トヨタ・ランドクルーザー
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ランドクルーザー (Land Cruiser) とは、トヨタ自動車が製造する四輪駆動の自動車。
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[編集] 概要
三菱ジープや日産パトロール(現・サファリ)と並ぶ日本のクロスカントリー型四輪駆動車の先駆けであり、その耐久性から、日本国内はもとより、世界中で高い評価を受けている。
「ランドクルーザー」という車名は、クラウン、トヨエースより古く、2006年9月現在現存している国産車の車名では、もっとも歴史が長い。
通称は「ランクル」。
乗用車のラインナップでは考えられないことであるが、ステーションワゴン、業務用途の「ヘビー系(ヘビーデューティー)」、そして、70系の派生車種であった、「ライト系(ライトデューティー)」と呼ばれるランドクルーザーIIから発展した、ランドクルーザープラドの三種類の異なるシリーズが並行して生産、販売されている。
現在、ステーションワゴンは、日本製SUVで初めてV型8気筒エンジンを搭載した100系であり、直6ディーゼルエンジンや電動ウィンチなどが選べるランドクルーザー100(欧州名 アマゾン Amazon)と、元来レクサスLX470として開発された、スタイリッシュで高級志向の強いランドクルーザーシグナスとがある。
ランドクルーザーとしては本流となるヘビー系の現行モデルは70系であり、現在は長大な車体を持つ78と79のみ生産が続けられ、世界各国に輸出されている。日本国内では貨物登録のみとなる関係で、NOx規制法とPM規制条例の影響を受け、2004年7月を最後に販売は終了している。
ランドクルーザープラドは、タコマ、ハイラックスサーフとシャーシやエンジン、ドライブトレインの多くを共有するモデルで、2ドアのショートと4ドアのロングのバリエーションを持ち、V6ガソリンエンジンと、直4のガソリン、ディーゼルエンジンを積む。ランクルの伝統で、装備を充実させたワゴンと、業務用途のバンをラインナップしている。欧州やアフリカでの名称はランドクルーザーのみ。
海外のレクサスブランドでは、ランドクルーザーシグナスがLX470(こちらが本家)、ランドクルーザープラドが北米のみでGX470として販売されており、どちらもV型8気筒・4700ccの2UZ-FEが搭載されている。
[編集] 歴代モデル
[編集] BJ、FJ型(1951年-1955年)
- 戦時中に少数が生産された、日本陸軍四式小型貨物車こと「AK10型」四輪駆動車は、フィリピンで鹵獲された通称「バンタム・ジープ」をコピーして設計された。その際、軍部から、「外観はジープに似せない事。」とする旨の指示があったが、機能がそのまま外観に表れるジープでは、それは容易なことではなかったが、生産型は資材の窮乏も伴い、簡易外装に一つ目ライトの、いわゆる「戦時型」となり、結果的にまったく別物の外観となった。
「AK10型」はフロントにリーディング・アームのサスペンションを持ち、AE型乗用車のC型エンジン(初代 4気筒 2.585cc)と3速T/M、2速T/Fを組み合わせていることからも判るとおり、BJ型以降のランクルと直接のつながりは無い。
- 警察予備隊(現・自衛隊)への納入を狙い、1951年にトヨタ・ジープBJ型として完成した。シャーシは小型トラックSB型の梯子形シャーシを改良して四輪駆動とし、エンジンは当時の6tトラック用に用いられていた6気筒OHV、3,400ccのB型(初代)ガソリンエンジンを採用し、トランスミッションもトラック用を流用した。「B型」エンジンを搭載した「Jeep」ということで型式は「BJ型」となった。
当時のトヨタには、ウイリス・ジープに匹敵する性能の4気筒エンジンがなかったため、やむを得ず大きな6気筒を搭載したが、かえって強力になり、重量、燃費以外の性能では当時のウイリス・ジープを凌ぐ結果となった。
三菱がノックダウン生産するウイリス・ジープが警察予備隊に採用されたため(米軍との密約があり、出来レースであったとの噂もある)目的は果たせなかったが、国家警察のパトロールカーとして納入され、好評を得た。
- 基本型の「BJT型」(ツーリング)、無線連絡車の「BJR型」(ラヂオ)、消防用シャーシの「BJJ型」(略号Jの意味は不明)の3タイプがカタログモデルとされ、その他の「変り型」は特装扱いとした。
- 1954年、高負荷運転となる消防ポンプ車用に、より強力なF型エンジンが加わった。これはB型同様大型トラック用のエンジンで、以後ランクルとは切っても切れない関係となるが、この時期はまだ、消防用シャーシ「FJJ型」専用であった。
- 同年6月ジープという名称が米国ウイリス・オーバーランド社(当時)の商標権に触れるため、ランドクルーザーと改名された。英国ローバー社の有名な四輪駆動車ランドローバーに対抗し、ROVER(海賊、海賊船)を駆逐するという意気込みを込め、「巡洋艦」を用いての命名であった。
[編集] 20系(1955年-1960年)
- 1955年8月、ランドクルーザーは初めてのモデルチェンジを受け、20系となった。
- ホイールベースはショート(#J25、21等)と、やや長いミドルの(#J28、24等)の二種類でスタート、後にロング(FJ35V)が追加される。
- ショート 2,285mm
- ミドル 2,430mm
- ロング 2,650mm
- エンジンは従来のB型(初代)とF型ガソリンエンジンで、ほとんどの車種に両方のエンジンが設定された。
- B型(初代) 水冷 直列6気筒 OHV ガソリンエンジン 3,386cc
- F型 水冷 直列6気筒 OHV ガソリンエンジン 3,870cc 120~135HP/3,200rpm 28,0~30.0kgm/2,000rpm
- トランスミッションは4速マニュアル、トランスファーはセンタースルーの2速で、どちらもフロアシフトとされた。
- ボディーのバリエーションは、ソフトトップ、ハードトップと、ピックアップ、バン、消防用シャーシとされ、後にロングの4ドア ステーションワゴンが加わった。
これら以外の変り型については特装とされた。- ソフトトップ ショート、ミドル
- ハードトップ ショート、ミドル
- ピックアップ ミドル
- バン ミドル
- 消防用シャーシ ミドル
- ステーションワゴン ロング
- 国家警察用のパトロールカーをはじめ、ラインナップの約半数が2輪駆動であることも20系の特徴であった。
- この20系より各国に見本車を送り、本格的に輸出を開始した。
特に北米では、市場に適合せず、評判の優れなかったクラウンに代わり、米国トヨタの経営を支えた。
- モデル末期の1959年、輸出の好調を受け、ランクル初の本格ステーションワゴンが追加されることになった。
ホイールベースはさらに延長され2,650mmとなり、4ドアボディを与えられ、エンジンは「F型」とされた。
形式は、20番台はすでに全て使い切られていたため、30番台でロングホールベースを表すFJ35Vとされた。
40系へのモデルチェンジまで一年を切ったこの時期に投入されたFJ35Vは、実質的には40系のFJ45V(初代)の前倒し生産といえるもので、海外の旺盛な需要の前に、逼迫した当時の状況が現れている。
[編集] 40系(1960年-1984年)
1960年1月発売開始。20系のフルモデルチェンジ版として登場した。
すでに'20系が30番台の数字を使っていたため、型式は40とされた。
40系は1984年11月に70系にフルモデルチェンジされるまで、24年にわたり販売され続け、超ロングセラーモデルとなった。
そのため、世界各国で業務用として今なお現役のものも多く、また、趣味の世界でも、「ヨンマル」、「フォーティー」などの愛称で親しまれ、多くの愛好家に大切にされている。
- 当初のコンセプトは、20系に対する北米市場の要求から、
- T/Mを4速からワイドレシオの3速に
- シフトレバーをフロアからコラムへ(北米以外は従来の4速フロアと3速フロアも選べた)
- T/Fを1速から2速へ(リアもセンタースルーからオフセットへ変更された)
- T/Fレバーをフロアからインパネへ
- ファイナル(アクスルデフ)のギアリングを高く(5.555から3.300または3.700へ)
- エンジン特性を高回転寄りに
- サスペンションスプリングをソフトライドに
- ソフトトップの着脱を容易に
- ラジエターグリルをフォード・トラック風のオーバル形に
など、主に高速走行を重視した快適性の向上と乗用車の雰囲気を盛り込むことが設計の主眼とされた。
- ホイールベース
- ホイールベースはショートの40と、やや長いミドルの43、ロングの初代45でスタート、後にフレームを300mm延長した、45(B)が追加され、その後、延長形に一本化され、45(2代目)に変更された。
-
- ショート 2285mm
- ミドル 2430mm
- ロング初代 2650mm
- ロング(B) 2950mm
-
- ロング2代目 2950mn ロング(B)を名称変更
- ボディーバリエーション
- ソフトトップ ショート、ミドル、ロング(2代目)
- ハードトップ ショート、ミドル、ロング(2代目)
- ピックアップ ロング(初代)、ロング(B)、ロング(2代目)
- ステーションワゴン ロング(初代)
- 消防用シャーシ ロング(初代)
- キャブシャーシ ロング(初代)、ロング(B)、ロング(2代目)
[編集] 第1期
- 1960年1月生産開始。輸出が優先された結果、国内のハードトップモデル(バン FJ40V)は遅れて登場する。
- 遅れて45(B)シリーズ登場。荷台の狭さが指摘されていたピックアップとキャブシャーシ用に、ホイールベースを2950mmとした、45(B)と呼ばれるスーパーロングが追加される。ピックアップの型式はFJ45PからFJ45P(B)に切り替わる。
[編集] 第2期
- 1967年7月55型の生産開始に伴い、4ドアステーションワゴンのFJ45Vは生産終了。同時にロングのホイールベースを2950mmへ統一、45(B)は再び、単に45と呼ばれることになる。同じ型式で長さと形態が異なるモデルが混在するため、趣味上の分類としては、1967年以前の45を初代、それ以降を2代目としている。
- 45(初代) W/B 2650mm
- 45(B) W/B 2950mm
- 45(2代目) W/B 2950mm
- ショートのハードトップとバックドアを設計変更。屋根を鋼板プレスからFRPのモールド品に変更。クォーター ウインドウ、バックドア ウインドウを拡大、リア コーナー ウインドウを新設、後方視界の改善を図った。
- 1973年、海外向けのロングホイールベースモデル(2950mm 2代目45シリーズ)に、直6 3.6L 3576c OHV 90HPの、H型ディーゼルエンジン搭載のHJ45を追加。
- 1974年、B型(2代目)ディーゼルエンジンが投入され、長い40の歴史上でのターニングポイントとなる。
- ショートとミドルモデルにダイナ(BU10)用として好評を博していた、4気筒、3000ccのB型(2代目)と呼ばれるディーゼルエンジンが搭載された。ディーゼル、4気筒共にランドクルーザーとしては初めてとなる。
- BJ40とBJ43と呼ばれるこのモデルは、ファイナル ギア レシオをFJ40の3.700から4.111にたった1割下げた以外(実際、ピ二オンギアの歯数が一山少ないだけ)はT/Mも含めFJ40と同じであったが、ディーゼルエンジンの特性から、その走行性能はF型との馬力差(125PSと85PS)を感じさせない、遜色の無いものであり、4気筒のためエンジンの搭載位置が後退したことで、車両の重量バランスやハンドリングが改善される効果も生んだ。
日本では小型登録(4ナンバー)できることもあって好評をもって迎えられたが、その優れた経済性と卓越した性能は、もとより備わっていた高い耐久性と相まって世界的なヒットとなり、販売台数は飛躍的に増えることとなった。 - HJ45にディーゼルエンジンが追加されたこともあり、全てのボディータイプでディーゼルエンジンが選べるようになる。
もともとはオイルショックが招いた流れではあったが、これ以降、ディーゼルエンジンはランクルの主流となっていった。
- 1975年1月
- ワイパーのピボットをウインドシールド フレームの上部から下部に変更、ワイパー モーター カバーが車外に露出した。
- ハードトップのドアを組み立て式サッシからフルプレスに変更。
- それまで固定式であったリア クォーター ウインドウを引き違い式と後端フリップアウト式の2種類へ変更。換気性能が大幅に向上し、後席の快適性が改善された。
- 1976年8月アウター リア ビュー ミラー(バックミラー)の位置がカウルサイドからドアに変更となり、国内ボンネット型車では初のドアミラーとなり、乗用車(1980年)より一足早い登場となった。その後、乗用車からの乗り換えユーザーが急増し、車両感覚がつかみづらいとの声が多かったことと、幌モデルでドアを取り外した場合、ミラーも一緒に無くなってしまうことから、1980年7月、国内モデルのみフェンダーミラーへ変更された。
- ここまでをビンテージモデルとすることが多い。
[編集] 第3期
- 1979年2月
- ボディーを大幅に設計変更。大型プレス材を多用し、パネル枚数の削減と組み立て行程の短縮を図った。また、鋼板のゲージも下げられた(薄くなった)。
- 20系以来、室内に置かれていた燃料タンクを室外(床下)配置に変更し、懸案だった安全性と容量不足が改善された(65Lから95Lに拡大)。
- ラジエターグリルがオーバルから短形になり、ヘッドランプの間隔も広げられた。
- 日本国内のみ排ガス対策のため、ディーゼルエンジンをB型から3200ccの2B型に変更、形式もBJ41とBJ44となる。
数字のうえではパワーアップであったが、進角特性の変更でマイルドな味付けとなり、燃費も若干悪化することになる。 - フロント ベンチレーテッドディスクブレーキとリアLSDがオプション設定される。
- 室内のトリムカラーが黒からグレーに変更される。
- ファブリック内装に対する市場の反応を見るため、初めての限定車が発表される(国内)。ボディーカラーはダークブルー、シートトリムはダークブルーとグレーの細いストライプであった。
- 同年12月バンパーなどのメッキ装飾や、トラック丸出しのリング式ながら白く塗られたホイールで差別化された外観と、室内には紅白のコントラストが鮮やかなファブリックシートを持った、「L パッケージ」が登場。
ランクル史上初めてグレード設定となる。これ以降、乗用車からの乗り換えユーザーが一段と増えることになる。
[編集] 第4期
- 1980年7月
- 60系のデビューに合わせ、エンジン、T/M、T/F、ブレーキなど主要部品が60系と共通化される。
- ロングホイールベースのディーゼルエンジンをH型から6気筒、4000ccの2H型と4気筒、3400ccの3B型に変更、60系と共通化され、それぞれHJ47、BJ45となった。B、2B型も合わせて改良された。HJ47は主にオーストラリア(略号 ARL)向け、BJ45はそれ以外の地域向(欧州 EUR、ジェネラルカントリー GEN)けとされた。
- マニュアル・フリーハブが日本国内向けにも装備され、それを車幅内に収めるため、樹脂製スペーサーによりフロントフェンダーの取り付け幅が広げられる。
- 1981年5月限定車の第2段として「ザ・マイティー」が登場(国内)、通称は「マイティーBJ」、「マイティー ブラック」。ブラックのボディーにゴールドの子持ちラインを持ったえんじのストライプと、えんじとグレーの室内トリムの組み合わせであった。
- 1981年8月インパネのデザインを変更。センタークラスタータイプとなるが、シンプルでクリーンな印象は無くなり、評判は芳しくなかった。また、日本国内でもラジアルタイヤが選べるようになり、その対策としてリヤフェンダーにエクステンションが追加される。
パワーステアリングとタコメーター、専用の室内トリムを持った「LX」が追加される。
- 1982年2月最後の限定車となる「ザ・マイティー II」が登場(国内)。「マイティー BJ」と同様のカラー、トリムであったが、パワーステアリングとタコメーターを装備し、「LX」同様の装備となる。
- 1982年日本国内は排ガス対策で2B型から3400ccの3B型にエンジンが変更された。
- 1984年10月70系へモデルチェンジ。国内での生産を終了。
[編集] 55、56型(1967年4月-1980年7月)
乗用車ムードあふれるユニークなボディースタイル、4輪駆動車という特異な車であるにもかかわらず、乗用車を上回る安全性。高出力エンジンと理想的な車両重量配分と抜群の高速性能、と当時の解説書にはある。
北米市場を強く意識したモデルで、ランドクルーザーシリーズとしては初めて、工業デザイナー(社内)によるスタイリングを採用している。
北米でムース(へら鹿)とあだ名されることとなったフロントまわりや、大きくへこんだスライド式(電動、または手動の下降式)のリアウインドウなど、それまでの常識にとらわれない独特のスタイルとなった。
しかし現場経験の無い若手が担当したことから、パネル割りに不慣れな部分が多く、生産開始後も、ライン上でハンマーによる修正が必要となり、品質が安定するまでには多くの月日を要する結果となった。
北米の保安安基準に適合させるため、インストゥルメントパネルは発泡ウレタンのパッドで覆われ、ステアリングホイール中央にも大型パッドが設けられた。
パワートレインは40系と全く同じで、125馬力のF型ガソリンエンジンと、オフセット式の2速トランスファーに、コラムシフトの3速マニュアルトランスミッションが標準の組み合わせで、オプションでフロアシフトの3速と4速M/Tが選べた。ファイナルレシオ(デフの減速比)は3.700が標準とされた。3速M/Tは1速とリバースがノンシンクロであった。
その後、1969年にエンジン出力は130馬力に向上した。
- 1967年7月FJ45V(初代・4ドア)の後継車として登場。バックドアはスライディングウインドウ(パワーまたはマニュアルの下降式)を持つテールゲート(下開き)とスイングアウトドア(観音開き)の二種類が設定された。
45(初代)で好評だった消防車用シャーシ(国内向け)も55ベースに代わった。 - 1972年4月ステアリングギアをウオーム&ローラーからリサーキュレーテッドボール(ボールナット)に変更。
- 1973年2月バックアップランプを大型化し、輝度も上げられた。(安全対策)
- 1973年9月エンジンを無鉛仕様に変更。(環境対策)
- 1975年1月排ガス対策に適合させるため、全モデルが4200cc、135psの2F型ガソリンエンジンに変更となり、3速M/Tが廃止された。エンジンの変更で、型式認定の都合上、国内のみ形式がFJ56Vとなった。
- 1977年5月フロントドアガラスとサッシの前側の角の形状をR付きに変更(安全対策)。
- 1977年9月アウターリアビューミラー(バックミラー)が可倒式に、リアコンビネーションランプ(テールランプ)が縦長の大きなものになり、位置も低くされた(安全対策)。すでに60系の設計が始まっていたため、それに似た形状となった。
- 1979年4月ロッカーアーム、プッシュロッドを軽量化、ロッカーアームカバーを鋼板プレスからアルミダイキャストに変更。
この改良は、次期モデルの60系に2F型を引き続き搭載するにあたり、騒音対策の一つとして行われたもの。エンジン音が乗用車風になったため、旧来からのファンを嘆かせることになった。
北米以外の仕向け地についても、トヨタは55型にディーゼルエンジンを最後まで与えなかった。その点にこのモデルのポジショニングが良く表れている。
より実用的なモデルが必要な仕向け地には、H型ディーゼルエンジン搭載のHJ45(1967年~1980年 二代目FJ45と同じ、ホイールベース2950mmで2ドアのモデル)の各タイプが用意され、それを補っていた。
当初の予定どおり、生産台数の大半が北米をはじめとする海外へ輸出された。
国内では、高価であったこと、小型車枠を超えていたこと、ディーゼルエンジンが無かったことがネックであったと言われ、販売面では振るわなかった。
- まぼろしの50「系」
50「系」の開発計画は当初、ショートホイールベースの2ドアハードトップと、ロングホイールベースの4ドアステーション・ワゴンの二本立てであり、その時点では名実ともに50「系」であった。
2ドアモデルは1/10クレイモデルによるスタイリング検討まで行われており、このモデルが生産されていれば、FJ50型を名乗るはずであった。しかし、北米での販売が好調であったFJ40とのバッティングの可能性、販売価格、荒川車体の生産能力などを考慮した結果、2ドアモデルの計画は中止されることになった。
現在50番台の55、56型が50「系」ではなく、「型」と呼ばれる理由はここにある。
ちなみに、50「系」はブラジル・トヨタが生産する、ランドクルーザーのノックダウンから発展した「バンデランテ(Toyota Bandeirante)OJ、BJ50系(1954年~2001年11月)が名乗っている。
この区別はランクルに詳しい者以外にとっては非常に分かりづらいため、一般的には55、56「型」をまとめて50「系」、OJ、BJ50系は「バンデランテ」と車名で呼ばれることが多い。
[編集] 60系(1980年 - 1989年)
1980年、ステーションワゴン、55型の後継車種として登場。
ガソリンエンジンは55型から変わらず6気筒、4.2Lの2F型であったが、新たに6気筒、4.0Lの2H型(国内は1982年から)と4気筒、3.4Lの3B型の2種のディーゼルエンジンが設定される。
ステーションワゴンのラインナップに初めてディーゼルエンジンが加わった。
消防車仕様は山間部を中心に配備されており、現在でも見ることができる。
- 1980年国内モデルのバックドアは観音開き(形式記号 C、カタログ特徴記号 VKC)のみ。グレードはビニールシートとセミトリムのスタンダード(STD)と、ファブリックシートとフルトリムの「G パッケージ」が選べた。
- 1981年10月
- 海外のみであった上下開き式バックドア(型式記号 M、カタログ特徴記号 VLS)を国内にも設定。
- パワーステアリングを国内にも設定。
- ソフトライドスプリングを国内にも採用。
- 1982年10月
- 国内モデルにも6気筒、4,000ccの2H型ディーゼルエンジンを搭載したバン4000GX(HJ60V-MMZ ハイルーフのみ)が追加された。
- 5速M/Tを新設(ディーゼルモデルのみ)。
- ハイルーフを追加(ディーゼルモデルのみ)。
- GXグレードを国内にも新設(ディーゼルモデルのみ)。
- 電動リモコン フェンダーミラーをGXに採用(国内)。
- 1984年11月、70系のデビューに合わせマイナーチェンジ。
- ガソリンエンジンを4000ccの3F型に変更。ショートストローク化とフライホイールの軽量化など、高回転寄りの設定となったことと、排ガス対策のため、力強さは失われた。
- ガソリン車にも5速M/Tを設定。
- リアバンパーをを分割し、ステップを新設。
- 1985年10月
- ディーゼルにターボモデルを追加。国内では最上級グレードのバン4000VX(HJ61V-MMZX)のみに限られた。2H型を直噴化した12H-T型を搭載した。このモデルにはデフロックがオプションで設定された。
- 4速A/Tを搭載(12H-T、2Hモデルのみ)。
- サスペンションシートを設定(フロア形状変更)。
- 1986年8月
- 3B型エンジン廃止。
- VXのトリムを変更。
- 1987年8月マイナーチェンジ。
- コストダウンのため部品点数を削減。
- 収益性アップ(値上げ)のため見栄え向上をはかる。
- ヘッドランプを角型4灯に変更。
- インストゥルメントパネルを変更。
- 国内にもワイドタイヤ(31X10.50R15 LT)とオーバーフェンダーを設定(バンVXのみ)。
これらの変更は当時開発が進んでいた80への買い替えをスムーズに促すためのデザインとされた。
- 1988年3月ガソリンエンジンの3F型を電子制御化した3F-E型を搭載した、70ワゴンに続く乗用車登録モデルとなる、ワゴン4000VX(FJ62G-PMZ)を追加。
- 1990年1月生産終了。
- 当初80系への切り替えは1989年年の10月を予定していたが、新機構満載の80系はトヨタとアラコにとって、共に未経験の部分が多く、その解決に多くの時間を要すこととなり、その後11月に延期されるも生産立ち上がりは遅れに遅れ、最終的には年明けの1990年1月にずれ込んだ。
そのため60系は同月まで生産が続けられることになった。
[編集] 70系(1984年 -)
[編集] ヘビー系
1984年11月、それまでの40系に代わりデビュー。しかし40系のデザインとはかけ離れていたため、日本国内においては非難される事も多く、海外でも「ランクルは女になった」などと言われた。 足回りは前後共にリーフスプリングとリジッドアクスルの組み合わせだったが、1998年のマイナーチェンジにおいて前軸のみコイルスプリングに変更された。 2007年3月オーストラリアを皮切りにフロント周りの意匠を大幅変更した新型がデビューした。 これは新型のV型8気筒ディーゼルエンジン(4,461cc、アフタークーラー付き排気タービン式過給器搭載)を今までの段付きフェンダーに収めるにあたり無理があると思われる。 ちなみに1984年のデビュー以降フロントマスクは何度と無く変更されたが全体が大きく変更されたのは今回が初めてとなる。 またWAGONが新たに設定されセミロングホイールベースがカタログモデルとなった。
なお以降の説明は日本国内向けを中心として行うが、一部海外向けの記述も時系列上載せている。
- ホイールベース
- ショート 2310mm(70,71)
- ミドル 2600mm(73,74)
- セミロング 2730mm(77,76)
- ロング 2980mm(75,78 海外向けおよび日本国内消防用)
- スーパーロング 3180mm(79 海外向け)
- エンジン
- ガソリンエンジン
- 3F(直列6気筒 OHV 3955cc 1984 - 1989 国内では消防用シャーシのみ)
- 1FZ(直列6気筒 DOHC 4477cc 1990 - 2006 海外向けのみ)
- ガソリンエンジン
-
- ディーゼルエンジン
- 3B(直列4気筒 OHV 過流室式 3431cc 1984 - 1989)
- 13B-T(直列4気筒 OHV 直噴式 過給器付き 3431cc 1984 - 1989)
- 2H(直列6気筒 OHV 過流室式 3980cc 1984 - 1989)
- 1PZ(直列5気筒 OHC 過流室式 3470cc 1990 - 1994)
- 1HZ(直列6気筒 OHC 過流室式 4164cc 1990 - 2006)
- 1HD-FTE(直列6気筒 OHC 直噴式 過給器付き 4164cc 200? - 2006) 海外向け
- ???(V型8気筒 DOHC 直噴式 アフタークーラー付き過給器付き 4461cc 2007-) 海外向け
- ディーゼルエンジン
- ボディ
- 2ドアハードトップ(ショート)
- 2ドアソフトトップ(ショート、ミドル)
- 2ドアFRPトップ(ミドル)
- 4ドア試作車(ミドル BJ73V改、74V改 リアドア形状は2種類ある 名古屋トヨタディーゼルを通じて販売された)
- 4ドア(セミロング)
- 2ドアハードトップ トゥループキャリア(ロング)
- ピックアップ(ロング、スーパーロング)
- キャブシャーシー(ロング、スーパーロング)
[編集] ライト系
70系のライトデューティー版派生種として、1984年11月に登場(国内は1985年10月)。
エンジン、トランスミッション、デフなどをハイラックス/ハイラックスサーフと共用、サスペンションとスプリングは国産4輪駆動車初の、4輪コイルリジッドとなる。
仕向け地により、ランドクルーザー、ランドクルーザーII(2)、ランドクルーザーワゴン、バンデラの名を使い分ける。
1990年4月、4ドア・セミロングボディーの追加に伴い、「PRADO」(プラド)のサブネームが与えられる。(トヨタ・ランドクルーザープラドも参照)
- ホイールベース
- ショート 2,310mm(70,71)
- ミドル(日本国内向は設定なし) 2,600mm(73,74)
- セミロング 2,730mm(77,76)
- エンジン
- ガソリンエンジン
- 22R
- 22R-E
- ディーゼルエンジン
- 2L
- 2L-T
- 2L-T II
- 2L-TE
- 3L
- 1KZ-TE
- 1KZ-T
- ガソリンエンジン
[編集] 80系(1989年-1998年)
ランドクルーザー80
エンジンに、3F-E(1990~1992)、1FZ-FE(1992~1997)、1HD-T(1990~1995)、1HD-FT(1995~1997)、1HZ(1990~1997)を採用
1990年10月、60系がフルモデルチェンジされ80系が登場。ボディサイズが一回り大きくなりメインマーケットが北米やオーストラリア向けに開発されたモデルとなる。 一番の変更点はパワートレインで60系のパートタイム方式からセンターデフロック付のフルタイム方式へと変更、但し一部のグレードにはパートタイム4WDも用意されていた。サスペンションは、前後共にコイルスプリングを採用したリジッドアクスル。8人乗りのワゴンと5人乗りのバンが用意されており、エンジンはワゴンがガソリン、バンはディーゼルを搭載していた。 80系へと進化したことにより装備もゴージャス化されSUV化され始めたモデルであったが、オフロード走行性能はランクルの名に恥じない走りを見せた。100系はオンロード重視となりオフロード性能が落ちた為あえて80系に乗り続けるユーザーも少なくない。バンではキャンピングカーに改造された車も見られ、メーカー純正のキャンピングカー仕様車「アクティブヴァケーション」も設定されていた。
バックドアは、スタンダードとGXが70系同様の左右の幅が異なる観音開き、VXとVXリミテッドが上下開きを採用した。なおスタンダードとGXにはオーバーフェンダーが装着されていない。
オーストラリアでは、地元においてアトラクションツアー用に改造された、荷物室を窓1つ分延ばし、後ろの車軸を2軸とした、6輪車が存在した(普通、後後軸にはデフは装備されていない)。
[編集] 100系(1998年- )
エンジンにV8,4700cc,DOHCの2UZ-FEを採用。ランドクルーザー100とランドクルーザーシグナスがある。バンのVXに5速MTが設定されていたが、現在はグレード自体廃止されている。
1998年1月フルモデルチェンジで100系に進化。装備が更にゴージャス化される。
2002年8月にマイナーチェンジを実施。ATが5速化され、内外装が変更された。
2005年にはテールランプがLED化され、背面タイヤと観音開きのリアドアが廃止された。
一番の変更点はフロントの足回りであり、コイル・リジッドサスからトーションバー・ダブルウィッシュボーン式独立懸架サスへと変更、操舵方式もボールナット式からラック&ピニオン式へと変化を遂げ、より操安性重視となった。
コルゲーテッド ロード(乾燥した未舗装路を多くのクルマが高速で走行することで洗濯板状になった路面のこと 圧雪路でも起こる)を多く持つオーストラリアからの強い要望で、80系のコイル+リジッドのフロント足回りを小変更のうえ流用した105と呼ばれるモデルが設定され、主にオーストラリア向けとして生産されている。
北米向けはLX470を含めライトデューティー仕様となっており、アイシンAW製の乗用車用4A/Tを積んでおり、その他の仕向け地用のアイシン精機製のライトトラック用4A/Tを持つものに比べ、重量が40kgほど軽くなっていた。後に5A/Tに変更されている。
[編集] 次期モデル(2007年発売予定)
[編集] へビー系 (70系後継車種)
2007年発表予定。旧アラコの分割吸収合併後、初となるモデルチェンジ。
排ガス規制の一層の強化により、期待された国内販売の予定は無い模様。理由は、派生車種のプラドにショートがあるからである。
[編集] 200系ステーションワゴン(100系後継車種)
2007年4月4日、ニューヨーク国際オートショーでレクサス版である「LX570」が発表された。
ATは6速化され、ガソリンV8エンジンは車名の通り2007年モデルのタンドラとともに発表された、5.7Lの「3UR-FE」が設定されるが、ランドクルーザーでは5.0Lの「2UR」が設定される可能性もある。実用グレードには1HDや1HZ、1FZも残される模様。また、トヨタ製ディーゼルエンジンでは初めてとなるV8は、5.0Lといわれている。
ランドクルーザーについては80系、100系ともに東京モーターショーでのお披露目となっていたため、今回もそれに倣うものと予想されている。
自動車雑誌各誌の予想イラストではフロントマスクが2代目タンドラと非常によく似たものとなっていたが、発表されたLX 570はLSのイメージを重ねたものとなっている。
[編集] ランドクルーザーが登場する作品
- GOOD LUCK!! - 新海元(木村拓哉)の愛車としてBJ40が登場。
[編集] 販売店
- トヨタディーゼル店1957年-1979年
- トヨタ店
[編集] 関連項目
- トヨタ自動車
- ランドクルーザープラド
- メガクルーザー
- FJクルーザーFJ40をモチーフにしたSUV。2006年3月から北米で販売される。
- レクサス・LX
- トヨタのエンジン型式一覧
- トヨタのエンジン型式命名規則