HOYA
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | 〒161-8525 東京都新宿区中落合2-7-5 |
電話番号 | 03-3592-1151 |
設立 | 1941年11月 |
業種 | 精密機器 |
事業内容 | 情報・通信分野 - エレクトロオプティクス、ホトニクス アイケア分野 - ビジョンケア、ヘルスケア その他 - クリスタル、サービス |
代表者 | 鈴木 洋(代表執行役、最高経営責任者) |
資本金 | 6,264百万円(2006年3月31日現在) |
売上高 | 3442億円(2006年3月期) |
従業員数 | 3,220名(2006年3月31日現在) |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社・信託口(7.23%)、日本マスタートラスト信託銀行株式会社・信託口(5.35%) (2006年12月現在) |
外部リンク | HOYA株式会社 |
HOYA株式会社(ホウヤかぶしきがいしゃ、HOYA Corporation)は、マスクブランクス・半導体製造用フォトマスクなどの半導体部門、HDDプラッタなどのディスク部門、メガネやコンタクトレンズ・眼科医療用の眼内レンズなどのアイケア部門、各種カメラ・プロジェクター等、光学機器向けの特殊・光学レンズなどの光学部門、グラスや花瓶等の高級ブランドHOYAクリスタル部門、労働者派遣・プロバイダーなどのサービス部門、等の事業部門を持つ精密機器・ガラスメーカー。
一般にはメガネレンズメーカーとして知られ、本社は東京都新宿区中落合に置いている。また社名は発祥の地である東京都保谷市(ほうやし 現在の西東京市)に由来する。
先の大戦中に創業した光学ガラス生産が終戦で行き詰まり、戦後、江戸切子職人他の人材を集め、海外向け・GHQ向けのクリスタルガラス食器・シャンデリアに参入、その基礎を確立する。
ドッジライン・オイルショック等の課題を経て、眼鏡レンズ、半導体マスク、コンタクトレンズ、HDDなどの生産に進出。各部門でトップシェアを誇るなど、日本を代表する精密機器・ガラス企業となる。
眼鏡部門は国内トップの他、海外でも高いシェアを誇る。 クリスタル部門は、日本を代表し世界の高級クリスタルブランドの1つに数えられている。日本の粋を集めた新設の京都迎賓館のガラス食器類、またトロフィーはミス・ユニバースを始め数多くの賞に採用。
近来は、デジタルオーディオプレーヤーや高級デジタルカメラ用の小型HDDプラッタの需要が好調である。
レーザー光線増幅用の特殊ガラスを米国ローレンス・リバモア国立研究所レーザー核融合施設に納入したことに対して、核兵器の性能維持・開発に協力するものとして、原爆被爆者、広島市長、長崎市長、平和運動団体などから批判を受けている[1]。
カメラ大手ペンタックスと2007年10月をめどに新会社「HOYAペンタックスホールディングス」を設立し、医療向け事業の拡大やカメラ・レンズの一貫生産体制をはじめとした各事業の統合・効率化を図る方針であったが、2007年4月にペンタックス側の経営陣が合併反対に動いたことから計画は白紙撤回された。今後はペンタックスのTOBによる子会社化を検討中。
目次 |
[編集] 事業所
- 本社(東京都新宿区)
- 事業開発部門(東京都昭島市)
- ブランクス事業部
- マスク事業部
- MD事業部
- 本部・営業部(東京都新宿区)
- オプティクス事業部
- ビジョンケアカンパニー
- 本部(東京都新宿区)
- レンズテクノロジーセンター(東京都あきる野市)
- クリスタル事業部
- 東京スタジオ(東京都昭島市昭島工場内)
- 営業部(東京都新宿区)
- 直営ショップ(ホテルニューオータニ他)
[編集] 沿革
- 1941年11月 - 東京都保谷町(現在の西東京市)で東洋光学硝子製造所を創業。光学ガラス製造に着手。
- 1944年8月 - 資本金120万円の株式会社に改組。商号を(株)東洋光学硝子製造所に変更。
- 1945年10月 - クリスタルガラス食器製造開始。
- 1947年8月 - 商号を(株)保谷クリスタル硝子製造所に変更。
- 1952年2月 - 光学ガラスBK7製造再開。
- 1960年11月 - 昭和工場(東京都昭島市、現在の昭島工場)を新設。保谷光学工業(株)、山中光学工業(株)および保谷光学硝子販売(株)を吸収合併し、商号を(株)保谷硝子に変更。
- 1961年10月 - 東京証券取引所市場第二部へ上場。
- 1962年
- 5月 - メガネ用レンズ製造開始。
- 10月 - 名古屋証券取引所市場第二部へ上場。
- 1963年5月 - 武蔵工場(埼玉県入間市)を新設。
- 1967年4月 - 累進焦点メガネレンズを発売。
- 1972年12月 - ソフトコンタクトレンズ製造開始。
- 1973年2月 - 東京証券取引所および名古屋証券取引所の市場第一部へ指定替え。
- 1974年1月 - 長坂工場(山梨県長坂町)を新設し、ICマスクサブストレート製造開始。HOYAオンラインシステム(メガネレンズの受発注)を発表。
- 1976年 世界初、高品質クリスタルガラス量産に成功する。
- 1982年10月 - 子会社の(株)保谷電子を吸収合併。
- 1983年1月 - 八王子工場(東京都八王子市)を新設し、ICフォトマスク製造開始。
- 1984年
- 8月 - 新本社ビルを現在地に竣工。
- 10月 - 子会社の(株)保谷レンズおよび(株)保谷クリスタルを吸収合併し、商号をHOYA(株)に変更(登記上の商号はホーヤ(株))。
- 1985年4月 - 児玉開発研究所(埼玉県児玉町)を新設。
- 1986年10月 - R&D(東京都昭島市)センター竣工。
- 1987年
- 1989年4月 - オランダにHOYA EUROPE B.V(現HOYA HOLDINGS N.V.)、米国にHOYA CORPORATION USAを設立。
- 1991年3月 - HDD用ガラスディスクを発売。
- 1993年10月 - HOYA グループ環境理念・環境基本原則を制定。
- 1994年4月 - グループの機構改革を行い、3ディビジョン制(エレクトロオプティクス、ビジョンケア、クリスタル)へ移行。
- 1995年6月 - 社外取締役制度を導入。
- 1996年
- 1997年
- 4月 - カンパニー制を導入し2つのカンパニー(エレクトロオプティクス、ビジョンケア)と3つの事業子会社(HOYA PHOTONICS, INC.、HOYAヘルスケア(株)、HOYAクリスタル(株))へ機構改革。SAP社のERP(統合業務パッケージソフト)R/3を導入。
- 5月 - シンガポールにエリア持株会社としてHOYA HOLDINGS ASIAPACIFIC PTE. LTD.を設け、先にオランダおよびアメリカにそれぞれ設置したHOYA HOLDINGS N.V.とHOYA HOLDINGS INC.の2社と合わせて欧州、北米、アジア各地域のエリア持株会社体制が整う。
- 12月 - HOYA LENS DEUTSCHLAND GmbHがHOYAグループ最初のISO14001を取得。
- 1998年4月 - 四半期毎の連結決算発表を開始。五日市工場が国内主要工場で最初のISO14001を取得。
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 5月 - 高屈折プラスチックレンズ素材「アイリー」を使用した「HOYALUXサミットプロ」および「NuLux EP」を発売。
- 10月 - 軟性眼内レンズ(ソフトIOL)製造開始。
- 2002年
- 2003年
- 1月 - 名古屋証券取引所の市場第一部上場廃止。
- 3月 - 子会社のHOYAクリスタル(株)、HOYAクリスタルショップ(株)を吸収合併。
- 6月 - 委員会等設置会社へ移行。
- 7月 - グローバルベースでの財務マネジメント機能を欧州エリア持株会社に移管。
- 2004年
- 2006年
- 12月21日 カメラ・医療機器大手のペンタックスと経営統合し、2007年10月1日に「HOYAペンタックスホールディングス」へ称号を変更・事業再編を行うと発表。
- 2007年
- 4月9日 ペンタックス社長・浦野文男が経営陣から合併の同意を取り付けられなかった責任を取って辞任。これに伴い、合併計画は白紙撤回される。
[編集] 関連会社
- HOYA CANDEO OPTRONICS株式会社
- HOYAフォトニクス株式会社
- NHテクノグラス株式会社
- HOYAヘルスケア株式会社
- HOYAサービス株式会社
- ウェルフェア株式会社
- 写真用品・光学製品の製造販売のケンコー
ほか
[編集] 委員会等設置会社
2003年、委員会等設置会社に移行し、取締役8名中、次の5名が社外取締役である。
- 椎名武雄(日本アイ・ビー・エム最高顧問)
- 茂木友三郎(キッコーマン代表取締役会長 CEO)
- 塙義一(日産自動車相談役名誉会長)
- 河野栄子(リクルート取締役会長兼取締役会議長)
- 児玉幸治(日本情報処理開発協会会長)
[編集] 外部リンク
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