レゴ
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レゴ (LEGO) は、デンマークの玩具会社、若しくはプラスチック製の組み立てブロックの玩具(商標の項で示すが会社側はこの呼称を良しとしない)。1934年に「よく遊べ」を意味するデンマーク語 "leg godt" から社名を LEGO とした。最初は木製玩具を作っていたが、1949年からプラスチック製玩具を作り始めた。
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[編集] レゴの歴史
現在のレゴ社の製品は、洗練されたシステムを持つプラスチック製の上質な組み立てブロックだが、創業当時は家具店であった。レゴ社の歴史は、デンマークのビルンにオーレ・キアク・クリスチャンセンが作った木工所から慎ましやかに始まる。創造的な家族経営のこの会社は、後に世界中で人気の玩具会社へと成長する。
[編集] 始まり
1916年にビルンに開いた木工所で、オーレ・キアクは地域の農家向けに家と家具を作って生活していた。助けは、少数の見習い社員だけだった。1924年、2人の幼い息子が木の削り屑に火を着けた為に木工所が火事で焼け落ちる。クリスチャンセンは災難にもめげず、木工所を大きくする機会だと捉えて更に仕事に励んだ。しかし間も無く世界恐慌が生活に影を落とすようになる。制作費を切り詰める方法を探す内、設計支援として製品の縮小模型を作り始めた。この時作った梯子やアイロン台の模型が、後に玩具を作る切っ掛けとなる。
Ole Kirk は、引き廻して遊ぶ木製玩具や、豚の形の貯金箱や、自動車やトラックの玩具を作り始めた。ささやかな成功を手にしたが、多くの家庭は貧しくて玩具を買う余裕がなかった。地域の農民達の中には食物と引き換えに玩具を買う者も在った。このような情勢の中、収益を得る為には玩具だけでなく実用的な家具も作り続ける必要があった。1930年中頃、ヨーヨーが流行した御蔭で一時的に仕事が活発になったが、流行はあっという間に過ぎ去る。ここでオーレ・キアクは再び不利を利点に変えた。ヨーヨーの未使用部品を玩具のトラックに流用したのだ。この頃息子のゴッドフレッドが一緒に働き始める。
1934年、社名を LEGO とする。「よく遊べ」を意味するデンマーク語 "leg godt" から、クリスチャンセンが作り出した言葉である。 LEGO にはラテン語で「組み立てる」の意味があるとレゴ社は主張するが、この動詞の形態は「読む」とか「集める」と訳すのが普通なので、「組み立てる」と訳すのは幾分都合の良い解釈である。
プラスチックの使用が広がる時代の流れに合わせ、オーレ・キアクはプラスチック製の玩具を作り始める。最初の組み立て式玩具の一つは、部品を組み替えられるトラックだった。1947年、オーレ・キアクとゴッドフレッドは、 Kiddicraft 社が制作したプラスチック製結合ブロックの型見本を入手した。これは自動結合組み立てブロック (Kiddicraft Self-Locking Building Bricks) といって、イギリス人の Harry Fisher Page がデザインし特許を取得したものである[1]。1949年、レゴ社はこれに似たブロックを、自動結合ブロック (Automatic Binding Bricks) と名付けて発売した。このアセチルセルロース製のブロックは、積み上げて遊ぶ伝統的な木製ブロック(積み木)の精神で開発された、相互に結合するプラスチック製ブロックである。ブロックの上部には数個の突起(スタッド又はポッチという)があり、底は長方形の空洞になっている。互いにくっ付くが、外す事が出来ない程きつくはない。1953年、ブロックに新しい名前が与えられた。 LEGO Mursten 即ち LEGO Bricks (レゴブロック)である。
玩具にプラスチックを採用する試みは、当時の小売り業者や消費者には受け入れられず、売れ行き不振で返品の山となった。プラスチック製玩具が木製玩具と置き換わる事はない、という批判もあったが、キアク・クリスチャンセンは気を変える事なくやり通した。1954年までにゴッドフレッドはレゴ社の常務取締役になっていた。ゴッドフレッドは海外の玩具業者と話し合いをした際に、玩具システムの改良案を考え出した。ゴッドフレッドは、創造的な遊びのシステムになる大きな可能性をレゴブロックに見ていたが、ブロックには技術的な面でまだ問題があった。結合力に限界があり、作れる形に限りがあったのだ。今日見られるブロックのデザインが出来上がったのは1958年の事である。改良点はブロックの裏側の空洞に配した円筒だ。これによって、底面の結合力が増し、色々な形を作れるようになった。同年、オーレ・キアク・クリスチャンセンが死去し、ゴッドフレッドが会社を引き継いだ。
[編集] 成長
レゴ社は年々着実に成熟して来た。1959年、社内に Futura と呼ばれる製品開発部門が設立され、少数の社員が配された。1960年、倉庫が火事になり木製玩具の在庫が殆ど失われたが、幸運にもレゴブロックの製造設備は火災に耐えた。レゴ社はこれを期に木製玩具の生産中止を決定する。その年の末までにレゴ社の社員は450人にまで増えていた。
1961年から1962年に掛けて新しい部品としてタイヤが登場し、自動車、トラック、バス等の乗り物をレゴブロックで作れる様になった。この間就学前の幼児向け玩具を売り出したり、カナダでのレゴの製造・販売に付いて Samsonite 社に製造権を貸与する等様々な業務展開を行う。この Samsonite 社との契約は1988年まで続く事となる。この時までに、レゴのシステム・オブ・プレイ(遊びのシステム)には50以上のセットが出来ていた。1962年、総輸入販売代理店が日本でレゴブロックの販売を開始する。
1963年、ブロック素材をアセチルセルロースから、より安定したABS樹脂に代える。ABS樹脂には毒性がない他、アセチルセルロースに比べ変色・変形が少なく、熱、酸、塩、その他の薬品に強いという特性がある。ABS樹脂は2007年現在も採用されており、1963年にABS樹脂で作られたレゴブロックと正常に結合させられる。ブロックは40年の年月を経ても、色、形に劣化は殆ど見られない。
1964年、レゴセットに初めて組み立て説明書が同梱された。
1966年、最も成功したシリーズの一つとなるトレインシステムが発売される。トレインセットには4.5Vモーターとレールが同梱された。2年後には12Vモーターが登場した。
1968年6月7日、レゴランドがビルンで開園した。このテーマパークの目玉は、全てレゴブロックで作られた、町の精巧な縮小模型だ。広さは3エーカー (12,000 m2) で、初年度だけで62万5千人の入場者があった。その後の20年間で面積は8倍以上になり、1年あたりの有料入場者数は百万人近くになった。1968年には1800万個以上のレゴセットが売れた。
1969年、1歳半以上の子供向けの新システム、デュプロの販売が始まった。デュプロブロックは、幼児が飲み込まないようにレゴブロックより大きくなっているが、従来のレゴと互換性があり、レゴブロックと結合させられる。子供が成長してデュプロブロックが合わなくなっても、簡単にレゴブロックに移行出来る。
1960年代の著しい成長の結果、1970年にはレゴ社は大きな問題に直面していた。次々と広げて来た市場をどのように取り扱い、どのように動かせば良いのか、という問題だ。
[編集] 拡大
- 1970年 従業員数は900人を超えた。その後の数十年は玩具作りに於いても、市場に於いても、未開拓分野に大きく進出した。
- 1971年 女の子向けに家具部品とドールハウスを発表。
- 1972年 実際に水に浮かべて遊べるボートと船のセットを出し、レゴ世界の交通分野の可能性を広げた。
この間、 Godtfred Kirk Christiansen の息子 Kjeld Kirk Kristiansen が、スイスとデンマークで経営学の学位を取得後、会社の管理職に就いた( Kjeld の姓が親と違うのは、出生証明書で Ch を K と書き間違えたのをそのまま使い続けた為である)。会社での Kjeld の最初の業績は、製造工場の建設と製造法を最新の状態にし続ける為の研究開発部門の設立だった。
- 1974年 レゴファミリーセットに腕が可動する人形が初登場し、当時最も売れたセットになった。
- 1975年 レゴに慣れた人向けに対象年齢の高いエキスパートシリーズが発表される。
- 1977年 エキスパートシリーズの発展であるエキスパートビルダーセットが登場する。これら技術的なセットは、歯車、差動歯車、レバー、車軸、自在継ぎ手といった動く部品が特徴で、機能するラック&ピニオン式のステアリングや本物そっくりなエンジンの動きを備えた自動車、といった精巧な構造模型が作れる。
- 1978年 レゴの世界に現在の形のミニフィグが追加された。これは LEGO 世界の人間で、手足が可動し、顔には笑顔が印刷されている。以降、ミニフィグに大きさを合わせた建物や道路、乗り物、鉄道、ボート等を揃えて、笑顔の市民が住んでいる精巧な町を作れるようになった。
- 日本法人のレゴジャパンが設立された。
- 1979年 もう一つの重要な展開である、宇宙シリーズが発表された。宇宙飛行士のミニフィグ、ロケット、月面探査車、宇宙船が登場し、人気シリーズとなった。また、低年齢層を対象にしたファンタジーシリーズ FABULAND と、小さな女の子を対象に宝石要素を取り入れた SCALA シリーズが登場した。
- Kjeld Kirk Kristiansen がレゴ社の社長になり、更に10年間レゴ社の強さが維持された。
- 1980年 レゴブロックは有益な教材と成り得る、と判断した教師達は1960年代からレゴブロックを様々な目的で授業に取り入れて来た。その結果、この年に教育的な可能性を広げる為に教育製品部門(1989年に LEGO DACTA に改名)が設立された。
- 梱包・組み立て用の工場がスイスに、タイヤ部品を製造する工場がデンマークのユトランド半島に建設された。
- 1981年 レゴトレインの第2世代が登場。従来通りの4.5V(電池式)と12V(コンセント式)の他に、作業灯や、リモコン式のポイント、信号機、連結解放器等、様々な小物が追加された。
- 1982年 エキスパートビルダーシリーズが発達してテクニックシリーズとなる。
- 8月13日、レゴ社は50周年を迎える。これを記念して、 "50 Years of Play" (遊びの50年)という本を出版した。
- 1983年 デュプロに、更に対象年齢を下げた幼児向けセットが加わる。ガラガラと手足が可動する人形付きのセットである。
- 1984年 レゴ・お城シリーズが登場し、ミニフィグに騎士と馬が加わった。
- 1986年 ライトとブザーが付いた電池パック等、新たな遊びを付け加える Light & Sound が登場。
- 1988年8月 第一回レゴ・ワールドカップ・ビルディング・コンテストがビルンで開催され、17ヶ国から38人の子供が参加した。
- レゴカナダが設立された。
- 1989年 レゴ・南海の勇者シリーズとして海賊が登場した。海賊船・総督軍との戦い・絶海の孤島や財宝を主題にしたシリーズで、ミニフィグの表情が海賊風になっている。標準の笑顔ではないミニフィグが採用されたのはこれが初めてである。
- 1990年 上級者向けの新シリーズとしてモデルチームセットが登場した。レーシングカーやオフロードカーを題材に、それまでのレゴシリーズには無かった微細さと写実性を加えたのが特徴である。テクニックシリーズが機械的精密さを追求したシリーズだとすれば、モデルチームシリーズは見た目・造形の精密さを追求したシリーズであると言える。
- 1991年 電気部品と電気システムの標準化を行う。トレインシリーズのモーターをテクニックシリーズと同様に9Vにして、他のレゴシリーズにも合うようにした。
- 1992年 デュプロに幾つかのシリーズが追加された。螺旋回し、レンチ、ナット、ボルトが特徴の Toolo シリーズと、女の子向けにふんだんにパステルカラーを用いた Paradisa シリーズである。
- 1993年 デュプロトレインと、レゴブロックを床から回収する Brickvac (ブロック掃除機)が登場した。
- 1998年、プログラム可能なブロック RCXを含むMINDSTORMSシリーズが発売された。RCXは光センサー等の入力端子とモータ等を動かす出力端子を持ち、内蔵するマイコンに由る制御が可能で、自立的なロボットを作る事も出来る。RCXのプログラムはパソコンを使用し赤外線を使って転送する。
- 2000年 テクニックシリーズから男児向けシリーズ「BIONICLE」(バイオニクル)第1弾が発売。「スライザー」「ロボライダー」の派生形であり、頭部パーツにマスクを採用して、様々なモデルを作成可能となった。また、BIONICLEシリーズは、DVDや漫画、小学生向けの文庫本となっている。
- 2004年 デュプロシリーズより低年齢層向けのクワトロシリーズが追加された。このブロックは乳幼児向けの為素材も通常製品より柔らかく、デュプロシリーズより一回り大きくなっている。従来製品よりも外れ易い反面怪我をし難いように改良されている。またデュプロシリーズとは互換性があり混在可能となっている。
一般的なブロックの色は、赤、黄、青、黒、白、灰色である。1990年代後半には他の色も追加された。レゴ社は長年、緑色のブロックを作らなかった。近代的な軍用機を作るのに使用されて、レゴブロックを戦争玩具にされてしまうのを恐れたからだ。だが、この恐れは減ってきたように見える。
試作段階のミニフィグは肌の色や表情が多様だったが、採用されたのは黄色い肌と標準的な笑顔のみであった。1989年の南海の勇者シリーズでは表情が増え、スター・ウォーズやハリー・ポッター等の版権商品では特定の登場人物を現すミニフィグが登場した。2003年のレゴ・バスケットボールの登場と共に、肌の色が増え、本物の色に近くなった[2]。
[編集] レゴの製造
レゴブロックのデザインはどれも単純明快で、使い方の説明を要する部品は少ない。 子供向け玩具なので、説明書を読まなくてもそのブロックの機能が分かるようアフォーダンスデザインが取り入れられている。
レゴブロックには時代やシリーズを超越して共通する互換性という大きな特徴があり、 例えば10歳の子供が1歳の頃に遊んだデュプロをテクニックシリーズに混ぜて遊ぶという事が出来る。 このように利用者の年齢に柔軟に付いて行ける為、レゴブロックは他の積み木や模型玩具の様に、利用者が成長すると今まで玩具だった物がゴミに変わる、という無駄が起きない。経済的にも環境にも優しい玩具と言える。
レゴブロックは世界各地で製造されている。2003年現在、成形はデンマークとスイスの2つの工場のうちのひとつで行われている。ブロックの装飾と梱包をする工場は、デンマーク、スイス、アメリカ合衆国、大韓民国、チェコにある。レゴブロックの平均生産量は、一年間におよそ200億個、一時間におよそ230万個である。
ブロック、車軸、ミニフィグ等レゴシステムの全部品は、製造時に厳しい許容誤差を定められている。部品同士を結合した時には、適切な結合力によって、外そうとするまで離れないという状態にならなければいけない。簡単に外れるようでは、ブロック同士がすぐバラバラになってしまう。逆に、中々外れないようでは、他の物を作ろうとしても組み替えられなくなってしまう。丁度良い結合力を持たせる為、製造誤差の許容範囲が0.002mm以内、或いは0.00008インチ以内とされている。
高い品質を維持する為の技術として、金型の容量の小ささが挙げられる。玩具会社によっては、製造費を抑える為に同時に60個の部品を扱える金型を使う事がある。レゴの金型は一般的に容量がもっと小さく、精密に機械加工されていて、数万ドルの費用が掛かる例も多い。この射出成形金型にはセンサーが付いていて、質を下げる原因となる圧力と温度の変動を検出出来る。金型で成形された製品は人間が慎重に検査し、色や形に目立ったばらつきがないように確認する。使い古した金型は、他社の手に渡らないように建物の基礎に入れられる。成形処理は非常に精密なので、標準規格に適合しない数は、100万個中たった18個である。このような製造への気遣いのお陰で、レゴ社は何十年にも渡って高い品質を維持して来た。この品質の拘りの為、30年前に製造された部品と現在の部品はしっかり結合させる事が出来る。
[編集] レゴの現在
プラスチックのブロックが作り出されてから数千ものセット商品が販売されて来た。その題材対象は多岐に亘り、宇宙、ロボット、海賊、中世の城、恐竜、街、郊外、祝日、西部開拓時代、北極調査隊、船艇、レーシングカー、鉄道、スター・ウォーズ、ハリー・ポッター、バットマン等様々である。
他にもモーター、歯車、ライト、音が出る装置、カメラ等の部品があり、他のレゴ部品と一緒に使う事が出来る。前述のようにMINDSTORMSではブロックでさえも、パソコンでプログラミングを行えば、非常に複雑な動作をさせる事が出来る様になった。
1990年代後半、対象を絞った複数のシリーズが発表された。 BIONICLE は、テクニックシリーズの部品と特殊部品を使ってアクションフィギュアを作る男の子向けのシリーズ。 Belville は、旧来のレゴ部品の範囲で、テクニックシリーズの様な大きな可動人形が特徴の女の子向けのシリーズ。 LEGO 4 Juniors は、関節が曲がる腕と長めの足が付いた中型の人形が特徴のシリーズ。2003年に発表された Clikits は完全に新しいシステムで、様々に付け替え出来るプラスチックの宝石と装身具で構成された、女の子向けのシリーズである。
レゴブロックの使用目的は「おもちゃ」の域に留まらない。レゴを使って彫像を作ったり、モザイクで巨大な絵を作ったり、複雑な機械を作ったりするような、熱狂的な愛好者が多く存在する。彫像の中には、数十万個の部品を使った、重さ数十kgの作品もある。完全に機能する南京錠や振り子時計、更にハープシコードまでもがレゴで作られている。ルービックキューブを解くという人間でも難しい業を、レゴのモーターとカメラを使って行う作品もある。
レゴは色々な予想外の使い方をされている。例えば、牧師 Brendan Powell Smith はレゴの聖書を作った。 The Brick Testament には、そのレゴ聖書の写真が2000枚以上掲載されている。大学教授 David Gauntlett による theory.org.uk には、社会理論家のレゴ版がある。 LDraw というソフトウェアを使えば、レゴの3DCGを作れる。ブロックの高い精度を買われ、物体の正確な寸法と相対位置を認識させるコンピュータビジョンの研究でも、テストデータの作成に使われている。
最近の商品は、多色を使ったセットや幾つかの部品で出来たように見える一つの部品等、20年ほど前の単純なセットとは違ってかなり色鮮やかで、多機能な部品が増え、作れる作品はより多くなった。しかし昔のセットの様に単純で細かく組み上げる特性が好きだという愛好者も少なくない。日本のレゴブロック愛好者には、専用化しより写実性のある部品が増えて細かな表現が可能になった事による満足感を持つ一方で、過去の製品にあった現実的過ぎず単純なレゴブロックらしさが薄れ消えていく恐れへの懸念、という相反する思いを共立している人も居る。
[編集] 経済困難
2003年、レゴ社は14億デンマーク・クローネ(当時の為替レートで約2億2千万USドル)の財政赤字に直面した。 Poul Plougmann 社長は解雇され、 Kjeld Kirk Kristiansen が引き継いだ。翌年には予算削減の為千人近くの従業員が解雇された。
2004年10月、更に大きな赤字に直面し、 Kristiansen は再び社長を辞任すると同時に、個人資産から80万デンマーク・クローネを会社に投入した。
会社を軌道に戻す為の将来の計画には、レゴランドを他の Kristansen 一族の会社へ売却する事と、従業員の削減が含まれる。多くの玩具会社が実行しているように、レゴブロックの製造拠点を中華人民共和国に移転する案が議題になっているが、5年以内に実現する事はなさそうである。
[編集] 芸術表現
映画の名場面をレゴで再現する、という遊び方がある。景色にはレゴブロックを、登場人物にはレゴプレイセットを使う。レゴムービー、ブロックフィルム、シネマレゴと呼ばれる。例えば、モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイルの DVD には、レゴのミニフィグで『キャメロット』のミュージカル場面を再現した作品が収録されている。
芸術家もレゴセットを使う。例えばポーランドの芸術家 Zbigniew Libera によるレゴ強制収容所 (LEGO Concentration Camp) という作品は、強制収容所を題材にした独自のレゴセットである。[3]
アメリカのロックバンド White Stripes の歌 "Fell in Love With a Girl" のミュージック・ビデオにもレゴが使われている。監督 Michel Gondry は、先ず実演をビデオに撮影し、それをデジタル化した動画を、全てレゴブロックで再現してコマ撮りアニメにした。この作品は2002年にMTVのビデオミュージック賞を受賞した。
レゴスタジオというレゴ社の製品がある。これには、レゴウェブカム( Logitech の USB Quickcam のOEM)や、コンピューターに録画するソフトウェア、カメラに写らない場所からミニフィグを操作する為の透明なプラスチックの棒、スティーヴン・スピルバーグに似たミニフィグが付属している。
[編集] 商標
レゴという名前は、レゴ社の玩具を指す言葉としても使われるようになっている。多くの人がレゴブロック自体の事をレゴと呼び、更には類似のプラスチック製ブロックの事までレゴと呼ぶ事もある。レゴ社としては、何でもかんでもレゴという商標で呼ぶ事に反対している。1970年代と1980年代のレゴのカタログには、レゴはブランド名であり特別な言葉にし続けたい事、レゴ社のブロックの事はレゴブロックと呼んで欲しいという希望が書かれている。
LEGO は全て大文字で書くのが正式である。
レゴの特許が切れた1988年以来、Tyco 、メガブロック、COKO 等多くの会社がレゴブロックに似た結合ブロックを販売している。これら他社製品の多くは、レゴブロックと互換性があり、レゴセットより安い。本物のレゴ製品と混同する可能性がある為、レゴ社の悩みの種となっている。
問題としているブロックの一つに、中国の天津COKO玩具有限公司が製造しているCOKOがある。2002年、スイスにあるレゴの子会社インターレゴAGが著作権侵害を理由に同社を提訴した。多数のCOKOブロックが権利を侵害している事実が第一審で分かり、著作権を侵害しているブロックの製造中止と、北京日報紙上での公開謝罪、賠償金の支払いを命じる判決が出た。[4]
製品の混同を販売目的で意図的に用いたとして、COKO 製品を販売する Biltema 社を相手に起こしたノルウェーでの訴訟で2003年にレゴ社は勝訴した。[5]
2003年、レゴに似た "Enlighten" という製品の大きな積み荷がフィンランドの税関で押収された。 Enlighten の外箱は、レゴブロックの外箱と類似していた。中国の製造業社が法廷に姿を現さなかった為、レゴ社は積み荷の破棄を命じる欠席判決を勝ち取った。レゴ社はブランド名の混同を防止し消費者を潜在的な粗悪品から守りたいとして、54000セットの廃棄処分の費用を請け負った。[6]
レゴ社はメガブロックの生産中止を期待して、レゴブロックの凸部のある外観を "LEGO Indicia" として商標登録しようと試みた事がある。カナダの連邦裁判所は2002年5月24日、レゴブロックのデザインは機能的な要素なので商標保護の対象に成らない、として退けた[7]。レゴ社は控訴したが、連邦裁判所は2003年7月14日、これを退けた。
[編集] レゴランド
レゴランドはレゴのテーマパークで、デンマークやイギリス等世界の数箇所にある。有名なランドマークを再現した巨大モデル等が展示されている。詳しくはレゴランドを参照。
[編集] レゴスタジアム
栃木県那須郡那須町にある遊園地「那須ハイランドパーク」内にあるレゴのテーマ館。東京タワーや横浜中華街など日本の有名な建築物を総数約150万個のレゴブロックで再現している。レゴモデルビルダーの仕事場を忠実に再現した「レゴビルダー工房」や、限定商品や新製品を扱うショッピングエリア、自由に遊べるプレイエリア「ふあふあ&プレイエリア」なども常設されている。
[編集] 他の側面
1992年、ギネスブックにレゴ製品で作った物が2件登録された。 一つは、4.45m ×5.22m の世界最大の城で、スウェーデンのテレビ局が40万個のレゴブロックで作ったもの。 もう一つは、545m の長さの線路と機関車3両である。
2004年、 Working Mothers magazine 誌上の、働く女性の為の会社上位100にレゴ社が選ばれた。
[編集] 類似玩具
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- レゴ公式サイト
- Peeron – レゴセットとレゴ部品のデータベース
- LUGNET – ユーザーコミュニティ
- Brickshelf – レゴ画像投稿サイト。全種類ではないが組み立て説明書の閲覧も出来る。
- レゴマインドストーム公式サイト(英語)
- 株式会社 ラーニングシステム - LEGO Educational division(旧 レゴ ダクタ) 正規代理店
- FIRST LEGO League オフィシャル・サイト(日本語)
- BIONICLE 公式サイト(日本語)
- レゴスタジアム(那須ハイランドパーク)
- TVチャンピオン レゴブロック王選手権
[編集] レゴファンの創作物
- Eric Harshbarger's LEGO Website – モザイクと彫像
- Bill Ward – 彫像
- Serious LEGO – 機械(ルービックキューブを解く機械など)
- minifig.co.uk – 城
- The Brick Testament – 聖書
- The Brick Apple – ニューヨーク市の建築物
- Abston Church of Christ – 教会
- ASL's LEGO Page – 芸術作品(エッシャーの騙し絵やロダンの『考える人』など)
- the Kingdom of Ikros – 自作小説の挿絵をレゴで作成。
- Brickfilms – コマ撮りアニメ
- A LEGO Counting problem – 2×4ポッチのブロックを6個使うと、その組み合わせは約1億通りになるとレゴ社は言うが、本当は約9億通りだと主張するサイト。
[編集] 参考文献
- Henry Wiencek, The World of LEGO® Toys. Harry N. Abrams, Inc., Publishers, New York. ISBN 0-8109-2362-9.
- (訳書)ヘンリー・ヴィンセック 『レゴの本』 成川善継訳、ブッキング、2004年、ISBN 4835441346