東武亀戸線
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亀戸線(かめいどせん)は、東京都江東区の亀戸駅と東京都墨田区の曳舟駅を結ぶ、東武鉄道の運営する鉄道路線。
複線で運行本数が多いという都市部の鉄道の特徴を持ちながら、2両編成の電車が走行するというローカル線の特徴も持ち合わせている路線である。
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[編集] 路線データ
[編集] 運行形態
2両編成の電車が、亀戸駅~曳舟駅間を往復する。平日朝ラッシュ時は3編成を使用し、約7~8分間隔で運行。それ以降及び、土休日は、深夜・早朝帯を除き、2編成を使用し、約10分間隔で運行されている。
全線でワンマン運転を実施している。駅のプラットホームにホームセンサーが設置されていて、それを用いて安全確認をしている。
5駅しかないため、夜間など目視する目標がないせいもあり次の停車駅アナウンスを逆方向に間違えることがたびたびあったが、今はワンマン運転化に伴い自動放送による案内となったため、このようなことはなくなった。
[編集] 使用車両
- 8000系(ワンマン運転対応車・2両編成)
[編集] 歴史
東京と北関東を結ぶため、1897年に設立された東武鉄道は当初の起点を東京湾に近い越中島とする予定であった。しかし、越中島~北千住は審査に慎重を要するとしてすぐには免許が下りなかった。そのため、日本鉄道の北千住駅を起点に久喜駅までが1899年8月に東武鉄道最初の区間として開業し、1902年には北千住駅から吾妻橋駅(現・業平橋駅)まで延伸された。
越中島~北千住間の免許は1899年1月に下り、その一部として1904年4月5日に亀戸~曳舟間が開業した。同時にこの日開業した総武鉄道(現・JR東日本総武本線)亀戸~両国橋(現・両国)間への直通運転を開始し、東武鉄道の吾妻橋~曳舟間は廃止され亀戸~曳舟間が本線格の扱いとなった。開業当初中間駅は天神駅(現・小村井~曳舟間)のみ、非電化で蒸気運転であった。
しかし、乗り入れていた総武鉄道の国有化をきっかけに、ターミナルを開業当時の吾妻橋駅(現・業平橋駅)に戻すことになり、1908年3月に吾妻橋~曳舟間が貨物線として再開、1910年3月に吾妻橋駅を浅草駅と改称して同区間の旅客営業を再開すると亀戸~曳舟間は支線となった。亀戸から越中島までの延伸計画も敷設予定地の市街地化が進み、用地取得が困難になってきたことなどから着手できず1910年8月に免許が失効した。1911年には西平井(東陽町駅付近)までの延伸に計画を変更したが免許取得までは至らなかった。第二次世界大戦中は、東京大空襲により、中間駅を焼失、廃止・休止に追い込まれている。
戦後は、東武伊勢崎線沿線の開発に伴い、輸送客も順調に伸びていたが、1962年5月31日、北越谷駅~北千住駅~人形町駅間の東武伊勢崎線~営団日比谷線相互乗り入れ開始に伴い、都心への通勤ルートが大きく変化し、この路線の乗客は減少した。
それ以来、特に大きな変化はなかったが、2003年3月19日の営団半蔵門線の押上駅延伸開業によるダイヤ改正に伴い、平日朝ラッシュ時の減便が行われた。2004年4月に開業100周年を迎えた。
[編集] 年表
- 1904年(明治37年)4月5日 亀戸-曳舟間 (3.4km) 開業。
- 1905年(明治38年)7月6日 天神駅営業休止。
- 1907年(明治40年)9月1日 乗り入れ先の総武鉄道が国有化され総武本線となるも、乗り入れは継続。
- 1908年(明治41年)4月4日 天神駅廃止、中間駅がない状態となる。
- 1910年(明治43年)3月27日 総武本線への直通運転を廃止。
- 1925年(大正14年)9月4日 天神駅再開業。
- 1928年(昭和3年)4月15日 亀戸線全線電化。
- 同時に中間駅として、亀戸水神、北十間、平井街道(現・東あずま)、小村井、十間橋通、虎橋通が開業する。
- 1943年(昭和18年)12月26日 虎橋通駅営業休止。
- 1945年(昭和20年)3月10日 東京大空襲により、虎橋通駅廃止。
- 1945年(昭和20年) 5月20日 平井街道駅廃止、北十間駅・十間橋通駅休止。
- 1946年(昭和21年)12月5日 北十間駅と亀戸水神駅を移転統合、亀戸水神駅とする。北十間駅は廃止。
- 1956年(昭和31年)5月20日 旧・平井街道駅の位置に東あずま駅を開業(事実上の再開)
- 1956年(昭和31年)10月31日 天神駅営業休止。
- 1957年(昭和32年)5月20日 天神駅廃止。
- 1958年(昭和33年)10月22日 十間橋通駅廃止。
- 2004年(平成16年)10月19日 ワンマン運転開始。