水道橋博士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水道橋 博士(すいどうばし はかせ、本名:小野 正芳(おの まさよし)、1962年8月18日 - )は、日本のお笑いコンビ「浅草キッド」のメンバーである。芸能事務所はオフィス北野所属。
漫才・コントのほか俳優活動、ライターとして雑誌にコラムやエッセイの執筆なども行い、その文章力には定評がある。
目次 |
[編集] 来歴
岡山県倉敷市出身。岡山大学教育学部附属中学時代の同級生に甲本ヒロト、オウム真理教の中川智正がいる。
岡山県立倉敷青陵高等学校卒業後、ビートたけしに憧れて入学した明治大学経営学部を入学から4日で中退した後、1986年ビートたけしに弟子入りし、浅草フランス座で修業を積む。翌1987年玉袋筋太郎と浅草キッドを結成。
1990年にテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週勝ち抜きチャンピオンに、1991年にテレビ東京『まねまね天国』の5週勝ち抜きチャンピオンになるなど若手実力派として認められる。1991年に『オールナイトニッポン』の月曜第2部を開始、翌1992年にテレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』などで人気を集める。
1996年10月に、道路交通法違反で書類送検され、略式起訴、罰金10万円。4ヶ月の間謹慎して芸能活動を自粛する。運転免許証を紛失したと偽り、不正に再交付を受け、本来、紛失したとして免許証の再交付を受けた後、紛失した免許証が見つかった場合、古い方を返納する義務があるが、それを行なわなかったため。運転免許証の写真を笑えるものにするというたけし軍団内のお遊びで、水道橋博士は3年に1度の免許更新を待ちきれずに紛失したと偽って免許証を3度再取得。免許証交付時には1ヶ月前から風貌を変える準備をし、まるで変装したかのような写真を免許証で使っていた。返納すべき免許証を『笑っていいとも!』などいくつかのテレビ番組で披露したことで、不正が警視庁に発覚したというのが事件の経緯。この写真は1997年1月に事件を報道する東京スポーツの1面を飾っている。
謹慎期間中の1997年にパソコンとインターネットを独学で学び公式サイトを開設。芸能人の中では早い部類に入る。「面倒臭いからいつやめるかわからない」と言っていた日記もほぼ欠かさず毎日更新している。ブログが浸透し始める頃には従来のログを移行した。
2002年に結婚。ファンの間では、同性愛者という噂もあったが、2007年現在は二人の子供がいる。伊集院光など昔から仲の良い芸能人の話では、「女に飢えていておかしくなりそうな時期もあった」とのことなので、異性愛者なことが確かであろう。ちなみに息子の名前に『たけし』と名づけ、師匠であるビートたけしの前でネタにし『ふざけんなコノヤロー!』と冗談交じりに言わせたことがあった。
2004年、浅草キッドの名義で著した『お笑い男の星座2』が大宅壮一ノンフィクション賞にノミネートされ、ライターとしても評価を受ける。
[編集] 芸名
結果としては手塚治虫作鉄腕アトムの登場人物・お茶の水博士のパロディである。メガネを掛けた風貌が「博士」風であり、明治大学に通って居たために本来は最寄り駅がお茶の水であるが「ひとつ手前でいいや」(JR中央線御茶ノ水駅の隣駅である水道橋駅から)とたけしの判断から。
浅草キッドブラザースのメンバーだった亀頭白乃介の二代目を襲名したこともあったが定着しなかった。
[編集] 資格
- 宅地建物取引主任者。これは折りしもバブル景気時、宅建資格を持っていれば、ある不動産会社に幽霊社員として登録するだけで数十万円の収入を得られると聞き、生活の苦しかった芸人修行時代に取得したもの。時折テレビ番組の不動産特集に解説者として出演することもある。
[編集] エピソード・逸話
- テレビ朝日制作のクイズ番組『タイムショック21』で、あまりにも正解数が悪く、回転したため、正月スペシャルの番組内で芸名を水道橋バカセや水道バカと呼称されたことがある(次の回にて汚名返上した)。しかし、本来はクイズ番組の実力はトップクラスで、「ウィーケストリンク」では正解率100%、「平成教育予備校」では最優秀生徒になった実績がある。
- 2006年1月19日、フジテレビで25時から放送のバラエティ番組『北野タレント名鑑』に出演し4問正解。自己アピール時間の最中、今まで帽子ばかりかぶっていたのは、実は髪の毛が異常に薄かったからだと、その写真とともに告白した。2006年現在は、いろいろ試した増毛法の組み合わせが劇的な効果を上げたため、各界から注目を浴びている。それらの博士が健康になるまでの体験や秘訣を2006年の著書『博士の異常な健康』のなかで明らかにしている。
- 『スーパージョッキー』の企画「軍団クイズ・体は資本だ!」でスキー場での人間サイコロ(発泡スチロール製の大型サイコロの中に人間が入ったもの)に挑戦した際、途中でサイコロのフタが開き外に身体が投げ出され、結果として椎間板ヘルニアを患うことに。相方の玉袋のサイコロもスキー場の谷底に落下し気絶するなど壮絶な舞台裏だったが、映像的には浅草キッド史を代表する傑作ともなった。ただし、この一件以降、博士は「ガンバルマン」のコーナーの辞退を余儀なくされ、たけし軍団の力仕事からは一線を退かざるを得なくなってしまった。
- スリーピースバンド、サンボマスターと交流があり、2005年の年賀状ではサンボマスターのメンバーとの4ショット写真を載せていた。しかし、当時サンボマスターの知名度は現在ほどではなかったため、送られた人からは「どこの学生さんと撮ったの?」と言われたことを「僕らの音楽3」でサンボマスターと対談した際に明らかにした。
- 散歩が趣味で、好きな曲をiPodに入れてそれを聴きながら散歩をする。
- オウム真理教道場建設予定地事件 - ダンカンが首謀者として引き起こした。水道橋博士が自宅を建設しようと購入した杉並区の土地に、”オウム真理教杉並道場建設予定地”と書いた看板をダンカンが立てた。詳しくはダンカンの項を参照。
- 小学生時代には自転車の乗り方コンテストの県大会に優勝し、岡山県代表として全国大会に出場した。
- ダウンタウンの松本人志に強い興味を持っているらしく、松本のラジオ番組「放送室」を第一回から欠かさずチェックしている。なお、2006年12月15日、すべらない話収録後の打ち上げで、松本人志の横に座ることが出来、宴席開始の深夜より朝まで質問攻めに成功する。(Blogより)
- TokyoBoyでの共演を通じて親交のある石原慎太郎に文章力を評価され、「会うたびに、『書いているか』と聞かれる」、という。
- 甲本ヒロトのことは、未だに中学時代と同じ「こうもっちゃん」というあだ名で呼ぶ。
[編集] 著書
- 2005年『本業』(ロッキング・オン)
- 2006年『博士の異常な健康』 (アスペクト)
[編集] 主な出演作品
- 1999年『古畑任三郎』第37回・38回