東京モノレール羽田線
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東京モノレール羽田線(とうきょうモノレールはねだせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)傘下の会社、東京モノレールが運営する東京都港区のモノレール浜松町駅から大田区の羽田空港第2ビル駅までを約23分(空港快速は約18分)で結ぶモノレールである。
路線名は、東京モノレールの「羽田線」ではなく、「東京モノレール羽田線」である。
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[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):17.8km
- 方式:跨座式(日立アルウェーグ式)6両編成
- 駅数:9駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線(ただし、モノレール浜松町駅構内は単線)
- 電化方式:直流750V
- 閉塞方式:車内信号閉塞式(CS-ATC)
- 最高速度:80km/h
- 表定速度:45.3km/h(快速55.7km/h)
- 運転本数:平日480本(うち快速40本) 土休日436本(うち快速69本)
- 輸送力:
- ピーク(1時間片道):平日10,512人 土休日7,008人
- 終日:平日280,320人 土休日254,624人
[編集] 概要
1964年の東京オリンピックの開催で、国内外からの東京国際空港(羽田空港)利用客の輸送を目的として名古屋鉄道、日立製作所などが出資した運営会社、大和観光によって建設され、10月10日のオリンピック開会式前の9月17日に開業した。
当初は新橋駅を起点として計画されていたが、用地確保の目処が立たず、やむなく浜松町駅をターミナルとしている。また、東京オリンピックに間に合わせるため、用地買収の要らない運河の上に建設したり、終夜の突貫工事が行われたため多大な工費がかかり、その後の経営の足かせとなった。開業当初、飛行機利用や海外旅行が一般的でなかったこと、途中駅が全くなかったため空港利用客以外の乗客がいなかったこと、さらに運賃が片道250円、往復450円と、タクシーの初乗りが100円、週刊誌が50円だった当時としては極めて高かったこともあり乗車率が20%台まで下落した。そこで、1966年には40%という思い切った運賃の引き下げを行ったほか、乗客誘致策として空港見学客のための特別割引券を発行、大井競馬場や当時存在した大井オートレース場へのアクセスのための「大井競馬場前駅」、空港関係者のために「整備場駅」と新駅を次々と設けたが、それでも乗客は十分に増えず会社倒産の危機にさらされたこともあった。このため、名古屋鉄道は早々に資本を引き上げて撤退している。
その後、国際・国内空路の発展とともに空港利用客の増加、首都高速道路の渋滞で路線バスやタクシーよりも速いとのイメージが定着し、乗客は徐々に伸びていき、1970年代中頃には羽田空港アクセスとして定着した。
長らく羽田空港への唯一の軌道系公共交通機関という存在であったが、1998年に京浜急行、京成電鉄、東京都交通局等の5社局(当時)が相互乗り入れによって羽田空港と各沿線を結び、さらに羽田~成田空港駅間の直通連絡特急の運転も開始したため、かつての独占から一変して激しい競争にさらされることとなった。浜松町でJR線と接続しているとはいえ広域で見た場合のネットワークにやや劣ることや、京急に「品川まで400円」と宣伝され、浜松町まで470円のモノレールは運賃面でも見劣りした(もちろん場所によってはモノレールの方が割安なケースもある)。さらに地方からの上京客にはモノレールという乗り物自体になじみがなく、普通鉄道である京急が選ばれる(但し、この頃にはモノレールも相応に知名度があり、どちらかと言えば「空港からは先ずモノレール」と認識されていたケースも多く、そのため新参である京急は当初から大々的に宣伝していた)など大競争時代を迎えモノレールは経営のてこ入れが必要となった。
羽田発着航空機の増加に対応したり、京浜急行や京成電鉄との競争のためには増発が必要になったが、ネックになったのは単線ホームの浜松町駅で、改築が急務となった。しかし、東京モノレールや親会社の日立製作所グループは大規模な投資が必要なため遅れをとっていた。一方のJR東日本は、かねてから羽田空港アクセスに参入する意向を持っており、双方の思惑が一致したため運営会社の日立物流は2001年、株式の70%を譲渡し、東京モノレールの経営権をJR東日本に移譲した。また、日立製作所は、モノレールの生産・販売・サービス等旅客事業を発展させるため、株式の30%を取得している。
2002年に東京モノレールを子会社にしたJR東日本では次々と改善策を打ち出した。まず、浜松町駅のJRコンコースから直接乗り換えができる新改札口(モノレール口)を設置し、京浜東北線快速を浜松町駅に停車するようにした。また、モノレールにもSuicaを導入し、オレンジ色のモノレールSuicaを発行、運用開始したほか、すべての駅でJR東日本のSuica・東京臨海高速鉄道のりんかいSuica・西日本旅客鉄道(JR西日本)のICOCAを使用可能にした。さらに、特別企画乗車券で羽田空港駅から山手線内各駅への格安切符(逆はない)を発売したり、東京臨海高速鉄道りんかい線と共にホリデー・パスなどの切符で乗車できるよう変更(この時、プラス260円の値上げとなった事で、羽田線およびりんかい線を利用しない利用者から根強い批判がある)するなど相次いで対応策を打ち出し利便性を高めている。また、2003年度から予定していたワンマン運転を前倒しして2002年から開始し、2004年8月8日からは終日に渡って快速運転を開始している。2007年3月18日には昭和島駅の待避線が完成し、追い越し運転も可能となり、さらに空港アクセスの競争力強化を図っている。現在は天王洲アイルから北側の港区港南地区や芝浦地区再開発で大規模タワーマンションが建ち並び、人口が急激に増加していることから、同地区での新駅も課題となってきている。
2004年12月1日には東京国際空港(羽田空港)第2旅客ターミナルの供用開始に伴い、羽田空港駅~羽田空港第2ビル駅が延伸開業し、同時に羽田空港駅が羽田空港第1ビル駅に改称された。ターミナルを分散することで利便性が増すと考えられたが、中間駅となる羽田空港第1ビルの乗客は着席できない場合があり、同駅を主に利用する日本航空の利用者が徐々に京急へと流れる傾向も見られる。
跨座式モノレールで、ほとんどの部分が高架線だが、羽田空港旅客ターミナル移転に伴う路線の移設・延長に伴い、天空橋駅付近と新整備場~羽田空港第2ビル間は地下線となっている。なお地下線建設の際、構造上トンネルの断面積が大きくなるなどの理由で建設費が嵩んでいる。
車両は開業以来日立製作所製造のものを使用している。かつては置換のペースが新造後13年程度と速かったが、前述の競合状態となってから車両への投資は抑制気味である。
2007年3月18日には、昭和島駅の待避線使用を開始し、「快速」を廃止して新たに「空港快速」と「区間快速」を運転開始した。「空港快速」は京急の「エアポート快特」「快特」、「区間快速」は京急の「特急」「急行」に相当し、所要時間も京急とほぼ同じの時間になる。
[編集] 歴史
- 1964年9月17日 - モノレール浜松町駅~(旧)羽田駅間開業(開業当時は途中駅なし)。
- 1965年5月27日 - 大井競馬場前駅開業。
- 1966年11月 - 国鉄浜松町駅とモノレール浜松町駅間の連絡跨線橋完成(南口へ設置)
- 1967年3月20日 - 羽田整備場駅(現・整備場駅)開業。
- 1969年12月15日 - 新平和島駅(現・流通センター駅)開業。
- 1972年1月 - 新平和島駅を流通センター駅に改称。
- 1985年2月7日 - 昭和島駅開業。
- 1992年6月19日 - 天王洲アイル駅開業。信号保安システムをATSからATCへ変更。
- 1993年9月27日 - 羽田空港旅客ターミナル移転に伴い、羽田駅(現・天空橋駅)を移設、同時に羽田空港駅まで延伸開通。羽田駅で京急空港線と連絡開始。羽田整備場駅を整備場駅に改称。
- 1998年11月18日 - 京急空港線の羽田空港駅延伸開業に伴い、誤解を防ぐため羽田駅を天空橋駅に改称。
- 2002年4月21日 - モノレールSuicaを導入し、JR東日本と相互利用開始。
- 2002年8月20日 - 全駅でホームドア使用開始。
- 2002年9月28日 - ワンマン運転開始。
- 2003年7月19日 - JR浜松町駅構内とモノレール中央口改札口を結ぶ連絡跨線橋完成(モノレール口改札)。土曜・休日に「快速」を運行開始。
- 2004年4月1日 - 「快速」を平日夜にも運行開始。
- 2004年8月8日 - 「快速」が終日運行となる。
- 2004年12月1日 - 羽田空港第2ターミナルビルの供用開始に伴い、羽田空港駅~羽田空港第2ビル駅間が延伸開通。同時に羽田空港駅を羽田空港第1ビル駅に改称。
- 2007年3月18日 - 昭和島駅待避線使用開始。「快速」を廃止し、「空港快速」・「区間快速」を運行開始。
- 2007年3月25日 - 浜松町駅~天王洲アイル駅で高架下で作業中のクレーン車のアームが車両に接触。2時間にわたり事故にあった車両の乗客が閉じ込められた。
- 2009年12月頃 - 国際線ターミナルビル駅(仮称)が開業予定。
[編集] 駅一覧
- 凡例
- ●:停車駅
- |:通過駅
- 普通列車は省略(各駅に停車)。
駅名 | 駅間営業キロ | 通算営業キロ | 空港快速 | 区間快速 | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
モノレール浜松町駅 | -- | 0.0 | ● | ● | 東日本旅客鉄道:山手線、京浜東北線 都営地下鉄:○浅草線(大門駅 A-09) ○大江戸線(大門駅 E-20) |
東京都 | 港区 |
天王洲アイル駅 | 4.0 | 4.0 | | | ● | 東京臨海高速鉄道:りんかい線 | 品川区 | |
大井競馬場前駅 | 3.1 | 7.1 | | | ● | |||
流通センター駅 | 1.6 | 8.7 | | | ● | 大田区 | ||
昭和島駅 | 1.2 | 9.9 | | | | | |||
整備場駅 | 1.9 | 11.8 | | | | | |||
天空橋駅 | 0.8 | 12.6 | | | | | 京浜急行電鉄:空港線 | ||
国際線ターミナルビル駅 (仮称・2009年12月頃開業予定) |
京浜急行電鉄:空港線 | ||||||
新整備場駅 | 3.5 | 16.1 | | | | | |||
羽田空港第1ビル駅 | 0.8 | 16.9 | ● | ● | 京浜急行電鉄:空港線(羽田空港駅) | ||
羽田空港第2ビル駅 | 0.9 | 17.8 | ● | ● |
[編集] 今後の予定
- 国際線ターミナルビル駅
- 東京国際空港は2009年12月を予定して、国際線の定期乗り入れを開始する。これに合わせて空港南側(環状八号線沿い)に建設される新国際線ターミナルビルに「国際線ターミナルビル駅(仮称)」が設置される。駅新設に伴って天空橋~新整備場間の軌道の一部が新ターミナル敷地内へ移設される。
- 浜松町駅移設
- 都心のターミナルである浜松町駅の整備が、内閣総理大臣を本部長とする都市再生本部の緊急整備項目に指定されており、現在の世界貿易センタービルに隣接しているモノレールビル内からJR浜松町駅のホームの東側に移設される予定である(これは2002年1月に発表された東京モノレールの新橋駅方向への延長計画にも対応している)。これにより現在の単線ホームから2編成が停車できるホームとなり、増発のネックが解消されるほか、JR線との乗り換えが大幅に改善される予定である。敷地の利用に無駄のあった東海道本線と東海道新幹線線路を整理し、やや西側に移設する工事で空いた敷地を利用する予定だが、着工時期はまだ発表されていない。
- 2006年6月に新幹線下り線路の移設を最後に線路の再編成は終了し、清水建設、名工建設JVによる工事事務所が設置され、旧線路のレール、枕木、バラストの撤去作業も急ピッチで行われほぼ終了している。JR浜松町駅改築スケジュールの絡みもあるが、2009年12月に予定されている羽田空港国際線定期便就航前には完成するものと見られる。
- 新橋延伸
- 2002年1月の日本経済新聞には、長期計画として東京モノレールを浜松町(新駅)より新橋に延長する計画を発表した(親会社であるJR東日本の発表)。開業当初の新橋延長計画で懸案となった用地取得問題に関しては、JR傘下の会社となったことから、JR線上空を使用することで目処がついている。ただし開業当初にも問題になった新橋駅の設置場所や、途中駅を設けるかについては明らかにされていない。また新橋への延長は工事するとしても羽田空港側の工事が完了してからの建設になる模様である。
- その他
- 開業時から40年以上使用され、老朽化している軌道桁の架け替えも検討中である。