、東京急行電鉄が運行する形態となっている。
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[編集] 路線データ
[編集] 歴史
1959年の皇太子明仁親王成婚を記念して、旧日本軍田奈弾薬庫跡地の丘陵に1965年に開園した「こどもの国」へのアクセス路線として、1967年4月28日に開業した。建設に当たっては長津田駅から弾薬庫への引き込み線跡を一部利用している。開業当初はスタフ閉塞方式であった。
当初より社会福祉法人こどもの国協会が施設を保有し、東急に運転管理を委託する形で営業されていたが、地方鉄道法に代わる鉄道事業法の施行により、1987年4月1日、協会が第三種鉄道事業者、東急が第二種鉄道事業者となる。1989年1月26日からはワンマン運転も開始された。
その後沿線の宅地化が進み人口が増加すると列車の運行時間帯拡大の要望が上がり、通勤線への転用が図られることになった。この行為は、社会福祉法人としての目的から逸脱するため、こどもの国協会は1997年8月1日付で第三種鉄道事業免許を横浜高速鉄道に譲渡した。
横浜高速鉄道は、同年10月から改良工事に着手。11月10日から、こどもの国が休園し休園日ダイヤとなる月曜日に、初電と終電を除いて列車を運休した。その間は代行バスを走らせ、こどもの国駅の駅舎を建て替え、ロングレール化を行った。さらに行き違い可能な恩田駅を新設し、2000年3月29日から通勤線として営業を開始した。また、通勤線化完成に先立ち、1999年8月1日からは横浜高速鉄道Y000系の営業運転が開始された。
なお、新設された恩田駅付近には長津田車両工場と東横車輛電設の特修場があり、前者は東急の鉄道線全線・全車両の全検を、後者は地方私鉄に譲渡される東急車の改造などを行っている。
[編集] 運転形態
通勤線化前は純粋なこどもの国へのアクセス路線という位置づけであり、運転時間帯はこどもの国の開園時間に合わせられていた。初電が8時台、終電も18時台となっており、列車の間隔も不均等で、天候やこどもの国の利用状況に応じて列車が間引かれる事もあった。こどもの国の休園日(毎週月曜日、月曜日が祝日の場合はその翌日)には、「休園日ダイヤ」という、毎時1本運転のダイヤとなり、不便な路線であった。
また途中に交換設備がなく、1本の列車が往復する運行しか出来ない為、ゴールデンウィークや夏休みなどの多客期には、東急大井町線の5両編成の列車を走らせて対応していた。その時はワンマン運転を取りやめ、車掌が乗務していた。
通勤線化後は運行時間帯が6時台~23時台と大幅に拡大し、恩田駅に交換設備が出来た為、列車本数も平日の朝夕は毎時5~6本、その他の時間帯も20分間隔のパターンダイヤとなって利便性が大幅に向上した。2006年現在では、運行時間帯は5時台~0時台となっている。また「休園日ダイヤ」もなくなり、ゴールデンウィークや夏休みなどの多客期には、日中の運転間隔を通常の20分間隔から10分間隔にして運転本数を増やすなど、利用状況に応じた対応をしている。
[編集] 車両
こどもの国線の車両は次の通り。
- 初代(開業時~1975年)・・・東急3000系 デハ3405-クハ3866
- 1972年にクハ3866はクハ3662に取替。閑散期はデハ3405の単行運転。
- 2代目(1975年~1980年)・・・東急3000系 デハ3608-クハ3772
- 3代目(1980年~1993年)・・・東急7200系 デハ7200-クハ7500(アルミ車体試作車)
- 多客期は東急5000系(初代)を使用。
- 4代目(1993年~2000年)・・・東急7000系 デハ7057-デハ7052 (ワンマン改造車)
- 5代目(1999年~現在)・・・横浜高速鉄道Y000系
[編集] 運賃
2005年10月15日現在、全線大人150円・子供80円均一。なお、長津田以遠の東急線を利用する場合でも、営業キロの通算は行わない。(青葉台駅、田奈駅、つくし野駅、すずかけ台駅の各駅へは、20円の乗継割引がある)
[編集] 駅一覧
駅名 | 駅間キロ | 累計キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|
長津田駅 | - | 0.0 | 東京急行電鉄:■田園都市線 東日本旅客鉄道:横浜線 |
神奈川県 | 横浜市緑区 |
恩田駅 | 1.8 | 1.8 | 横浜市青葉区 | ||
こどもの国駅 | 1.6 | 3.4 |