ニューイヤーコンサート
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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート(英:New Year's Concert、独(原語):Das Neujahrskonzert der Wiener Philharmoniker ダス・ノイヤールスコンツェルト・デア・ヴィーナー・フィルハーモニカー)は、毎年1月1日にウィーン楽友協会の大ホール(黄金のホール)で行なわれるマチネのコンサート。おもにシュトラウス一家のワルツやポルカなどが演奏される。映像はライブで世界各国に中継され、世界中の人々がこのコンサートを楽しむ。
目次 |
[編集] 歴史
1939年12月31日にクレメンス・クラウスの指揮により初めて開催され、1941年1月1日の第2回からは元旦の正午に開催されるようになった。 1955年以降ヴィリー・ボスコフスキーが指揮をし、1959年各国に中継され始めた頃から人気が高まり、現在は全世界の40カ国以上に生中継されている。2002年には小澤征爾が、アジア人ではズービン・メータに続き2人目の指揮者となった。
[編集] 歴代指揮者(年)
- クレメンス・クラウス, 1939, 1941–1945, 1948–1954
- ヨーゼフ・クリップス, 1946–1947
- ヴィリー・ボスコフスキー, 1955–1979
- ロリン・マゼール, 1980–1986, 1994, 1996, 1999, 2005
- ヘルベルト・フォン・カラヤン, 1987
- クラウディオ・アッバード, 1988, 1991
- カルロス・クライバー, 1989, 1992
- ズービン・メータ, 1990, 1995, 1998, 2007
- リッカルド・ムーティ, 1993, 1997, 2000, 2004
- ニコラウス・アーノンクール, 2001, 2003
- 小沢征爾, 2002
- マリス・ヤンソンス, 2006
- ジョルジュ・プレートル, 2008 (予定)
[編集] 演奏曲目
ニューイヤーコンサートの曲目の選定は、ヨハン・シュトラウス協会会長やシュトラウス研究家など「シュトラウス一家の権威」が集まって行われている。そこで決まった提案を指揮者とウィーン・フィルに送付し、この両者で検討される。この際、ポピュラーで取り上げられる回数の多い曲と、なじみのない曲やニューイヤーコンサート初登場の曲を出来るだけ交互に演奏するプログラムになるよう吟味される(指揮者によっては、その慣習が破られる時もある)。
この演奏会では、アンコールとして演奏される3曲のうち、2曲目に美しく青きドナウ(ヨハン・シュトラウス2世)を、最後の曲にラデツキー行進曲(ヨハン・シュトラウス1世)を演奏するのがならわしとなっている。また美しく青きドナウの冒頭が演奏されると、一旦拍手が起こり、演奏を中断、指揮者およびウィーン・フィルからの新年の挨拶があり、再び最初から演奏を始めるのもならわしである。新年の挨拶は、その年の指揮者により色々な趣向で行なわれる。たとえば、2002年のコンサートでは、ウィーン・フィルの楽員に縁のある国の言葉で新年の挨拶を述べるという形で行なわれた (日本語での挨拶はコンサートマスターのライナー・キュヒル氏(妻が日本人)が行い、小沢征爾氏は中国生まれのため中国語で挨拶した)。2007年はメータが「ルーマニアとブルガリアの欧州連合加盟を歓迎します」という挨拶を、英独・現地語他で行った (この両国には、いずれもドナウ川が流れている)。
ラデツキー行進曲では、指揮者が観客に手拍子を求める。
2001年のニューイヤーコンサートでは、ラデツキー行進曲のオリジナルバージョンがプログラムのトップを飾った(指揮:アーノンクール)。
2005年のニューイヤーコンサートは、直前に起きたインドネシア・スマトラ島沖の地震、津波災害への支援を進める内容の挨拶が第2部の1曲目の後に行なわれ、恒例となっているラデツキー行進曲の演奏は行われなかった(指揮:マゼール)。
なお、美しく青きドナウとラデツキー行進曲が演奏会のラストにアンコールで必ず演奏されるようになったのは第二次大戦後である。またラデツキー行進曲における聴衆による手拍子や、演奏者の新年の挨拶が行われるようになったのも、ボスコフスキー時代からである。クラウス時代には、美しく青きドナウやラデツキー行進曲など、人気曲の演奏開始早々に聴衆の拍手喝采と大歓声で演奏が中断されてしまうというハプニングがしばしばあったようだ。
ボスコフスキー時代には、ウィーン・フィルの打楽器奏者であるフランツ・ブロシェクが毎年愉快な演し物を用意しており、名物となっていた。たとえば「山賊のギャロップ」では山賊に扮して演奏中の楽員から金品を盗んで回ったり、「鍛冶屋のポルカ」では鍛冶屋の親方に扮して飲み食いしながら演奏したり、「爆発ポルカ」では工事現場の作業員の格好をして爆破装置のスイッチを押し、曲の最後に舞台上に風船を飛ばしたり紙吹雪を降らせる、などである。ブロシェク引退後も、打楽器パートが中心になって毎年さまざまな趣向が凝らされている。2006年には「電話のポルカ」の曲の最後で、指揮者ヤンソンスの持っている携帯電話が鳴り出すという演出があった。
曲目は基本的にシュトラウス一家と、ウィーン・フィルやシュトラウス一家に縁のある作曲家(ニコライ、ランナー、ヘルメスベルガー、フランツ・スッペ、カール・ミヒャエル・ツィーラーなど)の曲で構成されるが、1991年(指揮クラウディオ・アバド)ではモーツァルト(没後200年)のコントルダンス第1番K.609「もう飛ぶまいぞ」、同第3番、ドイツ舞曲第3番K.605「そり遊び」、ロッシーニ「どろぼうかささぎ」序曲、シューベルト(ブルーノ・マデルナ編曲)「ポルカ」「ギャロップ」と、シュトラウス一家と離れている作曲家の作品が演奏された。2003年(指揮アーノンクール)では、カール・マリア・フォン・ウェーバーの「舞踏への招待」とヨハネス・ブラームスのハンガリー舞曲第5番・第6番が演奏された。モーツァルト生誕250周年となる2006年には「フィガロの結婚」序曲やランナー「モーツァルト党」などが演奏された。他にはジャック・オッフェンバックの「天国と地獄」序曲なども演奏(マゼール指揮)されている。
[編集] エピソード
毎年変わる指揮者は、公式には「楽団員全員による投票によって決定されている」とされている。毎年1月2日に次年の指揮者が(非公式に:新聞のリークにより)公表される。2008年のジョルジュ・プレートルは、楽団の公式ホームページ上で発表されている。
新年の初めであり、会場の観客は正装をしているが、新年を祝う気軽で陽気なコンサートである。また、会場で飾られる美しい花々は1980年以来、イタリアのサンレーモ市(Sanremo)から贈られることが伝統となっている。
同じプログラムで、12月30日はオーストリア軍のために、12月31日夜はシルベスターコンサートして演奏され、1月1日が本番のニューイヤーコンサートとなる。
気軽な雰囲気のコンサートであるが、その切符を入手するのは極めて困難で、数ある音楽会の中でも最もプレミアが付く演奏会の一つである。日本人が会場に多いのは非常に有名であるが、この高額なプレミアを支払う財力はもちろんのこと、日本企業がウィーンフィルやオーストリアとの密接なビジネスパートナーである一つの証明でもある。
[編集] テレビ中継・レコーディング
ニューイヤーコンサートは衛星中継により世界各国でリアルタイムに楽しむことが出来る。放送はオーストリアのORF、ドイツのZDF、そして日本のNHKによる共同制作である。ブライアン・ラージが長年映像監督を務めている。
NHKでは例年はBS2、BSハイビジョンとFMで全編放送、NHK教育で後半のみ放送という形をとってきたが、2006年はNHK総合、BS2、BSハイビジョンとFMで全編放送し、さらに1月3日にNHK教育で再放送するという積極的な形となった。2007年は地上波中継が再びNHK教育に戻された。全編放送は行なったが、再放送は1月6日(NHK総合)と、例年より遅くなった。以降この形が継続されるかは不明。
レコーディングはクラウス時代にデッカに録音された1953年のものが最古であるが、翌年の1954年のものはオーパス蔵からリリースされており、現在でも聴くことができる。ボスコフスキー時代・マゼール時代は毎年レコーディングされたわけでもなかったようだが、録音は残っている。ボスコフスキー最後のニューイヤーである1979年のものは、Decca初のデジタルレコーディングであった。カラヤン~メータ(95年出演時)まではCD1枚分に収められるよう、全演奏曲目を収録したわけではなかったが、1996年(マゼール)以降は基本的には2枚組でリリースされ、演奏曲目が全部収録されるようになった。演奏会後、だいたい1週間後にはライヴ録音が店頭に並んでいる(日本盤は少し遅れる)。1979年まではDeccaがウィーン・フィルと契約していた関係上Deccaからリリースされており、以後も同資本下のドイツ・グラモフォンがリリースしていたが、近年ではドイツ・グラモフォンの他にフィリップス(ムーティ、小澤)、EMI(ムーティ)、ソニー(メータ、マゼール)、RCA(メータ、マゼール)、テルデック(アーノンクール)がレコーディングしているが、ムーティとアーノンクールの一番最近の出演はドイツ・グラモフォンがリリースしている(移籍があったため)。2007年はドイツ・グラモフォンからCD、DVDとも1月中に発売される。
なお、テレビ中継・レコーディングともども放映拒否・発売拒否できない条項が出演契約の中に含まれている。稀代のレコーディング嫌いであり、レコーディングしても時々お蔵入りにさせていたクライバーも、その条項を翻すことは出来なかった。とはいえ、契約の中に「出演キャンセルできない」という条項はなかったので、ウィーン・フィルとORFでは、大晦日の収録を新年と同じように行ったり、代役の指揮者を用意しておく(エーリッヒ・ビンダーなど)など、相当神経を使っていた。
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