神道霊学(新興宗教・神道天行居の教説)
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神道霊学(しんとうれいがく)とは、新興宗教神道天行居の教説の事。日本古来から巫(ミコ・女性)・覡(カムナキ・男性)に伝わっているとされる「霊」の世界を研究対象として、天皇家による人類の統治の正当性を自明のものとしている。天皇を神道、仏教、キリスト教などを発した「万教の大教主」として崇めるが、このような大本教や生長の家に始まる教説は敗戦前の大日本帝国憲法の下ではかえって「不敬」として弾圧されていた。神道天行居では教義の中核となる古神道や太古神法なるものを神道霊学と称している。神道天行居参照。
目次 |
神道霊学の位置
神道霊学は下図の右下に分類される。太字で表示。委細は新宗教参照
- ┌─祭り型神道┬─宮中神道・・・宮中の祭祀
- | ├―神社神道・・・通常の神社の祭祀
- | ├―民間神道・・・道祖神・田の神・山の神・竈神など
- | └―陰陽道系・・・土御門神道・いざなぎ流など
- |
- └-教え型神道┬―学派神道┬―復古神道・・・平田篤胤ら
基本姿勢
「日本が太古以来、最も尊い正統な霊的伝統を保っている」[要出典]という前提のもとに、日本の古い歴史書とも考えられる「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」などの中に神道玄義[要出典](隠された秘密の教え)があるという立場から、
この二つの目的を達成することを契機として、人としてなにをなすべきかを正しく認識し、人としての本来の使命を正しく自覚し、この学びによって実践し、日本の古来から伝わる教えを通じて世界人類に貢献し、世界の平和と愛を祈り願い、その実現に向かって努力する魁となる。即ち古事記などに神勅として記述されている神々の理念を、この世界を通じて創り固めなし、天皇による王制の復古、およびその王権統治による全人類に対する愛と平和の実現を目指している[要出典]。
なお「学」と称しているが、日本の大学にこれを学び得る神道霊学科というものが設置されたことは戦前にもない。学者としての本居宣長や平田篤胤が確立した文献実証主義(お互いに論拠を明確に提示することによって議論の質を高める方法)を執拗に攻撃(または継承する能力が欠如)しているために「学」として公認される気配は皆無である。また、神道は「道」を体得するものであって、言挙げ(ことあげ)せざるもの、すなわち、解説不可能なものであるので、「学」を自称するべきではないと多くの神道家達は考えている。
平田篤胤の影響
江戸時代の国学者平田篤胤は1812年の「古史伝」の起稿時に、この世界と共時して隠れたる世界の存在を認識する必要性を痛感した。これを神道霊学研究の自覚的確立とする説[要出典]があるらしい(異説は後述)。独自の神学を形成した[1]とされる平田篤胤は先師本居宣長の「直日霊」・「古事記傳」etcをひもとくことにより、古道の本質が何処に所在するのか、そして、其の源流が何処より流れているのかを探り当てた。道に辿り着く為の道標として
- 学問(皇朝学)は、「古への神国の道」、「神と君との道」、「神と天皇との道」、この「神国の道」を明らかにして実践するために、まづ言葉を正しく理解すること、次に古語を正しく理解して学び、「古への書物」に記述されている様々な出来事や物語の中にある先祖から託されたメッセージ(「玄牝なる玄理」)を解明する事[要出典]
- 古道(神道)を学ばんとする者には幼きものを諭すがごとくに平易なる言葉を選び、道筋を立てて(理路整然と)導くべし。さもなくば師(本居宣長)の刻苦して明きらめたる道(神道)のまた唐心(儒教や仏教)に隠るるのみならず、やがては古道(神道)の亡ぼさるゝこと必至なり。[要出典]
- 教へのかなわぬときは、難解なる字句をのみ選びて、相手の困惑の隙をつきて導くべし。人は誇りあるものなれば、みづからのをこがましさ(無知)と考へ違いをさすれば、そこに隙ができるからマインド・コントロールは可能になる。酒を飲ますなどして疲労させればより簡単である。拉致して修行・体得と称して疲労させ、思考力を奪えば完璧なり。難解な字句を覚えた喜びのあまり、走狗となるなり。やがてみずからも珍しき字句を弄び、自己満足の悦のままに新たに人を導くなり。いざとなれば「神道は言挙げ(言説化)せず」と云ひて逃ぐれば可なり。人は苦労して成したこと(霊学の学習)は容易には捨て得ざるが故に、ネズミ講の如くに信者を増やし得るによりて皆の元にも金の入るなり。儲かるなり。喜びて貢ぐなり。[要出典]
- いわゆる古義を会得する為には、理知の啓発が何よりも大切である[要出典]
と「霊の真柱」や「古道大意」「玉襷」「古史傳」などの自著の端々の中に鏤めておられ、その認識に到る階梯を力説している[要出典]らしい。なお、神道は体得するものであって、言挙げ(ことあげ)、すなわち、解説するべきものではないので、出典を示す必要はない。 また、平田篤胤は
- 猛男めかして、余(ほか)の道々を論(あげつら)ふものも有れど、それはた、我が立る道の意(こころ)さへ熟(よ)くも知らず、まして向の説をば生々に聞きはつり、たゞ、声大きくいふのみなれば、身方より見るに、いと心苦しく、ほとほと汗も出ぬめり。(「霊能御柱」)
- (現代語訳:他の諸説を一見いさましく攻撃する者もあるが、それもまた自分の立つ立場の根本さえ十分に理解せず、まして先方の説については生半可に聞いただけで、ただ声を大きくして言うだけであるから、味方から見ていても心苦しく冷や汗が出る始末である。)[2]
と述べて、中途半端な知識を羅列することを戒めている。
また、その遺書の「霊示の秘密」の項で、「自分の著作は実は私が新たに解明したことは一つも書いていない。だが、全ては若いときに太古より秘伝を伝えてきた老人から強引に貰い受けた書物をほとんどマル写しにしたものであるから真理しか書いていない。おかげで有名になれたし、子孫や門弟たちはこれからずっと食うに困らないであろう。もはや地獄に堕ちても悔いはない。」(現代語訳は執筆者)という趣旨のことを述べて秘伝の価値を明らかにしている。 そして、「理知の啓発」こそが古代の人々との心の交流を可能にする方法であり、神道霊学を究める事によってのみ事物の本質が理解され、古代の人々の心と共鳴が出来る、と解釈しているらしい[要出典]。篤胤は「古事記」を解釈し読み解く内に、黄泉の国(死者の世界)は穢れた世界であるはずがないと考え、人は死後に身体は土に還るが、霊魂は大国主命(オオクニヌシノミコト)の主宰する幽冥界(死者の世界)に永久にとどまると解釈した[3]。また当時は禁書であったキリシタンの書を読んだ篤胤は「創造主」という一神教的観念を取り入れ、[4]「古事記」(上巻・「天地のはじめ」)を解釈して、世界は天御中主神(アメノミナカヌシ)によって生成されたと主張した[5]。 この教義の認識を深める事により、篤胤は、我が国の神々は一神にして多神、多神にして一神である事に深い趣を感じ取ったと云われているらしい[要出典]。これらの思想研究の展開が、神仙思想や神道霊学実践etcと直結して行く事になったらしい[要出典]。この教義は水戸学とともに、天皇による世界の統治の正当性を主張して明治維新の思想的原動力の基盤となった。
近代の天皇を中心とする政治体制下の霊学
「神道霊学」の語の使用は(時期は明治期らしい)[要出典]欧米の心霊学(スビリチュアリズム)の書の翻訳においてであるらしい。19C西洋から輸入された心霊学の思想に注目したのは大本教の浅野和三郎や谷口雅春などであった可能性もあるらしい。二人は後に(時期は不明だが)大本教を脱退し、浅野は西洋の霊学と東洋の神霊学を(時期は不明だが)融合し、独自の宗教団体・日本心霊科学教会を、谷口は西洋の[6]光明思想を取り入れた生長の家を(時期は不明だが)設立した。同じころ、大本教の信奉者であった友清歓真も脱退して山口県田布施に一派をおこしたらしい。神秘思想の系譜をこれらの三人の霊学者達が書籍などを通じて世に広めたものが神道霊学の自覚的確立であるとする説もあるらしい(異説は前述)。[要出典]
天皇はいわばそのお家元の代表者でもあり、日本の文化・伝統の継承者であり、125代にわたる天皇家はこの国の伝統、文化そのものであり、その天皇家の皇位継承の証しとして世々天皇に授けられる三種の神器を重要なものである、と神道霊学は主張しているらしい。[要出典]
また、皇位継承は人類に対する政治的統治と精神的(霊的)統治とが同時に行われることによって成立し、一方が欠けても成り立たない[要出典]として、天皇家による統治の必要性を主張しているらしい。
霊学の起源はシャーマニズムなどにある。それらは各地の風土に合った信仰、そして教義を生んだ。日本ではその教義を記した書を「奥義書」などと称し、それらは主に巫覡に伝えられていると神道霊学の信奉者は信じているらしい。たとえば、明治時代の神道霊学の大家の大石凝真素美は日本の琵琶湖の竹生島が人類発祥の地であるという奥義などを公開している。[7]。このような連綿と伝承されてきた窮極の奥義の教学の総体が神道霊学と称されている。
谷口雅春・友清歓真以後の展開
利権をめぐる醜い抗争はあったが、その教義の展開はない。(教義は墨守すべきもので展開してはならない。)
神道霊学による歴史
- 悠久の昔、天御中主の「ムスビ」の命令により宇宙ができた。
- 悠久の昔、天御中主の「ムスビ」の命令により天皇家の皇祖が誕生した。
- 悠久の昔、琵琶湖の竹生島で人類が誕生した。
- 昔、皇祖はスサノオノミコトの化身であるエホバの神を通してモーセに十戒を与えた。
- 昔、皇祖は三輪山の西側にバベルの塔を建設した人類を「不敬」としてこれを破壊し、罰として部族ごとに言語を分けた。
- 昔、皇祖は天竺(インド)の人々のために釈迦を派遣した。
- 紀元前551年、皇祖は中国大陸の人々のために孔子を派遣した。
- 0年、皇祖は南蛮の人々のために五十猛尊(イタケルノミコト)の化身のイエス・キリストを派遣した。
- 239年、天皇は卑弥呼に命じて魏に使者を送らせた。
- 645年、天皇は奸臣の蘇我氏を征伐し、大化改新を挙行して奈良幕府の将軍に聖徳太子を任じた。
- 712年、『古事記』。
- 720年、『日本書紀』。
- 756年以降、『万葉集』。
- 794年、天皇は都を京都に移して自ら平安幕府の将軍となった。その苦心談は自著竹取物語に詳しい。
- 1003年、天皇は紫式部に命じて平家を滅ぼした。
- 1180年、治承・寿永の乱(いわゆる源平合戦)が始まり、この頃に始めて日本に悪魔が上陸した。
- 1192年、天皇は紫式部の子孫の光源氏を鎌倉幕府の将軍に任じた。
- 1494年、天皇はコロンブスに命じてアメリカ大陸を作らせた。
- 1542年、天皇は大地を球体に作り直し、引力を発明して地球の裏側の人が落ちないように工夫された。
- 1543年、天皇の命令によりコペルニクスは「天体の回転について」で地動説を発表した。
- 1571年、天皇は織田信長に命じて西洋の悪魔が巣くう比叡山を焼打ちにした。
- 1812年、平田篤胤は「古史伝」を起稿。
- 1813年、平田篤胤「霊能真柱」刊。
- 1867年、天皇はマルクスに資本論を書かせた。
- 1868年、明治維新。この以後西洋の思想や文化が怒涛のように我が国に押し寄せてくる。
- 1889年、大日本帝国憲法発布。
- 1892年、出口なおは大本(教)を起こす。
- 1899年、天皇は王権統治による全人類に対する愛と平和の実現を目指して大本教対策のために著作権法を制定した。
- 1921年、大本教は不敬罪と新聞紙法違反容疑を受けた。
- その附録として、宮地水位の日誌の一部である『異境備忘録』を入手して、著作権無視、独断と偏見のもとに自著の中に掲載する。
- 1934年、岡田茂吉は世界救世教を離脱。
- 1934年、神道天行居鳳凰寮編『禁厭集』出版。
- 1935年、天皇の勅任官の内務省警保局長の唐沢俊樹は自ら特高警察を率いて大本教の本部を急襲し、不敬罪と治安維持法違反で取り締まった。
- 神殿を破壊し、土地も没収し、信徒3000名を逮捕した。激しい拷問によって多くは棄教したが、棄教しない16名は獄死した。狂乱、半狂乱になったものも多数いたという。教団の活動は禁止となったが、獄死しなかった者たちは信仰を守り、あるいは別の新興宗教を起こした。(第二次大本事件)
- 1936年、天皇は陸軍の青年将校たちに命じて二・二六事件を起こさせたが、奸臣に妨害された。
- ?年、谷口雅春は大本教を脱退し、生長の家を設立した。友清歓真(友清天行)は大本教を脱退し、神道天行居 を設立した。
- ?年、浅野和三郎 はスピリチュアリズム組織心霊科学研究会を設立した。(後の日本心霊科学協会)
- 1934年7月27日、天皇が酒井将軍に書かせた『太古日本のピラミット』(国教宣明団)は奸臣により安寧秩序紊乱により発禁処分となった。
- 1937年、神道天行居『天行林』。
- 1937年、天皇は王権統治による全人類に対する愛と平和の実現を目指して日中戦争開始。
- 1941年10月2日、天皇が室伏高信に編集させた『谷口雅春選集』(潮文閣)は奸臣により安寧秩序紊乱により発禁処分となった。
- 理由は「神、仏、基その他万教尽く天皇より発し天皇を万教の大教主とするなど皇室に対し不敬」(「「出版警察報」)であった。
- 1941年、天皇は王権統治による全人類に対する愛と平和の実現を目指して大東亜戦争(対米戦)開始。谷口雅春は「皇軍必勝」を説き、戦闘機を軍に献納するなど教団を挙げて戦争に協力した。
- 1945年、天皇は王権統治による全人類に対する愛と平和の実現のために長崎・広島に原爆を落とすように命令した。
- 1945年、天皇は王権統治による全人類に対する愛と平和の実現のためにポツダム宣言を受諾し、日本は戦争に大勝利した。
- 「無明(まよい)と島国根性に凝り固まった偽の日本のみ敗戦、本当の神洲日本国は大勝利」(谷口雅春)した。大日本帝国憲法の停止。
- 天皇は戦争によって「無明(まよい)と島国根性に凝り固まった偽の日本」人を殲滅し、その怨霊の主な者を靖国神社に封印した。総理大臣には公式参拝を命じ、後には東条英機などもここに封印した。
- 1946年、天皇は自著「日本国憲法」を渙発された。
- ?年、天皇の命令により谷口雅春は「明治憲法復元運動」を起こした。
- 1997年、新しい歴史教科書をつくる会が設立され、生長の家の信者が多く参加した。
神道霊学を研究・信奉する宗教・政治団体一覧
- 大本教-生長の家-崇教真光-神道天行居など。
- 新しい歴史教科書を作る会の一部(「生長の家」の信者が多く参加)。
注釈と文献
注釈
- ^ 『ウィキペディア(Wikipedia)』内の平田篤胤の項を参照。
- ^ 平田篤胤「霊能御柱」下巻。『日本思想史大系』第50巻、岩波書店、1973年、130頁より引用。現代語訳は相良亨編『日本の名著』第24巻、中央公論社、1972年、260頁より引用。
- ^ 平田篤胤『霊能真柱』1813年刊。
- ^ 村岡典嗣「平田篤胤の神学に於ける耶蘇教の影響」1920年「芸文」11巻3号。所収『新編日本思想史研究』2004年、平凡社東洋文庫。
- ^ 平田篤胤『霊能真柱』1813年刊。
- ^ 光明思想は米国のものであるが、神道霊学では西洋のもの、あるいは米国は西洋に存在すると考えられている可能性がある。光明思想参照。
- ^ 『大石凝真素美全集』1923年、国華社。
聖典
- 明治天皇『軍人勅諭』1882年。
- 明治天皇『大日本帝国憲法』1889年。
- 酒井将軍『太古日本のピラミット』国教宣明団、1934年。(発禁本)
- 神道天行居鳳凰寮編『禁厭集』1934年。
- 友清歓真『霊学筌蹄』(天行居)、1935年。
- 室伏高信編『谷口雅春選集』潮文閣、1941年。(発禁本)
- 西尾幹二・新しい歴史教科書をつくる会編『国民の歴史』扶桑社、1999年。
- 水木大覚『神道玄義~宇宙第一之書の奥義の解明~』今日の話題社、2006年。
解説文献
- 小林よしのり『教科書が教えない小林よしのり』星雲社、1997年。
批判文献
- 一柳広孝『「こっくりさん」と「千里眼」――日本近代と心霊学――』講談社、1994年。
- 「教科書に真実と自由を」連絡会編『徹底批判「国民の歴史」』大槻書店、2000年。
中立的文献
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