仲哀天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう、生年不詳 - 仲哀天皇9年2月6日(200年3月8日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第14代の天皇(在位:仲哀天皇元年(192年)1月11日 - 同9年(200年)年2月6日)。足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、帯中日子天皇(古事記)。神功皇后の夫・応神天皇の父とされるが、実在性を含めて諸事績の史実性には疑いが持たれる。
目次 |
[編集] 系譜
日本武尊の第2子、母は垂仁天皇の皇女・両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)。
- 皇后:気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと、神功皇后。息長宿禰王の女)
- 誉田別命(ほむたわけのみこと、応神天皇)
- 妃:大中姫命(おおなかつひめのみこと。彦人大兄の女)
- 妃:弟媛(おとひめ。来熊田造の祖・大酒主の女)
- 誉屋別皇子(ほむやわけのみこ、古事記では神功皇后所生)
[編集] 皇居
[編集] 事績
叔父の成務天皇に嗣子が無く、成務天皇48年(178年)3月1日立太子。13年の皇太子期間を経て、仲哀天皇元年(192年)1月即位。『日本書紀』によれば、白鳥となって天に昇った父日本武尊の魂をしのんで、諸国に白鳥を献じることを命じたが、異母弟の蘆髪蒲見別王が越国の献じた白鳥を奪ったため誅殺したとある。その後、仲哀天皇は神功皇后を皇后とする。
8年(199年)熊襲討伐のため神功皇后とともに筑紫に赴いた仲哀天皇は、神懸りした神功皇后から住吉大神のお告げを受けた。 それは西海の宝の国(新羅のこと)を授けるという神託であった。しかし、仲哀天皇は、これを信じず住吉大神を非難した。そのため神の怒りに触れ、仲哀天皇は翌年2月に急死してしまった(一説には熊襲の矢が当たったとも)。『古事記』に「凡そ帯中日津子天皇の御年、五十二歳。壬戌の年の六月十一日に崩りましき」。『日本書紀』にも52歳とするが、これから逆算すると、天皇は父日本武尊の薨後36年目に生まれたこととなり、矛盾する。
その後再び住吉大神の神託が下された。それは神功皇后の胎中の子(後の応神天皇)に宝の国を授けるとのことであった。皇后は神託に従い、身重のまま新羅を攻めたが、新羅王は戦わずして降服、朝貢を誓い、高麗・百済も朝貢を約したという。(三韓征伐)。
- 「この御世に、淡道(あわじ)の屯家(みやけ)を定めたまひき。」(『古事記』)
- 元年二月条に「即月に、淡路の屯倉を定む。」(『日本書紀』)
- 屯倉は、朝廷直轄の農業経営地あるいは直轄領。王権の強化にも繋がった。
[編集] 仲哀天皇架空説
歴史学者のあいだでは、仲哀天皇は実在性の低い天皇の一人にあげられている。その最も大きな根拠は、実在性のほとんど無い父(日本武尊)と妻(神功皇后)をもっている人物であるため、とされている。日本武尊の話は複数の大和地方の英雄の事跡を小碓命(おうすのみこと)一人にあてがって、一大英雄伝説に仕立て上げた物であり、神功皇后の話は白村江の戦いから、持統天皇による文武天皇擁立までの経緯をもとに神話として記紀に挿入された物である、としている。そしてこれらの架空の人物群とそれにまつわる物語とを史実として正当化するために、仲哀天皇が架空に作り上げられ記紀に挿入された、とするのが仲哀天皇架空説である。
[編集] 陵墓
恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)に葬られた。日本書紀に「河内国長野陵」、古事記には「御陵は河内の恵賀(えが)の長江にあり」とする。同陵は大阪府藤井寺市の岡ミサンザイ古墳(前方後円墳)に比定される。幅50m以上の周濠が巡らされているが、中世に城砦として利用されていたため、部分的に改変されている。
[編集] 在位年と西暦との対照表
仲哀天皇 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西暦 | 192年 | 193年 | 194年 | 195年 | 196年 | 197年 | 198年 | 199年 | 200年 |
干支 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 | 丁丑 | 戊寅 | 己卯 | 庚辰 |
[編集] 関連項目
|
|
|
![]() |
歴代天皇一覧 | ![]() |
|||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※赤字は女性天皇 |