グラビアアイドル
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グラビアアイドルとは、女性アイドルのうち、雑誌のグラビア、写真集、イメージビデオ・DVDへの出演を主な活動とし、なおかつ主に水着姿の写真を売りにする者の「肩書き」。
目次 |
[編集] 概要
グラビアアイドルとは、芸能界に席を置きながら特殊な役割をあてがわれている職業分類的肩書きの1つである。
グラビアアイドルは外見上女性であること(女性に見えること)が絶対的な条件であり大きな特徴である。
グラビアアイドルの主な活動の場は、雑誌グラビアページや広告宣伝媒体のポスターなどの2次著作物であり、特に雑誌では、グラビアの被写体次第で売れ行きが左右される非常に重要なファクターとなっている。
グラビアアイドルとして最も重要視される要素は、外見のビジュアルとスタイル、それを保ち続ける若さである。その特異性から、永続的にグラビアアイドルでありつづけることは実質不可能であり、女性が若さを保ちえるある一定年齢を迎えるまでしか続けることができない。
以上のことから、一般的にはグラビアアイドルは芸能界に進出するステップの1つと捉えられており、後に女優・タレントへの転身する者が殆どである。しかしその出自ゆえ、芸能人として本来要求される会話力・歌唱力・演技力に乏しいケースも多い。そのため、グラビアアイドルを退いた後も芸能界で「生き残る手段」を持ち合わせている例は極めて稀であり、彼女達を世間に送り出すメディア媒体にも限界があるため、新人が次々とデビューして来る一方で芸能界で芽が出ずに忘れ去られて行く者が多く、「卒業」と称してグラビアアイドルを引退すると同時に一切の芸能活動から手を引く者も少なくない。
ただし近年では医療技術やメイクアップ技術が飛躍的に向上し、現役でグラビアアイドルを続けながら、俳優業やタレント業も兼務する例も多くなってきた。
[編集] 特徴
現在のグラビアアイドルは大きく分けて、大人っぽさを売りにするタイプと、子供っぽさを売りにする(ロリータ)タイプの2極に分類される。前者はさらに「セクシー系」と「癒し系」の2種類に細分類される。ただしあるアイドルがどちらに分類されるか、等は個人的主観が大きく介在するため、明確な基準はない。
前者の大人っぽさを売りにするタイプは、20代に入ってからデビューする、もしくは10代でデビューした者が20歳を越えてから注目される、といったケースが当て嵌まる。また前歴としてイベントコンパニオンや企業キャンペーンガール、レースクイーン経験者である場合が多い。20世紀末に出てきた癒し系という流れは、「平成不況」という世相が反映して生まれたものであり、最近の各メディアの傾向としては、どちらかといえば癒し系グラビアが支持される流れにある。がこれはあくまで表面上のことであり、癒し系ならば人気が出る、セクシー系は支持されない、などといった単なる二元論で判断できない事も付け加えておく。
後者の子供っぽさを売りにするグラビアアイドルは10代のうちにデビューするケースが殆ど。15歳未満の場合は、学業優先や法律上活動に制約があり、中学校を卒業する10代後半にデビューする場合が多い。又、1990年代からは、童顔で胸が豊かな女性がグラビアアイドルとして人気を得る傾向がある。第7回全日本国民的美少女コンテストで演技部門賞を受賞し、グラビアアイドルとして芸能活動している橋本愛実など、10代のうちは芸能活動は控えめながら、20代に入って積極的にマスメディアに登場するようになるケースもある。
業界では「若いうちは脱ぐ」「胸も顔のうち」と言われる事も多く、ファースト写真集の撮影時にビキニを着るのが恥ずかしくて泣いてしまったという乙葉が「水着にならなくていいアイドルは松たか子だけと言われた」というエピソードも存在する。
本来グラビア露出は芸能活動のほんのワンステップに過ぎず、ある一定ラインの年齢を過ぎたら、女優やタレントに転身して行く場合が殆どだった。本上まなみや佐藤江梨子、眞鍋かをり等のようにグラビア経験者が、後に文才や芸術の才能を発揮しグラビアとは全く別のことで注目を浴びる場合も数多い。また浜崎あゆみや華原朋美、ZARDの坂井泉水など歌手として大成した人物の中にも過去にグラビアアイドルを経験している女性芸能人は多く存在する。
しかし21世紀に入ると、自ら現役グラビアアイドルを公言し、グラビアを卒業せずにそのままタレントや女優に転身する者が現れ始める。特に小倉優子、ほしのあき、熊田曜子、安田美沙子、磯山さやかなどはテレビで頻繁に出るようになっても尚、グラビア誌面でもトップとして君臨し続けている。
その一方で、売れないグラビアアイドルがヌードモデルやAV女優へと転身する例がみられるようになり、「着エロ」というジャンルが確立されてからは「着エロアイドルからAV女優に転向」という例が頻繁にみられるようになった。彼女たちの中にはAVデビュー後も「現役グラビアアイドル」という肩書きを持ち続ける者や、「あくまでも芸能活動の一環としてAVにも出ているだけで、AV女優に転向したわけではない」などと主張する者もいる。彼女たちの出演作品は、AVとしてはヒットすることも多いため、AVメーカーはこぞってグラビアアイドルにAV出演の交渉を持ちかけている。一方で、「元芸能人」という肩書きが作品の売り上げ向上につながることから、AV女優になることが決まっている者が箔をつけるために「一旦グラビアアイドルとしてデビューしてからAVへ」という例もある。
グラビアアイドルは過去から現在においても、隆盛を極めながら、その活躍の場は多様化しているといえる。
[編集] 歴史
[編集] 1970年~1980年代のグラビア
「グラビアアイドル(以下特別な場合を除きグラドルに略記)」の歴史は、1970年代後半に活躍したアグネス・ラムに始まるといえる。
当時の女性アイドルはほぼすべてが歌手活動をしていて、「アイドル歌手」としてのテレビ出演やLIVE活動がメインだった。しかしアグネスはグラビアでの活動をメインとする点では始祖と呼べる存在であり、その時代性ゆえに、アグネスは雑誌グラビアに数多く登場しながら、歌手デビューも果たしている。
1980年代には、このジャンルにおいてその後数多くのスターを輩出するイエローキャブで、所属タレント第1号である故・堀江しのぶがデビューした。堀江は同社の社長・野田義治(現:サンズエンタテインメント社長)の秘蔵っ子であり、自ら「堀江を売り出すためにイエローキャブをつくった」と公言した程の存在だった。この時代も未だ女性アイドル歌手の全盛期であったため、堀江もアグネス同様に歌手デビューもしているが、野田の意気込むも虚しく堀江は胃がんのため23歳の若さで急逝する。しかし皮肉にもこの事件がグラドルと言う存在を世に記す第一歩となった。
1982年に講談社が少年漫画誌の企画としてアイドルグラビアの読者投票コンテスト『ミスマガジン』を創設。第1回の受賞者・伊藤麻衣子(現:いとうまい子)が好評を得た事から年1回の定期開催が決まり、以降アイドル歌手以外に雑誌をベースに活躍するアイドルというものが定着し始める。その後も1984年第3回開催グランプリの斎藤由貴、同準グランプリの田中美奈子、第4回開催グランプリの八木小織(現:八木さおり)、1986年第5回開催グランプリの高岡早紀、またグランプリ以外からも森尾由美、南野陽子という好素材が続々飛び出し、更に彼女たちは歌手活動や女優としての活動もスタートさせ、それらはおおむね成功していった。また彼女たちを誌面で大きく取り上げたグラビア雑誌もこの頃続々と創刊されている。この流れは1990年に「ミスマガジン」が終了(6年後に復活)するまで続き、今日のグラビアアイドルとは、主にこの1980年代半ばにその根幹が形成されたといっても過言ではない。
またこの時期、堀江を失ったイエローキャブにも新しい素材が続々現れ、かとうれいこ、細川ふみえといった豊満で肉感的なタレントが次々とグラビアで脚光を浴びる。また鈴木京香や山口智子、飯島直子などの水着キャンペーンガールも、この頃頻繁に雑誌グラビアを飾っていた。その一方で、前述の山口智子がその後女優活動のためにモデル事務所から現在の事務所へ移籍したように、水着モデルとその後の芸能活動とは、スポンサーのそれまでの考え方などが障害となって、上手くは繋がっていなかった。山口は、1988年のNHKの連続テレビ小説で主演。そんな中イエローキャブは、水着着用モデルからその後の女優・歌手等への展開を考えたプロダクションとして脚光を浴びていく。
- 野田自身は後年「グラビアアイドルというカテゴリーを俺は否定している。グラビアはどうやったらその娘が売れるかという単なる手段であって、そう言われるだけでレッテルを貼られてしまう」と自身のやってきたこととグラドルに対してのスタンスを明確にしている。またその対談相手であった清水幸治・現フィットワン社長も「作り手としては世間に広く通用する人気者を作りたいだけで、グラビアアイドルを作る、売り出すなんてハナから思っていない」と野田の発言に同意を示している。(クイックジャパンVol.68「特集グラビアアイドル」の対談記事から)
また飯島直子は1989年にカネボウ、1990年にはキリンビール、宇部興産のキャンペーンガールを務め、翌1991年にはキグナスF3000のキャンギャルとなり、のちのレースクイーンの芸能界進出の足ががりを作っている。その後グラビアを封印してタレントに転身し、1995年にコカコーラ『ジョージア』の「やすらぎパーカープレゼント」CMで親しみやすく話しかける姿が話題になり、そのCMから名をとって『安らぎ系タレント』と呼ばれることになる。これは20世紀末に現れる「癒し系ブーム」の走りと言えなくもない。
[編集] 1990年代のグラビア
1991年頃には、女性アイドルを扱った雑誌『BOMB』表紙では、それまでアイドルの顔写真が多かったものが、水着の全身に近い写真が増加した。それまで、当時アイドルとして人気絶頂だった宮沢りえの、陰毛が多少見えると言われた全裸の写真集が出版され、これをきっかけにヘアヌードの写真集がブームとなっていた。またオスカープロモーション所属のC.C.ガールズのような、セクシー路線に徹したアイドルグループも多数登場したが、当時はまだ「癒し系」という概念はなく、体に不釣合いであっても豊かなバストであることがポイントとなるなど、売り込む対象は一部の男性層に限られ、恒久的に持続する人気が得られているわけではなかった。
1992年にフジテレビが自社キャンペーンガールとして『フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ジ・イヤー(以下フジテレビVQ)』を創設。グラビアで活躍するアイドルを毎年起用するようになり、翌1993年には内田有紀が選出されている。またこの年には集英社が自社発行のヤングジャンプ誌上で『ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション』として「制服の似合うアイドル」をテーマにした誌上オーディションを開始。こちらは翌1993年に北村麻衣(現:宝生舞)がグランプリを受賞している。こうした流れは途中でいくつかの紆余曲折がありながらも21世紀に入った今日まで続いている。
1994年、またこの年エポックメーキングな登場をしたのが雛形あきこである。2年前に俳優として芸能界デビューしていたがパッとせず、イエローキャブに移籍し、『フジテレビVQ』に稲森いずみ、吉野公佳等と共に選出され水着グラビアを始めるとその素質が一気に開花。俗に「雛ポーズ」と呼ばれる両腕を絞り胸の谷間を強調するポーズは、そのどこか子供っぽい愛らしい表情と相まって、世の男性の性的欲求を大いに刺激し、これ以降の水着グラビアに1つの方向性を示したといえる。
1995年、青木裕子や坂木優子などが登場し、水着姿の写真集が改めて人気を得た。トピックとして、女性雑誌においてもツーピース水着の特集回数がワンピース水着を上回った。
1996年、雑誌グラビア隆盛時代の動きを受けて、講談社の『ミスマガジン』コンテストが青年誌を舞台とした『ミスヤングマガジン』と名称を変えて復活。第1回のグランプリにはイエローキャブの山田まりやが選ばれ(山田は同年の『フジテレビVQ』にも選出)、また前述の雛形あきこが前年の活躍を評価されて第29回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞するに至り、イエローキャブの名声は『巨乳』のキーワードと共に世間に大いに知れ渡り、隆盛を極める。
またデビューから時間を経て人気が出てきたものもいる。2年前に第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを獲得し芸能界デビューしていた広末涼子がNTTドコモのポケベルCMで全国区となり、純情可憐な美少女キャラとしてグラビアにも進出。『ショートカット』という流行キーワードを生み出し、多くのファンの心を虜にした。1993年にねずみっ子クラブでデビューしていた仲根かすみがこの年以降ソロとしてグラビア活動を始めて人気を得る。同じ頃川村ひかるがグラビアデビューを飾っている。
1997年、この年でグラビア界で一番大きかったのは大手芸能事務所ホリプロをバックボーンにしたグラビアアイドル優香のデビューである。当初は幼さを感じさせる愛らしいルックスとそれに似合わぬ巨乳の持ち主というギャップで一気にグラビアクイーンに。その後も司会業から芸人並みのコントまでこなせる幅広い適応能力が評価されて人気タレントになったが、グラドル時代に発売されたDVDや写真集が今なお売れ続けている。
そしてこれを皮切りに他の芸能事務所もイエローキャブの手法、いわゆる「巨乳ブーム」に追随する動きが出ている。
- この時の事を野田・現サンズエンタテインメント社長は『自分たちは小さい事務所だから自分トコのタレントを世間に知ってもらう為にはグラビアみたいなところから始めるしかなかった。でもそこに大手のホリプロが入ってきたからね。優香はホリプロの大看板を背負って出てきたわけだから、こりゃ、「勝った」なって思ったな。やっと俺のやってきたことが認知されたなって、それまでも少しづつ変わっていたけど、優香が売れたことによって巨乳=トロイみたいな認識から、その子の頭の良さや人間性に注目してくれるようになったよね。』と語っている(クイックジャパンVol.68「特集グラビアアイドル」の対談記事から)。
優香はデビュー1年後の1998年の第36回ゴールデンアロー賞グラフ賞を皮切りに1999年第37回最優秀新人賞・放送新人賞、2000年第38回放送賞と3年連続でゴールデンアロー賞を受賞し、第40回ゴールデンアロー賞でゴールデングラフ賞の記念表彰を受ける快挙を成し遂げて、グラビアアイドルの地位向上に大きく貢献した。優香の成功によりグラビアアイドルは、ついにその強固なステータスを業界内に築き上げることになった。
またアバンギャルドから藤崎奈々子が『フジテレビVQ』に選出。翌年には山川恵里佳が『ミスヤングマガジン』特別賞を受賞し、巨乳グラドル隆盛の中、細身で美乳、ポヤッとした温かみのある顔立ちという新しいタイプのグラドルとして、イエローキャブに対抗する新たな芸能事務所として注目されるようになる。さらにこの年には後のハロー!プロジェクトの核となるモーニング娘。が活動を開始している。
1998年、フジテレビの『ビジュアルクイーン・オブ・ジ・イヤー』に対抗し日本テレビでも独自の自社キャンペーンガールとして『日テレジェニック』の選出をスタート。第1期メンバーにはティーン向けファッション誌モデル出身の加藤あいと酒井彩名、原史奈(同年「ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション」グランプリ受賞)等に加え、イエローキャブからロリータフェイスと巨乳で人気の佐藤江梨子が選出されている。ちなみにこの年の『フジテレビVQ』には1996年にギャル系グラビアアイドルの走りとしてデビューしていたアーティストハウス・ピラミッドの安西ひろこが、アバンギャルドからは同年のミスヤングマガジングランプリを受賞した清純派の柴田あさみが選出されている。双方ビジュアル的に非常にレベルの高い面子が揃ったことで、この年以降、「フジテレビVQ」と「日テレジェニック」はテレビ系認定の、グラビアアイドルにとっての大きな冠タイトルとして2003年まで毎年凌ぎを削ることになる。
またオスカープロモーション主催の『オスカーグラビアグランプリ』で菊川怜がグランプリを受賞。同年、『東レ水着キャンペーンガール』にも選出され、現役東大生という異例の高学歴グラビアアイドルとして注目を浴びた。
1999年、世紀末を迎えてなお日本全体が不況の中にあり、世は「癒し」がブームとなった。これに伴って、グラビアに出演するタレントにもこれまでのセクシーさよりも優しさや親しみやすさ、危うい無防備さが求められる傾向が強まった。その先鞭をつけたのが本上まなみであり、その流れをさらに広げた代表格が井川遥である。
本上のデビューは早く1994年にテレビドラマの出演で芸能界デビュー。1995年に『ユニチカサマーキャンペーンガール』に起用され、既にグラビアでも活躍していたが、前年の『爽健美茶』のTVCMで一気にブレイクし、癒し系の代表格といわれる。また井川はこの年の『東洋紡水着サマーキャンペーンガール』でデビュー。翌2000年にも『アサヒビールイメージガール』に選ばれ人気が爆発。2001年にはゴールデンアロー賞グラフ賞を受賞し、この後暫く続く癒し系グラドル隆盛の旗頭となった。
また既に一定の人気を得ていた優香が飯島直子と共演した缶コーヒーのCM『ジョージア』で癒し系のキャラクターへシフトチェンジし更なるブレイクを見せている。
癒し系がヒットした影響を受けて、デビュー当初から癒し系を意識したグラドルが数多くデビューするようになる。酒井若菜がこの年の『日テレジェニック1999』に選出(その2年前には本名の酒井美幸名義で『ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション』で準グランプリを受賞)。安めぐみもこの年の『ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション』で準グランプリを受賞している。
一方、癒し系とは別に、モーニング娘。に後藤真希が新メンバーとして加入。直後の楽曲『LOVEマシーン』が大ヒットしたことでハロプロ勢のグラビア進出がより一層華やかなものになっていた。『フジテレビVQ』もホリエージェンシーの吉井怜、スターダストプロモーションの内藤陽子らが選出されている。なお吉井はグラビアアイドルとして活躍を期待されていた矢先の2000年、写真集撮影の際に急性骨髄性白血病で倒れそのまま長期休養に入り引退が懸念されたが、2002年に病魔を克服して復帰。その際発行した闘病記がベストセラーになっている。
2000年、前年の癒し系ブームは更に加速。ゴールデンアロー賞グラフ賞は、その独特な天然ボケ不思議キャラと抜群のプロポーションで人気になった釈由美子が受賞している。釈は1997年に講談社『週刊ヤングマガジン Missキャンパスグランプリ』でグランプリを獲得しグラビアデビュー。同時にTBS系の深夜番組『ワンダフル』の第1期ワンダフルガールズとして活躍していたが、グラビア方面でよりブレイクしたのは癒し系ブームが始まってからで、早すぎた癒し系の1人と言えるかもしれない。また冠タイトルには縁が無かったが、フィットワンの乙葉もこの時期にデビューした重要な癒し系グラドルの1人である。
また癒し系とは違う流れのグラドルも徐々に出始め、この年の『日テレジェニック2000』には前年にデビューした眞鍋かをりが選出され、ヴィジュアル面だけではなく明るく華やかでくったくのないキャラクターが大いに受けて、写真集やDVDなど、出すグッズアイテムがことごとく売れるグラドルとして一躍人気者になる。特にトレーディングカードの売上は凄まじく、眞鍋の出した好結果に影響されて、グラドルの新しい商品グッズとして定着していった。『フジテレビVQ』には周防玲子(現:すほうれいこ)、一戸奈未(現:一戸奈美)、川村亜紀(同年「ミスヤングマガジン」グランプリ受賞)、桜井裕美(後に『JJ』のファッションモデルに転身)、三津谷葉子(1996年『ホリプロタレントスカウトキャラバン』優秀賞)、金子さやかの6名が選出。またこの年の『ホリプロタレントスカウトキャラバン』で審査員特別賞を受賞した綾瀬はるかがグラビアアイドルとしてデビュー。この頃は大きな反響を得られなかったが、後にテレビドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』で主演に抜擢され女優として開眼する。
ハロプロ勢にも4月から石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、加護亜依の4名が加入。前年の勢いを加速して一般雑誌にまで取り上げられるほどのブームを巻き起こし、グラビア業界を華やかに彩った。この他では杏さゆりがこの年の「ミスヤングマガジン」準グランプリを受賞。細く締まったしなやかなウェストから後に「くびれクイーン」の称号を受けてグラビア誌面で活躍する。
[編集] 21世紀のグラビア
2001年は表立って派手な展開はなかったものの、グラビアの転換期に入った年と見ることができる。
癒し系の系譜に入る吉岡美穂が2000年に『サントリーDハイ小町』及び全日本GT選手権『マリオレーシングチーム・キャンペーンガール』となり業界入り。この年に『トリンプ下着キャンペーンガール』、そして『レースクイーン・オブ・ジ・イヤー2001』受賞を経て本格的にテレビ業界に進出。翌2002年にかつらメーカーのCMに出たことで人気が急上昇。2002年の第40回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞した。
『ミスヤングマガジン』が講談社発行の漫画誌を統合した大型オーディションにリニューアル。名称を『ミスマガジン2001』として最初にグランプリに選ばれたのは加藤未央。だが当人は大学進学を希望しグラビア活動を極力控えてしまったため、グランプリ受賞者がいきなりグラビアから遠ざかるという前代未聞の事態に。その為かこの年のミスマガジンは勢いがつかず、現在でも目立った芸能活動を続けているのはTBS系『スーパーサッカー』で白石美帆の後を受ける形でアシスタントとして芸能界復帰した加藤と芸能人女子フットサルチーム『ミスマガジン』でキャプテンを務める鎗田彩野(現:立花彩野。翌2002年『フジテレビVQ2002』に選出)ぐらいでとても成功したとはいえなかった。
『日テレジェニック2001』はイエローキャブから小野愛、アバンギャルドから藤川のぞみ、鈴木葉月らが選出。またテレビ朝日がフジテレビ、日本テレビに続き3つ目の自社キャンペーンガールとして『テレ朝エンジェルアイ』の選出をスタート。第1期メンバーには石川恵理(現:石川エリ)、大沢安希、大城美和、樹里(同年第1回ミス・ヤングアニマルGIRLSコンテスト準グランプリ受賞)が選出されるも、いま1つ地味な感がぬぐえなかった。『フジテレビVQ2001』ではティーンファッション誌『SEVENTEEN』の専属モデルだった浅見れいな、前年にバップが選出したグラビアアイドルユニット『プチエンジェル』の第1期生だった小向美奈子、ホリエージェンシーの宮地真緒(翌年『旭化成水着キャンペーンガール』に抜擢)ら好素材が選出されて気を吐いたものの、大筋この年は既存の癒し系グラドル達の勢いを止められる存在がいなかったといえるだろう。
しかしこの時期、小柄な妹系グラドルとして市川由衣(当時エイジ、現研音所属)、アバンギャルドの小倉優子、ホリエージェンシーの磯山さやか、今時のギャル系グラドルとしてプラチナムプロダクションの若槻千夏、大人っぽいセクシー路線として比較的高めの年齢層を狙ったアーティストハウス・ピラミッドの熊田曜子やイエローキャブの小池栄子、とこの年を前後してグラビアデビューを飾っていて、翌年以降のブレイクを期待させた。
またローティーンのうちに大きな芸能オーディションで賞を獲得したアイドル候補達が、この頃続々とグラビアに進出している。その最たる存在が上戸彩と長澤まさみで、1997年に行なわれた大手芸能事務所であるオスカープロモーション主宰の『第7回全日本国民的美少女コンテスト』で審査員特別賞を受賞し芸能界入りした上戸彩が、この年に自身が出演したドラマ「3年B組金八先生」で性同一性障害という問題を抱えた女生徒役を好演し注目を集め、また2000年に行なわれた『第5回東宝シンデレラコンテスト』において当時12歳でグランプリを獲得した長澤まさみが女優子役方面でも活躍しつつ、ティーンファッション誌『ピチレモン』の専属モデルを経て、徐々にグラビアアイドル誌での露出も始める。
2002年は前年の反動からか、各方面から優れた素質を持つグラドルが多数輩出された豊作の年といってよい。
『ミスマガジン2002』では癒し系の系譜を引き継ぐホリプロの和希沙也がグランプリ、アーティストハウス・ピラミッドの安田美沙子がミスヤングマガジンをそれぞれ新人として受賞。またミス週刊少年マガジンには前年の『ポポロガールオーディション』でグランプリを受賞し妹系グラドルとして活躍していたワタナベエンターテインメントの中川翔子が選出。
『フジテレビVQ2002』では前述の鎗田彩野の他、市川由衣、ファッション誌「Ray」の専属モデル香里奈、前年の『ヤングジャンプ制コレ2001(「全国女子高生制服コレクション」より改名)』で準グランプリを受賞していたスターダストプロモーションの沢尻エリカが選出され、鎗田以外の3名は数年後に若手実力派女優として開眼していくことになる。『日テレジェニック』では既にグラビアで多くのファンを獲得していたアバンギャルドの小倉優子、2000年の『第25回ホリプロタレントスカウトキャラバン』グランプリの藤本綾、昨年秋からテレビドラマ『3年B組金八先生』にて上戸彩と共に生徒役で共演していたスターダストプロモーションの佐藤めぐみ、森本さやからが選出された。
『テレ朝エンジェルアイ2002』は前年の反省からイエローキャブからMEGUMI、プラチナムプロダクションから伊織、ホリプロの木南晴夏(同年に第1回『ホリプロNEW STAR AUDITION~21世紀のリカちゃんはあなた!!~』グランプリ受賞)等グラビア大手の事務所から選出し、冠タイトルに見合う陣容を揃えた。
またこの時期、テレビ業界からグラビアに逆進出するという現象も見られた。サンミュージックブレーンの小野真弓が消費者金融『アコム』のテレビCM起用で注目され、「しょせんは金貸し」という一般的なイメージを払拭する反響を呼んだ勢いでグラビアにも参入。同時に特撮番組の『忍風戦隊ハリケンジャー』に出演した山本梓と長澤奈央がビジュアル面から人気となってグラビアに取り上げられた。今後これらの路線は多くのグラドルに引き継がれていくことになる。
2002年度は各人のその後の活躍振りを見ても、非常に質の高い素材が揃っていた年であったが、グラドルの大きな冠の1つである『フジテレビVQ』がフジテレビの自社アナウンサーのアイドル化現象(前年にデビューしたアヤパンこと高島彩の存在が大きい)による路線変更からこの年で廃止されている。
さらにこの年よりタレント系芸能事務所がモータースポーツ界に参入し、自社所属新人タレントの顔見世を兼ねてレース場にレースクイーンとして派遣する事業が始まる。プラチナムプロダクションからは全日本GT選手権(現:SUPER GT)のイメージガールとして若槻千夏、伊織、星野加奈、高杉さとみ(現:高杉さと美)が、アバンギャルドからはレースクイーンとして佐藤ゆりな、古谷沙織、田中かおり等が派遣された。この手法は現場でファンの支持を獲得しながらグラビア活動を本格化させて相乗効果を狙うという手を使い、成功を収める。またアイドルファンが訪れることによってレースクイーンの知名度も大幅にアップするという波及効果も生み出した。この年をきっかけに、サーキットはまだあまり知られていない新人グラビアアイドルと直接触れ合える場所として認知されるようになる。またグラドルの老舗イエローキャブでは根本はるみ、小林恵美ら新人グラドルを使って『R.C.T.(あーるしてー。R指定にかけたもの)』というセクシー系アイドルグループを結成したが、一時代前の戦略でアピール度が薄かったこともあり、こちらはほとんど成功を収められなかった。
2003年は、前年まで続いた癒し系を求める流れが一段落し、個性豊かなグラビアアイドル達が多数デビューした年である。
この年のグラビア界を席捲したのはなんといっても井上和香。『ワカパイ』の愛称で、かのマリリン・モンローと3サイズが同じというグラマラスなボディーと癒しの深み、イタズラっぽいクリッとした瞳と柔らかさが伝わる厚目の唇という多くの武器を兼ね備えた新時代のグラドルとして『日テレジェニック2003』選出を皮切りに、この年のゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞する。また『日テレジェニック2003』では後に女優として開眼するサエコも選出されている(前年に『道休サエコ』として『ヤングジャンプ制コレ2002』準グランプリを受賞)。一方の『テレ朝エンジェルアイ2003』は前述の根本はるみが100センチオーバーのバストを売りに、矢吹春奈が均整の取れた野性味溢れるプロポーションを武器に選出。特に矢吹は後に『完売クイーン』と呼ばれ、彼女がグラビア掲載された雑誌はすぐ売り切れるという逸話まで語られるようになる。
『ヤングジャンプ制コレ2003』では前年にテレビ東京系『おはスタ』のおはガールやアイドルグループ・フルーツポンチの一員として歌手活動をしていたavexの近野成美がグランプリを獲得。しかしグラビア方面でより注目を集めたのは準グランプリに選ばれた川村ゆきえである。抜群のプロポーションと10代にもかかわらず大人をも凌ぐセクシーさを併せ持った稀有な存在として世の男性陣を虜にしていった。川村は「これから先数年はトップグラビアアイドルとして活躍するだろう」とファンや業界から熱い注目を浴びていたが、翌年になって所属事務所とのトラブルから移籍問題を起こし、民事訴訟裁判にまで発展。敗訴という結果を受けて移籍先事務所での芸能活動を自粛せざるをえなくなり、一時期芸能界からフェードアウトしてしまう。2006年半ばに再び別の事務所に移籍した上で復帰したが、この当時の勢いは無く、グラビア業界にとっては大きな損失となった。また後に人気若手女優として活躍する戸田恵梨香が誌面ユニット『ヤングジャンプ制コレ5up』の一員に選ばれているが、この頃はまだ後の活躍は予期されていない。
一方この年の『ミスマガジン2003』ではプラチナムプロダクションの岩佐真悠子がグランプリを獲得。クールな小悪魔系美少女として他のグラビアアイドルと違う異彩を放ち注目される。また岩佐はグラビアと並行して即座に女優業にも進出。ネット小説で話題となった『DeepLove』のテレビ版ドラマにおいて原作者たっての指名を受けいきなり主演に抜擢、複雑な家庭環境を持つ女子高生のアユ役を好演し、そのクールなイメージにさらに磨きをかけて活躍。翌年に第42回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞する。またミス週刊少年マガジンには瀬戸早妃が選出。瀬戸はイエローキャブ系列のサンズ(現:サンズエンタテインメント)所属だが「イエキャブと言えば巨乳」という周囲の固定概念を覆すスレンダーボディの正統派美少女という事で2001年当時(『制コレ2001 7up!』のメンバー)から度々話題になっていた。逆に巨乳系としては夏目理緒がミスヤングマガジンに選ばれている。
さらに女優としてデビューした堀北真希が長澤まさみに続く存在として話題を呼び、水着にこそならないものの、度々グラビアを賑わせるようになる。その逆に2001年のインリン・オブ・ジョイトイや堀口としみ等から始まる極めて露出の高い水着を着たり、女性の局所を手や花等のアイテムで隠したりしたグラビアに、世の携帯時代を反映して「着エロ」というキーワードが付けられたのもこの頃である。主にレースクイーンからの転出組や、お菓子系雑誌組などが挑戦して男性誌などで一つの流れを作った。
この頃からグラビアアイドルの方向性の2極化が顕著になってくる。つまり女優やテレビタレントに転身する際に、「グラビアから卒業する者」と「グラビアを卒業せずに並行して次のステップに進む者」と、である。
グラビアアイドルのバラエティ番組への本格的進出が顕著になり、特にMEGUMIや若槻千夏を始めとする「芸人並に喋れるグラビアアイドル」の出現がグラビアアイドルの裾野を広げる大きなきっかけとなった。それまでもグラビアアイドルから転身しテレビタレントとして成功していた例はいくつもあったが、現役グラビアアイドルの肩書きを持ちながらバラエティ番組で成功したという意味では彼女たちが先駆者といってよい。MEGUMIはさらに番組司会や女優、歌手までこなすマルチタレントとして広く認識され、近年のグラビアアイドルの最たる成功例としてマスコミに取り上げられることも多い。また喋りではなくその特異なキャラクターで同様の地位を築いたのが小倉優子で、グラビアと並行しつつTV方面でも活躍。当初は単なる「ぶりっ子キャラ」というひと昔前のキーワードで括られる存在だったが、出演番組での発言の機会が増えたことで本来の「不思議系キャラ」として認識されるようになる。
2004年は、今までの地道なスカウト活動に加えて、他の業界や異業種からグラドルへ転身させるという手法が出てきた年である。アイドルを最初から育てるのではなく、地味な活動でもある程度人前での露出に慣れている素材を掘り当てて育てた方が即戦力になるということだ。
『日テレジェニック2004』は元銀行員のお客様係というOL経験をもつアバンギャルドの田辺はるか、パチンコメーカーのキャンペーンガール・ミスマリンちゃんとしてデビューしていた大久保麻梨子、ティーン向けファッション誌出身で「美少女戦士セーラームーン」の舞台で人気を得た小松彩夏らが選出。また『テレ朝エンジェルアイ2004』には前述の小林恵美、こちらもデビュー前にOL経験のあるアーティストハウス・ピラミッドの新人夏川純が選出された。いずれもグラビアより先に何らかの経験を積んでからグラビアの世界に参入してきた人材であり、この傾向は今後もグラビアにおけるもう1つの潮流となっている。なお『テレ朝エンジェルアイ』は後発であったことや、起用したアイドルの反響が思いのほか少なかったことからこの年限りで廃止になっている。
『ミスマガジン2004』では、グランプリに小阪由佳、読者特別賞に山崎真実、審査員特別賞に松嶋初音という純グラドルが選ばれたのに対し、『ヤングジャンプ制コレ2004』では森絵梨佳(「SEVENTEEN」)、平田薫(CANDy)等ティーンファッション誌モデル出身者が受賞。この頃からティーンファション誌モデルが高校生に進級した時期に合わせてグラビアに進出させる、いわゆる青田買いが増え始め、「SEVENTEEN」の専属モデルだった榮倉奈々や「nicola」の専属モデルだった新垣結衣、リクルート「ゼクシィ」のTVCMでブレイクした加藤ローサなどが代表格となっている。
また、既にテレビタレントとして活躍中の眞鍋かをりがこの年の末に自身のブログで伊達眼鏡姿を公開し、これを契機に一気にトラックバック数日本記録を樹立する。これが各方面で話題になり、彼女の功績によりブログというネットツールが広く知れ渡るようになったことで、ついには「ブログの女王」と呼ばれるようになる。また翌年には自身のオタク知識を前面に押し出したブログで中川翔子が話題になり、そこで展開される「ギザ、かわユス」などの独特なしょこたん語がネットで氾濫。こちらもまた大きな話題になり眞鍋に対してこちらは「新ブログの女王」と呼ばれる。この2名の出自から更にグラドルの知名度は上がった。
なおこの頃から若槻千夏や小倉優子の後を追うようにグラビアと並行してテレビバラエティに進出するグラドルが多数現れ、深夜番組に留まらず、ゴールデンタイムなどにも頻繁に顔を出すようになり、大抵の番組では俗に「グラビアアイドル枠」といわれるものが設けられ、芸人等に混じり番組を盛り上げる役としてお茶の間の人気を獲得していく。
2005年、それまであまり知られていなかった新人グラビアアイドルが突如として現れる。まず年頭からフジテレビの競馬情報番組『うまッチ!』にレギュラーとして起用された工藤里紗がブレイク。番組は若槻千夏の初の冠番組で東日本のローカル放送ではあったが、同番組で見せる極めて素人っぽいリアクションがウケてグラビア界でもすぐさま取り上げられるようになり、新たな旋風を巻き起こす。またグラビアではなくいきなりイメージDVDを発売し好セールスを記録した長崎莉奈もそのギャルっぽい出で立ちとは裏腹なぼんやりとした癒し系の雰囲気をかもし出す特異なキャラクターとして注目を集める。
またこの年の半ばあたりから突如ブレイクしたのはほしのあき。グラビアでは既に4年程前からおなじみの顔であったが、「最年長グラビアアイドル」というキーワードとそれを全く感じさせぬロリ顔、華奢な体型、「まるでウォーターベッドみたい(杏さゆり談)」という88センチの弾力のある豊満な胸元を大胆に露出するギミックで深夜番組を足がかりにTVでの露出が増え始めたところ、急激に知名度がアップ。特に業界各所でほしのあきファンを公言し始める者が増え始め、芸人・長井秀和からは毎週のように持ちネタで「愛しのおっぱいエンジェル!!」と呼ばれ、芋づる式に人気が拡大。またキーワードに違わず、30歳近い年齢ながら惜しげも無く水着姿を披露して完成度の高いグラビアを堅持、その地位を確立した。彼女の活躍がグラドルの平均寿命を飛躍的に上げることになり、今の時代では本人のやる気と身体のメンテナンスを怠らなければグラビアでも活躍できる、という認識が広く生まれ、この後多くの高年齢グラドルが活躍の場を広げていくことになる。またそれと並行しドラマなどでは本名の「星野亜希」名義で女優としても活躍。さらにグラドルの知名度貢献に一役買った。これらの活躍が評価され、翌2006年第44回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞。なおこの年の第43回ゴールデン・アロー賞グラフ賞は、これまでの幅広いメディア露出が評価された安田美沙子が受賞している。
その他に大きな動きとなったのは「お尻」というヒットワードが生まれたこと。その発端はこの年から本格的に芸能活動を再開した秋山莉奈で、『撮影の時に「お尻の形が綺麗だね」って言われることが多かった』と自らお尻を強調した水着写真集『楽園』をこの年の11月に発売すると、透けるような白い肌と淫靡な表情、大胆なポーズがクチコミで話題となり大ヒット。秋山は「尻ドルクイーン」という称号を貰い、他のグラドル(特に胸にあまり自信が無いグラドル)がこれに習いお尻を強調したグラビアを続々発表、グラビア界に新しい流れを生み出した。浜田翔子が『週刊ヤングマガジン』の表紙と巻頭グラビアでお尻を向けた写真を掲載した。特にアバンギャルドのグラドルはロリ顔のタレントが揃っていたことでこの流れを派生した「ロリ着エロ」と言うべきグラビアに挑戦。折原みか、海川ひとみなどが追従した。また若槻千夏は既にバラエティタレントのイメージが定着していたが、翌年の5月の自身の誕生日に合わせ3年ぶりに写真集を発売。こちらはプライベートスナップを意識したもので作品イメージは秋山のそれとは異なるが、その中心にお尻を強調した写真を多数使用。写真作品としてのファッション性が高評価を受け、グラビアアイドルとしての存在感をアピールした。
『ミスマガジン2005』はプロデューサーのつんく♂が初めて審査員に参賀し、北乃きいがグランプリを史上最年少で獲得。しかしこの年に話題を攫ったのは、つんく♂賞に選ばれた時東ぁみだった。伊達眼鏡の萌えキャラというアニメ方面を意識したギミックでグラビアと同時並行して歌手活動を開始し、主にハロプロ系ファンから厚い支持を受けた。『日テレジェニック2005』にはプラチナムプロダクションの愛川ゆず季、アバンギャルドの浜田翔子等が選出。既にグラビアではおなじみの存在であり、SUPER GTイメージガールやレースクイーンとしてサーキットでも同時に活躍した。『ヤングジャンプ制コレ2005』ではグランプリをホリプロの寺田有希が、サンミュージックの福留佑子と、砂岡事務所(劇団ひまわり)の齊藤夢愛が準グランプリを受賞。
またCMにグラドルが起用されることも増え、特に3つの大手消費者金融CMでアーティストハウス・ピラミッドの熊田曜子、安田美沙子、夏川純がそれぞれ担当。これに続いてフィットワンの佐藤寛子、中川翔子も同系のCMに出演するようになる。かつらメーカーのCMには、ほしのあきが、翌年には小阪由佳、原幹恵も出演。
2006年、もはやグラビア界は群雄割拠の時代となった。単に雑誌グラビアを賑わせるだけでなく、グラビアを継続したまま各方面への進出を果たし、その売り出す手法も多岐に渡っている。
『ミスマガジン2006』ではSMAエンタテインメントの倉科カナがグランプリに、元Linda☆Lindaで歌手経験のある松井絵里奈がミス週刊少年マガジンに、お菓子系雑誌出身の美少女として有名だった仲村みうがミスヤングマガジンに選出。
『日テレジェニック2006』は通年のような「1人がグラマーなら1人が細身、もう1人が妹系…」というバランスの取れた人選ではなく、この年から1つのコンセプトに沿った選考になった。この年のキーワードは「巨乳」でプラチナムプロダクションの「軟乳グラドル」として売り出していた相澤仁美、アバンギャルドの北村ひとみ、イエローキャブ(応募時。現:スイートルーム)の草場恵(同年『ミスマガジン2006』読者特別賞も受賞)、オスカープロモーションで美少女クラブ31のメンバーとして活躍していた原幹恵と全員が90センチオーバーのバストを揃えてファンの度肝を抜いた。
またグラビア界以外からのグラビアへの進出も多い。前年年頃からビーチバレー選手の浅尾美和がそのアイドル並みのルックスの良さと鍛えられたしなやかな肢体が注目されてオフシーズンの活動の一環としてグラビアに進出、この年に試合以外での水着写真集を発売した。さらに海外発のネットアイドルとして一部で爆発的人気となっていたリア・ディゾンは、来日を期待するアクセス者の後押しから日本の芸能事務所と契約し、「グラビア界の黒船」と呼ばれる逆輸入グラビアアイドルとして鮮烈なデビューをしている。
そして元Folder5の満島ひかりやdreamの長谷部優など歌手活動主体のアイドルがソロ活動を機にグラビア進出している。また、ハロー!プロジェクトのアーティストも、水着姿が中心の写真集やDVDを出している。ただし、1970年代から1980年代にかけての女性アイドルが、歌手活動主体ながら同様の写真集を出していた事を考えると、特に新しい芸能活動の手法というものではない。ティーンファッション誌やテレビCMからの移籍組も多く、南明奈、夏帆などが人気を集めた。
その他には青木りんや範田紗々のように通常のグラビアでは人気が出なかったものの、着エロ系のグラビアアイドルを経てAV業界へ転出していく者も出るようになっている。
[編集] 近年の傾向
一部のグラビアアイドルが絶大な人気を得る一方で、ITインフラが進み一般家庭へのパソコン普及率がアップした事により、ビジュアルコンテンツとしてのグラビアアイドル需要が一気に増えたものの、その反面でグラビアアイドル個人個人のオリジナリティーに欠ける等、異常なまでに増加したグラビアアイドルの弊害も出始め、21世紀に入ってからは飽和状態が続いている。
グラビアアイドルの主力商品である写真集やDVDが、それなりに高価なわりには他の同種の作品と比べて極めて画一的に作られ内容面で乏しい場合も多く(制作に携わる優秀なアイデアを出せる人材の枯渇)、人気グラドルであっても時として売上が伸び悩む事がある。
また原価が安く利益回収率の高いイメージDVDは巷に氾濫するほど出回っているものの、主力商品の1つである上製本の写真集は、紙原料の資源不足や手間隙にかかる人件費等からなかなか出せない、という現象も実際に起きている。写真集は初版1万部が売れれば大ヒットと言われ、最初のリリース作品でその数字をクリア出来なければ、グラビアアイドルを名乗っているにもかかわらず、その後暫く写真集のリリースオファーがこない、といった話も良く耳にする。その為、新人グラビアアイドルが「写真集を出せるようになるのが当面の目標」とインタビュー等で語っているケースも多々見られる。
[編集] ゴールデン・アロー賞「グラフ賞」
社団法人日本雑誌協会雑誌芸能記者クラブ主催の「ゴールデン・アロー賞」には、日本雑誌写真記者会が選考する「グラフ賞」という賞があり、もともとその年度で最も雑誌のグラビアを飾り話題を提供した被写体が受賞者に選出されるのだが、1998年度(第36回)受賞の優香以降は、グラビアアイドルの登竜門的な賞となっている。
- 1998年度(第36回):優香
- 1999年度(第37回):本上まなみ
- 2000年度(第38回):釈由美子
- 2001年度(第39回):井川遥
- 2002年度(第40回):吉岡美穂
- 2003年度(第41回):井上和香
- 2004年度(第42回):岩佐真悠子
- 2005年度(第43回):安田美沙子
- 2006年度(第44回):ほしのあき
受賞者は自動的に翌年度の日本雑誌協会キャンペーンキャラクターに起用される。いずれもその時代を反映したフォトジェニックであり、受賞者を改めて見ることで一般大衆が求めるグラビアの傾向やその推移が見て取れる。また他のミスコンのように同性の視線を意識してか均整の取れたプロポーションの持ち主が選ばれやすいのが特徴。
[編集] グラビアアイドルの表現手法
2007年現在のグラビア傾向としては以下の4パターンに大別できる。
グラビアアイドルは、主に男性誌グラビアを中心に起用される。そのうち水着は最も多いグラビア制作の手段であり、現在でもメインアイテムとして扱われている。元来雑誌グラビアとは男性が見て楽しむことを目的にしたものであり、性に対しての規制が厳しい日本では、セミヌードに代わるグラビア素材としてビキニなどの女性の体を隠す範囲の狭い水着を使うことを早くから行なってきた。またグラビアモデルも局所を隠した状態ならば比較的自由に動けることもあり、それまでのセミヌード中心のアンダーな世界観を一気に開放的で明るいものへと変貌させた。
撮影も最初は浜辺やプールサイドなど水着に合った環境でのロケ撮影が多かったが、需要が飛躍的に増えたことで、室内や水場と水着には全く関係性の無い場所でも衣装として使用されるようになる。またベテランのグラビアアイドルになると自身がより綺麗に見える水着を自ら選ぶ場合もあり、熊田曜子などはテレビに出始めた事で身体を隠す面積が大きい水着を渡されるようになった時「私は紐で結ぶタイプじゃなきゃ似合わない」と、より露出度の高いものを指定することもあるという。その昔は露出度の高い水着を人前で着ることや肌を晒すこと自体に抵抗感を覚える新人アイドルも数多くいたが、21世紀に入り時代がオープン感覚になったことと水着自体のファッション性が各段に上がったことで、最近では最初から「タレントではなくグラビアアイドルになりたい」と自ら芸能事務所に売り込んでくる「他人からかわいく見られたい」女性たちも多い。
水着グラビアは当初アグネス・ラムなど抜群のプロポーションを持つ外国人モデルがその役を担っていた時代もあったが、日本人女性のプロポーションが欧米のそれへと近付いていくに連れて日本人のグラビアモデルが多くなり、今ではその9割以上が10代~20代半ばまでの日本人女性で賄われている。現在はそういったグラビアモデルを務める少女たちをグラビアアイドルと呼び、かつての日本に存在したアイドル歌手に代わる存在として世の男性に認知するようになった。
しかし時間が経つに連れ、水着そのものの持つ刺激に現代の読者層は殆ど慣れてしまい、また雑誌の売上もそれに歩調を合わせるように落ちていく。しかしグラビアは相変わらず男性誌の売上を左右する重要なコンテンツであることに代わりは無く、その為グラビアアイドルの刷新だけでなく、水着以外の様々な趣向が凝らしたグラビアが多数生み出されることになる。
その1つの顕著な例が「着エロ」と呼ばれる過激なグラビアである。これは水着グラビアからヌードグラビアの中間に位置するもので、Tバック水着あるいは水着を着けずに手など体の一部や小物などで女性の局所を際どく隠した上で大股開きのような挑発的なポーズを取り、わざと男性の性的衝動をより刺激するような写真が使われる。これはある意味でグラビアの先祖帰りと言ってよい手法であり、こういったことが可能になった1つの要因として、かつてのフィルム製版からデジタル製版へと印刷技術が向上したことで、無理なポーズで女性の局所の一部が誤って写真に写ってしまった場合でもそのカットをボツとせずに簡単に画像修正できてしまうことが挙げられる。この技術を使い、タレントのホクロや吹き出物、傷、虫刺され跡などを出版側の要望で修正する場合も多くみられる(しかし、画像処理担当者が過剰に処理しすぎてしまい、本人を直接見たファンから写真との違いを指摘され、後に整形疑惑と噂されてしまう、という笑えない噂話がささやかれる場合もある)。また水着に代わり「見せ下着」という一見しただけではビキニと区別のつかないカラフルな下着を着用したグラビアも増えている。なおこの傾向の先駆者として名高いのはインリン・オブ・ジョイトイであり、レースクイーン出身の抜群のプロポーションを駆使して、尻や股間をことさら強調した「M字開脚」と呼ばれるAVもかくやという独特のポーズは世間でも話題となり、グラビアアイドルの存在感を広く知らしめた。
その一方で堀北真希、夏帆などに代表される、予め将来女優として売り出そうとしているタレントの清純なイメージを壊さぬように、極力肌の露出を抑えて、学生服や浴衣姿、普段着に近いファションの写真を前面に使用した情緒的作品もアイドルの清らかな少女性や神秘性を神聖化しているファンに好まれる傾向にある。かつては南野陽子、広末涼子などがこの路線のグラビアで売り出されて成功した。またそれらのモデルは水着グラビアを見せることが至極稀なことであり、水着が掲載された雑誌や写真集などは現在においても中古市場で高値で取引されている。
また、若者向けファッション誌による流行をフィーチャーし、非常にスタイリッシュなイメージを持つグラビアが増えているのも近年の顕著な傾向の1つ。その副産物として「SEVENTEEN」や「nicola」、「ピチレモン」等ティーン向けファッション誌の専属少女モデルをそのままグラビアアイドル、果てはその先の道に転身させるパターンが増えている。新垣結衣や南明奈等がその代表格で、今では日本を代表する若手女優の1人に成長した長澤まさみもこのパターンの先駈けとして認識されている。総じて決して肉感的ではないが非常にさわやかな印象を与え、時代の先端を行くグラビアとして男性だけではなく同性からの支持も多い。
最後の1つがコスチュームプレイ(コスプレ)と呼ばれるもので、これはいわゆるオタクの「萌え」文化の影響を受けて生まれた手法である。元は2次元世界の漫画やアニメの衣装を実際に作成し自ら着用してキャラクターになりきって仲間同士で楽しむ行為(通常彼等はコスプレイヤーと呼ばれる)がコミックマーケットのような大規模同人誌即売会で流行りだしたのが始まりで、当初は一部の愛好者の間でのみ行なわれていたが、ITインフラの普及で自身のブログなどでコスチュームプレイをした自身の写真を公開する自称ネットアイドルが急造。そういったシチュエーションをそのまま雑誌グラビアに転用したのが「コスプレグラビア」である。ネコ、ウサギといった小動物系のモノからアニメのキャラクター、果ては全身を覆う着ぐるみタイプまで、これらの衣装は元々ルックスやプロモーションに秀でた存在であるグラビアアイドルと非常にマッチするものであり、独特の世界観をグラビアに持ち込むことになった。
この傾向の先駆者となったのは「21世紀最強のグラビアアイドル」と評される小倉優子であり、その幼児性を感じさせるロリータフェイスとお姫様キャラクターが相まって多くのグラビアファンを魅了するだけでなく、それまで彼女に対し「ぶりっ子」と否定的だった同性の評価をも引き上げる役割を果たした(元々女性は幼少時から着せ替え人形を使って遊んだ思い出が多いはずで、可愛いものには素直に反応する、という心理面が働いた結果である)。また中川翔子や仲村みうのように元からオタク知識に精通しそれ故自らの着こなしに異常なまでのこだわりを持って望む者なども現れ、今後もこの傾向のグラビアは拡大していく可能性は十分ある。ただし自分が楽しむだけならともかく、グラビアの場合は観る側の趣向からモデルを選ばざるを得ないのがコスプレという表現であり、得てして実際の年齢に関係なく、童顔であったり年齢を殆ど感じさせない相貌の持ち主が好まれる傾向がある。
またコスチュームプレイの一部として、学校の制服、体操服、スクール水着など、学校生活を想起させる手法がある。こちらは前述の清純なイメージを求める手法とは明らかに表現方法が異なり、衣類を着用しただけではなく、脱衣シーンやその後の見せ下着・水着姿を同時に披露したりする。読者に若き青春時代の甘酸っぱい性感情の1ページを切り取ったような情景を見せるものであり、得てしてそのモデルとなっているのは実際に現役の小学生から高校生である場合が殆どで、20歳を過ぎたグラビアアイドルがこの分野に挑戦することは稀である(小倉優子が「21世紀最強のグラビアアイドル」と評される理由は、20歳をとうに過ぎてなお、こういった分野のグラビアを発表しても読者に殆ど違和感を感じさせないからである)。
また上記以外の例外として、現役のグラビアアイドルとして活動している段階で様々な理由から突如としてヘアヌードグラビアに挑戦する場合がある。これはグラビアアイドルとして売り出されたもののいまいちパッとせず、心機一転のつもりで望む者もいれば、若いうちにありのままの姿を残しておきたいという欲求から自身への記念碑的に捉えている者や、高名な写真家から口説き落とされてあまり深く考えずにヌードになってしまうものなど様々である。これらの最たる例として有名なのが現在では純日本女優として評価の高い宮沢りえであり、菅野美穂や最近ではかでなれおんが若くしてヘアヌードに挑戦した。グラビアアイドルを既に卒業した女優や女性タレントなどが大人の色香を備えたヘアヌードグラビアに挑戦することはあっても、20歳そこそこの若さでヌード撮影に挑戦するというのは、AV業界などではさておきグラビアアイドルでは極めて異例な事件であり、これらのヌードグラビアがスクープとして発表されると世間的にも非常に話題になって、掲載誌や写真集は軒並み高セールスを記録するといった現象が起こる。
またこの現象を逆手に利用し、最初からAVとしてデビューすることが決まっているにもかかわらず、売り込み文句を獲得する為に、わざと数回通常の水着グラビアを経験し、その後に「元グラビアアイドル」としてAVを出し売上アップを狙うパターンも多い。
週刊SPA!(扶桑社)誌上において、リリー・フランキーとみうらじゅんが「グラビアン魂」と銘打ち、毎号ユニークな視点からグラビアアイドル批評をおこなっている。
[編集] グラビアアイドルの年齢層
1970年代から1990年代にかけてのグラビアアイドルは、早ければ10代、遅くても大学卒業相当(22~23歳)の年齢で卒業する事が殆どだったが、21世紀に入った現在はその限りでなく、20代半ばを過ぎてもなおグラビアから撤退せずに活躍するケースも急増しており、ほしのあきや堀田ゆい夏、優木まおみのように、大学を卒業する年齢を過ぎてからグラビアに参入するような場合さえ見受けられるようになった。またそれらと正反対に位置する紗綾などに代表される現役小学生としてグラビアデビューを飾る超低年齢層までが出てきており、実に幅広い世代が同時に活躍するようになった。
これには現代社会の科学的・技術的テクノロジーが飛躍が発達したことが大きく関係している。
高年齢層が受け入れられるようになった要因として、顔や体のメイク技術や保湿薬品が発達し、年齢による体のたるみや顔のしわを抑える技術が飛躍的に向上したことが大きく挙げられる。またグラビアアイドルを好むマーク層が年齢が上っても引き続きグラビアを求め、若い世代のグラビアアイドルにシフトせずに素直に受け入れた為、総じてグラビアアイドルの平均寿命は年々上がっている。今ではグラビアを卒業せずに別方面でも活躍するマルチな存在も増えてきて、特にバラエティー番組では俗に「グラビアアイドル枠」というものが暗黙に設けられて、番組を彩る花として重宝がられている。
このような傾向について、アイドル評論家の北川昌弘は「もはやグラビアアイドルの限界年齢は消滅した。明らかにグラビアアイドルの年齢は2極化し、若い子の勢いについていけない20代後半から30代のファンが癒し系高齢アイドルを買い支えている」と分析している。なおこれらの世代はいかんせん団塊ジュニア世代であり小室ファミリーミリオンセラー連発時と同じく彼等の強い購買力に買い支えられていると見る事も出来る。
20代を過ぎてグラビアデビューしたものの中には、営業戦略上の理由として実年齢より若く年齢を公表してる者もまま存在し、暫しゴシップ記事となって世間を賑わせることがある。しかしネット環境が整備された現代では何処からか実情報が漏れ伝わるのはもはや必然的なことであり、また先に述べたようにグラビアアイドルとしての許容寿命が延びた関係で、年齢詐称をすることは、かつて程、効果のある方法ではなくなってきているのが現状である。
また昨今のグラビアを飾る低年齢層(小・中学生グラビアアイドル等)は、かつてはチャイルドポルノとして扱われてきた分野の延長線上にあるといってよい。当時はあからさまに幼女のヌードを局所も隠さずにそのまま掲載したり、日本の法律の盲点をついて発表されたものが多かったが、世間一般の批判や倫理論争から幾度かの法改正を経て明らかに法に抵触していた作品群は世論の標的となって衰退していった。しかし現在は食生活の欧米化などにより、成長の早いものは小学生時から既に高校生あたりの年齢と変わらない肢体を持った少女も多数存在していて、上の年齢層モデルたちに習い水着を着けて、現役小学生という事を宣伝文句にして通常のグラビアアイドルとして活躍している。しかし一部には「着エロ」を上辺だけ模倣し秘部を覆う範囲の狭い水着をつけたり、わざと水着のアンダーを取り払い陰部が微妙に透けて見えるような明らかにやりすぎという感のあるグラビアも中には存在する。こういったことがさらにエスカレートしていった場合、警察の摘発からグラビアへの規制がより厳しくなるといったことは過去にも起こってきたことで、送り手側の節度を持った倫理観が必要である。
さらに言えば、事の是非はさておいて、「小学生の身分で露出の多い水着を着るグラビアアイドルというのはいかがなものか」「小学校の娘をグラビアアイドルにする親の気が知れない」といった、親権者の倫理道徳の欠如や希薄さ・無理解さ、また過去に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を例にとるまでも無く、そういったロリータ世代を趣向する人々の「常識的なモラル」に対する懸念の声も世間の一部であがっていることも事実である。
[編集] 現在の最高のバストサイズ・その他
- 2000年代に入り、巨乳ブームの時でさえありえなかった極端に乳房が大きいグラドルが次々にデビューしている。小池栄子のFカップは当初騒がれたが、今やF~Hカップは当たり前で、J~Lカップを持つグラドルまでもが出現している。今現在、日本のグラドルで最高のカップ数は風子のPカップ(120cm)だとされている。
- 一時期根強かった「巨乳でなければグラビアアイドルになれない」という定説は若槻千夏、小倉優子、山本梓などバストサイズが90cm以下のスリムビューティーなアイドルも多数活躍しており、完全に崩れたといっても良いだろう。
[編集] グラビアアイドル一覧
[編集] 先陣グラビアアイドル(1970年代~2000年代前半)
[編集] 後継グラビアアイドル
[編集] 関連項目
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