交響曲第10番 (ショスタコーヴィチ)
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ドミートリイ・ショスタコーヴィチの交響曲第10番ホ短調作品93は、ショスタコーヴィチが作曲した10番目の交響曲である。声楽を伴わない交響曲の中では、傑作とされる作品である。
自分のドイツ式の綴りのイニシャルから取ったDSCH音型(Dmitrii SCHostakowitch)が重要なモチーフとして使われている(こうした手法をモノグラムという)。このモノグラムが第3楽章では暗示的に使われ、第4楽章に至るとあらゆる場面で用いられる事からも、ショスタコーヴィチ自身のスターリン体制から開放された自分自身を表現しているのではないかと言われている。
ピアノ連弾版も存在し、作曲者の自作自演録音が残っている。
目次 |
[編集] 作曲の経緯
1948年のジダーノフ批判により、ショスタコーヴィチは苦境に追い込まれることとなった。その一因には、交響曲第9番を聞いたスターリンが、ベートーヴェンの交響曲第9番のような作品を期待していたが、その期待とは全く異なる軽妙な作品であったため激怒したことが関係している。
ショスタコーヴィチはその時期には映画音楽や『森の歌』などを発表し、非難を避けるべく当局に迎合するかのようにふるまい、1953年のスターリンの死の直後、いわゆる雪解けの時代の直前にこの曲を発表して問題となった。
交響曲第9番までは、ほぼ2年に1曲のペースで交響曲を発表していたショスタコーヴィチだったが、この交響曲第10番が発表されるまで交響曲第9番の発表後8年も経過している。その理由の1つには、スターリンの死後まで交響曲の発表を待たなければならなかったからと言われている。
ソビエトの楽壇では、この曲の評価に関して、賛否両論に真っ二つに分かれてしまい、この問題に関して3日間に渡る討論会が行われたほどであった。アメリカでは同国における初演権争いも起こっている。[要出典]また、カラヤンが録音した唯一のショスタコーヴィチの作品でもある。
[編集] 初演
- 作曲時期:1953年
- 初演:1953年12月17日、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
- アメリカ初演:1954年12月14日、ディミトリー・ミトロプーロス指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック
[編集] 構成
4つの楽章から構成され、古典的な構成をとっている。4つの楽章で構成されているのは、交響曲第7番以来である。演奏時間は約50分である。
[編集] 第1楽章 Moderato
3/4拍子:ソナタ形式
冒頭、低弦で奏でられる順次進行を基調とした第1主題ではD, Esが暗示的に現れる。この主題の断片は他の楽章にも現れ、第3楽章、第4楽章ではDSCH音型に発展する。フルートの低音で現れる第2主題には、第1主題の順次進行との関連性が見られる。
[編集] 第2楽章 Allegro
2/4拍子 スケルツォ
「ショスタコーヴィチの証言」によれば、この楽章はスターリンの音楽的肖像画であるとされている(その真偽のほどは別にして)。冒頭のメトロノーム記号は、二分音符=176という異常なテンポになっているが、交響曲第5番の終楽章と同様にミスプリントと思われ、四分音符=176という説が有力である。実際、ピアノ連弾版による自作自演を聴いてみると、四分音符=176が近いようである。冒頭の主題には、第1楽章第1主題の断片が現れる。
[編集] 第3楽章 Allegretto
3/4拍子 三部形式
主に次の3つの主題からなる。1つ目は冒頭に現れる不気味さの漂う主楽想。この楽想にはDSCH音型が潜んでいる。2つ目はDの連呼で始まる副楽想。この楽想では主楽想より更にはっきりとDSCH音型が現れている。3つ目はホルンで奏でられるミラミレラという楽句である。この楽句はマーラーの『大地の歌』の冒頭を模したもので、『大地の歌』へのオマージュとされると同時に、ショスタコーヴィチが密かに心を寄せてきた教え子のエルミーラを表していると言われる。第3楽章の終わり方(496小節)はDSCH音型そのもの。
[編集] 第4楽章 Andante-Allegro
6/8-2/4拍子
序奏のアンダンテでは低弦が陰鬱なつぶやきを歌い、それはオーボエ、フルート、ファゴットと木管に引き継がれる。67小節からアレグロに入り一転して曲調は力強く明るくなる。トゥッティ全奏の最強奏でD, S(Es), C, Hが鳴り響きタムタムが強打し(385小節)、最後はホルン(603小節)、トロンボーン(612小節)、ティンパニ(641小節と654小節)がDSCH音型を強奏する。
[編集] 編成
- フルート 3(うちピッコロ持ち替え 1)
- オーボエ 3(うちイングリッシュホルン持ち替え 1)
- クラリネット 3(うち変ホ調ソプラニーノクラリネット持ち替え 1)
- ファゴット 3(うちコントラファゴット持ち替え 1)
- ホルン 4
- トランペット 3
- トロンボーン 3
- チューバ 1
- 打楽器
[編集] 初演者ムラヴィンスキー
ショスタコーヴィチの交響曲を数多く初演してきたムラヴィンスキーは、この曲の初演も1953年12月17日に行っている。幾つかの録音も残しているが、それらを聴く限り幾つかの独自の解釈が見受けられる。
まず第2楽章のテンポは一般的な演奏に比べて異常に速い。これに関しては上記のメトロノーム記号のミスプリントとの関連性が考えられる。
また、第4楽章の355小節においては金管の補強がなされている。オリジナルではファンファーレ的なパッセージの最後にストップがかかる箇所だが、この補強により金管は高らかなファンファーレを最後まで奏でることになる。ピアノ連弾版による自作自演でもこれに類した変更はなされていない。またムラヴィンスキーと関わりの深い指揮者で交響曲第5番第4楽章でムラヴィンスキーとよく似たテンポ設定をしていたクルト・ザンデルリングもこのような変更はしていない。
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