山中秀樹
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山中 秀樹(やまなか ひでき、1958年12月19日 - )は元フジテレビアナウンサー、現在はフリーアナウンサー。タイタン所属。
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[編集] 来歴・人物
広島県広島市出身。血液型はO型。修道高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。修道高校の先輩に衆議院議員の亀井静香や福井謙二、遊川和彦、神足裕司(一学年上)がおり、後輩に吉川晃司がいる。
大学時代のアルバイトでタモリがパーソナリティーをつとめるニッポン放送『タモリのオールナイトニッポン』のADをしていた。
その後1981年フジテレビに入社。昭和後期から平成期(1980年代~2000年代前半)にかけ同局で活躍。若手時代はスポーツ実況も担当したが中堅時代以降は専ら報道畑を歩み、スーパータイムの土日のキャスター、バラエティ番組の『笑っていいとも増刊号』のナレーションも吉沢孝明とともに長期間務め、フジテレビを代表するアナウンサーの1人として報道からバラエティまで幅広く担当し、また後輩の新人アナウンサーの教育には厳しい熱血指導で内外にも有名になる程に力を注いだ。
後年、管理職であるアナウンス室専任部長を務めるようになってからも、生涯一アナウンサーを目指していたというが、2006年6月29日付で「アナウンス室専任部長」から「ライツ開発局ライツ開発担当部長」へ異動し、長年在籍したアナウンス室を離れたが『湘南 OLD BOY 山中』や『天才のパチンコ』など、アナウンサー時代からの出演番組があるために掛け持ちしている状態だった。しかし、アナウンスの一線から退いたことで希望していた仕事ができなくなり、自身のアナウンスへの思いはさらに強まり、2006年10月20日にフリーとなることを発表。のち2006年12月末にフジテレビを退社、2007年1月から20年来の知人であり『ポンキッキーズ』『空飛ぶ!爆チュー問題』でも共演している爆笑問題が所属するタイタンへ移籍した。
フジテレビアナウンサー時代、フジテレビのバラエティー・クイズ番組に自ら後輩のアナウンサーと共に出演する際に、放送中であるにもかかわらず、直接本人に対して名前を呼び掛ける際に「○○アナ、○○君、○○さん」等の敬称を付けずに呼び捨てることが多く(この点は山中以外の他のフジテレビアナウンサーにおいても同様の傾向が見られるが)言葉遣いの面で視聴者から指摘される声もあった。(ただし、部外者やお客様(視聴者)に対しての会話においては、社内の年上や上司であっても呼び捨てにするというのが一般的なビジネスマナーであるが、直接本人に対して名前を呼び掛ける場合においては、在籍年数や年齢に関係なく社員は皆平等であり、言葉使いの面でも「○○アナ、○○君、○○さん」等の敬称を付けることがマナーであるという考え方がある一方で、年下に対しては呼び捨てでも構わないという考え方もある。)
フジテレビ・フジテレビ721・フジテレビ739で放送されている『男おばさん』(軽部真一アナ・笠井信輔アナ)の名づけ親でもある。
2007年1月1日、フジテレビの「第40回初詣!爆笑ヒットパレード」にて、ヘリコプター中継のカメラに映るコレオグラフィの指導者役としてフリーデビュー。同年1月10日には日本テレビ「ラジかるッ」で他局初出演を果たした。
[編集] 現在の出演番組
- 空飛ぶ!爆チュー問題(フジテレビ721 2006年5月からネズミの「山チュー秀樹」アナに扮して出演)
- 湘南 OLD BOY 山中(フジテレビ739 2006年6月から(再放送あり))
- 天才のパチンコ(フジテレビ721) - 司会・実況
- ラジかるッ(日本テレビ、2007年1月10日にゲストコメンテーターとして、1月31日よりレギュラー出演) - 水曜日コメンテーター
- 激突グルメ芸人料理王決定戦2007ウマイド美食祭り!(TBSテレビ、司会・実況を担当した)
- サンデージャポン(TBSテレビ、2007年2月4日から準レギュラー) (サンジャポ最年長ジャーナリストとして出演)
- こちら山中デスクです(TBSラジオ、2007年4月2日 - )
[編集] 過去の出演番組
[編集] フリー転向時
- THEわれめDEポン(フジテレビ、2007年1月1日)- 司会・実況
- 平成教育委員会2007入試直前スペシャル(フジテレビ、2007年1月4日) - 解答者
- めちゃ×2イケてるッ!
- やっぱり、わたしは、新幹線!(広島テレビ、2007年1月26日)-広島出身者としてゲスト出演
- 「水トク!」芸人料理王決定戦2007ウマイド~美食祭り!(TBSテレビ、2007年1月31日)-実況
- 「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系、2007年2月20日放送分)-フジ時代の後輩アナである有賀さつきと共演
- ラジオワールド「初めまして山中秀樹です。」(TBSラジオ、2007年2月4日 19:00~20:00)
- いい旅夢気分SP(テレビ東京系・BSジャパン、2007年3月14日放送分)-大学後輩かつ同事務所の橋下徹と共演
[編集] フジテレビ在籍時
- (FNN) DATE LINE(週末版) - 1988.4~1990.3
- FNN NEWSCOM(週末版) - 1990.4~1991.3
- FNNスピーク - 1992.4~1997.3
- FNNスーパータイム(週末版) - 1986.10~1987.9、1992.4~1997.3
- FNNモーニングコール - 1987.10~1988.3
- 森田一義アワー笑っていいとも!(テレフォンアナウンサーとして出演) - 1995.10~2001.09
- ポンキッキーズ(1999年4月から「爆チュー問題」コーナーにて前出「山チュー秀樹」アナに扮して出演)
- クイズ!ヘキサゴンII - 問題出題
- 世にも奇妙な物語 『夢を買う男』(1991,フジテレビ)
- SMAP×SMAP
- V6の素(「ブイロクヒーロー列伝」の司会)
- マッハブイロク
- こたえてちょーだい!(川合俊一が腰部捻挫の入院の為、代行の司会を務めた)
- トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~(番組中の訂正文・謝罪文などの読み上げ)
[編集] エピソード
- 幼い頃から大の広島東洋カープファンであり、就職活動でも読売巨人軍のグループであるという理由だけで日本テレビや読売テレビの受験をしなかったほどの徹底した“アンチ巨人”であった。
- 大学時代はラジオとテレビの両方での仕事を希望していたため、当時在京キー局で唯一のラテ兼営局だったTBSが第一志望であった。またTBSの他には文化放送とフジテレビしか受験しておらず、3社受験で文化放送とフジテレビからだけ内定をもらったのだが、この当時のフジテレビは鹿内春雄による機構改革前のいわゆる“暗黒時代”であり、視聴率もTBS、日本テレビに遥か及ばぬ万年3、4位と低迷していたためフジテレビへの入社は最初は消極的であったという(当時フジテレビ一本に絞って受験していた者は田丸美寿々や辛坊治郎などのようにマスコミにあまり関心がなく、好奇心だけで受験したような者がほとんどであり、当初からマスコミ第一志望の者は複数の局を受験してよそがダメだったので仕方なくフジに入社した、という者がほとんどであった。フジテレビが人気企業トップクラスとなった現在から見ると信じられない話ではあるが)。また文化放送は「テレビで仕事ができない」という理由で内定を辞退している。
- 2005年7月23日・7月24日に放映された「FNS ALLSTARS」では、自ら企画した常識クイズに部下のアナウンサー達を挑戦させたが、ドッキリに引っかかり人事異動の危機に陥る羽目に。人事異動免除をかけたフルマラソンにその年の新人アナの田淵裕章(阪神タイガース、西武ライオンズで活躍した田淵幸一の長男)の伴走付きで挑戦し見事完走し、夫人の美智代さんの登場に驚きながらも、アナウンス室専任部長として、毎年恒例の番組のエンディングで行われている、フジテレビ新人アナウンサー披露と新人アナウンサーの番組提供読みの立会人を務めた。
- 上記の通り、バラエティ番組ではフジテレビのアナウンサーを代表して番組に登場していたが、2006年6月にアナウンス室から異動した事で、2006年10月に放送された「ネプリーグ」の2時間SPでは「元アナウンサー」ではなく「よく喋る素人」として扱われた。
- 2004年10月に起こった新潟県中越地震のニュースキャスターを務めた際、富山テレビ(BBT)では放送事故を懸念し通常のネット回線とは別の回線で同時ネットを行っていたことから、CM中にスタッフと打ち合わせをしていた模様を(富山エリアのみで)放送されてしまったことがある。
- フジテレビを定年前に退職し、フリーに転身した男性アナウンサーは1988年春に退社の逸見政孝以来18年振りの事だった(それ以前は女性アナのフリー転身が多かった)。また逸見が亡くなった際、「FNNスーパータイム」で彼の訃報を真っ先に伝えたのも山中であった。
[編集] 同期入社
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- タイタンホームページ スケジュール掲載
- フジテレビ
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