くびき野 (列車)
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くびき野(くびきの)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が、新井駅~新潟駅間を信越本線経由で運行する快速列車の名称。列車名は新潟県西部の「頸城地方」に由来する。
目次 |
[編集] 運行概況
現在は1日3往復が運行されている。停車駅を特急列車並みに絞り込んでおり(直江津~新潟間の場合、特急との違いは宮内に停車するかしないかのみ)、新潟県上越地方と新潟都市圏を短時間で結ぶ列車として多くの乗客に利用されている。
- 使用車両
- なお、「くびき野1号」への送り込み及び「くびき野4号」からの送り出しとなる直江津~新井間を結ぶ普通列車(1328M・1333M)にも485系が使用されている(ただし普通列車となる場合、半室普通車指定席・半室グリーン車指定席の1号車には乗車不可)。
- 停車駅
新井駅 - (北新井駅) - (脇野田駅) - (南高田駅) - 高田駅 - 春日山駅 - 直江津駅 - 柿崎駅 - 柏崎駅 - 宮内駅 - 長岡駅 - 見附駅 - 東三条駅 - 加茂駅 - 新津駅 - 新潟駅
- カッコ内は「くびき野4号」(直江津~新井間各駅停車)のみが停車。
[編集] 信越本線長野以北優等列車沿革
(以南はあさま (列車)を参照)
- 1961年10月1日 長野駅~新潟駅間の準急列車「よねやま」が運行開始。
- 1962年12月1日 名古屋駅~新潟駅(中央本線・篠ノ井線経由)間の急行列車「赤倉」が運行開始。
- 1963年10月1日 新井駅~新潟駅間の準急列車「くびき」運行開始。また、糸魚川駅→新潟駅間運行の「ひめかわ」運行開始。
- 1961年 準急「よねやま」、上田駅発着に変更(但し上田駅~長野駅間は普通列車)。
- 1965年 準急「くびき」、田口駅(現・妙高高原駅)発着に変更。
- 1966年3月5日 準急列車廃止に伴い、「くびき」・「よねやま」・「ひめかわ」が急行に昇格。
- 1966年7月20日 柏崎駅~新潟駅間を越後線経由で運行する準急列車として「かくだ」が運行を開始。
- 1966年10月1日 「ひめかわ」に新潟駅→青海駅間運行の上り列車を設定する。但し、この列車は直江津駅→青海駅間は普通列車として運行される。
- 1968年10月1日 いわゆる「ヨンサントオ」と称されるダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
- 1969年10月1日 「ひめやま」運行区間を青海駅新潟駅間とする。
- 1972年 「よねやま」が上越線経由で上野駅~直江津駅間を運行する急行列車の愛称となったのに伴い、「とがくし」に改称。(その後の「よねやま」についてはとき (列車)を参照。)
- 1982年11月15日 上越新幹線開業に伴うダイヤ改正により、以下の通り変更する。
- 気動車で運行していた急行「赤倉」が、165系電車化。
- 急行「ひめかわ」が廃止、柏崎駅~新潟駅間の愛称なし快速列車に降格。
- 1984年4月8日 越後線・弥彦線の電化完成に伴い、柏崎駅~新潟駅間の快速列車が廃止。
- 1985年3月14日 「赤倉」がエル特急「しなの」と系統分離。「赤倉」は名古屋~妙高高原間の臨時列車に格下げ、新潟口の急行は運行区間を松本~新潟(松本~長野間は普通列車)間に短縮し、「南越後」に改称。
- 1988年3月13日 「とがくし」と「南越後」を統合し、「赤倉」に改称。
- 1991年3月16日 「赤倉」のうち、1往復を長野~新潟(越後線経由)間の快速に格下げ、快速「やひこ」運行開始。
- 1993年12月1日 快速「やひこ」廃止。
- 1997年3月22日 高田駅~新潟駅間の特急「みのり」、1往復で運行開始。
- 1997年10月1日 長野行新幹線開業に際し、急行「赤倉」2往復が「みのり」に吸収され全廃。「みのり」は長野~新潟間2往復、高田~新潟間1往復となる。
- 2000年12月2日 「みのり」のうち、長野発着1往復が廃止。この改正で残存した長野発着1往復は長野総合車両所所属の183・189系6両編成で運転されることになる。また、高速バスや新幹線の高崎乗換え利用に押され、全体的に運行状況としてはあまり芳しくない状況でもあった。
- 2001年12月1日 「みのり」長野発着の1往復が廃止となり、「みのり」の運行区間は高田~長岡・新潟間の2往復となる。183・189系6両編成が運用から離脱。
- 2002年12月1日 特急「みのり」を快速に格下げ。快速「くびき野」として新井~新潟間3往復で運行開始。
- 2004年10月27日~11月28日 10月23日に発生した新潟県中越地震の影響により、上越新幹線越後湯沢駅~新潟駅間が不通になったことを受けて、長野新幹線への乗り継ぎを図るため、長野駅から信越本線・越後線を経由し、新潟までを結ぶ臨時快速列車が4本設定された。この際には災害時の緊急輸送のため、485系の通常車、リニューアル車、ムーンライトえちご用車が使用された。全車自由席。グリーン車も開放され、喫煙車も禁煙となっていた。また、一部の列車では「くびき野」・「妙高」と同時刻で運転されていたものもあった。
- 2005年?月 6両運転時に連結されていた喫煙車も禁煙となる。
- 2005年12月 羽越本線特急脱線転覆事故で新潟車両センターのR編成6両が使用できなくなったことによる車両不足の影響で、くびき野号代走編成のT18編成6両が運用から外れた。変わりに予備車扱いだったR2編成9両を編成変更した、グリーン車連結無しの6両が「くびき野」運用に充当されることになる。
- 2006年1月23日 信越線の茨目~安田間で「くびき野3号」が乗用車と衝突。充当されていたT21編成4両が使用できなくなり、「くびき野」はT22編成4連と、R2編成グリーン車無し6両の2編成体制となる。
- 2006年2月? 事故の影響で、充当編成がT22編成4連と、R2編成グリーン車無し6両の2編成であったが、T21編成が復帰したため、全列車元通りのT21編成とT22編成の体制に戻る。
- 2006年5月20日 朝に新井を発車する「くびき野1号」と、夕方に新潟を発車する「くびき野4号・6号」で混雑が著しかったため、全ての「くびき野」がこれまでの485系での普通車自由席のみの4両編成から、半室普通車指定席・半室グリーン車指定席を設けた同じ485系での6両編成(自由席は1両増の5両)に増備。
- 2007年3月18日 健康増進法第25条により、全車両禁煙。
[編集] 列車愛称の由来
- (五十音順)
- 赤倉(あかくら)・・・赤倉岳から。
- かくだ・・・角田山にちなむ。
- くびき・くびき野・・・運行地域の旧地名である頸城(東頸城郡、中頸城郡、西頸城郡)から。
- とがくし・・・戸隠山から。
- ひめかわ・・・糸魚川市を流れる姫川から。
- 南越後(みなみえちご)・・・旧国名(令制国上)越後国と称された新潟県上越地方及び中越地方を指すとされる。しかし、上越と言う言葉が上越新幹線・上越線など上野国との合成名と取られることを嫌ってこの名称を与えたとされる。
- みのり・・・農業が盛んな地域であり、その地域を結ぶのに相応しい名称として用いられた。そのため、ヘッドマークでは長野県特産のリンゴが用いられた。
- 妙高(みょうこう)・・・妙高山から。
- やひこ・・・弥彦山から。