ウクライナ人
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ウクライナ人(ウクライナ語:українці ウクライィーンツィ)は、東スラヴ人に属し、スキタイ人、ゴート人とスラヴ人(一部ノルマン人)の混血によって形成されたといわれる民族である。ウクライナを中心に住居している。ウクライナの主要民族である。
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[編集] 概要
4800万以上の人口があり、ウクライナのほかベラルーシ、ロシア連邦、ポーランド、ドイツ、フランス、カナダ、アメリカ合衆国などに居住している。彼らは、ヨーロッパで最も背の高い人種として知られ、頭と顔の幅が広く、脚が長く、肩幅が広いこと、それにヨーロッパ系としては皮膚・毛髪・眼の色が黒みがかっていることが身体的特徴であると言われるが、実際にその通りの身体的特徴を持つウクライナ人が多いわけではない。これは、北欧系(ノルマン人)など他民族との混血が進んだためとも言われる。
名称に関しては、いくつかの異なる呼ばれ方が存在した。かつてウクライナの地域が「ルテニア」(ルーシのラテン語形)と呼ばれたことから、この地域の住民を「ルテニア人」(Ruthenian)と呼ぶ場合もあった。また、同様に「ルシン人」(ルシン:Russin)と呼ばれたこともあった。また、かつてウクライナ(時期によって紅ロシアの地域、またはドニエプル川流域)が「小ロシア」(「文化の中心地ギリシャからの距離の小さいロシア」という意味)と呼ばれたことから「小ロシア人」と呼ばれたこともあった。しかし、「小ロシア」という名称が本来の意味を離れて蔑称として用いられるようになったことから、現代では「小ロシア人」という名称もウクライナ人をおとしめて言うものとなっている。この他、ウクライナの住民の多くがコサックであったことから、かつては「コサック」といえばウクライナ人のことを指した時代もあった。現代でもウクライナ人の半数程度がコサックを先祖に持つといわれ、そのことを誇りとして自ら「コサック」と名乗ることもある。一方、ロシア側にはコサックをおとしめる風習もあるため、ウクライナ人をおとしめて「コサック」と呼ぶことも少なくない。
[編集] ウクライナ人に関する基本データ
(ウクライナ民族に限る)
総合人口 43,000,000人 (2005年による)
国・地域別の人口
- ウクライナ 36,300,000人(2006年の国勢調査による)。国民の77,8%を占めている。
- ロシア 2,860,000人(2006年の国勢調査による)
- カナダ 1,071,060人
- アメリカ合衆国 890,000人
- ブラジル 550,000人
- カザフスタン 550,000人
- モルドバ 375,000人
- アルゼンチン 305,000人
- ベラルーシ 248,000人
- ドイツ 128,100人
- ラトビア 61,589人
- ルーマニア 61,350人
- スロバキア 55,000人
- キルギスタン 50,442人
- ポーランド 40,000人
- アゼルバイジャン 30,000人
- リトアニア 22,488人
- イタリア 15,500人
- その他の国・地域 200,000人
言語 ウクライナ語
言語・文化的に所属している集団 インド・ヨーロッパ語族、スラヴ人。
宗教 ウクライナ正教、ロシア正教、ウクライナ・カトリック(ユニエイト・東方典礼)、ウクライナ自治正教会、ラテン典礼など。
[編集] 歴史
ウクライナ人は中世におけるキエフ・ルーシ(7-13世紀)の形成者であったが、モンゴル勢力の侵略により亡ぼされた。また、近世初めにはヘーチマーン国家(ウクライナ・コサック国家、17-18世紀)を形成したが、のちに独立を失い各国間で分割支配されることになった(リトアニア大公国・ポーランド王国(ポーランド・リトアニア連合)、ロシア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、ルーマニアなど)。ロシアなどとの戦争に敗れたウクライナ人の一部は、ルーマニアやトルコへ逃れ再起を図ったが、ウクライナ人による独立国家の成立はならなかった。
一時期、ウクライナ人の半数が登録コサックとなっていた。そのため、現代でも自分はコサックの子孫であると自負するウクライナ人も少なくない。その後、コサック国家が滅びると、多くのウクライナ人はもとの農民に戻った。一方、都市に居住する一部のウクライナ人はロシア化した。都市と農村の分断は、のちの内戦に大きな決定要因として働いた。
ロシア革命後の1917年、ウクライナ人は各勢力に分かれてそれぞれ独立を宣言した。特に、中部ウクライナのウクライナ民族主義者はウクライナ国民共和国を、西ウクライナの民族主義者は西ウクライナ国民共和国を建設し、前者は初めてのウクライナ人による近代国家となった。
しかしながら、ウクライナは領土を取り合うポーランドとボリシェヴィキの戦争(ポーランド・ソヴィエト戦争)やポーランド・ウクライナ戦争、ウクライナ・ソヴィエト戦争などロシア内戦・ウクライナ内戦の主戦場となり、まだ伝染病などにより多くのウクライナ人が死傷した。また、アナーキストのウクライナ革命反乱軍に参加したウクライナ人も多かった。東ウクライナには、ロシア人やユダヤ人を中心としたウクライナ人民共和国(ウクライナ・ソヴィエト共和国)が、のちにウクライナ社会主義ソヴィエト共和国がロシアのボリシェヴィキ政府の後押しで成立した。最終的には、西ウクライナはポーランドに、それ以外のウクライナとクリミアはボリシェヴィキのソヴィエト勢力に制圧された。その結果、反ボリシェヴィキ派の多くのウクライナ人が国外へ逃れざるを得なくなった。
その後、ウクライナ社会主義ソヴィエト共和国はロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国|、白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国(ベラルーシ)とともにソ連を形成した。のちに国号はウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国に変更された。
1920年代は、ボリシェヴィキ政府がそれまでの対ウクライナ強攻策による損失を反省しウクライナ人に対する懐柔政策を採った。この時期、ウクライナではウクライナ文化の研究や振興が盛んに行われ、花開いた。
だが、1930年代になるとソ連の権力を掌握したヨシフ・スターリンの指導によるウクライナ弾圧政策が採られ、人為的に起こされた飢饉などで多くのウクライナ人が餓死・病死した。また、ウクライナ人に対するジェノサイドとも呼ばれるの大飢饉(1932年-1933年)以後は、その飢饉にかかわっていたでウクライナ・ソヴィエト政府の主席以下多くがスターリンによって処刑・自殺した。また、スターリンの方針により国外へ亡命していたウクライナ人のソ連への呼び戻しキャンペーンが張られた。多くのウクライナ人の亡命していたイギリスやカナダ、アメリカ合衆国ではこれを機会に亡命ウクライナ人の一掃を図った。帰国したウクライナ人の多くが、様々な嫌疑をかけられ流刑されたり処刑されたりした。
その後、大祖国戦争の主戦場となったウクライナでは第二次世界大戦で最大規模の死者を生じた。多くのウクライナ人が、ドイツ軍(ナチス・ドイツ)への協力という嫌疑をかけられ、処刑されたり流刑されりした。実際、西ウクライナを中心にいくつかのパルチザン組織がソ連の赤軍に対し敵対行動をとった。中でも、ウクライナ蜂起軍は赤軍・ドイツ軍双方へのパルチザン活動を行い、一時は西ウクライナの大半を掌握していた。この勢力は、1950年代にソ連軍によって制圧された。また、ウクライナ人の組織がポーランドに対して敵対行動をとったことから、ポーランド内のウクライナ人コミュニティーは強制的に解体され、以降同国内でウクライナ人が多く集まって居住することは禁ぜられた。
第二次世界大戦中、かねてより極東に亡命していたウクライナ人の多くは、モンゴルや満州国、中国を通じて日本軍と協力し、対ソ連戦に参加した。
戦後、ウクライナは再びソ連の主要産業を担う重要地域として発展した。ウクライナ人のほかに、多くのロシア人などが移住した。
1991年に、ウクライナはソ連からの独立を宣言し独立国家となった。独立ウクライナは、ウクライナ人のウクライナ性を高めるためロシア語を公用語から排除するなど、ウクライナ化政策を採った。そのため、ロシア化したドンバスなどの地域からは反発も強い。
[編集] 文化
ウクライナ人は、独自の言語としてウクライナ語を用いる。また、地域によってはロシア帝国・ソ連時代からの習慣でロシア語を用いる人も多い。ウクライナに居住するウクライナ人の大半は東方正教会(ウクライナ正教会)、残りは東方典礼カトリック教会を信仰しているとされる。
[編集] ステレオタイプ
日本では、ウクライナ人に対して以下のようなステレオタイプや偏見、誤解がしばしば見られる。中にはある程度事実に即したものもあるが、ほとんどは個々人の問題で、個人差である以上民族の特徴としてあげることはできない。内容的には、あからさまに蔑視的なものは少ないようであるが、人によっては不快感を与えるものもあるので注意が必要である。
- 背が高い。→ヨーロッパ人の中で高い方であるが、個人の体格差があるので、背が低い人もいる。日本人と比べて平均値は高い(特に女性)が、ずば抜けて高い人が多いということはない。
- ウクライナ人女性は美しい。→個人の問題。あるいは基準(視点)の問題。何を以って美しさを測るのかということ自体、客観性がない。また、このステレオタイプから「ウクライナ人なのに美しくない」という発言が出されることもある。
- 個人主義で、性格が頑固である。→個人の性格・価値観・基準(視点)の問題。価値観を含むより広範囲の問題であり、日本人の尺度で簡単に測ることはできない。
- 共産主義者である。→個人の問題。ソ連とウクライナの区別のできていないステレオタイプ。現在、ウクライナでは共産主義は非常に人気がない。
- 日本に来るウクライナ人はみんな風俗店系の商売で来ている。→日本では風俗店関係の商売は蔑まされることが多いので、このステレオタイプは日本における一種のウクライナ人蔑視・中傷と看做すことができる。ただし、現実にビザ取得の困難さに関係し、日本の暴力団とウクライナなどのマフィア(中国系等を含む)の繋がりから暴力団関係の仕事で日本へ招聘される割合は少なくない(つまり、暴力団関係の会社の協力で就労ビザはすぐに出るが、個人の観光客に対する観光ビザはほとんど出ない)。この場合、本人が暴力団・マフィア関係の仕事であると承知している場合と騙されている場合がある。なお、これは日本に限った話ではない。これに関連し、ウクライナでは「ウクライナはセックス・ルィーノク(市場)ではない」というキャンペーンが張られたこともあった。とはいえ、暴力団関係で招聘されても性産業に従事するとは限らないので、いずれにせよこのステレオタイプは誤りである。
- ウクライナ人女性はスタイルがよい。→個人の体格の問題。
- ウクライナ人女性は30歳をこえると急激に太る。→個人の体格の問題。ただし、日本人では食べすぎなどから肥満気味になる人が多いのに対し、ウクライナ人ではそれに限らず肥満になりやすい人は多い。また、肥満による疾病も少なくない。ウクライナ人に関わらずロシア人、ヨーロッパ人にも同様に言われている。
- ウクライナ人男性は30歳をこえると禿げる。→個人の問題。30歳を境に急激に異変が起こるということはありえない。禿げの問題は、ウクライナ人に関わらず全人種共通である。
- ウクライナ人は寒いところに住んでいるので寒さに強い。→強くない。夏の暑さにも冬の寒さにも弱い。家屋が寒冷地仕様になっているだけである。
- ロシア人と同じような民族と思っている。→同じスラヴ系民族で、言語・文化的には日本でいうところの地方差程度の違いであるが、欧州地域ではこれらの違いがしばしば民族の違いと認識される場合もあり、複雑な歴史背景もあって感情を害する場合もある。一般に、ロシア人と混同されて喜ぶウクライナ人は皆無と言ってよい。
- ボルシチがロシア料理であると思っている。→ウクライナが本場であり、当地のソウルフードでもある。これはちゃんぽんが長崎ではなく、博多か大分の名物と言っているようなものである。その他、日本でロシア民謡やロシア料理と思われているものには実際にはウクライナのものである例が少なくない。
ロシアでは、以下のようなステレオタイプが見られる。互いにある程度よく知った民族であり、それなりの根拠がある。特に、ロシア人にはウクライナ人蔑視が見られることが多かったため、多くのステレオタイプや差別表現がある。日本でいうところの東北人に対するステレオタイプによく似ている。
- ウクライナ人は油っこいものばかり食べている(ウクライナ料理は油っこい)。→ロシア料理は油を使わないとロシア人は主張するが、ウクライナ料理はロシアでも幅広く食べられている。
- ウクライナ人は塩辛いものばかり食べている(ウクライナ料理は塩辛い)。→ロシア料理は塩を使わないとロシア人は主張するが、ウクライナ料理はロシアでも幅広く食べられている。
- ウクライナ人は田舎者である。→多くが農民であったことから言われるステレオタイプ。実際、農民ならば農村(ロシア語では村と田舎は同じ単語)に住んでいたが、現在は都市住民も多い。
- ウクライナ人は無知である。→田舎者というのと同種のステレオタイプ。
- ちょんまげ。→ウクライナ・コサックの伝統的スタイル。日本のちょんまげと同様、現在このような髪形をしている人はいない。
コサックの伝統的な辮髪はオセレーデツという。ニシンという言い方もある(鰊)。この髪型をしている人は極めて少数がならウクライナ、およびカナダに存在する。
[編集] 居住地域
多くのウクライナ人はウクライナに居住しているが、ウクライナ国外に居住するウクライナ人も少なくない。ロシアの極東地方、カナダ、アメリカ合衆国、イスラエルなどに特に多い。その他、ロシア全土、ベラルーシ、中華人民共和国、ポーランド、旧オーストリア・ハンガリー帝国領、ルーマニアなどに居住している。またロシアでは、ウクライナにルーツがありながら民族的にはロシア人を名乗っている者が多く、両者間の通婚も多いため、明確に区別することは難しい。
[編集] ウクライナ人の姓
ウクライナでは古くから住民の移動・移住が大規模に行われており、地域に固有の姓というものは薄れている。本来固有と考えられる地域は、以下の通りである。なお、表記は便宜的なローマ字表記とする。
- 西部地方には-ak、-ukなどkで終わるパターンの姓が多く、隣接するポーランドやチェコなどにもよく見られる。
- 北部及び東部などドニエプル・ウクライナ地域では、-ko、-enko(-enkoは「誰々の子」という意味)で終わるパターンが多く、後者は隣接するベラルーシでも多く見られる姓である。これらの地域からロシア各地への移住が進んだため、現在ではロシア各地で見られる姓となっている。
- スラヴ系諸国に多い-skijや-vichも少なくないが、本来はポーランドやベラルーシの姓であったとされる。
- ロシア人に多い-in、-ev、-ovといったパターンも多く見られる。これはロシア人のウクライナへの移住並びに帝政ロシア・ソ連による長期にわたる支配も大きく影響しているものと思われる。これは、普通名詞を物主形容詞化して姓とするパターンで、単語によってはウクライナ語ではロシア語では-ovとなるところが-ivとなる場合もある。なお、-ev、-ovのパターンについてはブルガリアでも普通に見られる。
- KuchmaやBubka、Mazepa、Chaykaなど-aで終わるような姓もあるが、これはたんにウクライナ語の普通名詞が姓となった例が多い。その場合、動植物の名詞が姓となっていることが多い。無論、-aで終わらない普通名詞も姓となっており、-aが特殊な例というわけではない。たんに、ロシア語系の姓では-aで終わる姓は女性形のみであるため、ロシア語系の姓に馴染んだものにとっては特異に感じられるだけである。普通名詞の性になった例としては、他にShchur、Buryakなど。これがロシア語化すると、Shchurov、Buryakovなどのように物主形容詞化することになる。
[編集] ウクライナ国民
なお、国民としてのウクライナ人には、ウクライナ人のほかロシア人、ルーマニア人、ベラルーシ人、クリミア・タタール人、ガガウズ人、ユダヤ人などの少数民族が含まている。
[編集] 関連項目
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