太田裕美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
太田裕美(おおた ひろみ、1955年1月20日 - )は歌手。 本名は福岡 弘美(ふくおか ひろみ)。東京都荒川区生まれ、埼玉県春日部市出身。血液型はA型。
目次 |
[編集] 人物
歌手であるが、独特のハイトーンの可憐な声質や、ルックスの良さ(可愛さ)からアイドル視される事もしばしばで、キャンディーズの4人目として売り出す案もあった。歌謡曲を歌う庶民的なアイドル歌手と、1970年代半ばに台頭してきたフォーク/ニューミュージック系歌手との中間的なイメージがあり、独特な位置づけの人気歌手になった。
上野学園中学校在学中に友人のかわりに受けたスクールメイツのオーディションに合格する。
その後「ヤング101」のオーディションでショパンの『子犬のワルツ』をひいて合格、NHKの音楽番組「ステージ101」のレギュラーメンバーとなる。
1974年11月1日に『雨だれ/白い季節』でデビュー。デビュー初期はフォーク調で、ピアノによる弾き語りの曲が多かった。
1975年12月に3作目のアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされた『木綿のハンカチーフ』が大ヒット、翌年のオリコンチャート4位を記録(1位は子門真人『およげたいやきくん』)、スター歌手の仲間入りを果たした。この後の曲調はポップスが中心となり、その後も『赤いハイヒール』『しあわせ未満』『九月の雨』などをリリースしてヒットさせたが、多忙をきわめ、喉を痛めるなどの苦労もあった。
既存のアイドル歌手にはない清潔さと品を感じさせる一方で、ニューミュージック系歌手にありがちな暗く孤高なイメージも皆無なため、大学生などに絶大な人気を誇った。いわゆる「学園祭の女王」という称号を得た最初の歌手とも言われている。
1982年に8ヶ月間アメリカ合衆国、ニューヨークに単身留学(「八番街51丁目より」で第4回ニッポン放送青春文芸賞優秀賞を受賞)(「ニューヨークなんて怖くない」を帰国後に執筆)、帰国後は留学前とうってかわって、テクノポップ調の曲を多くリリースするようになった。
1985年にプロデューサーの福岡智彦氏と結婚、子育てに専念するため活動を大幅に縮小する。 1998年に子育て(男の子2人)が一段落したため活動を再開、ミニアルバム『魂のピリオド』をリリース、松本隆、筒美京平とのゴールデントリオを復活させた。
アメリカの独創的な弦楽四重奏グループ・クロノス・カルテットのアルバム『弦楽四重奏曲の諸相 II〜冬は厳しく』に、太田の朗読がフィーチャーされているのは一部で有名。
かつて福武書店(現・ベネッセコーポレーション)の「進研ゼミ」のCMで女の子(実の子供ではないが)と共演した様に、近年は主婦としてのテレビ、雑誌出演が多く、同年代の主婦層からはカリスマミセスとしての一面を見せる。
2006年現在、コンサート活動,ラジオ(NHK-FMなど),ドラマ出演等、精力的に活動している。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- 雨だれ (1974年11月1日)
- たんぽぽ (1975年4月21日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄
- 夕焼け (1975年8月1日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄
- 木綿のハンカチーフ (1975年12月21日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄 歴代シングルNo.1の子門真人「およげ!たいやきくん」にはばまれ2位に止まるが、85万枚を超すセールスを記録
- 赤いハイヒール (1976年6月1日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄 ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」にはばまれ第1位獲得ならず
- 最後の一葉 (1976年9月1日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄
- しあわせ未満 (1977年1月20日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄
- 恋愛遊戯 (1977年5月31日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄
- 九月の雨 (1977年9月1日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:筒美京平 シングルで最後のBEST10入り
- 恋人たちの100の偽り (1977年12月21日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:筒美京平
- 失恋魔術師 (1978年3月21日)
- 作詞:松本隆/作曲:吉田拓郎/編曲:萩田光雄
- ドール (1978年7月1日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:筒美京平
- 振り向けばイエスタディ (1978年12月5日)
- 作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:Jimmie Haskell
- 青空の翳り (1979年4月21日)
- シングル・ガール (1979年7月21日)
- ガラスの世代 (1979年10月21日)
- 作詞:ちあき哲也/作曲:太田裕美/編曲:萩田光雄
- 南風 - SOUTH WIND - (1980年3月21日)
- 黄昏海岸 (1980年7月21日)
- 作詞・作曲:網倉一也/編曲:萩田光雄
- さらばシベリア鉄道 (1980年11月21日)
- 作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:萩田光雄
- 恋のハーフムーン (1981年3月21日)
- 作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:大瀧詠一
- 君と歩いた青春 (1981年8月26日)
- 作詞・作曲:伊勢正三/編曲:萩田光雄
- ロンリィ・ピーポーII (1983年6月22日)
- 満月の夜 君んちへいったよ (1983年11月21日)
- 作詞:山元みき子/作曲:太田裕美/編曲:大村雅朗
- 青い実の瞳 (1984年5月21日)
- 作詞:山元みき子/作曲:太田裕美/編曲:大村雅朗
- 雨の音が聞こえる (1984年11月21日)
- 作詞:山元みき子/作曲:筒美京平/編曲:板倉文、バナナ
- はじめてのラブレター (1993年5月21日)
- 作詞・作曲:太田裕美/編曲:近藤達郎
- Virginから始めよう (1994年6月22日)
- 作詞・作曲:太田裕美/編曲:井上鑑
- ファーストレディになろう (1996年3月21日)
- パパとあなたの影ぼうし (2001年5月23日)
[編集] アルバム
- まごころ(1975年2月1日)
- 短編集(1975年6月21日)
- 心が風邪をひいた日(1975年12月5日)
- 手作りの画集(1976年6月21日)
- 12ページの詩集(1976年12月5日)
- こけてぃっしゆ(1977年7月1日)
- 背中あわせのランデブー(1978年2月25日)
- ELEGANCE(1978年8月1日)
- 海が泣いている(1978年12月5日)
- Feelin' Summer(1979年6月1日)
- Little Concert(1979年12月5日)
- 思い出を置く 君を置く(1980年7月1日)
- 十二月の旅人(1980年12月12日)
- ごきげんいかが(1981年8月1日)
- 君と歩いた青春(1981年12月21日)
- Far East(1983年3月21日)
- I do, You do(1983年10月1日)
- TAMATEBAKO(1984年6月21日)
- Hiromic World/First Live Album(1985年2月25日)
- どんじゃらほい(1992年4月1日)
- 魂のピリオド(ミニアルバム)(1998年7月1日)
- 神様のいたずら(ミニアルバム)(1999年4月21日)
- 太田裕美の軌跡 ~First Quarter~(1999年4月21日)
- CANDY(ミニアルバム)(1999年11月3日)
- 始まりは“まごころ”だった。 (2006年11月22日、ソニーミュージックエンタテインメント)
[編集] 紅白歌合戦
- 1976年 第27回 『木綿のハンカチーフ』
- 1977年 第28回 『九月の雨』
- 1978年 第29回 『ドール』
- 1979年 第30回 『シングルガール』
- 1980年 第31回 『南風 -SOUTH WIND-』
[編集] 主要著作
- 1976年 まごころ
- 1978年 背中あわせのランデブー
- 1983年 ニューヨークなんて怖くない(写真: 浅井慎平)
- 2000年 太田裕美白書
[編集] ドラマ
[編集] 映画
[編集] ラジオ
- 1996年10月~97年3月「太田裕美の電リク 歌のデリバリー」(RFラジオ日本)
- 2003年10月~05年3月「野村邦丸のごきげん!二重丸◎」木曜日パートナー(文化放送)
- 2005年4月~ 「ミュージックプラザ」(NHK-FM放送・金曜日第2部・ポップス編 EPOの後任)
[編集] トピック
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の秋本治も一時期ファンで、かつて『こち亀』のコマ余白には太田裕美ネタが、同様にファンだったアグネス・ラムネタと並んでひしめいていた。『こち亀』第4巻「亀有大合唱!?の巻」は太田のコンサートをテーマとし、他巻でも何度かキャラとして登場させるほどの入れあげようだったが、1990年代に入ると、コマ余白の太田裕美ネタは重版分から一斉に抹消されてしまった。なお『こち亀』第3巻の巻末解説は太田が担当している。
- 少女漫画『星の瞳のシルエット』においてアルバム「Feelin' Summer」収録の「星がたり」が物語の重要な役割をなす曲として使われている。なお同漫画のイメージアルバムには「星がたり」原曲及びインストゥルメンタルバージョンが収録されている。
- 1990年、JR東海の飛騨観光のCM(「ワイドビューひだ」車内で撮影されたもの)に出演、CMソングとして「メタモルフォーゼください」を歌うが、1999年、限定発売のボックスセット「太田裕美の軌跡 ~First Quarter~」に収録されるまで一般向けリリースはされなかった。
- 吉田拓郎の1976年の自著の中に、拓郎がよく飲んでいた原宿のパブ・「ペニーレイン」の隣に「ライムライト」という飲み屋があり、その頃そこへ太田が、天地真理と一緒に飲みに来たのを見たらしい。太田と天地とは同じ事務所(渡辺プロダクション)である。
- 可愛らしい声質ではあるが、本人は男性的なさっぱりした性格だと言われる(太田が歌唱する歌詞に「男性語」がよく出てくるのもその影響が大きいといえる)。また酒豪としても有名である。
- 2006年に放送されたテレビ番組では、「太田裕美は歌謡曲(アイドル?)~フォーク(フォークシンガー)の架け橋的存在」と自ら称した。
- 渡辺プロダクションが、若者のニューミュージック指向を高めようと立ち上げたNON STOPプロジェクトの一員である(他のメンバーは、大塚博堂・桑江知子・山下久美子・ルイス・ララ)。
[編集] 関連項目
- シャボン玉こんにちは(東京放送系列)