東京都立戸山高等学校
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東京都立戸山高等学校(とうきょうとりつとやまこうとうがっこう)は、全日制、定時制普通科の都立高等学校。所在地は東京都新宿区戸山三丁目。
東京都立戸山高等学校 | |
過去の名称 | 東京府立第四中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京都 |
創立記念日 | 1888年9月16日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 定時制 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科(8クラス) |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 13207B |
所在地 | 〒162-0052 |
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電話番号 | 03-3202-4301 |
FAX番号 | 03-3204-1045 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
府立四中を前身とする都立進学校。進学指導重点校に指定されており、土曜授業試行校でもある。文理分けをしないいわゆる「教養主義」で有名で、理数系に力を入れてきたことから国立大学入試に強く、また過去幾多もの著名な学者を輩出してきた。現在は文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けている。
府立四中中興の祖・深井鑑一郎校長(在任:1898~1938)時代は、一中(日比谷)を追い越すことを念頭に東京一の中学を目指し、猛勉と規律を強制した厳しさが特に知られる。現在の都立の教育環境からは想像もつかないが、中退者も1割に達するなど当時は「死中」と呼ばれるほどであった。主な成果として、毎年一高合格者数で一中に肉迫し、時には一中を抑えて首位の座に躍り出たり、また昭和10年代に入ってからほぼ毎年旧制高等学校現役合格率は首位に立っていた。
私立学校として創設されたのが本校の由来である。当初は東京府尋常中学の補充的位置にあったが、その連絡もなくなり私立の共立中学校となった。ただ、1887年の中学校令公布により、1府県1中学と定められたことにより東京に受験生が集まらなくなった為に私立各校とも軒並み経営が傾き、当時官公立校に対してだけ認められていた在学生に対する徴兵猶予や校地に対する免税などの特権を得る便法としての有利な条件も働き、数多ある私学のうち、共立中学(戸山)と共立学校(開成)が東京府の管轄下に入りそれぞれ東京府城北中、東京府開成中と名を改めた。以後、開成は私立に戻り、戸山は府立第四中学と名称を改め、現在に至る。府の管轄に留まったのは、当時の私立は江戸時代以来の寺子屋や塾、或は受験予備校的色彩が強く教科目も偏り正統性を持ち得なかったことと、それに対して官公立諸学校が当時の国家存立の教育手段として革新的位置づけにあった為である。また補充中学以来「府立」の名を慕って入学してくる生徒も多かった。
1967年に導入された都立高校の入試制度改革等の影響を見ると、本校や西においては、日比谷等多くの都立校の急激な凋落に比べると緩やかなものであり、上位進学校の地位を維持していた。同時に、本校と同群の青山、および西高校と同群の富士それぞれの東大合格者数も常時30名以上輩出させる相乗効果も伴った。平成に入ってからの数年間も東大合格者数20~30人台、その後も二桁の合格者を維持していた。ここ数年は若干名にとどまってきたが、2001年以降、進学指導重点校指定、入試における自校作成問題の出題(2003年度入試から国語・数学・英語に導入)、最新設備を備えた新校舎の完成、SSH指定、学区撤廃、カリキュラム改革、土曜授業の復活など切れ目のない改革施策の導入により、進学実績は再び上昇機運に入っている。2005年からは受検者数も急増し都立高校の中でトップクラスの倍率となっている。2008年6月に地下鉄副都心線が開通すると正門前に新駅ができることもあり、人気の向上・復活、他校との進学実績面での更なる激戦が予想される。
2003年に5階建ての新校舎が竣工。白を基調としたデザインは、「最先端のイメージ」「私立校のようだ」との評を得るが、「汚れが目立つ」、「病院のようだ」といった批判もある。校舎中央部は2階から吹き抜ける「階段広場」と3階から吹き抜ける「階段庭園」が存在するため、上空から見ると漢字の「日」のような形をしている。理科系の講義室が特に充実しており、各教科ごとに講義室や実験室に加えて、大学の教室のような階段教室もある。また新校舎1階には最先端の設備を備えた330人収容の講堂もある。校門を入ると左手に卒業生の寄贈による「ビオトープ」と100周年記念碑、正面には戸山の象徴「ラジアン池」がある。
東大教授や医師、弁護士、大使、検事総長、財界人など各界で活躍する著名な卒業生等による在校生のための講演会「世間と学問」が2・3ヶ月に1度開催されている。また、これとは別に理科系の大学教授によるSSH講演会も年に数回実施されている。
校風は「自主自立」と表され、学習面においても、また生徒会活動やクラブ活動においても、生徒が主体性を発揮し活発に活動する姿が見られる。生徒会の制度は高度であると言えるが、その一方他校と比べ特殊・複雑な面があることは否めず、多くの生徒や本校に赴任してから年の浅い教員にとっては活動内容が理解し難いという指摘がある。クラブ活動では例年、硬式野球部の監督をOBの大学生が務めるなど、卒業後も後輩の面倒を見るなど何らかの形で関わりを持つ生徒が多い。
アメリカン・フットボール部は過去5年で都大会優勝1回、準優勝2回、3位1回、ベスト4が1回で、関東大会にも毎年出場している。陸上競技部も毎年関東大会に出場しており、特に2004年は全国大会に3種目出場し、男子1500Mでは東京都新記録を樹立するなど活躍。東京都1部リーグ所属の女子サッカー部や空手道部なども活躍している。演劇部は2004年、2005年と2年連続で都大会に出場し、2005年はベスト4に輝いた。合唱部も20年以上NHKコンクールに連続出場するなど活躍している。またブラスバンド部は新澤健一郎や島裕介をはじめ多くのジャズミュージシャンを輩出している。
校地面積は25,000m²強あり、山手線の内側にある高校としては非常に恵まれている。施設は新校舎、新体育館、武道場、プール、グラウンドのほか、テニスコート4面、多目的コート3面などが整備されている。また、那須には敷地面積6万m²を超える広大な那須寮があり、毎年1年生のHR合宿や各部活動の合宿、「戸山の教育を語る会」(戸山の保護者と教師の集まり)の合宿などに活用されている。那須寮は元々皇室の所有物だったが、深井校長が四中先輩・三矢宮松帝室林野局長官と交渉し安価で買い取ったものである。
[編集] 沿革
- 1888年 - 麹町区飯田町五丁目の皇典講究所内(現在の千代田区飯田橋三丁目、東京地下鉄東西線飯田橋駅A5出口付近)に府立一中校長・丸山淑人らによって補充中学校の名称で創立。(都立高校では日比谷高に次ぐ歴史をもつ。)
- 1891年 - 私立中学校に改変し、共立中学校と改称
- 1894年 - 私立から東京府に移管し東京府城北尋常中学校と改称(私立城北高は本校を母体に深井鑑一郎によって創設)
- 1899年 - 中学校令改正により、東京府城北中学校となる。
- 1901年 - 東京府立第四中学校と改称(同時に府立二中、府立三中も創立なる)
- 1903年 - 牛込区市ヶ谷加賀町一丁目(現在の新宿区市谷加賀町一丁目の新宿区立牛込第三中学校建設地)に移転
- 1943年 - 都制施行により東京都立第四中学校と改称
- 1948年 - 新学制により都立第四高等学校となる。現校章制定
- 1949年 - 4月1日、都立第四高等学校と改称し、男女共学となる。7月15日、新宿区戸山町(現在の戸山三丁目)に移転。
- 1950年 - 4月1日、都立戸山高等学校と改称。5月10日、火災により校舎全焼
- 1952年 - 第1回新宿高校戦実施
- 1966年 - 学園祭を戸山祭と改称
- 1967年 - 学校群制度発足。青山高と共に第22群に。
- 1970年 - 1年生HR合宿開始
- 1982年 - 学校群制度が廃止され、グループによる合同選抜(グループ選抜)制度発足。赤城台高・駒場高・目黒高・都立大附属・新宿高・青山高・広尾高の各高校と第21グループに
- 1994年 - グループ合同選抜制度が廃止され、単独選抜制度発足。
- 1996年 - 推薦入学選抜を初めて実施。私学協会の反対もあり適性試験は行われず。
- 2001年 - 東京都進学指導重点校に指定される
- 2003年 - 1940年以来続いた学区制度が廃止され、旧第2学区外からの受検者が大幅に増加。新校舎への引っ越しも完了。
- 2004年 - 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受ける。定時制課程の募集が終了。以後閉課まで補欠募集のみ
- 2008年 - 2007年度をもって定時制課程が閉課予定。
[編集] 設置課程
※定時制は補欠募集のみ。2008年3月に閉課予定。
[編集] 交通・周辺環境
- JR山手線・西武新宿線・東京地下鉄東西線 高田馬場駅。または渋谷駅・新宿駅・池袋駅より都営バス利用、「都立障害者センター前」もしくは「学習院女子大前」下車。
- 2008年開通予定の渋谷~池袋をつなぐ東京地下鉄副都心線が完成すると、本校の正門前に新駅「西早稲田駅(仮称)」ができる。
- 本校正面と裏手の2箇所に分かれて、広大な緑を有する都立戸山公園がある。放課後の同公園内では、生徒が部活動の練習や演劇練習、映画撮影、応援団のダンス練習などに励む姿が見られる。
- 学習院女子大学・高等学校に隣接するが、同校との交流はほとんどない。
- 早稲田大学に近い。理工学部に至っては明治通りを挟んで目の前にある。その為もあってか、早稲田大学に進学する生徒も多い。
[編集] 生徒会活動
常設局(総務局、内務局、外務局、会計局、書記局、庶務局、クラブ管理局)
- 執行特別委員会(戸山祭運営委員会、学生公論編集委員会、環境問題対策委員会、新宿戦実行委員会)
- 監査委員会
- 厚生委員会
- 生徒図書委員会
- 選挙管理委員会
[編集] 学年委員会
学年委員会とは、各学年の行事準備等のために設けられる委員会。生徒会機関ではない。
- HR合宿実行委員会(1年)
- 奉仕委員会(1年)
- 修学旅行委員会(1,2年)
- 卒業式委員会(3年)
- 卒業アルバム委員会(3年)
[編集] 部活動
- 新聞部 放送部
- ESS(休部中) 文学部 地理歴史部
- 化学部 生物部 天文気象部
- 管弦楽部 ブラスバンド部 軽音楽部 合唱部
- 美術部 演劇部 漫画研究部
- 写真部 囲碁将棋部
- 剣道部 柔道部 バドミントン部 卓球部 男子バスケット部 女子バスケット部 男子バレー部 女子バレー部
- 硬式野球部 サッカー部 ラグビー部(休部中) アメリカン・フットボール部 陸上競技部 女子サッカー部
- 硬式テニス部 ソフトテニス部 水泳部 山岳部 空手道部
- アンサンブル同好会 ダンス同好会 百人一首同好会 数学同好会 吹奏楽同好会 パソコン同好会
- クラブ活動は非常に活発で生徒の参加率は例年100%を超えている(一人で複数の部活に所属する者もいるため)。
なお新宿高校との間では、50年の伝統を誇る新宿戸山対抗戦が毎年行われている。
[編集] 学校行事
- 戸山祭
毎年9月に行われる文化祭。3年は自主制作映画、2年は演劇、1年は展示発表を行う。これらHR発表は「問題提起は明確か」、「問題提起に対する結論はしっかり示されているか」、「展開と結論が矛盾しないか」といった点をポイント化することにより、審査・表彰される。戸山祭は、有志で構成される戸山祭運営委員会が中心となって運営する。なお、表彰も同委員会の下部組織である表彰委員会により行われる。
- 1年生は10月に那須寮でHR合宿を行う。HR合宿ではHRごとに定めるテーマによる討論会を中心に行う。
- 運動会は5月に4級対抗で行われる。
[編集] 著名な出身者
[編集] 政治
- 林銑十郎 - 内閣総理大臣、陸軍大将
- 東條英機 - 内閣総理大臣、陸軍大将
- 西村直己 - 防衛庁長官(二期)、農林大臣、高知県知事、元内務省官僚
- 岸衛 - 衆議院議員 / 立憲民政党代議士
- 原文兵衛 - 警視総監、旧内務省官僚、環境庁長官、参議院議長
- 伊東秀子 - 衆議院議員、弁護士
- 宮下一郎 - 衆議院議員
- 浜四津敏子 - 参議院議員
- 小杉隆 - 衆議院議員
- 中山義活 - 衆議院議員、元・本校体育科教諭
- 増田寛也 - 岩手県知事、元建設省官僚、若手改革派知事の代表格
- 大橋建一 - 和歌山県和歌山市市長
- 江島潔 - 山口県下関市市長
[編集] 行政
- 大島浩 - 駐独大使、陸軍中将。東京裁判にて終身刑、のち釈放
- 小野義一 - 大蔵次官、東京府助役、衆議院議員 / 高知一中を経て入学
- 河野一之 - 大蔵事務次官、三井住友銀行顧問
- 平澤貞昭 - 大蔵事務次官、横浜銀行頭取
- 小粥正巳 - 大蔵事務次官、日本政策投資銀行総裁、公正取引委員会委員長、日本経済研究所会長
- 小川是 - 大蔵事務次官、横浜銀行頭取
- 薄井信明 - 大蔵事務次官、国税庁長官、国民生活金融公庫総裁
- 大山綱明 - 大蔵省関税局長、サントリー副社長
- 江崎格 - 通産省産業政策局長、資源エネルギー庁長官、商工組合中央金庫理事長
- 見学信敬 - 中小企業庁長官
- 川田洋輝 - 資源エネルギー庁長官、山形県警本部長、電源開発副社長
- 堺司 - 通産省大臣官房審議官、国策会社FIND CEO
- 山田英雄 - 警察庁長官
- 吉田茂 - 内務省官僚・貴族院議員、国維会に携わる(吉田茂元首相と同姓同名の別人)
- 小野寺長治郎 - 貴族院議員、陸軍経理学校長
- 武部六蔵 - 企画院次長・総裁、三代目関東局総長、満州国国務院総務長官、内務官僚
- 林敬三 - 内務省内事局長官、鳥取県知事、宮内庁次長、警察予備隊総隊総監、統合幕僚会議長、住宅公団総裁、日赤総裁
- 飯沼一省 - 内務次官、東京都長官
- 大木操 - 衆議院書記官長、東京都副知事、会計検査院官僚、貴族院議員
- 白根竹介 - 内閣書記官長、広島・兵庫県知事、内務官僚
- 荻田保 - 地方自治庁次長、内務官僚
- 岡松成太郎 - 商工次官
- 石黒武重 - 農林次官・農商次官、枢密院書記官長、法制局長官、衆議院議員
- 上村健太郎 - 警視庁特別高等警察部長、内務官僚、初代航空幕僚長、総務副長官、日本道路公団総裁
- 石岡実 - 内閣官房副長官、2代目内閣官房内閣調査室長、内務官僚
- 佐竹三吾 - 法制局長官、鉄道省監督局長、貴族院議員、阪急バス社長
- 三矢宮松 - 朝鮮総督府警務局長、帝室林野局長官
- 村上恭一 - 枢密院書記官長、逓信官僚、貴族院議員、中央大学教授
- 黒河内康 - 駐スイス大使、アフリカ協会副会長
- 藤井治芳 - 日本道路公団総裁、建設事務次官、技監
- 緒方景俊 - 航空幕僚長(空将)
- 松田武 - 航空幕僚長(空将)。陸軍大佐
- 大森寛 - 防衛大学校長
[編集] 法曹
- 松尾邦弘 - 検事総長
- 堀籠幸男 - 最高裁判所判事
- 古田佑紀 - 最高裁判所判事、元最高検次長検事
- 高辻正己(1928) - 最高裁判所判事
- 早川良(1969) - 弁護士
- 中野通明(1976) - 弁護士
- 島田徳郎 - 日弁連副会長、第一東京弁護士会会長
- 倉田卓次 - 弁護士
- 升永英俊 - 弁護士
[編集] 経済
- 佐々木直 - 第26代日本銀行総裁、経済同友会代表幹事
- 石原俊 - 第11代日産社長、会長、経済同友会代表幹事
- 箕浦多一 - 第7代日産社長、会長
- 歌田勝弘 - 味の素相談役(元社長)
- 山崎富治 - 山種美術財団理事長
- 日高輝 - 山一證券社長
- 大崎磐夫 - ホテルオークラ社長
- 佐久間長吉郎 - 大日本図書社長、相談役
- 江草忠充 - 有斐閣社長
- 野村興曽市 - 電気化学工業社長
- 井出正敬 - JR西日本相談役(元社長)
- 宮津純一郎 - NTT取締役相談役(元社長)
- 井上秀一 - NTT東日本取締役相談役
- 青木利晴 - NTTデータ取締役相談役(元社長)
- 岡村正 - 東芝会長、日本商工会議所次期会頭
- 高木茂 - 三菱地所社長
- 三枝匡 - ミスミ社長
- 大河原順一 - ギャラクシーエアラインズ社長、スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)創業者
- 和気清靖(1943) - 美和ロック会長
- 戸田濤一(1951) - セコム最高顧問
- 白石宗靖(1952) - セコム顧問
- 椎野公雄(1954) - 三井倉庫社長
- 久保田正雄(1925) - 旭化成相談役
- 宮崎一雄 - 旧日本長期信用銀行会長
- 田中健介 - ケン・コーポレーション社長
- 草野忠義 - 連合総合生活開発研究所理事長
[編集] 学問
- 森岡恭彦 - 医博、東大名誉教授、元日本赤十字医療センター院長、昭和天皇の執刀医
- 小宮山宏 - 東大総長
- 石原忍 - 医博、東京帝大医学部長(昭和12年.3)、東京逓信病院長。学士院賞、文化功労者
- 宮沢俊義(1917) - 東大法学部教授、憲法学の泰斗、日本野球機構第四代コミッショナー、長野中を経て入学
- 高柳賢三 - 東大法学部教授、成蹊大学学長。新憲法擁護、東京裁判弁護団リーダー
- 岡本和夫 - 東大大学院数理科学研究科教授、元日本数学会理事長
- 宮下保司 - 東大医学部教授、朝日賞受賞、大脳研究の第一人者
- 家泰弘 - 東大物性研究所教授、超伝導研究の第一人者
- 吉田洋一 - 数学者
- 福原満州雄 - 数学者
- 蓼沼健一 - 一橋大学学長
- 丸山工作 - 千葉大学学長
- 上村洸 - 東京理科大学学長
- 石川忠久 - 二松学舎大学長、日本を代表する漢文学者
- 正田建次郎(1919) - 大阪大学学長、武蔵大学学長。阪大基礎工学部設立に携わる、皇后の伯父にあたる。文化勲章
- 山本喜久 - 国立情報学研究所及びスタンフォード大学教授、紫綬褒章受賞、量子工学・量子情報処理研究の世界的権威
- 森永卓郎 - 経済アナリスト
- 高木勝 - 経済アナリスト、明大政経学部教授
- 栗本慎一郎 - 経済人類学者、東京農業大学教授
- 米倉誠一郎 - 経済学者、一橋大学教授
- 福田雅章 - 山梨学院大学教授、元一橋大学教授。弁護士
- 和歌森太郎(1933) - 歴史学者、民俗学者
- 田邊元(田辺元)(1901) - 哲学者、京都帝大教授、元本学教諭。文化勲章
- 石田英一郎 - 文化人類学者
- 辻信一 - 明治学院大学助教授、環境・文化NGO「ナマケモノ倶楽部」創立者
- 三村征雄 - 数学者
- 弥永昌吉 - 数学者
- 羽仁五郎(1918) - 歴史家
- 梶谷誠(1959) - 電気通信大学学長
- 佐藤武男(1937) - 関東学園大学名誉学長
- 高木昇(1925) - 東京工科大学名誉学長、東大名誉教授
- 丸山工作 - 動物学、千葉大学学長
- 福井憲彦 - 歴史学者(西洋近代史)、学習院大学教授
- 大蔵雄之助 - 東洋大学教授、TBS報道局長、コメンテーター
- 森治樹 - 医博、東京大学名誉教授、板橋中央総合病院名誉院長
- 柳沢桂子 - 生命科学者
- 大森義太郎 - 東京帝国大学経済学部助教授 / 人民戦線事件にて検挙される
- 榊原高之 - 心臓外科医 / 榊原記念病院
- 細谷千博 - 国際政治学者 / 紫綬褒章
[編集] 文化
- 宇野功芳 - クラシック音楽評論家
- 神西清 - ロシア文学者
- 竹山道雄(1921) - 作家、代表作ビルマの竪琴
- 中勘助 - 作家
- 林望 - 書誌学者、エッセイスト
- 細川隆一郎 - 評論家
- 星野智幸 - 作家、早大文学部客員助教授。
- 矢島輝夫 - 作家
- 村上兵衛 - 作家(所謂「戦中派」の名付け親)
- 川田順(1899) - 歌人
- 小山正孝 - 詩人
- 斎藤素厳 - 彫刻家 / 「構造社」設立
- 小林美春 - 彫金家、日展審査員
- 野島青茲 - 画家
- 小泉文夫 - 音楽研究家、著書に「民族音楽の礎」、「歌謡曲の研究」など
- 長塚圭史 - 劇作家、演出家、俳優。阿佐ヶ谷スパイダース主宰。
- 乙武洋匡 - スポーツライター、「五体不満足」著者
- 北山恒 - 建築家・横浜国立大学教授
[編集] 芸能・マスコミ
- 水上健也 - 読売新聞社グルーフ議長
- 一木豊 - テレビ東京会長
- 大輝精一 - 日経BP社社長
- 浜口庫之助 - 作曲家
- 奥山和由 - 映画プロデューサー
- 谷口千吉 - 映画監督
- 高橋昌也 - 俳優
- 滝田祐介 - 俳優
- 風祭ゆき - 女優(日活ロマンポルノ)
- 長坂哲夫 - フジテレビアナウンサー
- 片瀬那奈 - 歌手・女優(定時制)
[編集] 軍人
- 谷寿夫 - 陸軍中将、国際連盟陸軍代表、第59師団長、南京事件を問われ南京にて銃殺刑(昭和22年)。岡山中学から転校
- 西尾常三郎 - 陸軍大佐、陸軍特攻隊・富嶽隊長、比島沖にて特攻死
- 野中四郎 - 陸軍中尉。2.26事件決起将校一員、のち自決
- 林八郎 - 陸軍少尉。2.26事件決起将校一員、のち刑死
- 古谷清 - 陸軍大将、航空本部長
- 本郷義夫 - 陸軍中将、第44軍司令官、関東防衛軍司令官(満州)。ソ連より復員(昭和25年.4)
- 松村知勝 - 陸軍少将、関東軍総参謀副長(のちシベリア抑留)、参謀本部ロシア課長
- 吉本貞一 - 陸軍大将、第1軍司令官、関東軍参謀長(昭和16年.4)、自決(昭和20年.9)
- 渡久雄 - 陸軍中将、第11師団長(昭和14年戦死)
- 白根斐夫 - 海軍中佐、空母・赤城(昭和16.12)、翔鶴(昭和17.6)、瑞鶴(昭和17.7)各飛行分隊長。比島上空にて戦死
- 佐藤市郎 - 海軍中将、国際連盟海軍代表、連合艦隊参謀(昭和2年.11)。佐藤栄作・岸信介の兄
- 白根斐夫 - 海軍中佐、空母・赤城(昭和16.12)、翔鶴(昭和17.6)、瑞鶴(昭和17.7)各飛行分隊長。比島上空にて戦死
- 戸塚道太郎 - 海軍大将、横須賀鎮守府長官、航空本部長
- 野中五郎 - 海軍大佐。野中四郎の弟、海軍特攻隊神雷隊(人間ロケット爆弾「桜花」)長、特攻死
- 横井忠雄 - 海軍少将、田辺海兵団長兼第6特攻戦隊司令官
[編集] その他
- 伏見宮博義王(1911) - 明治当時、皇族・伏見宮博義王として入学。
- 平本弥星 - 日本棋院棋士
- 岡田彬 - 東大野球部監督 / 六大学野球で江川卓に初黒星
- 平野裕一 - 東大野球部監督、東大大学院教育学研究科教授 / 六大学野球で「赤門旋風」
- 吉田満 - 『戦艦大和ノ最期』著者。元日銀
- 木村秀政 - 国産機YS-11型設計者、日大副総長
- 島秀雄 - 国鉄技師長。新幹線生みの親。文化勲章
- 川島辰彦 - 文仁親王妃紀子の父
- 島村秋人 - 島村抱月の子息。一高山中湖畔の寮で自死。藤村操に次いで二人目。
- 三好万季 - 評論家 / 在学中に「君が代のこと、日の丸のこと」(月刊正論)など
- 谷義一 - 弁理士、日本弁理士会会長
[編集] 著名な教員
- 深井鑑一郎 - 元・本校校長、私立城北創立者、富士見高女校長
- 国広功 - 元・本校国語科教諭、元・代々木ゼミナール講師
- 古賀米吉 - 元・本校英語科教諭・主任、私立市川創立者
- 石黒哲三 - 元・本校英語科教諭、元・代々木ゼミナール講師
- 潮田五郎 - 元・本校英語科教諭、元・代々木ゼミナール講師
- 佐藤忠 - 元・本校数学科教諭、元・旺文社大学受験講座講師
- 風早寛 - 現・本校英語科教諭、Z会出版より「速読英単語」シリーズなど著書多数
- 平久保章 - 元・本校日本史科教諭、著書 - 吉川弘文館人物叢書〔新装版〕「隠元」