ウエンツ瑛士
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ウエンツ 瑛士(ウエンツ えいじ、Wentz Eiji、本名:同じ 1985年10月8日 - )は、日本の俳優、タレント、ミュージシャンである。東京都三鷹市出身。てんびん座、O型。学校法人武蔵野東学園武蔵野東小学校-武蔵野東中学校卒業。日本大学櫻丘高等学校卒業。バーニングプロダクション所属。
小池徹平とのデュオ「WaT」のメンバー(音楽活動の詳細はWaTの頁を参照)
目次 |
[編集] 略歴
- 1989年
- 1995年
- 1998年
- 第49回 『NHK紅白歌合戦』 に西田ひかるのバックダンサーとして出演。
- 2000年
- 5年間に渡りレギュラー出演した『天才てれびくん』を卒業。
- CM 『森の水だより~美少年編』 (コカ・コーラ社)で注目を集める。
- 芸能界から一時引退(詳細は「ウエンツ少年(仕事)」へ)。
- 2001年
- 日本大学櫻丘高等学校入学。芸能界に復帰。
- 2002年
- 2004年
- 2005年
- 愛の劇場 『正しい恋愛のススメ』 (昼ドラ)でドラマ初主演。熟女や男性とのラブシーンが話題に。
- シングル 『僕のキモチ』 でユニバーサルミュージックからメジャーデビュー(WaT)。
- 第56回 『NHK紅白歌合戦』 にWaTとして初出場、メジャーデビューから2ヵ月という史上最短での出場となる。
- 2006年
- 『あいのり』『ポンキッキ』(フジテレビ系)など有名番組のメインレギュラーに抜擢(その他レギュラー増加)。
- フランスの高級ファッション誌 『Jalouse(ジャルーズ)』 からスカウトされ本誌に登場。
- 『2006 バレーボール世界選手権』オフィシャルサポーターを勤める。(WaT)
- 第43回 『ゴールデン・アロー賞』 新人賞受賞(WaT)
- 第20回 『日本ゴールドディスク大賞』 ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞(WaT)
- 第39回 『ベストヒット歌謡祭2006』 最優秀新人賞受賞(WaT)
- 第39回 『日本有線大賞』 特別賞受賞(WaT)
- 第48回 『日本レコード大賞』 新人賞受賞(WaT)
- 第57回 『NHK紅白歌合戦』 2年連続出場。(WaT)
- 2007年
[編集] 人物
- ドイツ系アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフ(ミックス)。肌は白く、瞳の色はヘーゼル・グリーン(薄茶・緑・灰・青など)。しかし、中身は日本生まれ日本育ちの日本語一筋なため、西洋的な容姿にコンプレックスを感じている。また、密かに乳首がピンク色なことを気にしている。
- 誰もが認める美形だが、それを霞ませるほど「笑い」に対して貪欲な姿勢を見せる。
- 子供時代から礼儀や敬語などの言葉遣いが徹底しており、大河ドラマのプロデューサーや今田耕司などから「綺麗」「正確」と評されたほどの完璧な日本語を操る。
- 親しい友人やファンからは「瑛ちゃん」。『あいのり』では「ウェンティー」と呼ばれている。
- 本人曰く、瑛士の「瑛」は母親が瀬川瑛子のファンでそこから取ったものらしい。
- 左頸部付近に大きな一文字の傷跡がある(本人から傷について語られたことが無いので由来は不明)。
- 同性から言い寄られたり愛の告白をされたことが複数回ある。また女性に間違われてナンパされることも頻繁にあったらしく、「本当にあった笑える話」という雑誌の読者投稿では、実際に間違えてナンパした男性から体験談が寄せられていた(男とわかっててナンパされているところも目撃されている)。またホストの勧誘を受けた事も複数回あり。
- 両親が共働きなため祖父母の家で過ごすことが多かったせいか、完全な和食派。
- 好きな食べ物はうどん・玄米ごはん・明太子・ボタンエビ・納豆・ケーキなど。特にうどんは「世界一美味しい食べ物」と語っており相当なこだわりがある。カレーは甘口。好きな酒は泡盛、古酒。
- 嫌いな食べ物はホタテ、おでんの昆布。
- 高所恐怖症で虫が苦手。首が弱点。天然ウェーブヘア。息継ぎなしで50m近く泳げる(息継ぎができない)。
- 寝ている時はまるで充電しているかのように静からしい。また低血圧のせいか寝起きが悪く、死んだように身動き一つしない(徹平談)。
- 自他共に認める子ども好きで、結婚したら4人は欲しいらしい。将来生まれてくるであろう我が子の人生について真剣に考えている。また動物も大好きで、自宅では犬と猫を飼っている。
[編集] 性格
- 容姿・年齢にそぐわぬ和風な若年寄。
- 明るく、笑いと喋りが大好きで優しい性格だが、自宅では驚くほど無口らしく基本的にネガティブ思考。また、褒められることが大の苦手でかなりの恥ずかしがりである。
- 小池曰く「よく喋る、大人、すごくシャイ」。動物に例えると「鷹」(常に全体とその先を見回してるところ)、「シベリアン・ハスキー」(瞳の色など外見的に)らしい。
- 温厚で滅多に怒らない(年に一度あるかないか)。それ故に怒った時は物凄く怖いらしい。
- 製作人や共演者談の多くでは「礼儀正しい」「真面目」「賢い」などと評されており、ストイックな一面を持つ。また「空気を読む」ことへの評価が多い(ドラマや映画などのオファー理由にもよく見られる)。番組で共演した美輪明宏には「バカのふりしてるけど、本当は頭がいい。只者じゃないわ」と言われた。
- あまり知られていないがシュールな思考の持ち主でもあり、天てれ時代やいとうせいこうの発言などから、その片鱗がうかがえる。
- はっちゃけたイメージとは裏腹に、意外と秘密主義者。インタビューなどで自身の内面など深い話になると、遠まわしな比喩で表現したり上手くかわす傾向がある。
- 自他共に認める「M」。
- 『あいのり』ではなぜか女の子目線でコメントすることが多く、今田・久本雅美に両側からツッコまれる。本人に自覚はない。
- たまに思考や仕草が女の子っぽい。やはり本人に自覚はない。
- 「ひと夏の恋」という言葉が大嫌い。本人曰く「ひと夏で終わらせる意味がわからない」。
- 本人は無意識だが「奇跡は偶然じゃない」とよく言うらしく、世界バレーのオフィシャルテーマソング「Ready Go!」にも「奇跡はきっと偶然なんかじゃない」というフレーズを入れている。曰く「努力したからこそ、奇跡が起きる」「努力しない人に奇跡は起きない、努力しない人にラッキーはない」という信念があり、確かにテレビ番組や連載していたコラムなどでもそのような話をしている。そのため自身も努力家であるが、自ら努力を口にすることがほぼないため「無言実行の男」と書かれたことも(JUNON)。
[編集] 趣味
- 小学5年生の頃からお灸をたしなんでいる。
- 音楽大好き。(詳しくは「音楽・WaT」へ)
- 本をいつもカバンに入れ持ち歩いている。最近読んでいるのは太田光(爆笑問題)の『憲法九条を世界遺産に』。
- 野球好きで大の西武ライオンズファンとして有名。ちなみに祖父はバッティングセンターを経営しているらしい。
- 2007年のプロ野球・パ・リーグ開幕戦、グッドウィルドームで行われた「西武 VS 楽天」で始球式を勤める。約2年前の2005年8月、自身のブログで「始球式やりたい」「こんなに西武を愛している」「これからは始球式目指して色々頑張る」などと語っており、まさに念願が叶った始球式であった。ウエンツは中学生時代から当時の西武球場に足しげく通っており、始球式で西武のユニフォームに記した背番号「230」は当時住んでいた家から球場までの片道電車賃。投球は打者の背中を通るという爆投だったが、ロージンバッグで煙まみれになるなどのボケも忘れなかった。
- NBA選手に憧れ小・中・高とバスケットボール部に所属(中学時代には関東代表に)。高校では芸能活動と部活動の両立が難しくすぐに辞めなければならなかったが、その後は地元のクラブチームに入っていた。また小学生時代は器械体操や野球のクラブ活動もしていた。
- スポーツ全般が好きで、野球をはじめ、果ては大相撲までチェックしているらしい。
- 冬になると決まった友人らとスノーボードに行くらしく、かなりの腕前らしい。
- プロゴルファーの宮里藍の大ファンで、テレビや雑誌などでもよく名前を挙げている。本人曰く、コメントなどから伝わる上昇志向の強さを尊敬しているらしい。『とんねるずのみなさんのおかげでした』「新・食わず嫌い王決定戦」(2007年1月11日OA)で念願の共演を果たした際には、対決で勝ったらメールアドレスを交換できることに。しかし、結果は両者とも一発目で当たってしまい引き分けで終わる。だが宮里藍は了承してくれたため、メールアドレスの交換ができたようだ。
- 相当なドラゴンボールマニアで、漫画本やアニメDVDなどをコレクションしている。『ダウンタウンDX』では同じくドラゴンボールマニアのえなりかずきと互いにマニアックなクイズを出し合い、他の出演者やスタジオの観客をドン引きさせていた一面も。(このなかでネイルの戦闘力をえなりが「45000」と答えたのに対し、ウエンツはすかさず「正解!」と言ったが実際は「42000」。正解より笑いを優先したと思われる)
[編集] 家族
- 家族構成は父・母・5歳上の兄・ウエンツの4人。ウエンツ以外は全員英語が話せる。
- 両親がウエンツに英語教育をしなかったのは「日本で暮らすのだから」「どちらの言葉も中途半端にならないように」という方針から。
- 父親はドイツ系アメリカ人で目の色はグリーン(緑・蛍光黄色)。来日後、社内恋愛で結婚。
- 母親は当時英語しか話せなかった父と会話するためECCに通い、最終的に優秀賞を受賞するほどの腕前に。
- 兄はまるっきり日本人の顔をしており、一緒にいても兄弟に見られたことがない。しかし自らECCに通い勉強したため、英語はペラペラでアメリカの大学へ留学経験もある。非常に兄弟仲が良く、ウエンツは優しくておっとりしている兄のことが大好き。
- 父親は叱るときなど感情が高ぶると英語が出るらしく、そういう時はひたすら「Yes… Yes…」でごまかす。
- 本人曰く「英語を喋れる遺伝子がどこにあるのか見つからない」。
- またウエンツ以外の全員がゾロ目の誕生日(母親7月7日、兄2月2日)。そのため母親はウエンツも何とか10月10日に産もうと頑張ったが、結局8日に誕生。ゾロ目に生んであげられなかったことをとても悔やんでるらしい。
- 両親は共働きなため、子供の頃は母方の祖父母の家で過ごすことが多かった。おばあちゃんには「瑛さん」と呼ばれている。
- 一人暮らしをしている自宅で飼っている犬は「オザワくん」といい、名前の由来はスピードワゴンの井戸田が相方小沢に引っ越し祝いでプレゼントしようとしたが、小沢が大の犬嫌いだったため譲り受けたことから。普段は「オザ君」などと呼んでいる。犬種は、ワイヤーヘアード・ミニチュア・ダックス。
- 同じく自宅で猫の「ナナ」も飼っている。ナナは子どもの頃に拾った雑種の猫で、始めはどうにかして頭の上で飼おうとしていた(途中で断念)。
[編集] ウエンツ少年
- 1985年10月8日誕生。生まれた時は白に近い金髪で、大人になるにつれて徐々に色素が濃くなったらしい。
- 子どもの頃は金髪だったこともあり「金髪」「外人」などとからかわれたり、指を指されたりしていた。また仕事をしていることや、外見による偏見で辛い経験をしてきている。英語が話せないことも含め、外見と中身の相違に強いコンプレックスを抱いてきたが、このことに対して自ら多くを語ることはなく、話を振られても「こういう性格だから気にしませんでしたね」と明るく返す場合が多い。しかし、「なぜ顔を褒められることが苦手なのか?」という質問に「どうしても外見で判断されることってある、それをどう覆していくか…考えていた時期もあります。内面を磨いた方がいい。」と発言していることから、苦悩していた様子がうかがえる。ウエンツの「笑い」への貪欲さの根源には、そうした経験の中で生まれたものがあると思われ、19歳当時には「コンプレックスが武器に。人生は何が奏功するか分からないものです。」と語っている。
- 小学1年生の時、周りからの視線により改めて「俺、アメリカ人なんだ…」と意識しだす。3年生には学校で英語の授業が始まったため、外見とのギャップを埋めるためにも一生懸命必死で勉強したが、4年生で「俺、英語しゃべれねぇ…」と才能の無さに気づく。しかし、小学6年生の時、それまでは英語を勉強している姿を笑われたり外見のことでいろいろ言われることに苦痛を感じていたが、それらを逆に笑いに変えることに成功し「俺の外見、おいしい」と思えるようになり前向きに生きだす。
- 小学生の時、友達になりという一心で同級生にヘッドロックをした。
- 幼い頃からなぜか英語に拒否反応を示し、「ハロー」と挨拶されても「こんにちは」と返していたらしい。本人にも理由はわからないらしく「両親も困惑したと思います」と語っている。
- 母親曰く、幼い頃からおしゃべりで1人でベラベラ喋っていたらしい。小学生の頃には母親に「僕は家の中心にいたいんだ!」と言った。
- 美味しくはないが癖になるという理由で蛍を食べていた。それを見た父親がビックリして叱るが、「エイジ、ホタル、タベタ!」とカタコトだったため理解できず(しかし怒られていることは理解できたのでやめた)。
- 兄には厳しく、ウエンツはわりと放任主義で育てられた。また、幼い頃親に怒られ兄と共に家の外に締め出された時、何を思ったのか傍にあったおもちゃで窓ガラスを割り、家に入った。「この子はちょっとおかしい」と唖然とした親はさらに叱らなくなったらしい。
- 小学5年生の時、学校で友達からその日にそろばん検定試験があると聞き、勉強していなかったため教室を抜け出し逃走した。まっすぐ帰宅したが、忽然と姿を消したウエンツに焦った学校側は、仕事先の母親の元に「誘拐された!」と連絡してしまい騒動になる。
- 小学校時代のあだ名はシタンツ。(他ウエンツスターソースなど)
- 野球の試合で、レギュラーではなかったのでベンチにいると、相手チームに「助っ人外人選手入れてるよ!」と勘違いされ、試合に出ていないのは最後の切り札であるためかと恐れられていた。
- 小学校1年から6年までずっとひとりの女の子に片思いをしていたが、中学生になり告白しようと思った矢先にその子が転校してしまった(転校後その女の子から手紙が来て「本当は好きだった」と書いてあり、実は両思いだった)。
- 高校1年生の時「痔」を発症。原因は不明で、本人曰く「5時の方向に切れている」。
- ベッドと壁の隙間に挟まることが好きだった。
[編集] 仕事
- 4歳でモデルデビュー、芸能活動を開始(詳しくは「モデル」「俳優」参照)。Suger & Spice所属。
- 多くの雑誌・CMを始め、NHKの人気子ども番組『天才てれびくん』に2代目てれび戦士として登場(その後5年間に渡りレギュラー出演)。
- 当時、子役達の間では「舞台の貴公子」と呼ばれ憧れの的だったらしい(元子役談)。
- 母親は俗に言うステージママではないので、1人で電車に乗り仕事に行くことも多かった。
- 『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の「第1回ダンディ小学生選手権」に出演した事がある。
- 『天才てれびくん』卒業後(14歳)、すぐにジャニーズ事務所からスカウトがあったが「踊りが嫌い」「お笑いが好きだから」という理由で断った。また、それまで所属していた事務所も辞め一時芸能界を引退。約1年半、普通の生活をしていた。その後、高校1年生(15歳)で現在の事務所から芸能界に復帰。ちなみに現在所属しているバーニングプロダクションへは、それまでの彼の活動に注目した郷ひろみが事務所側に推薦したことによりスカウトされて入った。
[編集] 学業
- 馬が好きで、真面目に競馬学校への進学を考えていた(小学校の卒業文集には「騎手になりたい」と書いている)。しかし中学の3年間で身長が30cmも伸びたため断念。
- 学校の成績は優秀な方で、高校(日本大学櫻丘高等学校)のテストでは学年約400名中8位になったことがある。また本人は国語と数学のどちらも好きで、特に漢文が面白かったと語っている。しかし、英語は苦手意識が強過ぎてなかなか伸びず、テストで赤点をとったこともあったほど。が、その外見のため高校入学当初には英語のテストで両隣の生徒にカンニングされ、ウエンツはその生徒達のテスト結果に対し「天罰だ」と語っている。
- 自身が受験の際に通っていた個人塾で塾講師のバイトをしたことがある。マンツーマンで小学生に国語や算数を教えていた。
- 高校の文化祭では実行委員を勤め、舞台の照明を担当。意外と地味な作業が好き。
- 自称ものすごい勉強法を考案、名づけて「全裸勉強法」。当時ウエンツは部屋にある机の高さが高すぎて思うように集中できず、床やベッドだと寝てしまうため、いつも家族が寝静まった後にリビングで勉強をしていた。しかし夜遅いので眠い。そこで考え出したのが全裸勉強法である。その理由と効果について「いつ家族が起きてくるかわからない緊張感」「冬は寒くて眠れないんですよ、全裸だと」「自然と一体化して頭に入る」と語っている。(当時17歳『踊る!さんま御殿!!』より)。
- 高校3年生、卒業式の予行練習で一人だけ号泣。仕事が忙しく3学期中ほぼ学校に行けずその日が久々の登校だった。その為クラスメイトの反応が怖かったが、以前と変わらない友情で向かえ入れてくれたことへの感動と別れの悲しさのあまり号泣しまう。そして本番の卒業式では一切泣かなかった。
[編集] お笑い
[編集] キャラ
- 端正なルックスにも関わらず、笑いのためならケツも出すと言うほどの芸人根性の持ち主であり、若手お笑い芸人に近いポジションと言われている。また、その実力からバラエティ番組界において多くの若手芸人達に恐れられているらしい。
- ハーフの美形でありながら、10代後半にして芸人に混ざりひな壇の常連になるなど、これまでの芸能界史上で前例が無いと言われる独自の路線を切り開いている。
- 主にバラエティ番組でのトークに定評があり、ヘタレキャラや自虐ネタをベースとした泣き芸・キレ芸・リアクション芸、たまにそのシュールな思考回路を披露することも。
- 笑いに対する貪欲さと勉強量は半端ではなく、その熱心さは明石家さんま・関根勤・今田耕司など多くの芸人らからも認められるものらしい。また、現在製作人の間ではその状況判断力や笑いに対する嗅覚が注目されているらしく、番組で若手芸人をキャスティングする際に芸人らと並んでついつい「ウエンツ瑛士」と書いてしまうらしい(放送作家談)。
- 出演した番組は録画してチェック。自分の発言の何が使われ何がカットされているかを確認し、編集のコメントチョイスを研究・分析するなど、恐るべき向上心の持ち主らしい(放送作家・海老克哉談)。
- 「なんでそんなに」「お前進む道間違ってる」「ウエンツはどこに行こうとしているのか」などといたるところで言われるが、当の本人に全く変わる気は見られない。
[編集] 師匠、山崎邦正
- 尊敬する人は『山崎邦正』。お笑い芸人の山崎邦正とは師弟関係にあり、毎年一緒に隅田川の花火大会に行っているらしい。NHK『天才てれびくん』での共演がきっかけで知り合い、多大な影響を受けその当時からずっと慕い続けている。
- 芸能活動を辞めている間(子ども時代参照)、花火大会に行った時に山崎から結婚することを打ち明けられた。山崎は誰よりも先にウエンツにその話をしてくれたらしく、「嫁のお腹に子どもがおる。お前は俺の息子みたいなもんやから、子どもが生まれたらお前に妹ができるな。」と言ってくれた。その言葉に感動し、芸能界への復帰を決意したらしい。ウエンツは「師匠がいなければ今の俺はいない」と語っており、山崎がウエンツの人生に与えた影響の大きさがうかがえる。(『HEY!HEY!HEY!』より)
- 師匠からの教えは『困ったら大声を出せ』(他、「つまったら歌を歌え」など)。
- また師匠と慕うのは名ばかりではなく、実際にリアクションなどリスペクトしている部分もところどころ見られる。
- しかし、ウエンツにとって師匠は「神的存在」であるため、直接教えを請うのは今田耕司、宮迫博之、品川祐などお笑いの先生である。
[編集] 天才てれびくん時代
- 小学4年から5年間レギュラー出演したNHK『天才てれびくん』では、歴代の司会であるダチョウ倶楽部・キャイ~ン・山崎邦正らと共演。
- 天才てれびくん時代のウエンツは、お笑いキャラではなく他の共演者の中でも断トツの人気を集めており、小学生ながらに出待ちがいるほどだった。しかし、子どもらしい天真爛漫さを持ちながらも、たまに驚くほど冷静にシュールな発言をする変わった子どもでもあった。共演していた山崎邦正は当時のウエンツを「子どもながらに(全体を)客観的に見てた」と語っている。
- 番組内で放映されていた『救命戦士ナノセイバー』について、「ナノセイバーたちはどうして途中で実写からアニメに変わるの?」というちびっこの質問に対し、「お金と時間と演技力の問題だよ」と回答。
- 当時共演していた5代目てれび戦士のジミーMackeyに、インターナショナル時代の友達との食事に誘われたが一人だけ行かなかった。番組でそれを問いただされた結果、「だって英語喋れないんだもん」と半泣きで答える。
- 天てれミュージカルでは、ハーフだが日本語しか喋れないネタが既に出来上がっており「どうせ武蔵野生まれの武蔵野育ちさ!」と切り返す。
- ハイチーズという企画で台湾に行った際、ウエンツはずっと日本語で喋っているのに、日本好きな台湾人のボケ気味なおじいさんから「日本語デシャベレ!」と言われ続けた。
[編集] 高校時代
- 芸能界復帰後、NHKの大河ドラマ等に出演しつつ即バラエティ番組にも進出(マネージャーの進めにより)。その後着実に出演本数を増やしていく。
- 16歳の時、『踊る!さんま御殿!!』に初出演した際に緊張で一言もしゃべれず、収録後マネージャーが落ち込む彼をリンガーハットで慰めていたが、あまりのショックに食べていたちゃんぽんをもどしてしまった。それがトラウマとなり、以来大好きだったちゃんぽんが食べられなくなる。
- 17歳の時、『踊る!さんま御殿!!』で突然「痔」であることを自ら告白。見事「踊るヒット賞」を獲得した。また、この頃には既にさんま御殿の常連になっており、司会の明石家さんまに「この番組のレギュラーで唯一の二枚目やのに!」と言わしめた。ちゃんぽんを吐いてから約一年後のこと。
- 『踊る!さんま御殿!!』にて、「師匠」と慕う山崎邦正には笑いの「いろは」的な事を教わったため、山崎の様な芸人になりたい、と発言。さんまに「お前、人生よく考えた方がええぞ。そんな清楚な顔立ちで、充分いけるのに」等と言われる。
- さんま御殿史上、新人イケメン俳優として出演したにも拘らず、そのまま常連になったのはウエンツただ一人である。また、現役高校生(17歳)で常連になった例もウエンツ以外に存在しない。そんなウエンツについてさんまは、「あいつは毎回ちゃんとネタ用意してくるからな、偉い」と語っている。
- 世の中の様々な限度をクイズにするという番組で、「プールに入れる水着の限度」を知るために一般人に混ざりながら「競泳用水着・女性用ビキニ・ふんどし・ウェットスーツ・白ブリーフ」姿でプールへ。ウェットスーツと白ブリーフで監視員に止められる。
[編集] 高校卒業以降
- 年間100本以上のバラエティ番組に出演。
- リアクションには自信があるらしく、バンジージャンプや熱湯風呂に入るチャンスを狙っている。ちなみに勉強資料はダチョウ倶楽部のDVD。成人の誓いは「リアクション芸ができるようになりたい」
- お笑い芸人やお笑い番組のみを特集するお笑い専門紙「お笑いポポロ」5月号にライセンスと共に掲載。
- 『ダウンタウンDX』で関根勤にライバルだと言われ、関根は「ボケが速い」「心意気が怖い」「あいつには脅威すら感じる」と語っている。関根は寝言で「う、ウエンツ!」と叫んで夫人に驚かれたことがあったと言っており、本気で脅威に感じているらしい(その後も関根は度々ライバルとしてウエンツの名前を挙げている)。
- お笑いボウリング部に所属。「JAPAN CUP 2005」の出場権をかけた試合に優勝するも、昼ドラの撮影が押していたため2位の波田陽区が代わりに予選へ。
- 細木数子から「26歳の時にスポーツショップを作れば繁盛して金持ちになる」と言われた。
- 『はねるのトびら』の「ABUCHANS」で、野球球場にてパンツ一丁で土下座。そのまま太鼓を叩きながらグラウンドを疾走する。更に4ヵ月後の「新説・幕末 黒船来航にゆれる偉人たち」にはザビエルの扮装で登場。水浸しになりつつパンツ一丁で土下座&三点倒立。
- 『めちゃ×2イケてるッ!』の「やべっち寿司」にて、パンツ一丁で寿司を食べる。また「ムシ寝起キング」ではお笑い美少年と評され、寝起きにクワガタに鼻と乳首をはさまれる。歴代5位の好タイムを残し、最後にはナインティナインの岡村隆史に乳首をいじられながら「そろばん先生~~~!!」と絶叫する意味不明なギャグを披露。ちなみに、この時もパンツ一丁。
- バラエティタレントとして若槻千夏をライバル視しており、『踊る!さんま御殿!!』で「何年後かわからないけど絶対若槻千夏より面白くなってやる!!」と宣言している。(同様に若槻もウエンツをライバル視しており、「ウエンツ、潰す!」などと発言している)。
- 『HEY!HEY!HEY!』で、一時元極楽とんぼの山本圭一率いる『軍団山本』に所属したがすぐに脱退し、軍団から「裏切り者」扱いされていることを庄司(品川庄司)に暴露される。本人曰く、食事会に参加したものの話題が女性の事ばかりで笑いを求める自分にとっては「ぬるま湯」だったから。
- 収録でスベって落ち込んでいる時「アイドルなんだしそんなに気にすることないじゃないか」と言った品川祐に「僕はスベって普通の顔して帰れるタレントになりたくないんです!」と熱く語った。
- スベったとメールしてきたウエンツに品川が「スベったって言ってもちょっとでしょ?」と返したところ、「スベったにちょっととかいっぱいとか無いんです!そこらへんよく考えてからもう一度送り直してください」と先輩に向かって逆に説教した。
- 初めて一人でニューヨークの地下鉄に乗った記念に、その時のメトロカードを財布に入れ持ち歩いている。裏に書いてある英文がお気に入り。意味はわからない。
- 『虎の門 第9回しりとり竜王戦』に初参戦。予選敗退するも、MCのいとうせいこうや勝俣州和から「彼は全てのイメージが歪んでいる」「現代詩人」「ハマればもの凄いものを持ってる」と言われる。
[編集] 成人以降
- 二十歳、将来の夢は『生き残ること』『多忙』。
- 2006年度版『タレント格付けランキングBOOK』の「ヘタレキャラ部門」ではふかわりょうと共に2003~2006の帝王に輝く。ちなみに元祖ヘタレキャラとされるのは師匠の山崎邦正である。
- 紅白歌合戦にWaTとして初出場した際、丁度サビに入ったところでカメラマンがマイクスタンドを二つとも倒すという紅白史上最悪のアクシデントに見舞われる。しかし怯むことなく肉声で歌い続け、観客からは大きな手拍子が巻き起こった(途中スタッフによりマイクスタンドが立て直される)。本人達にとって決して良い思い出ではないが、お笑い好きからは「ウエンツに笑いの神が降りた」という声が多かった。
- 2006年WaTライブの舞台では、頭に突起物のある全身黒タイツにパーティメガネで「あ゛~ペロペロペロペロー!!」などと奇声を発する自殺請負ガイドの「三好(みよし)」を熱演。アドリブと奇怪な動きを存分に披露し、観に来ていたメッセンジャー黒田(バルオク!で共演)にラジオで「あいつもう芸人やで」と言われる。
- 『ポンキッキ』『あいのり』など有名人気番組のレギュラーに抜擢。幼児向け番組から、『Dのゲキジョー』など高年齢層向けの番組まで幅広く活躍する。『ポンキッキ』では、アルファベットや人面機関車・黄色いゲジゲジした生き物などの奇抜なキャラクターの中に違和感なく溶け込み、開始早々ガチャピン&ムックと並ぶ看板キャラクターになった。また、低年齢層に絶大な人気を誇る『脳内エステ IQサプリ』に出演していることもあり、子供からの人気が熱い。
- 『はねるのトびら』の「回転SUSHI」のコーナーにまたもやザビエルの扮装で登場。これまでとは違い、自身が声優として出演している映画「ブレイブストーリー」の宣伝を兼ねての出演だったが、楽屋につくとザビエル衣装一式と前回の写真が置いてあった。そしてやはりパンツ一丁で土下座は忘れなかった。
- 三谷幸喜が連載しているエッセイにて「ウエンツ頑張れ!日本の喜劇の将来は君に掛かっている!」と発言。三谷曰く、「お笑い芸人以外であそこまで自分の発言の「ウケた」「スベった」に敏感になっている人を見たことがない」(2006年11月09日 日新聞「三谷幸喜のありふれた生活」)
- 21歳、gooの芸能人ランキング『唇が魅力的に感じる男性芸能人』、『後輩として入社して欲しい男性有名人』(男性部門・女性部門・全体部門の全て)、『卒業式で号泣しそうな有名人』で1位に選ばれる。
- 『うたばん』で名づけられた「ホラッチョ」(近所の子どもにつけられたという説もあり)というあだ名が思いのほか世間に浸透してしまい、バレー会場や歌番組のステージで「ホラッチョー!!」と叫ばれたり、ホラッチョと書かれたダンボールが掲げられるようになる。また2006年度紅白歌合戦では、司会を務めた『うたばん』MCでもある中居正広に「徹平君、ホラッチョー、どうもありがとうございましたー!」と言われた。
- 2007年、アンダーウエアブランド「B.V.D.」の「B.V.D.® Body Gear」CMキャラクターに抜擢。CMでは色とりどりのパンツ一丁姿を激しくジャンプしながら披露している。本人曰く、「パンツの呪いを解いてくれた」。
[編集] 俳優
- 9歳の時、劇団四季のミュージカル『美女と野獣』のチップ役で役者デビュー。記念すべき初演のメンバーであり、ミュージカルでは日本初の国内2都市同時ロングランを実現し半年間公演した。また、現在でもウエンツは劇団四季が好きでほとんどの公演を観ている。
- 16歳の時、NHK大河ドラマ『利家とまつ』に森蘭丸役で出演。大河ドラマの重要な役に無名の新人が抜擢されるのは異例のことだが、当時のプロデューサーは「礼儀正しく、正確な日本語を使い、凛とした美しさとかわいらしさを兼ね備えた究極の美少年だと思った。」と語っている。出演シーンは少なかったが歴代の蘭丸の中でも人気が高いらしい。撮影の際は黒のカラーコンタクトを着用し、濃い目のドーランで白い肌を隠した。しかし、同時に俳優としてはハーフ特有の顔立ちのせいで役どころが制限され、役者としてやっていくのに限界を感じていた。
- 人気特撮ヒーロー「仮面ライダー」になりたくて2度オーディションを受けたが、2度とも落選。しかし、2005年公開の劇場版『仮面ライダー THE FIRST』で念願の出演を果たす。非常に重要な役である、がやはりライダーではない。
- 19歳の時、愛の劇場『正しい恋愛のススメ』でドラマ初主演。男とのキス、母親ほどの熟女とのラブシーンなどで精神的に一回り成長する。
- 小池徹平主演の映画『ラブ★コン』に1カットのみ出演し、チアガールに紛れて乙女メイクに全身ピンクで登場。自称「ダンシングよしこ先生」。エンディングロールでは「ウエンツ瑛士(ドゲザ出演)」と表示される。
- 2007年公開の映画『キャプテントキオ』で映画初主演。
- 2007年公開の実写化映画『ゲゲゲの鬼太郎』で主演の鬼太郎役に抜擢される。鬼太郎を演じるにあたり、極度のプレッシャーで撮影中の1ヶ月間に体重が5kgも減った。
[編集] モデル
- 4歳の時、幼稚園の友達の誘いでモデルデビュー。天使系美少年と呼ばれ活躍し、数多くの雑誌や「ティンカーベル」「森の水だより」などの有名CMをはじめ、LUNA SEAの「IN SILENCE」などのPVにも出演。PVでは海をバックに死んだカラスを持ち佇む少年を好演していたが、本物のカラスの死骸だったらしく「鳥が苦手で本当に辛かった。」と語っている。
- 14歳の時、清涼飲料水「森の水だより」のCM『森の水だより~美少年編』で注目される。ちなみにこのオーディションは上海、香港、北京、日本で行われ、多くの候補者達の中から「瞳が印象的」という理由で選出された。(ニュージーランドで撮影)
- 2006年(20歳)、声優を務めたアニメ映画『ブレイブストーリー』のPRでカンヌ映画祭を訪問。そこで出席したパーティの帰り際に、フランスを代表する高級ファッション誌『Jalouse(ジャルーズ)』の編集者からスカウトされる。
- スケジュールが合わず断って帰国したが、後日フランスからスタッフが来日し正式にオファーを受ける。撮影時には、電話一本でルイ・ヴィトンやクリスチャン・ディオールの衣装が並んだらしい。これらのブランドは貸し出しが厳しい事でも有名だが、「Jalouse」というのは逆に向こうから貸し出しの申し出がくるレベルの雑誌である。
- ウエンツをスカウトしたファッションジャーナリストのアレキサンドラ・セネスは、「Jalouse」の元編集長であり、レオナルド・ディカプリオやガエル・ガルシア・ベルナルを同誌で取り上げた人物。ウエンツに関して「その2人の間に立てるくらいハンサム、でも顔だけじゃない魅力を持っている確信が持てた。 いろんな人を見てきたけど、彼みたいな人はいない」と語っている。
- スカウトされた時の状況について、本人は当然のごとく「どっきり」だと思い「ハッハー!OK!OK!」などと派手にリアクションして適当に返事をしていたところ、通訳が慌てて駆けつけた。
- 報道翌日、ウエンツは日記で「今回は運良く雑誌に出させていただいただけですから、これからも次につながる仕事をしっかりしていきたいと思います」と真面目に語っており、日本では芸人並みのお笑いキャラが定着していただけに、ますます不可思議な男というイメージが強まる。
- 発売された同誌には、海外では無名の存在にも関わらず4ページにわたり掲載されるなど異例の扱いを受け、とにかく「美しい」「礼儀正しい」と絶賛されていた。(ちなみにウエンツの隣ページはハリウッド女優の菊池凛子。)
[編集] 音楽
- 7歳からピアノを(しかしすぐに辞め高校時代に再開するまではキーボードを愛用)、10歳からベースを弾き始める。路上ライブでは主にアコースティック・ベースとキーボードを担当していた。ギターは17歳頃から始める。
- WaTの4thシングル、「ボクラノ Love Story」ではピアノの弾き語りを披露。
- 作曲はピアノ(キーボ-ド)で、作詞は主にトイレですることが多いらしい。アルバム「卒業TIME~僕らのはじまり~」収録の『オトナシ』などはトイレで一気に書き上げた。
- Mr.Children、THE YELLOW MONKEYの大ファン。また黒夢、L'Arc~en~Cielなども好きらしい。Mr.Childrenはボーカルの桜井和寿の詩集も持っているほど好きで、部屋にポスターも貼っていた。THE YELLOW MONKEYに関しては、ライブDVDのパフォーマンスの動きまで丸暗記しているほど。特に元ボーカルの吉井和哉を崇拝しており、誕生日が同じ10月8日ということが密かな自慢。全てのライブに行っている。また自身のライブで『SO YOUNG』をカバーしたこともあり、携帯の着信音も全て吉井の楽曲。Mr.Childrenや吉井のことはブログでもよく話題に出しており、「大好きな吉井さんがテレビに出ます」などと普通のファンと化す。吉井とは面識があるが、ラジオで「いつか僕がエロイ歌を作ってあげたい」というメッセージをもらった際には、突然のメッセージにあまりにも感動して喋れなくなるほど動揺していた。
- バンド系の音楽が好きで、十代の頃などはよくライブハウスにも通っていたらしく、ラジオ番組レコメン!のパーソナリティであるK太郎が「毎週のようにライブハウスで見かけてた」と語っている。
- 好きなものは好きという。2006年にはAqua Timezの『決意の朝に』や嵐の『きっと大丈夫』など、好きだと思う曲があると雑誌や自身のブログで「大好き」「すごくいい曲です」と普通のファン化して語ることがある。
- iPodを持っているのに、なぜかMDプレーヤーを愛用し続けている。
- ウエンツ瑛士&ガチャピン&ムックで、子ども達と共に「ポンキッキ」のコーナーソング、『ラッキーでハッピー』を歌い踊る。ちなみに振り付けはラッキィ池田が担当。
- 2007年4月25日、自身が主役を勤める映画「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌『Awaking Emotion 8/5』でソロデビュー。
[編集] WaT
- 2002年から小池徹平とデュオを組み、音楽活動をしている(活動の詳細は「WaT」へ)。
- 2004年に「WaT」(Wentz and Teppeiの略)としてインディーズデビュー。2005年にはメジャーデビューを果たす。
- 主に担当する楽器は、ギター、ベース、キーボード・ピアノ、タンバリンなど。
- 徹平とは非常に仲が良く、プライベートでも2人で映画や食事などに行く。
- 将来的には歌手としての活動よりも圧倒的にバラエティ路線での開花を狙っていると話すが、徹平が自分との歌手活動を止めピン活動をする事(徹平本人にその気はないが)は絶対に嫌がる。(2005年11月放送、HEY!HEY!HEY!より)
- メジャーデビューして2ヶ月、史上最短で紅白歌合戦に出場。待ち時間にはソファで逆立ちをしていた。また直前番組で流れた映像では、北島三郎に「一緒に行こう」と腕を組まれ談笑するなど和やかな雰囲気だった。
- ウエンツが気に入っている洋服店などが徹平に知れるとすぐに行ってしまうらしく、ブランドが被ってきてることが悩み。なので最近は店の名前を内緒にしている。(JUNONより)
[編集] 交友関係
- ウエンツが友人として挙げる芸能人の多くはウエンツより一回り以上年上で、ほとんどがお笑い芸人である。一方でボストン・レッドソックスの松坂大輔とメル友であるなど、その幅広い交友関係は謎に包まれている。
- 今田耕司とはプライベートでも仲が良いらしく、ウエンツは今田を「兄さん」と呼んでいる。『IQサプリ』収録後にフジテレビ隣の『すし好』で反省会をしている。また、今田宅での食事会でゴミの分別を間違えてよく怒られるらしい。(『脳内エステ IQサプリ』『あいのり』で共演中)
- 宮迫博之(雨上がり決死隊)、品川祐(品川庄司)には、今後の芸能界でのポジション的な相談などをしているらしい(『ハナタカ天狗!!』で共演)。宮迫はお笑い芸人でありながら俳優としても活躍していることから、昼ドラ主演のオファーが来たときは真っ先に宮迫に相談した。
- お互い大の西武ライオンズファンという繋がりで、小倉智昭と親しい。自宅や小倉が経営する店に招かれたり、夫人にも大変気に入られているらしく、小倉はウエンツの事を「頭が良い子」「養子にしたいくらい」と語っている。(「おしゃれイズム」「とくダネ」より)またグッドウィルドーム(西武ドーム)で一緒に試合観戦している所を多くの西武ファンに目撃されている。
- 大泉洋とは、その息の合った掛け合いから「漫才コンビ」「WaO」と称されることが多い。プライベートでも仲が良いらしく、メールでお互いにダメ出しをしたり、けなしあって遊んでいる。大泉はウエンツのことを「実に賢い子」「年がひと回り以上違うのに、同級生みたいな感じ」と述べている。(映画『ブレイブ・ストーリー』『ゲゲゲの鬼太郎』で共演)
- スピードワゴンやアンジャッシュなどとも仲が良いらしい。しかし、アンジャッシュの児嶋一哉はWaTがメジャーデビューする際に初めてウエンツが音楽活動をしていることを知り「だってウエンツと飯に行っても笑いの話しかしないから!」と驚きを語ってる。
- 若槻千夏とは良きライバルであり、良き友らしい。(若槻が自身のブログにて、隠さず何でも話す5人の友達の中にウエンツを書いていた)。また研ナオコとメル友である。(『Dのゲキジョー』、ドラマ『きらきら研修医』で共演。
- 末高斗夢とは友達で、仕事の相談なども受けたりするらしい。(ドラマ『ライオン先生』で共演)
[編集] 主な出演
[編集] バラエティ番組
- 現在のレギュラー
- 脳内エステ IQサプリ(フジテレビ系) 準レギュラー(隔週出演)
- あいのり(フジテレビ系)※司会(加藤晴彦の後任として2006年4月10日から登場)
- Dのゲキジョー(フジテレビ)(2006年9月15日から登場)
- 過去のレギュラー
- HEN(HAYAMI ENGLISH NETWORK)(中京テレビ)
- 天才てれびくん・天才てれびくんワイド(NHK教育テレビ)
- 力の限りゴーゴゴー(フジテレビ系)
- 週刊!特ダ~ネ家族!!(日本テレビ系)
- F2・F2-X(フジテレビ)
- プリティ・キッズ(テレビ東京系)※初司会
- ハナタカ天狗!!(TBSテレビ系)
- バリオク!(日本テレビ)※司会
- 雨ニモマケズ(フジテレビ)※司会(WaT・次長課長)
- ポンキッキ(フジテレビ)
[編集] テレビドラマ
- 1997年 「救命戦士ナノセイバー」(NHK天才てれびくん)/ バーチャルメディカルステーション医療主任・尾岸 徹役
- 2002年 「利家とまつ」NHK大河ドラマ / 森蘭丸役
- 2002年 「探偵家族」日本テレビ / 友田勇樹役
- 2002年 「ごくせん・第6話」日本テレビ / 結城正人役
- 2003年 「ライオン先生」日本テレビ / 古田匠役
- 2003年 「フジ子・ヘミングの軌跡」フジテレビ / 大月ウルフ(ウルフ・ヘミング)役
- 2004年 「ああ探偵事務所・第3話」テレビ朝日 / 稲葉雄介役
- 2005年 「正しい恋愛のススメ」TBS愛の劇場 / 竹田博明役(ドラマ初主演作)
- 2006年 「輪舞曲 -RONDO-・第1話〜2話」TBS / 戸田雅人役
- 2007年 「きらきら研修医」TBS / 立岡ケン役
[編集] 映画
- 2005年 「仮面ライダー THE FIRST」 / 三田村晴彦役(映画初出演作)
- 2006年 「ブレイブストーリー」アニメ / 芦川美鶴役(声優初出演作)
- 2006年 「ラブ★コン」実写版 / ダンシングよしこ役(土下座出演)
- 2006年 「My Favorite Girl-the movie-」WaT / 小田切魁役(WaTの楽曲をモチーフにした漫画の実写化/WaT主演)
- 2007年 「キャプテントキオ」 / フルタ役(映画初主演作)
- 2007年 「ゲゲゲの鬼太郎」実写版 / 鬼太郎役(主演作)
[編集] 舞台
- 1995年~1996年 劇団四季ミュージカル「美女と野獣」 / チップ役(半年間公演)
- 2004年 WaT Entertainment Show 2004 ACT “do” LIVE Vol.1 「タイトル不明」
- 2004年 WaT Entertainment Show 2004 ACT “do” LIVE Vol.2 「闇の門」
- 2005年 WaT Entertainment Show 2005 ACT “do” LIVE Vol.3 「闇夜のカラス」「タイトル不明」
- 2006年 WaT Entertainment Show 2006 ACT “do” LIVE Vol.4 「スーサイドストア」「IOUJIMA」
[編集] CM
- 1991年 「写ルンです」富士写真フイルム
- 1992年 「きかんしゃトーマス」バンダイ
- 1994年 「カルピスキッズ」カルピス株式会社
- 1995~1997年 「ティンカーベル子供服」ティンカーベル
- 1997~1998年 「フリフリシェイク」味の素ゼネラルフーヅ
- 1999年 「TDK’S MD」TDK
- 2000年 「森の水だより~美少年編」コカ・コーラ社
- 2003年 「e-maのど飴」味覚糖株式会社(UHA味覚糖)
- 2005年 「GyaO」株式会社USEN(Web配信)WaT
- 2007年 「B.V.D.® Body Gear」株式会社フジボウアパレル
- 2007年 「からあげチキン」株式会社ニチレイ
[編集] CD(WaT以外)
- 1999年 「NHK 天才てれびくんワイド うたの詰め合わせ」 8cm
- 2000年 「NHK 天才てれびくんワイド 天てれ大入り袋」 Can do it! / 世界中の全ての色
- 2007年 「ラッキーでハッピー」※「ポンキッキ」コーナー・ソング。
- 2007年 「Awaking Emotion 8/5」※ソロデビューシングル。映画「ゲゲゲの鬼太郎」主題歌。
[編集] PV(ミュージック・ビデオ)
- 1996年 LUNA SEA シングル「IN SILENCE」
- 2002年 MIKIKO シングル「I wanna be…」
- 2007年 髭(HiGE)「ドーナツに死す」(from「キャプテントキオ-SOUND&MUSIC ALBUM-」)
- 2007年 Sunny side-up アルバム「egg one」内「end of the world」(直筆メッセージボードを持って43人の芸能人と共に一瞬の出演)
[編集] レギュラー掲載
[編集] 外部リンク
- ウエンツ瑛士オフィシャルウェブサイト ※BLOGはほぼ毎日更新
- 映画 キャプテントキオ公式サイト(2007年2月17日~公開予定)
- 映画 ゲゲゲの鬼太郎公式サイト(2007年4月28日~公開予定)
- 株式会社フジボウアパレル「B.V.D.」
- 株式会社ニチレイ「からあげチキン」