ドーム球場
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ドーム球場(ドームきゅうじょう、Domed stadium)はドーム形式の屋根を備えたスタジアム。日本では一般的に野球場をさすことが多い。
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[編集] アメリカのドーム球場


アメリカ合衆国では、1965年に大リーグ・ヒューストン・アストロズの本拠地として世界初の全天候型屋根付き球場アストロドームがオープンした。屋根付き球場建設の理由は、夏の暑さや蚊の大量発生から球場内を守り、快適な環境を確保するためだった。当時は「スタジアムに屋根を付ける」という発想そのものがあまりなかったので、アストロドームは「世界8番目の不思議」と呼ばれた。当初は屋外球場と同じ環境でプレーできるようにと太陽光を透過するアクリル屋根を設置したが、光が選手の目に入りプレーに支障をきたすことから、すぐに太陽光を通さない屋根へと張り直した。この際、建設時から育てていた天然芝が光を遮られたことで生育がストップして枯れてしまったため、世界初の繊維による人工芝「アストロターフ」が開発された(人工芝の項参照)。
当時は野球とアメリカンフットボールの兼用が可能なスタジアムの建設が流行していた。そのためアストロドームは1968年からNFLヒューストン・オイラーズ(現テネシー・タイタンズ)も本拠地として使用するようになった。これ以降キングドームやメトロドームなどが建設され、いずれもアストロドームと同じく野球とアメフトの兼用となった。またアメフト専用のスタジアムでも、シーズンが冬なので寒さを防ぐためにルイジアナ・スーパードームやポンティアック・シルバードームなどのドーム球場が続々と完成した(スーパードームでは後にマイナーリーグの試合も開催されている)。
しかし1992年開場のオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズがファンの絶大な支持を集めてからは、人工芝での選手の故障の多さが指摘されるようになったほか、青空の下での野球観戦を望む観客の意向が汲まれるようになり、原点回帰ということで野球専用のスタジアム「ボールパーク」化が推進されている。ボールパークは「野球専用」「天然芝のグラウンド」「第二次世界大戦前の古い球場や工場などを思わせるレトロ調」を特徴としている。
現在大リーグにて密閉式ドームという形で運用されているのはメトロドームとトロピカーナ・フィールドの2球場のみである。ロジャース・センター(カナダ・トロント)が世界初の開閉式ドーム球場として建設されて以来、密閉式ドームを持つ野球場は建設されていない。さらに前述のボールパーク化が進んだことによって、開閉式屋根付き天然芝の野球場が建設されるようになった(ロジャース・センターは人工芝)。
[編集] 開閉式屋根付き天然芝の野球場
- チェイス・フィールド(旧バンク・ワン・ボールパーク、アリゾナ州フェニックス)
- セーフコ・フィールド(ワシントン州シアトル)
- ミニッツ・メイド・パーク(旧エンロン・フィールド、テキサス州ヒューストン)
- ミラー・パーク(ウィスコンシン州ミルウォーキー)
[編集] 日本のドーム球場
日本では1988年に東京ドームが初のドーム球場として建設された。これはメトロドームと同じく、空気圧で屋根を膨らませるという「エアドーム」という方式を取り入れたもの。同年4月の公式戦開幕日には首都圏は季節外れの豪雪となったが、ドームの中では快適な野球環境が整えられたため、「早速ドーム効果が現れた」と話題になった。
現在は東京以外に、札幌(札幌ドーム)、大館(大館樹海ドーム)、所沢(西武ドーム)、名古屋(ナゴヤドーム)、大阪(大阪ドーム)、出雲(出雲ドーム)、福岡(福岡ドーム)の8ヶ所に硬式野球が開催できるドーム球場がある。このうち西武ドームは既存の屋外球場に屋根を架設した世界でも稀な工法を取り入れ、また福岡ドームは日本の硬式野球場としては唯一開閉式ドームになっている。札幌ドームはサッカーにも利用できるよう「ホバーリングステージ」と呼ばれる天然芝グラウンド(移動式)が用いられている。出雲ドームはフィールドが狭隘で、且つ硬式野球の実施に見合う天井高が確保されていないため、現在は硬式野球の公式戦は行われていない(詳しくは出雲ドームの項を参照)。
また硬式野球以外では札幌コミュニティドーム、新天城ドーム、シェルコムせんだい、こまつドーム、長浜ドーム、四日市ドーム、但馬ドーム、豊田スタジアム、神戸市御崎公園球技場(ホームズスタジアム神戸)、大分スポーツ公園総合競技場(九州石油ドーム)などといった施設が屋根を架設しており、これらのうち長浜を除く施設では屋根の開閉が可能となっている。
コンサートなどで5大ドームツアーという場合、東京、大阪、ナゴヤ、福岡、札幌を指す。西武もプロ野球球団の本拠地であるが、これには含まれていない。これは西武ドームはかつて『西武球場』であったことの名残であると思われる[要出典]。
[編集] コンサート会場としてのドーム球場
日本で一番最初のドーム球場でのコンサートは東京ドームのこけら落としとして行われたTHE ALFEEのコンサートである。 現在では、日本において、一線級のミュージシャンともなれば、前述のように日本の代表的なドームを巡るドームツアーが行われることがある。 現在では収容人数や会場規模もそれまでの日本武道館を上回る規模のこれらの公演が「ミュージシャンとしての一つの到達点(頂点)」として語られることも少なくない。ソロのミュージシャンとして初めて5大ドームツアーを行ったのは桑田佳祐である。また、2001年6月29日にゆずは「ふたりのビッグエッグ・ショー」というバックバンドを一切置かない弾き語り形式という東京ドーム公演を成功させている。 そのほかにも日本のドーム球場で記録に残るライブとしては以下のようなものが行われている。
- 1988年4月11日、美空ひばりは日本人ソロ歌手かつ演歌歌手として初めて東京ドームコンサートを開催。復帰は不可能と言われた難病からの復活のためチケットは即完売し、「伝説の不死鳥コンサート」と呼ばれ、5万人の観衆を魅了した。このコンサートの後、復活アピールのために横浜アリーナでのこけら落としコンサート、大阪公演をはじめとする全国ツアー敢行も予定されていたが、わずか1年2ヵ月後の1989年6月24日にひばりが帰らぬ人となったことで、これが結果として生涯最期のコンサートとなった。このことも伝説化を早める一因となり、現在では各種映像メディアが発売されている。2007年現在でもドーム球場で公演を行った演歌歌手は美空ひばり以外いない。
- 1993年12月30日、12月31日の東京ドームにおけるX JAPANのライブでは楽曲「ART OF LIFE」一曲のみのライブが行われた。1曲が30分近い長さであることやメンバーの変遷などによりもう二度と演奏されることはないであろうということもあって同バンドの「The Last Live」と双璧をなすライブとしてファンのみならずロックを志す音楽家の間では伝説となっている。
- 2001年1月8日に、THE YELLOW MONKEYは東京ドームにおいて完全に活動を休止する宣言をし、復活を約束するも、3年後の2004年7月7日、復活することなく正式解散。その年の12月26日には休止宣言をしたのと同じ東京ドームにメンバーが再集結。「THE YELLOW MONKEYの葬式」として代表曲「JAM」を演奏した。なお、2001年の東京ドーム公演は結果的なラストライブであると共に、THE YELLOW MONKEY唯一の東京ドーム公演ともなった。
ドーム球場は本来『野球場』を目的に球状をした造りとなっているために収容人数という点を除けばコンサート会場には不向きなことが多く、各ドーム球場によって音響や反射などが異なるために、事前に綿密な準備が必要となる癖のある会場でもある。
[編集] 幻のドーム球場計画
世界初のドーム球場・アストロドームの完成前の1958年6月ごろ、日本テレビ放送網社長・清水与七朗らは、東京都新宿区内の社有地(現新宿六丁目地内。かつての日本テレビゴルフガーデン・新宿住宅総合展示場等立地)に、高さ70mを誇る全天候型の屋根付き球場を建設する構想を明らかにした。全面クレー舗装の屋内型野球場というものだったが、まだ空調設備の技術が未熟だったことなど問題点も数多く、結局実現には至らなかった。
[編集] ドーム球場の特別ルール
ドーム球場で野球を行う場合に、屋根やスピーカーなどの懸垂物(垂れ下がっているもの)に打球が当たるなどの場合に、特別グラウンドルールを設定している。
- フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
- ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
- 実際にこれで本塁打となりそうな当たりがアウトになった不運な選手は多い。
- ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
- 打球が外野の上部懸垂物に当たったり挟まったりした場合
- フェア地域では認定本塁打、ファウル地域ではファウルボール。
- 過去にこの認定本塁打を達成したのはラルフ・ブライアント(元近鉄)一人だけ。
- フェア地域では認定本塁打、ファウル地域ではファウルボール。
- 打球が天井に挟まった場合
- フェア地域の場合はエンタイトルツーベース、ファウル地域の場合はファウルボールとなる。
- フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
- ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
- 打球が外野の上部懸垂物に当たったり挟まったりした場合
- フェア地域では認定本塁打、ファウル地域ではファウルボール。
- 打球が天井に挟まった場合
- フェア地域の場合はエンタイトルツーベース、ファウル地域の場合はファウルボールとなる。
- 内野中央にあるスピーカー
- 当たった場合はボールインプレイ、挟まった場合はエンタイトルツーベースとなる。
- フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
- ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
- 移動式屋根「スーパーリング」の一番外側のリングに入った場合は認定本塁打となる。この認定ホームランを放ったのは中村紀洋(近鉄=当時)一人だけ。西武のアレックス・カブレラの場合は一番外側のリング下部に当たり、打球方向が変化して左翼上段スタンドに入った。
- なお、2002年頃に梨田昌孝監督の提案で、二番目に外側のリングの内側に入っても認定本塁打にルールが変わった。(中村紀洋が、明らかに本塁打になるだろうと思われた打球が二番目に外側のリング内側に入って打球が落ちてきた結果ショートフライに倒れたことがあったため)
- ファウルスタンド側の天井に当たった場合
- 直ちにボールがプレイングフィールド側に戻ってきてもファウルボールとなる。
- 天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
- フェア地域の場合はエンタイトルツーベース、ファウル地域の場合はファウルボールとなる。
- 外野部分の天井に触れた場合
-
- 認定本塁打となる。
-
- 他の部分の天井に打球が触れた場合
- ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
- フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
- ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
- ただし、外野フェア地域の天井に当たった場合は認定本塁打となる(同球場を本拠地にする西武ライオンズの主砲アレックス・カブレラが天井に当たる打球を連発し、本塁打を多く損したことに由来)。
- 天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
- フェア地域の場合はエンタイトルツーベース、ファウル地域の場合はファウルボールとなる。
- フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
- ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
- 天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
- フェア地域の場合はエンタイトルツーベースとなり、打った選手に賞金500万円が支払われる。ファウル地域の場合はファウルボールとなる。
[編集] ドーム球場での試合中止事例
一般にドーム球場では屋外が天候不良でも試合中止になることは殆どないといわれてれるが、ごく稀に台風災害などで球場が被害を受け、試合を行うことが不可能になることがある。また被害はなくとも交通機関や観客の影響を考慮して試合が中止になったこともある。ここではその事例を挙げる。ただし、1998年の西武ドームはまだ完全ドーム化されてなかったためここには含めない。
- 1976年6月15日 アストロズ-パイレーツ(アストロドーム:洪水で審判、球場関係者、ファンが球場入りできなかったため)
- 1983年4月14日 ツインズ-エンゼルス(メトロドーム:積雪による屋根破損のため)
- 1990年8月10日 巨人-中日(東京ドーム:中日の選手が新幹線の不通で移動できなかったため)
- 1996年9月22日 巨人-中日(東京ドーム)
- 1997年7月26日 中日-巨人(ナゴヤドーム)
- 同年9月16日 ダイエー-西武(福岡ドーム)
- 2000年9月12日 中日-広島(ナゴヤドーム:東海地方を襲った集中豪雨により球場が冠水したため)
- 2001年8月21日 近鉄-オリックス(大阪ドーム)
- 同年8月22日 巨人-横浜(東京ドーム)、西武-日本ハム(西武ドーム)
- 2002年10月1日 巨人-ヤクルト(東京ドーム)
- 2004年8月30日 ダイエー-日本ハム(福岡ドーム:ダイエーの選手が飛行機の欠航で移動できなかったため)
- 同年9月7日 近鉄-西武(大阪ドーム)
- 同年9月18、19日 中日-巨人(ナゴヤドーム)(プロ野球再編問題によるストライキのため)
- 同年10月20日 日本シリーズ・西武-中日(西武ドーム:日本シリーズのドーム開催では初の中止となった)
- 2006年9月17日 ソフトバンク-楽天(福岡Yahoo!JAPANドーム)
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