両国駅
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両国駅(りょうごくえき)は、東京都墨田区横網(よこあみ)一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅。都営地下鉄の駅には駅番号(E-12)と副駅名(「江戸東京博物館前」)が付けられている。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 東京都交通局(都営地下鉄)
[編集] 駅構造
JRの駅は東西に出口がある(階段の位置はホームの両端ではなくやや中央寄り)。各駅停車の島式ホームの北側には、ターミナル駅の面影を残す駅舎とホームが残されている。現在では、この趣のある旧駅舎コンコースを利用した飲食店が営業中である。なお、JR総武線と都営地下鉄大江戸線の乗り換えは、JR駅の東口から乗り換えるが、徒歩で5~10分程かかる。また、近くに大相撲が執り行われる国技館があるため、西口改札の入ってすぐの所にはタイルの色が違う所があり、これはよく見ると土俵の形になっている事がわかる。
[編集] 総武本線
- のりば
1 | ■中央・総武線(各駅停車) | 秋葉原・新宿・中野・三鷹方面 |
2 | ■中央・総武線(各駅停車) | 錦糸町・船橋・津田沼・千葉方面 |
3 | ■臨時ホーム |
電車ホームから一回り低い高さにある列車ホームは、JR発足当初は5番線まであり、特急あやめ号やすいごう号の発着もあったが、現在では3番線のみとなり、そのホームにも旅客列車の発着はなくなった。現在、定期列車としては新聞輸送列車が1日1本発車するのみである。当然のことながら、夕刊がない日祝日・年末年始は運転されない。この他、総武快速線の団体列車がここで折り返すことも多かったが、地下トンネルの入線制限が緩和された為に、ほとんどの列車が東京まで直通できるようになり、使用頻度は大きく減少した。新宿方面から総武線千葉方面に乗り入れる特急列車などはすべて当駅を通過する。また、1番線の案内には本来停車しない「東京」「上野」の表記がある。
[編集] 都営地下鉄大江戸線
- のりば
- 島式ホーム1面2線の地下駅である。
1 | ○都営大江戸線 | 飯田橋・都庁前方面 (練馬・光が丘方面は都庁前で乗換え) |
2 | ○都営大江戸線 | 大門・六本木方面 |
[編集] 利用状況
- JR両国駅の2005年度の1日平均の乗客数は38,047人である。
[編集] 駅周辺
- 相撲の街として知られており、江戸時代には勧進相撲が執り行なわれた回向院があるほか、相撲部屋や力士サイズの服を取り扱う洋品店などがある。
- 駅の北隣には両国国技館(上の写真でも緑の屋根が写っている)や江戸東京博物館がある。
- 国技館の北隣には旧安田庭園がある。旧安田庭園のある一角には両国公会堂があるが、老朽化が激しく倒壊の恐れがあるため、現在は利用を休止して改修中(外観を見ることはできる)。
- 旧安田庭園の北東側、清澄通りと蔵前橋通りに面した角の一角には都立横網町公園がある。ここは関東大震災で多数の犠牲者を出した陸軍本所被服廠跡地で(ちなみに震災当時は既に「跡地」であった)、都立公園の中でも慰霊を目的とした特異な存在である。敷地内には震災犠牲者と東京大空襲犠牲者を祀る東京都慰霊堂や震災復興記念館、東京空襲犠牲者追悼碑などが建てられており、毎年3月10日と9月1日には慰霊法要が営まれる。
- JR東口から南に向かって京葉道路を越え、さらに南に少々入った辺りに本所松坂町公園(吉良上野介の屋敷跡・忠臣蔵の討ち入りの舞台)がある。さらにその近くの両国公園には「勝海舟生誕の地」碑がある他、附近には江戸から明治期の著名人の足跡が数多くある。また、駅南東側一帯は鬼平犯科帳の主要な舞台になったことでも知られている。
[編集] 路線バス
JR両国駅西口のザ・ホテルベルグランデ前付近に「両国駅前」、および京葉道路沿いに「両国駅入口」、また都営大江戸線両国駅近辺の清澄通り上に「都営両国駅前」がある。運行は全て都営バスによって行われている。詳細は江東営業所・臨海支所・青戸支所の記事を参照のこと。
JR両国駅にバスが乗り入れたのは平23乙系統のころからである。その後、門33系統の両国駅行や、錦27系統の短縮、墨38系統の設定、草28系統の短縮などによって様々な系統が乗り入れてくるようになる。しかし、ターミナルとしては中途半端であったことも影響して、平23乙系統は上37系統と経路交換した上で当駅には来なくなり、また、都営大江戸線開業とともに門33系統の両国駅前折り返し便は経路のほとんどが同線と重複するため廃止となった。
一方、「都営両国駅前」停留所は都営大江戸線の開業に伴って移転・改称されたものであり、都営大江戸線両国駅が開業する前までは「横網一丁目」を、さらに墨田区役所が横網一丁目(現在の国際ファッションセンタービル一帯)から現在地に移転するまでは「墨田区役所前」を名乗っていた。また、移動も頻繁に行われており、「横網一丁目」時代の停留所の位置は亀戸駅方面が国際ファッションセンター前(現在郵便ポストがある場所)、豊海水産埠頭方面はそのほぼ向かい(たい焼き屋の斜め前)と、現在の場所よりもかなり北方にあった。
なお、「両国駅前」停留所はJR両国駅よりさらに西にあるため、両国駅前に発着し京葉道路を経由する両28 、錦27系統の錦糸町駅方面行へ都営大江戸線から乗り換える場合、「両国駅前」よりも、A5出口から左に歩いて交差点を左折したところにある「緑一丁目」停留所が最寄となる。
- 両国駅前
- 1番乗り場: 両28系統:葛西橋行、錦27:小岩駅行
- 2番乗り場: 墨38系統:東京都リハビリテーション病院行
- 都営両国駅前
- 清澄通り駒形橋方面(日大一高前): 墨38系統:東京都リハビリテーション病院行、門33系統:亀戸駅行、両28、錦27系統:両国駅行
- 清澄通り森下方面(東電本所変電所付近): 門33系統:豊海水産埠頭行
- 江東学園前(横網町公園南側):墨38系統:両国駅行
[編集] 歴史
- 1904年(明治37年)4月5日:総武鉄道のターミナル駅として開業。当時は「両国橋駅」と称す。また、東武鉄道の列車も亀戸線経由で当駅に乗り入れ、東京側のターミナルとした。
- 1907年(明治40年)9月1日:総武鉄道の鉄道国有法に基づく国有化で、国有鉄道の駅となる。
- 1910年(明治43年)3月27日:浅草駅(後の業平橋駅)開設により、東武鉄道の列車の乗り入れを廃止。
- 1931年(昭和6年)10月1日:「両国駅」に改称。
- 1932年(昭和7年)7月1日:御茶ノ水駅までの電車線開業。
- ただし、当時電化されていたのは御茶ノ水~両国間のみだったので、両国以東へ向かう列車は主にこの駅を始発としていた。その後、1935年までに千葉駅までの電化は完成したが、千葉以東に向かう列車などの多くは当駅を始発とし、東京における房総方面へのターミナル駅として発展する。
- 1972年(昭和47年)7月15日:総武本線複々線化及び東京駅~錦糸町駅開業により総武快速線運転開始。しかし複々線化工事の際、駅構内に出口が建設されたにも関わらず連続勾配と急カーブによりホームの建設が出来なかったため、総武快速線のルートから外れ房総方面へのターミナル駅機能を東京駅に譲る形となった。
- なお、東京駅開業後も一部の特急列車や急行列車は、両国駅発着として存続した。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR東日本が発足。当駅はJR東日本が継承
- 1988年(昭和63年)12月1日:特急「あやめ」・「すいごう」の乗り入れ終了。これにより、定期列車では総武線各駅停車のみが停車する駅となる。
- 2000年(平成12年)12月12日:都営大江戸線の駅が開業。
元来、両国とは両国橋を挟んだ隅田川の両岸を指す地名であった(隅田川西岸は旧日本橋両国)。しかし、総武鉄道は当初隅田川の東岸までの開通に留まったため、両国橋の東、東両国に両国橋駅を開業し、後に両国駅と改称した。駅名の影響に両国国技館の開設も加わり、現在では両国という地名はもっぱら両国橋の東の地域に対して用いられる。地名についての詳細は両国 (墨田区)を参照のこと。
[編集] その他
周辺に相撲関連の施設が多いせいか、駅の所在地がしばしば「よこづな」と誤読されるが、正しくは「よこあみ」である。