小田実
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小田 実(おだ まこと、男性、1932年6月2日 - )は日本の作家、政治活動家。元・代々木ゼミナール英語科講師。九条の会の呼びかけ人の一人。
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[編集] プロフィール
[編集] 生い立ち
大阪市出身。旧制天王寺中学(現大阪府立天王寺高等学校)に入学するが、学制改革により新制大阪府立夕陽丘高等学校を卒業する。東京大学文学部言語学科卒(古代ギリシア語専攻)後、フルブライト奨学金留学生として事実上アメリカの国費留学生としてアメリカへ留学する。
[編集] 「べ平連」とKGBとの関係
60年安保の時期から、平和運動を開始する。ベトナム戦争期は、「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)「日本はこれでいいのか市民連合」を結成。「平和運動の熱心な活動家」と見られていたが、ソ連崩壊により、ベ平連などがKGBから資金的・物理的援助を受けていたことを裏付けるソ連側の機密文書が公開され、その歴史的評価は大きく下がることとなった。また、その機密文書により小田実と吉川勇一がKGBのエージェントだったことが暴露された。
[編集] 「北朝鮮の味方」
また、1970年代に当時の軍事政権に迫害された韓国の金大中の救出運動にも加わったものの、同時に北朝鮮を「地上の楽園」と賛美するキャンペーンを行った進歩的文化人を代表する一人でもあった。たとえば小田実は『私と朝鮮』(1977年)の中で、
- 第三世界にとって、かつては日本が進歩のモデルだった。 しかし、今、そのモデルは、例えばアフリカの多くの国にとって、 北朝鮮にとって代わられようとしている。
- 彼らの暮らしにはあの悪魔のごとき税金というものが全くない。これは社会主義国をふくめて世界のほかの国には未だどこも見られないことなので特筆大書しておきたいが、そんなことを言えば、人々の暮らしの基本である食料について「北朝鮮」がほとんど完全に自給できる国であることも述べておかねばならないだろう。
と書いている。そして北朝鮮側が日本人拉致を認めた後は、
- 1963年に日本が韓国との国交正常化に歩み始めた時から北朝鮮とも国交回復していれば、拉致はなかった。小泉首相は拉致家族に国の政治責任を謝罪すべきだ。日本政府は拉致された人がどう死んだのか、誰をどう処罰したのか、北朝鮮に明らかにさせなくてはならない。この究明と(拉致被害者家族に対する)国家補償の追及が、国交正常化の第一歩だ。一方、日本は朝鮮半島を植民地化する国家犯罪を犯した。金正日(総書記)は少なくとも拉致について謝罪したが、日本は従軍慰安婦問題で謝罪も補償もしていない。今こそこれをすべきだ。日本が国家犯罪を清算せず、国交ができないために、北朝鮮の国家犯罪による自国の犠牲者を生んだ。日朝両国が国家犯罪を認め合い反省することが、これからの「国交」の土台となる。(平成14年9月18日付東京新聞朝刊社会面「日朝首脳会談 拉致事件・生死判明 識者の声・市民の声」)
と、「北朝鮮による日本人拉致の全責任は日本側にある」としている。また、「北朝鮮の諸問題の原因は日本をまねたためだ」、というような発言を自身のホームページ(外部リンク参照)のコラム『新・西雷東騒』第4回に書き、『週刊新潮』2006年11月30日号『「ベ平連・小田実」は今も「北朝鮮の味方」という証明』により批判された。
[編集] 政治的スタンス
「市民の立場をとる」ことを信条としているが、上記のような言動から単なる極左と見做される場合が多い。しかしマルクス主義には懐疑的で、「マルクス主義における党組織論は、カトリックと似ている」、「マルクス主義者は真理を独占していると考えているが、人間の行動の動機は、財産欲による場合よりも性欲による場合が多い」などと述べている。
しかし、その理論はノンセクト・ラジカル、黒ヘルとの境界線がはっきりしない。また、2005年の衆議院議員選挙では、土井たか子が事実上の政界引退を表明したことに遺憾の意を表し、社会民主党支持を明らかにしている。
[編集] 作家活動
これまで多くの小説・評論・エッセイを出しており、中でも代表作である1968年の『何でも見てやろう』は多くの若者達に支持され、当時のベストセラーとなった。