アレックス・カブレラ
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アレックス・カブレラ(Alexander Alberto Cabrera、1971年12月24日 - )は、ベネズエラ出身のプロ野球選手である。初来日以来、パ・リーグの西武ライオンズ所属。背番号は42。右投げ右打ちの内野手(主に一塁手)、指名打者。中日ドラゴンズのタイロン・ウッズとは旧知の仲で、メキシカン・リーグでは同じチームでプレーし、親交が深い。オリックスに所属している、タフィ・ローズとも仲が良いことで知られている。打席で構える際に背中を後方に反る独特の構えが特徴(現在はしないこともある)。
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[編集] 来歴・人物
アメリカメジャーリーグではシカゴ・カブスに所属。その後メキシカン・リーグや台湾プロ野球を経て2000年アリゾナ・ダイヤモンドバックスのマイナーリーグでプレーし、開幕から53試合で26本塁打というマイナー・リーグの記録を打ち立てる。その年のシーズン中盤にはメジャーに昇格していきなり初打席本塁打、第2打席三塁打とデビュー戦から活躍をみせたが怪我に泣き、計31試合に出場し5本塁打を放ち翌シーズンも戦力として期待された。2000年シーズン終了後、アリゾナ・ダイアモンドバックスの監督交代をもって西武ライオンズへトレード。
2001年より西武ライオンズでプレー。64試合で30本塁打に到達というプロ野球タイ記録を作るなど長打力を発揮、シーズン通算で49本塁打を放ち、この年同時に入団したスコット・マクレーンとともに「ツインバズーカ砲」を形成した。圧倒的なペースと超人的な打棒で日本プロ野球界を席巻、豪快なそのプレイスタイルで一躍、時のスタープレイヤーとなる。
2年目となる2002年には更に飛躍を見せ、前年に劣らないペースでホームランを量産。前年は終盤に来て失速を見せていたが、その反省を活かした同年は息切れすることなく最後まで好調を維持、この年王貞治、タフィ・ローズと並ぶ日本タイ記録・シーズン55本塁打という金字塔を打ち立てた。不動の4番打者としてライオンズのリーグ優勝に大きく貢献し、パリーグMVPにも輝く。
更に3年目にも50本塁打を放ち、1年目49本塁打、2年目55本塁打、3年目50本塁打と、来日3年目で150本塁打以上を記録した初めての外国人選手となった。 2004年シーズンはオープン戦で大阪近鉄の山村宏樹から死球を受け右腕を骨折、前半戦の大半を棒に振ったが、驚異的な回復で6月後半に復帰、64試合の出場で25本塁打を放った。さらに同年よりパ・リーグに導入されたプレーオフでも北海道日本ハムファイターズとのファーストステージ第3戦に逆転満塁本塁打を放つなどリーグ優勝に貢献、続く中日ドラゴンズとの日本シリーズでも岡本真也から満塁本塁打を放つなど3本塁打を放ち、ライオンズの12年ぶりの日本一に貢献、優秀選手賞を獲得した。
その快進撃はとどまるところを知らず、以降2005年、2006年と2年連続して3割30本塁打をクリア、2006年には小笠原道大と同点で、自身初となる打点王のタイトルを獲得した。
ここまで通算246本塁打(2006年シーズン終了時点)は、外国人選手としての歴代6位タイ。ここまで年単位での打撃不振が一度もなく、日本球界を代表するホームランバッターの一人として不動の地位を確立している強打者である。
豪快なフルスイングが身上のパワーヒッターで、地面スレスレや目の高さのボール球だろうと振ってくる打ちたがりな性格だが、バットコントロールは極めて巧みで、度々打点狙いの軽打や右打ちも見せるなど6年間で4度の3割をマークしている。守備では主に一塁を守るが、見た目や印象とは裏腹にグラブ捌きが上手く、守ってもチームに貢献している(ただしエラーも多い)。なお1年目には、4試合ライトを守ったことがある。
また、強靭な筋力で打球を上方向に上げる打撃をするため、特大本塁打も多い反面、特大すぎるがために、ドーム球場の天井に打球が直撃し、本塁打を損したエピソードも多数ある(ルール上、天井に当たった打球は、そのままフライとしてプレーが続行される)。
2005年6月3日のセ・パ交流試合対横浜戦(インボイスSEIBUドーム)の2回、三浦大輔から放った打球はレフトの屋根に当たって左中間のグランドに落ちた。これはインボイスSEIBUドームのグラウンドルールにより認定本塁打とされた。なお推定飛距離は190メートルとも言われ、一説には実質的日本最長飛距離の本塁打とも言われている(打球が直撃した屋根の鉄骨部分には記念プレートが取りつけられている)。
2005年7月11日の対千葉ロッテ戦(インボイスSEIBUドーム)の2回に小林宏之から来日200号本塁打を放つ。538試合での200本塁打はラルフ・ブライアント(元近鉄、前オリックス打撃コーチ)の578試合を大きく更新する最速記録となった。
[編集] エピソード
- シーズンオフにはベネズエラで開かれるウィンターリーグに参加し、チームがそこを勝ち抜いてカリビアンシリーズに出場、制覇することに貢献したこともある。また、この参加が自身の技術や体型の維持に繋がっている。しかし、2006年冬は、西武へやってきて初の不参加であり、2007年開幕時には、突き出た腹部で来日した。
- 太い腕でブンブン振り回すためか、意外と手首や腰など故障が多い。しかし回復力も非常に高く、ここまで死球以外では大きな戦線離脱はほとんど無い。2005年シーズンオフには新たに2年契約を締結、今後もライオンズ不動の4番打者として活躍が期待されている。
- 2005年まで日本ハムに在籍していたカルロス・ミラバルとは、台湾プロ野球の中信ホエールズで同僚だったが(元中日・郭源治も一緒だった)、両者の仲の悪さは相当なもので、2003年にはそのミラバルからのデッドボールがきっかけで乱闘騒ぎを起こし、退場処分を食らう事件もあった。ただし、同チームのフェルナンド・セギノールとは仲がいい。
- 2006年8月7日の日本ハム戦で、亀田興毅似のルーキー木下達生から2ランHRを放ち、8月2日のボクシング世界戦:亀田対ランダエタ戦での借りを返したと新聞で報道された(カブレラとランダエタは同じベネズエラ出身であり、なおかつ同郷だったため)。なお、ボクシングの試合の翌日である3日には、報道陣に対して「アンビリーバブルな判定だ!」と声を荒げていたが、「知り合いなのか?」と記者団に聞かれると「実は全然知らない」と苦笑していた。
- 文化放送ライオンズナイターの企画の一つとして、発泡スチロール製の「カブレラ地蔵」が作られたことがある。
その後所沢の石材会社の寄付によって、石造りのカブレラ地蔵がグッドウィルドームの入口横に建てられている(このページ一番上の写真を参照)。 - 実はヒーローインタビューのお立ち台に立つのが苦手で、自分が呼ばれそうになるとどこかへ姿をくらませることが多い。
- サインを求められると、よく「ゴマンエン」(五万円)と冗談を言う。またファンから「頑張って下さい」と言われると、よく「オマエモナ」(お前もな)と返してくる。
- 福岡ソフトバンクホークスに所属する松中信彦と非常に仲が良い。カブレラが、松中オリジナルの通称「松ちゃんTシャツ」を着て練習している場面が度々目撃されている。
- 冗談好きな性格。同じく西武に在籍するジェフリー・リーファーに、「ヘイ、ガイジン」と話しかけ、「お前もだろ」と突っ込まれたことがある。
- 自身の成績が好調な時にはよくチームメートにいたずらを仕掛ける。このため、伊東勤監督はカブレラを「大きな子供」と評している。
- 一人息子のラモン君を溺愛している。彼はスイッチヒッターのショートストップとして現在ベネズエラ屈指の「金の卵」と目されており、その点でも父親・アレックスにとって自慢の息子である。将来ライオンズへ入団させたいといい、その時は自分もコーチとして支えたいという夢を語っている。来日時には既に、西武ライオンズのユニフォーム姿で父親に帯同しチームの練習に参加する日もあるようである。
また、以前「ラモンを日本の高校に入れて甲子園でプレーさせたい」と、チーム関係者に対して大真面目に話していたこともある。 - 豪放な見た目と裏腹に、特技は料理。ベネズエラの郷土料理に腕を振るい、先述のラモン君の来日時の他、かつてはチームメイトを自宅に招待して振舞った経験もある。
- コーヒーをコーラで割ったという独特の飲み物が好物という。
[編集] 略歴
- 球歴・入団経緯 アンドレ・ベロ高 - シカゴ・カブス - メキシコ・タイガース-台湾・和信-アリゾナ・ダイヤモンドバックス- 西武ライオンズ(2001年-)
[編集] 西武ライオンズ時代の戦歴
[編集] 通算成績(2006シーズン終了時)
年度 | チーム | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 失策 |
2001 | 西武 | 139 | 605 | 514 | 96 | 145 | 23 | 0 | 49 | 315 | 124 | 3 | 0 | 3 | 84 | 4 | 150 | 7 | .282 | 7 |
2002 | 西武 | 128 | 559 | 447 | 105 | 150 | 23 | 0 | 55 | 338 | 115 | 4 | 0 | 1 | 100 | 11 | 117 | 2 | .336 | 13 |
2003 | 西武 | 124 | 533 | 457 | 85 | 148 | 24 | 0 | 50 | 322 | 112 | 2 | 0 | 1 | 68 | 7 | 106 | 14 | .324 | 4 |
2004 | 西武 | 64 | 290 | 250 | 47 | 70 | 14 | 1 | 25 | 161 | 62 | 1 | 0 | 3 | 34 | 3 | 71 | 0 | .280 | 3 |
2005 | 西武 | 127 | 528 | 444 | 78 | 133 | 28 | 0 | 36 | 269 | 92 | 1 | 0 | 2 | 71 | 11 | 117 | 11 | .300 | 5 |
2006 | 西武 | 126 | 540 | 466 | 74 | 147 | 21 | 1 | 31 | 263 | 100 | 0 | 0 | 3 | 68 | 3 | 115 | 12 | .315 | 8 |
通算成績 | 708 | 3055 | 2578 | 485 | 793 | 133 | 2 | 246 | 1668 | 605 | 11 | 0 | 13 | 415 | 39 | 676 | 46 | .308 | 40 | |
年度 | 長打率 | 出塁率 | OPS | 得点圏 |
---|---|---|---|---|
2001 | .613 | .385 | .998 | .275 |
2002 | .756 | .467 | 1.223 | .331 |
2003 | .705 | .418 | 1.123 | .342 |
2004 | .644 | .369 | 1.013 | .309 |
2005 | .606 | .407 | 1.013 | .302 |
2006 | .564 | .404 | .968 | .365 |
[編集] タイトル
- 本塁打王
-
- 1回2002年
- 打点王
-
- 1回2006年
- 最高出塁率
-
- 1回2002年
- 最優秀選手(MVP)
-
- 1回2002年
- ベストナイン
-
- 2回 2002年(一塁手部門)、2003年(指名打者部門)
[編集] 記念本塁打
- 100号 2002年9月13日(247試合目:ブライアントに次ぐ史上2位のスピード)
- 150号 2003年9月14日(380試合目:史上最速)
- 200号 2005年7月11日(538試合目:史上最速)
[編集] MLB通算成績
- 31試合 打率.262(80打数21安打)5本塁打 14打点 0盗塁
[編集] 外部リンク
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83 監督 伊東勤 | 71 土井正博 | 75 荒木大輔 | 80 森山良二 | 78 立花義家 | 81 植田幸弘 | 72 清水雅治 | 79 笘篠誠治 | 87 原井和也 | 74 二軍監督 渡辺久信 | 76 田辺徳雄 | 77 石井丈裕 | 86 潮崎哲也 | 89 森博幸 | 88 相馬勝也 | 70 河田雄祐 | 98 大迫幸一 | 99 坂元忍 |