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サッカーの世界大会である第2回FIFAワールドカップは1934年にイタリアで開催された。
この大会はムッソーリニ統治下のイタリアで行われ、対イタリア戦では審判や対戦相手に強い圧力が加えられた。またアルゼンチンをはじめとして多くの選手を帰化させており、帰化選手がイタリアチームの大半を占めていた。準決勝の審判であったスウェーデン人は対戦前にムッソリーニ本人に会ったといわれており、露骨にイタリア優位の判定を繰り返した。大会終了後、イタリア戦の審判の内の幾人かは、母国から出場停止処分を受けている。
第2回大会は、初めて予選ラウンドが行われた大会である。参加国は、前回の13カ国から32カ国に大幅に増加したが、そのほとんどを(22カ国)ヨーロッパ勢が占めた。前回大会でヨーロッパからの参加国が4カ国に止まったことに抗議するため、前回優勝国のウルグアイは参加を辞退した。この時はまだ開催国枠が設けられておらず、イタリアも予選からの参加だった。ノックアウト方式の予選で16チームまで絞られ、その16チームが本大会進出、第1ラウンドが行われた。オーストリア、チェコスロバキア、ドイツ、ハンガリー、イタリア、スペイン、スウェーデン、スイスが準々決勝(第2ラウンド)に進出した。
準々決勝のイタリア対スペイン戦で延長戦後の1対1での引き分けを受けて、再戦が行われイタリアが1対0で勝利した。次の対オーストリア戦を1対0で勝利し、イタリアは決勝戦に進出した。チェコスロバキアはドイツを3対1で破り、決勝に進出した。決勝戦は70分の時点でチェコスロバキアが1対0でリードしていたが、その後2点を取り逆転したイタリアがワールドカップ初優勝を果たした。
※準決勝のドイツ戦でハットトリックを達成していたことを、2006年11月10日にFIFAが発表した。
[編集] 出場国
ヨーロッパ
南米
北中米カリブ海
アフリカ
[編集] 決勝トーナメント
[編集] 1回戦
[編集] 準々決勝
[編集] 準決勝
[編集] 3位決定戦
[編集] 決勝
1934ワールドカップ
優勝国: |
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イタリア
初優勝 |