敦賀市
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敦賀市(つるがし)は、福井県南西部(嶺南地方)の都市で、嶺南地方の中心都市である。
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[編集] 概要
季節風の強まる冬でも、日本海沿岸の中では比較的穏やかな気候で、畿内や瀬戸内海に繋がる水運を利用できる琵琶湖からは、愛発山を越えてすぐ北側に位置するため、物資の中継や加工を行うなど日本海側屈指の港町として栄えて来た。古くから昆布の加工が盛んな都市でもある。
現在の市域は、令制国での越前国敦賀郡と区域が一致している。若狭湾に面し、木ノ芽峠以南に位置する点から、若狭国の一部[要出典]と見なされる事も多い。又、舞鶴や米原や京都にも近いので、近畿色も濃い。
近年では、原子力発電所が集中する都市の一つで、「原発銀座」としても有名である。
現在は福井市、坂井市、越前市に次いで、福井県では第4位の人口規模であるが、戦前に市制を敷いている点と、市街地の規模、重要港湾の敦賀港を抱えている点から、実質的に福井県第二の都市、嶺南では第一の都市といえよう。2007年に、市制施行70周年を迎える。
[編集] 地理
[編集] 歴史
[編集] 明治維新まで
- 「古事記」「日本書紀」に「角鹿」が記される。
- 大宝律令(701年完成)において「敦賀」に改称される。
- 804年渤海使が訪れ、交易が行われた。松原客館が置かれる(10世紀初期まで)。
- 10世紀から13世紀 日宋貿易の拠点となった。
- 1336年新田義貞が恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちして金ヶ崎城に入城、しかし、足利方の越前国守護である斯波高経らの軍勢に包囲され落城した。
- 朝倉氏が越前国を掌握した後は、朝倉氏一族の敦賀郡司が置かれる。
- 1575年越前国平定のため柴田勝家を総大将とした織田信長軍が敦賀に入る(総勢105,000ともいわれる)。
- 1589年大谷吉継が越前国敦賀城主となり、57,000石(敦賀、今立、丹生)を領有した。
- 江戸時代には北前船の寄港地として栄えた。
- 1682年若狭小浜藩第2代藩主酒井忠直の次男酒井忠稠が、父の死去により同藩領のうちから敦賀郡および近江高島郡内で10,000石を分与されて敦賀藩を立藩。
- 1864年京都を目指していた水戸藩尊攘過激派が、敦賀郡新保で藩主直系徳川慶喜率いる討伐隊が来ると聞いて投降した。翌1865年、敦賀にて武田耕雲斎ら352名が粛清された(天狗党の乱)。
[編集] 明治維新から第二次世界大戦まで
- 1869年8月1日(旧暦6月24日)版籍奉還後、敦賀藩主酒井忠経が知藩事(敦賀藩知事)に任命される。
- 1870年4月21日(旧暦3月23日)敦賀藩が鞠山藩と改称される。
- 1870年10月12日(旧暦9月17日)鞠山藩が廃止されて、小浜藩に編入される。
- 1871年8月29日(旧暦7月14日)廃藩置県により小浜藩が廃止され、敦賀は小浜県の所属となる。
- 1871年12月31日(旧暦11月20日)府県の再編により敦賀県が設置され、県庁所在地となる。
- 1876年敦賀県が分割され、滋賀県に属する。
- 1881年滋賀県から福井県に転属する。
- 1882年3月10日敦賀駅開業。
- 1889年4月1日 津内、泉、三島の三村が合併し、敦賀郡敦賀町として町制を施行する。
- 1889年7月東海道本線の支線として米原~金ヶ崎(現敦賀港駅:つるがみなと)間開通。
- 1892年大和田荘七が大和田銀行を設立(本店建物は現在の敦賀市立博物館別館)。
- 1896年7月北陸本線敦賀~森田間開業。
- 1896年敦賀港が対外貿易港に指定。
- 1899年敦賀港が国際港として開港する。
- 1905年石油貯蔵庫として「赤れんが倉庫」が建てられる。
- 1907年初めて電灯が灯る。
- 1909年市内電話を開設。
- 1910年敦賀駅が現在地に移転。
- 1912年ウラジオストク航路(ロシア)に接続する国際列車が新橋(1914年からは東京駅)~金ヶ崎(後に敦賀港に改称)で運行される(ボート・トレイン)。
- 1917年小浜線敦賀~十村間開業。
- 1918年ロシアの作曲家プロコフィエフがアメリカ合衆国への亡命途上、敦賀にて日本上陸。
- 1927年大和田銀行新本店竣工(昭和初期の代表的建物で現在の敦賀市立博物館)。
- 1933年大和田荘七が町庁舎を寄贈。
- 1937年4月1日市制施行。敦賀郡敦賀町と松原村が合併し、敦賀市が発足。
- 1940年迫害を逃れてきたユダヤ人が敦賀に上陸。
- 1945年敦賀空襲により被災。
[編集] 第二次世界大戦後
- 1947年市内バス営業開始。
- 1955年1月15日 敦賀郡愛発村・粟野村・東郷村・中郷村・東浦村の近隣5村を編入合併。これにより市制施行以前の敦賀郡全域が敦賀市域となる。
- 1957年北陸本線敦賀~米原間、現在の経路で交流電化開業。
- 1962年北陸トンネル完成。
- 1963年1月三八(サンパチ)豪雪、154cmの積雪を記録。
- 1970年3月日本原子力発電敦賀発電所1号機(沸騰水型軽水炉)運転開始。大阪府吹田市で開催中の日本万国博覧会に関西電力原子力事業本部美浜発電所1号機(加圧水型軽水炉)と共に送電。
- 1970年8月新日本海フェリー、舞鶴~敦賀~小樽航路就航。
- 1972年北陸トンネル列車火災事故発生。
- 1974年現在の敦賀市本庁舎完成。
- 1974年8月新日本海フェリー、敦賀~新潟~小樽航路就航。
- 1977年北陸自動車道武生~敦賀間開通。
- 1980年北陸自動車道敦賀~米原間開通、名神高速道路に接続。
- 1981年1月五六豪雪、198cmの積雪を記録。
- 1981年大韓民国東海市と姉妹都市盟約締結。
- 1981年国道27号金山バイパス、岡山~野神間開通。
- 1985年白木トンネル開通。
- 1985年氣比神宮で昭和の大造営。
- 1986年「えびす大黒綱引き」(敦賀市西町:現-相生町)が国の無形民俗文化財に指定。
- 1986年学校法人敦賀学園敦賀女子短期大学開学。(現学校法人敦賀学園敦賀短期大学)
- 1986年学校法人嶺南学園敦賀気比高等学校開校。
- 1986年敦賀セメント・北陸電力共同岸壁が完成。
- 1986年福井厚生年金健康福祉センター「サンピア敦賀」(現ウェルサンピア敦賀)(呉羽町)が開所。
- 1987年2月日本原子力発電敦賀発電所2号機(加圧水型軽水炉)運転開始。
- 1988年国道8号敦賀バイパス余座~坂ノ下間開通。
- 1988年中郷古墳群が国の史跡に指定。
- 1988年敦賀港鞠山北A岸壁供用開始。
- 1989年嶺南ケーブルネットワークがケーブルテレビ放送開始。
- 1990年大韓民国釜山~敦賀間定期コンテナ船就航。
- 1990年敦賀港鞠山北C岸壁供用開始。
- 1990年敦賀市プラザ萬象(ばんしょう)(東洋町)が開館。
- 1991年敦賀港鞠山北B岸壁供用開始。
- 1991年敦賀市立図書館(東洋町)が移転開館。
- 1991年北陸電力敦賀火力発電所営業運転開始。
- 1992年敦賀市清掃センター(櫛川)が完成。
- 1993年国道27号金山バイパス野神~木崎開通。
- 1994年「日本海さかな街」(若葉町一丁目)が開業。
- 1994年旧動力炉・核燃料開発事業団高速増殖原型炉「もんじゅ」初臨界(1995年初送電)。
- 1996年3月国道8号敦賀バイパス田結~余座開通。これと同時に敦賀新港(鞠山埠頭)に接続。
- 1996年東海市との姉妹都市提携15周年を記念して、敦賀港と大韓民国を往復する「敦賀市民の船」を運航。
- 1997年5月敦賀市みなとつるが山車(やま)会館開館。
- 1999年7月敦賀港開港100周年博覧会「つるが・きらめきみなと博21」開催。
- 1999年7月新日本海フェリー、敦賀~新潟~秋田~苫小牧航路就航。
- 2001年姉妹都市提携20周年を記念して敦賀港と大韓民国を往復する「敦賀市民の船」を運航。
- 2001年中華人民共和国台州市と姉妹都市盟約締結。
- 2003年小浜線直流電化開業。
- 2003年国道476号木ノ芽峠トンネルが完成。
- 2004年3月 金ヶ崎緑地が臨港トンネル(金ヶ崎トンネル)とともに供用開始。
- 2004年3月国道27号金山バイパス全通。
- 2005年「男女共同参画宣言都市」となる。
- 2006年9月24日 北陸本線長浜・湖西線永原~北陸本線敦賀駅を交流電化から直流電化へ切替。
- 2006年10月21日北陸本線敦賀駅までの直流化に伴い、新快速電車を中心に直流専用電車が乗り入れ開始(直流電化開業)。
[編集] 行政
高浜町や旧大飯町と共に、地方交付税(普通交付税)の不交付団体である。
- 市長:河瀬一治 (1995年から)
- 市議会議員:28人(2005年1月現在)
[編集] 産業
[編集] 工業
[編集] 漁業
- 浦底漁港
- 立石漁港
- 白木漁港
[編集] 加工業
[編集] 製菓業
- 求肥こんぶ
- 水仙まんじゅう
- くずまんじゅう
[編集] 電力業(原子力発電所、火力発電所、水力発電所)
[編集] 地域
[編集] 市街地
市街地は主に、アーケード商店街を中心とした笙の川以東の旧市街地と、通称新木崎通り若葉交差点から昭和町交差点までの通りを中心とした笙の川以西の新市街地の二つに分けられる。
旧市街地には各所に史跡・旧跡が立地し、農地は殆ど無く殆どが住宅地か商業地である。敦賀駅前から敦賀港付近にかけてのアーケードは、それなりに店も入居しそれなりに利用客もいるが、全体として活気がさほど無く、将来的にはシャッター通りと化してしまうと危惧する声もある。しかし、2006年秋に敦賀駅までの直流電化(新快速電車乗り入れ)により、敦賀駅が京阪神から以前にも増して身近となったことから、同様に新快速電車乗り入れで活気を取り戻した長浜市の例を鑑みて、状況が好転する可能性もある。しかし、JR側の都合によりICOCAの導入はなされていない。一方で逆に「京阪神への交通が以前にも増して便利になることで、ちょっとした買物でも地元でせず、すぐ京阪神に出掛けられてしまうようになる」いわゆるストロー現象も懸念されている。
アーケード外の一部は、夜間ラーメン屋台かいくつか出店し、京阪神や中京方面からこれを目当てに観光客が訪れるほど人気がある。9月2、3、4日の敦賀まつりの期間中は、アーケード街一帯から氣比神宮にかけて数多くの露天商が出店し大変混雑する。
新市街地は二本の大通りを中心として商業地、住宅地が広がっている。特に通称新木崎通りの周囲はロードサイドショップがいくつか存在する。田畑も宅地化が進んでいる。
また、敦賀都市計画マスタープランによると、北陸新幹線敦賀駅駅舎整備事業と平行して東口を新設、現在の敦賀駅前通を東へ延長し国道8号敦賀バイパスに接続、その周囲に「中高層の利用も考慮した」商業施設や住宅施設を整備する計画となっている。
一方、国道8号敦賀バイパスが全通すれば中心部の混雑緩和には貢献するものの、観光客や運輸関係が敦賀市を素通りする空洞化も危惧されている。
[編集] 姉妹都市・提携都市
- 日本国内
- 外国
[編集] 学校
[編集] 幼稚園
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[編集] 小学校
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[編集] 中学校
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[編集] 高等学校
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[編集] 短期大学
- 学校法人敦賀学園
- 敦賀短期大学(木崎)
[編集] 専修学校
- 敦賀市立看護専門学校(木崎)
[編集] 交通
陸上交通では、北陸・北近畿・畿内の三方との、海上交通では北海道への結節点となっている。
[編集] 鉄道
- 中央駅:敦賀駅
[編集] 主な道路
[編集] バス
[編集] 港湾
- 航路
[編集] 主な都市への距離
- 国道
- 鉄道(営業キロ)
- JR西日本北陸本線・東海道本線大津方面:彦根…51.9km
- JR西日本北陸本線・湖西線大阪方面:西大津…83.2km、京都…94.1km、大阪…136.9km
- JR西日本小浜線・舞鶴線・山陰本線舞鶴・福知山方面:東舞鶴…84.3km、福知山…123.0km
[編集] 観光
[編集] 観光地
- 越前加賀海岸国定公園
- 若狭湾国定公園
- 気比松原 - 敦賀湾に臨む松原で、日本三大松原の一つ。
- 水島(無人島) - とてもきれいな海に囲まれており、マリンスポーツをするのには最適。
- 黒河渓谷
- 敦賀港 - 旧敦賀港駅舎(きゅうつるがみなとえきしゃ)、赤レンガ倉庫、ランプ小屋、敦賀倉庫群、洲崎の高燈籠
- 敦賀市立博物館[1]
- 敦賀市みなとつるが山車会館(やまかいかん)
- 敦賀トンネル温泉
- 氣比神宮(越前国一之宮)
- 晴明神社 - 安倍晴明ゆかりの神社
- 金崎宮
- 花換まつり(毎年4月上旬)
- 木の芽古道、深坂古道
- 西福寺
- 柴田氏庭園
- 中郷古墳群
- 疋田城跡
- 玄蕃尾城跡
- 金ヶ崎城跡、手筒山城跡
- 敦賀城跡
- 愛発関跡 - 古代三関の一つ。
- 旧陸軍第十九歩兵連隊場跡(歩哨など)
- 厚生年金事業振興団ウェルサンピア敦賀(福井厚生年金健康福祉センターサンピア敦賀)
- 敦賀市きらめきみなと館
- 立石岬灯台
[編集] 原子力PR施設
- 日本原子力研究開発機構アクアトム(神楽町二丁目)
- 日本原子力研究開発機構アトムプラザ(木崎)
- 日本原子力研究開発機構エムシースクエア(白木一丁目)
- 日本原子力発電敦賀原子力館(明神町)
- 福井県福井原子力センターあっとほうむ-吉河
[編集] 祭事
1月に漁師が夷子方、百姓が大黒方に分かれ、その年の大漁と五穀豊穣を願って競われる綱引きの伝統は、400年にわたり受け継がれている。
- 氣比神宮例大祭と敦賀まつり(9月上旬)
- 花換まつり(金ヶ崎宮)(4月上旬)
- とうろう流しと大花火大会:気比の松原において行われる。(8月16日)
- 晴明の朝市(相生町):晴明神社の門前(博物館通り)で行われる。
- 敦賀西町の綱引き(相生町):国指定重要無形民俗文化財
- きらめきサマーフェスティバル(敦賀港)(7月海の日前後の週末)
- 敦賀港カッターレース(敦賀港)(7月海の日もしくは次の日曜)敦賀海洋少年団が1996年から実施。
[編集] 関連人物
[編集] 出身有名人
[編集] ゆかりのある人物
- 恒良親王:後醍醐天皇の皇子。金ヶ崎城にて捕われ、後に殺害された。金崎宮祭神。
- 尊良親王:後醍醐天皇の皇子。金ヶ崎城にて自害。金崎宮祭神。
- 大谷吉継:敦賀城主。関ヶ原の戦いで西軍につき自害。
- 武田耕雲斎:水戸藩士。天狗党首領。敦賀郡新保にて幕府側に投降。
- プロコフィエフ:ロシアの作曲家。敦賀港にて日本上陸。
- 杉原千畝
[編集] その他
[編集] 市外局番
敦賀市の市外局番は、料金単位区域(敦賀MA)と同一の範囲を持つ0770(市内局番は20~49)で統一されており、以下の区域への通話は市外局番不要かつ市内通話料金が適用される。なお、小浜MAも同じ市外局番(市内局番は50~79)であるが、MAが異なるため、市外局番が必要である。
なお、西日本電信電話による級局区分は、2級局である。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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