豊田清
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豊田 清(とよだ きよし、1971年2月2日 - )は、プロ野球・セントラルリーグの読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手である。ポジションは投手。背番号は20。
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[編集] 経歴
鈴鹿高等学校、同朋大学を経て1992年にドラフト3位で指名され、翌年西武ライオンズに入団。数年間ファームで過ごした後1996年から本格的に1軍先発投手陣に加わった。1995年9月15日の近鉄バファローズ戦でプロ初登板、1996年7月14日の福岡ダイエーホークス戦でプロ初勝利、1996年9月1日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初完封。1997年と1999年には2桁勝利を挙げるなど先発として活躍した。
2000年10月8日にプロ初セーブ。2001年には2000年の抑え投手だった森慎二投手の不調を受け、当時の東尾修監督から説得を受け抑えに転向(エピソード)。2001年シーズンは8月に3本のサヨナラホームランを浴びるなど安定感を欠くこともあったが、翌年以降は安定し2002年は救援勝利6勝に加えてパシフィック・リーグ歴代1位の38セーブ、2003年にも2勝38セーブで2年連続で最優秀救援投手となるなどリーグを代表する抑え投手になった。2003年8月29日にはプロ野球史上15人目の通算100セーブをあげる。2004年の日本シリーズで3セーブをあげるなど活躍し、胴上げ投手にもなった。
2005年は過去のシーズンの疲労の蓄積からか精彩を欠いた投球が続いた。その年のオフにFA権を取得しFA宣言。読売ジャイアンツと2年契約を結んだ。(その後江藤智が人的補償で西武に移籍)2006年5月20日の対東北楽天戦(宮城)でフェルナンデスに逆転サヨナラ3ランを浴びて、移籍後初めて救援に失敗した(14試合目)。 その後も救援に度々失敗し、7月14日のヤクルト戦(神宮)では1点差を守りきれずサヨナラ負けを喫し、翌日右肩痛のため一軍選手登録を抹消されたが、8月15日に再び1軍登録された。その際、ストッパーを高橋尚成に奪われ、セットアッパーを務めたが9月10日のヤクルト戦(東京ドーム)では久々にストッパーを務め、7月1日以来のセーブをあげたが、満足のいく結果は残せなかった。来季は守護神復活へ正念場のシーズンとなる。
2007年4月11日、広島市民球場 対広島戦でプロ野球史上5人目の通算150セーブを挙げた。 9回1死満塁のピンチから、代打・緒方孝市を二塁フライに仕留め、 1番・梵英心を三塁ゴロに仕留めて試合終了。 また、この試合はプロ1年目の金刃憲人の亡き母に捧げるプロ初勝利の日でもあった。
[編集] 略歴
- 身長・体重:180cm 82kg
- 投打:右投右打
- 出身地:三重県亀山市
- 血液型:O型
- 球歴・入団経緯:鈴鹿高 - 同朋大 - 西武(1993年 - 2005年) - 巨人(2006年 - )
- FA行使:2005年(1回目)
- プロ入り年度・ドラフト順位:1992年(3位)
- 英語表記:TOYODA
- 推定年俸:20000万(2007年)
- 守備位置:投手
[編集] エピソード
- 穏やかな性格と思われそうだが、内面は熱くかなりの激情家である。抑え一年目の年に連続サヨナラ負けを繰り返しバケツに当り散らしたこともあった。さらに失点後、手を思い切りクーラーボックスに打ちつけ裂傷を負い、オリンピック代表の座を失ったこともある。
- 2005年オフFA権を行使し、読売ジャイアンツに移籍した際も、復帰した原辰徳監督は豊田に「あの集中力。マウンドに上がるときの、あの独特の間合い。朝青龍の土俵入りの雰囲気を、豊田にも感じる。」という言葉を贈っている。
- 登板時のBGMは西武時代からアース・ウィンド・アンド・ファイアーの『Let's Groove』を使用している。
[編集] 守護神・豊田清の誕生
- 2001年、前年ストッパーを務めた森慎二の不調などで西武ライオンズは守護神不在に悩んでいた。そんなある日豊田は東尾修監督に呼ばれ、ストッパー転向を打診される。その年先発投手としてキャンプから調整を進め、実際にそれまで先発で起用されていた豊田は大いに困り、一度はこれを断ったという。しかし、最終的に東尾監督に押し切られる形で守護神の座に就いた。この抜擢について後に東尾監督は、一球一球に手を抜くことが出来ない豊田の性格を挙げている。先発投手ではそれが災いしてスタミナ切れを起こすことが多かったが、抑え投手であればその性格はプラスに働くと考えての抜擢であった。後に豊田がストッパーとして実際に大成功したことは、投手の適性を見抜く東尾監督の眼力の確かさと共に、一球を大切にする豊田自身の丁寧で熱い性格を表しているものと言える。
- 2001年夏に立て続けにリリーフ失敗した際、悔しさの余りにグラブを叩き付けたり、ベンチやごみ箱等を叩いたり蹴ったりするなど、時に感情を見境なく出し過ぎて怪我を負うことがしばしばあり、メンタル面の弱さを問題視された。これを受け、豊田は翌シーズンから登板時に決まったパフォーマンスを行うようになった。当時中堅を守っていた大友進選手への感謝の気持ちを表したのが始まりで、投球練習後にバックスクリーン方向を向いて胸に手を当て、言葉を唱えた後に胸元を軽く叩き、外野の各選手に帽子のつばを摘みながら一礼するというもの。この一連の動作はファンから「守護神降臨のポーズ」と呼ばれて親しまれ、巨人移籍後も続けている。その後救援失敗と二軍調整により一時期封印するも、若干抑え気味ながら復活した。
- 2007年1月14日放送のザ・サンデー内のスポーツコーナーで、「守護神降臨のポーズ」を今季は封印する可能性もあることを明らかにした。
結局、2007年の試合には守護神降臨のポーズは封印されていた。
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 登板 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝 | 負 | S | 勝率 | 打者 | 投球回 | 安打 | 本塁打 | 四球 | 死球 | 三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 | |
1993 | 西武 | 出場なし | ||||||||||||||||||||
1994 | 西武 | 出場なし | ||||||||||||||||||||
1995 | 西武 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 21 | 6 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1.50 | |
1996 | 西武 | 18 | 3 | 1 | 0 | 5 | 5 | 0 | .500 | 441 | 108 | 101 | 17 | 25 | 3 | 88 | 2 | 0 | 40 | 37 | 3.08 | |
1997 | 西武 | 23 | 6 | 3 | 1 | 10 | 6 | 0 | .625 | 616 | 150 | 2/3 | 128 | 14 | 54 | 2 | 86 | 2 | 0 | 54 | 49 | 2.93 |
1998 | 西武 | 7 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | .667 | 158 | 39 | 1/3 | 34 | 4 | 9 | 0 | 31 | 1 | 0 | 19 | 19 | 4.35 |
1999 | 西武 | 20 | 4 | 2 | 2 | 10 | 4 | 0 | .714 | 490 | 122 | 2/3 | 111 | 12 | 16 | 3 | 91 | 1 | 2 | 57 | 53 | 3.89 |
2000 | 西武 | 26 | 1 | 0 | 0 | 5 | 9 | 1 | .357 | 500 | 118 | 1/3 | 130 | 12 | 27 | 2 | 90 | 3 | 2 | 52 | 50 | 3.80 |
2001 | 西武 | 47 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 28 | .625 | 196 | 47 | 2/3 | 42 | 7 | 12 | 1 | 58 | 1 | 2 | 15 | 15 | 2.83 |
2002 | 西武 | 57 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 38 | .857 | 204 | 57 | 1/3 | 32 | 1 | 3 | 1 | 66 | 1 | 1 | 5 | 5 | 0.78 |
2003 | 西武 | 58 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 38 | .400 | 215 | 58 | 37 | 2 | 9 | 1 | 54 | 1 | 1 | 8 | 8 | 1.24 | |
2004 | 西武 | 34 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 11 | .833 | 142 | 36 | 2/3 | 26 | 1 | 5 | 0 | 39 | 1 | 0 | 5 | 4 | 0.98 |
2005 | 西武 | 35 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 19 | .750 | 150 | 34 | 42 | 4 | 6 | 0 | 31 | 0 | 0 | 17 | 15 | 3.97 | |
2006 | 巨人 | 38 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 13 | .200 | 159 | 38 | 39 | 2 | 6 | 0 | 46 | 0 | 0 | 14 | 14 | 3.32 | |
通算成績 | 367 | 14 | 6 | 3 | 56 | 39 | 148 | .589 | 3292 | 816 | 2/3 | 725 | 77 | 172 | 13 | 684 | 13 | 8 | 287 | 270 | 2.98 |
- 2006年シーズンまで
- 太字はリーグ最高
[編集] タイトル
[編集] 背番号
[編集] 外部リンク
- 豊田清公式サイト - 続 絶対的守護神への道 -(公式サイト)
[編集] 関連項目
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88 監督 原辰徳 | 87 尾花高夫 | 78 伊原春樹 | 85 斎藤雅樹 | 81 篠塚和典 | 84 内田順三 | 71 伊勢孝夫 | 89 村田真一 | 83 西岡良洋 | 76 白坂契 | 82 木村龍治 | 77 二軍監督 吉村禎章 | 70 小谷正勝 | 72 香田勲男 | 98 玉木重雄 | 75 岡崎郁 | 86 岸川勝也 | 79 福王昭仁 | 73 緒方耕一 | 74 西山秀二 | 94 木樽正明 | 95 宮本英治 | 97 伊藤博 | 99 内藤重人 | 111 藤田浩雅 | 130 金杞泰 |