レオン・リー
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レオン・リー(Leon Lee,1952年12月4日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ベーカーズフィールド出身のプロ野球選手(一塁手・三塁手)、プロ野球監督。右投げ右打ち。登録名は「レオン」。
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[編集] 来歴・人物
同時期に活躍したレロン・リーは実兄。長男は、アメリカメジャーリーグで活躍しているデレク・リー。グランドユニオン高等学校からアメリカマイナーリーグに所属。メジャーに上がれず苦悩していたその折、ロッテオリオンズに入団し活躍していた兄・レロン・リーに誘われ1978年からロッテでプレー。レロンと甲乙付け難い打棒を振るい中軸を成した。
1982年オフに横浜大洋ホエールズへトレード移籍。舞台をセ・リーグへ移しても強打は相変わらずだったが、1985年オフに突如自由契約。「チャンスに弱い」という理由であったが、同年の成績が打率.303、本塁打31本、打点110であるのに対し納得できない理由であった。結局、ヤクルトスワローズに移籍し1987年に退団。実働10年で帰国するまで、終始安定した成績を残した。
打撃3部門のいずれかで好成績を残した年には他の選手が突出した成績を残すという不運もあり、タイトルには縁がなかった。2003年にオリックス・ブルーウェーブの打撃コーチとして、16年ぶりに日本球界に復帰。同年4月に石毛宏典監督が解任されると、後任の監督に就任。しかし、チームの打撃陣は好調だったが、投手陣が壊滅して最下位となってしまい、同年限りで退団。帰国後、本国アメリカで意図的にやったものではないものの局部露出で逮捕されるという失態を起こした。現在はアメリカのマイナーチームの監督。
日本語を大変流暢に喋ることができる。オリックス監督時代もインタビューは日本語だった(2003年の監督在任時には、チームの不甲斐無さに「情けないよ」を連発している)。また、中日ドラゴンズを舞台に外国人選手を主人公として描かれた映画「ミスター・ベースボール」のアドバイザーを務めた。
[編集] 年度別成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1978年 | ロッテ | 128 | 471 | 59 | 149 | 26 | 6 | 19 | 73 | 6 | 2 | 1 | 26 | 74 | .316(5) |
1979年 | ロッテ | 128 | 484 | 77 | 147 | 21 | 1 | 35 | 93 | 4 | 0 | 3 | 43 | 66 | .304(12) |
1980年 | ロッテ | 128 | 486 | 85 | 165 | 22 | 0 | 41 | 116 | 2 | 1 | 5 | 53 | 48 | .340(2) |
1981年 | ロッテ | 107 | 395 | 50 | 119 | 17 | 0 | 13 | 62 | 1 | 1 | 5 | 40 | 41 | .301(10) |
1982年 | ロッテ | 128 | 481 | 50 | 136 | 22 | 0 | 22 | 78 | 0 | 0 | 4 | 39 | 65 | .283(11) |
1983年 | 大洋 | 128 | 472 | 83 | 136 | 27 | 1 | 30 | 98 | 1 | 0 | 5 | 66 | 68 | .288(22) |
1984年 | 大洋 | 130 | 480 | 66 | 154 | 25 | 1 | 21 | 84 | 6 | 0 | 5 | 65 | 60 | .321(6) |
1985年 | 大洋 | 128 | 462 | 65 | 140 | 21 | 0 | 31 | 110 | 6 | 0 | 7 | 77 | 77 | .303(12) |
1986年 | ヤクルト | 130 | 483 | 73 | 154 | 19 | 0 | 34 | 97 | 2 | 0 | 5 | 59 | 79 | .319(4) |
1987年 | ヤクルト | 120 | 453 | 60 | 136 | 14 | 1 | 22 | 73 | 0 | 0 | 2 | 37 | 60 | .300(12) |
通算成績 | --- | 1255 | 4667 | 668 | 1436 | 214 | 10 | 268 | 884 | 28 | 4 | 42 | 505 | 638 | .308 |
[編集] タイトル・表彰・記録
- ベストナイン 2回(1980年、1986年)
- 1試合10打点(1985年8月10日)
[編集] 監督としてのチーム成績
年度 | 年度 | 順位 | 試合数 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 | チーム本塁打 | チーム打率 | チーム防御率 | 年齢 | 球団 |
2003年 | 平成15年 | 6位 | 140 | 48 | 88 | 4 | .353 | 33.5 | 174 | .276 | 5.95 | 51歳 | オリックス |
- ※2001年から2003年までは140試合制
- 監督通算成績 120試合 41勝76敗3分 勝率.350
[編集] 関連項目
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- ※カッコ内は監督在任期間。