広島県立広島国泰寺高等学校
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広島県立広島国泰寺高等学校 | |
国公私立の別 | 公立(県立) |
設立年月日 | 1874年(明治7年) |
校訓・教育目標 | 質実剛健 礼節気品 自治協同(師弟同行) |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | なし |
教育課程の特例 | スーパーサイエンスハイスクール |
特殊学級 | なし |
課程 | 全日制課程・定時制課程 |
単位制・学年制 | 全日制課程は学年制 定時制課程は単位制 |
学科 | 普通科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒730-0042 広島市中区 国泰寺町1丁目2-49 |
電話番号 | 082-241-1537 |
FAX番号 | 082-241-2020 |
外部リンク |
広島県立広島国泰寺高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまこくたいじ こうとうがっこう)は、広島県広島市中区国泰寺町にある広島県立の高等学校である。全日制定時制ともに前後期制を導入している。
広島一中以来の歴史を持つ伝統のある高校であり、2007年に創立130周年を迎える。平成14年度にスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定され、平成17年度に再び新規指定された。そのため理科全般に関するさまざまな取り組みが行われている。その一環として行われている理数ゼミ活動では、理数ゼミ物理班・理数ゼミ生物班などが、Japan Science & Engineering Challengeなどの様々な大会・学会で、多くの成果を挙げている。総合選抜制度導入以降の国立・私学優位の広島県において、広島公立の「旗手」として今後の動向が注目されるところである。また、スポーツ強豪校であり、高校野球・サッカーなどの全国大会や県大会でしばしば上位進出を果たしている。
目次 |
[編集] 所在地
〒730-0042 広島市中区国泰寺町1丁目2-49
[編集] 教育課程
次の教育組織がある。
[編集] 校訓・教育目標
- 質実剛健
- 礼節気品
- 自治協同(師弟同行)
本校の3つの教育目標のうち、1つ目および2つ目は「質実剛健」「礼節気品」と断定できるが、3つ目に付いては「自治協同」(生徒手帳など)と「師弟同行」の二つの説がある。 なお、平成17年度学校経営計画には「質実剛健」および「礼節気品」の文字は見ることができるが、「自治協同」や「師弟同行」の文字は見ることができない。 また、校訓などとして規定されてはいないが「ガンバリズム」という、一中時代からのスローガンがある。
[編集] 生徒指導(全日制課程)
- 服装の規定
- 男子・女子ともに学校指定の制服を着用する。
- 男子は従来は黒の詰襟学生服だったが、1998年にマイナーチェンジされ、色が濃紺となり、両腕に青のラインが入った。首もラウンドカラーと呼ばれる苦しくない形に。
- 女子はステンカラータイプで首元が閉まった5個のパールボタンが付いた濃紺の上着に濃紺のボックススカート。
- 男女共に上着の下は白のカッターシャツまたは白のボタンダウンシャツを着用。ただし、夏季は指定の白のポロシャツでも可となった。
- 夏服の下に色物のTシャツ等は着てはならない(白のワンポイントも不可。しかし、生徒指導部に理由を尋ねても答えられないという矛盾が起こっている)。
- セーターなどは着用してもよいが、裾や袖から出てはならない。また、制服に合わせた紺などの系統の色のものにすること。
- コートは華美でないもの、マフラーは長すぎないものの着用はよい。
- 帽子の着用は禁止。
- スカート丈は膝丈が原則。
- 頭髪
- 染色や脱色、整髪料等の使用は禁止。また基準は明確ではないが、長髪(先日の全校一斉不良頭髪摘発キャンペーンでは男子で耳に髪がかかる程度で指導。)は禁止。女子には指導をしている姿を見たことがない。
- イヤホン・ヘッドフォン
- 先生により意見が分かれる。
- 携帯電話
- 原則禁止であり、2度見つかると解約しなければならない。
- バイク
- 原則禁止。
- アルバイト
- 原則禁止。
- その他
- また、先生によっては漫画やトランプ等も指導対象になる。
- 数年前と比べると、校則が厳しくなっている。
[編集] 校章
楠の葉三枚と鷹の羽二枚を組み合わせて図案化したもの。国泰寺の大楠を象徴化したものである「楠の葉」と、国泰寺が浅野氏の菩提寺であるところから浅野氏の紋所である「鷹の羽」で構成されている。また、楠は香気高く、永遠に変わらぬその操守、気品を、鷹は剛健・質実・責任を象徴している。 つまり、鷹のイメージが教育目標の「質実剛健」になり、楠のイメージが「礼節気品」になった。
ちなみに「広島市内六校」は本校の楠と同様に各校ともシンボルツリー(校樹)を制定しており、舟入高校以外の5校の校章は、いずれも自校のシンボルツリーの葉を図案化したものであるという共通点がある。また基町高校・舟入高校以外の県立4校の校章は、一般的な高校の校章によく見られる中央に「高」の文字を配したデザインを敢えて取っていない点も共通している。
[編集] 校歌
現在の校歌は1950年(昭和25年)10月1日に制定された。この校歌の歌詞は、当時の全日制と定時制両方の生徒と職員に募集を呼びかけて、応募のあった数編のなかから定時制生徒(昭和26年卒業生)の作品が採用されたものである。また作曲は音楽科担当の講師が手がけた。
[編集] 沿革
- 1874年(明治7年) 官立広島外国語学校設立。
- 1877年(明治10年) 県に移管し広島県英語学校となり、その後広島県中学校(これをもって創立とする)となる。
- 1901年(明治34年) 広島県立広島中学校と改称。
- 1922年(大正11年) 広島県立広島第一中学校と改称。
- 1942年(昭和17年) 広島県立広島夜間中学校を開校。
- 1943年(昭和18年) 夜間中学校を広島第三中学校と改称。
- 1945年(昭和20年) 原爆により校舎壊滅、職員15名、生徒351名死亡。
- 1948年(昭和23年) 学制改革により広島第一中学校を広島県鯉城高等学校、広島第三中学校を広島県鯉城高等学校夜間課程に改組。
- 1949年(昭和24年) 広島県の学校再編成により、広島県広島国泰寺高等学校となる。全日制普通科・生活科、定時制普通科(夜間課程)、通信教育部を併置。また、現在の校章が正式に決定される。
- 1956年(昭和31年) 全日制普通科に総合選抜制度導入。皆実高校・観音高校・基町高校・舟入高校との一括募集となり、「広島市内五校」(後に井口高校が加わり「広島市内六校」)と称される。
- 1968年(昭和43年) 広島県立広島国泰寺高等学校と改称。
- 1977年(昭和52年) 100周年記念式典。
- 1991年(平成3年) 通信制課程を西高等学校として分離。総合選抜制度下の「広島市内六校」を東西2学校群に分割。本校は皆実高校・基町高校とともに東部グループを組む。
- 1998年(平成10年) 総合選抜制度全廃。全日制普通科も単独選抜に移行。
- 2001年(平成13年) フェニックスプロジェクトスタート。
- 2002年(平成14年) 普通科に理数コースを設置。
- 2003年(平成15年) 文部科学省SSH指定。
- 2004年(平成16年) Newフェニックスプロジェクトスタート。
- 2005年(平成17年) 400号棟2階の化学教室で火災、幸いゴミ箱と床の一部を燃やす程度の小火で済んだ。
- 2006年(平成18年) 宇宙授業~宇宙に架ける夢の橋~を実施。
[編集] 姉妹校
- アメリカ合衆国ハワイ州立モアナルアハイスクール(英称:Moanalua High School)
- イギリスタスカーミルワード校(英称:Tasker Milward V.C. School)
- アメリカ合衆国カラマズー地域理科・数学センター(英称:Kalamazoo Area Mathematics and Science Center)
[編集] 全日制課程部活動
[編集] 文化系部
放送部・吹奏楽部・新聞部・美術部・演劇部・合唱部・被服部・華道部・調理部・科学部物理班・科学部生物班・科学部化学班・科学部天文地学班・科学部数学班・写真部・ESS部・文芸部・書道部・囲碁部・アニメーション部・映画研究部・フォークソング部
[編集] 体育系部
野球部・サッカー部・バスケット部・ヨット部・テニス部・ソフトテニス部・バレー部・陸上部・水泳部・体操部・卓球部・柔道部・山岳部・剣道部・バトミントン部・応援団・チアリーディング・レスリング部
[編集] 同好会
時事問題研究会・釣り同好会・ダンス同好会・フットサル同好会
[編集] フェニックスプロジェクト
前期三ヵ年(2001年~2003年)、後期三ヵ年(2004年~2007年)で行われているプロジェクトで、前期は名門校復活のための基盤整備を目標として進められ、後期は復活のための躯体作りを目標に進められている。
[編集] 理数ゼミ
[編集] 趣旨
- 生徒の主体性や探究心を高める
- 科学や数学の知識を活用する能力を育成し、創造力を養う
[編集] 概要
理数ゼミ活動とは、放課後に各教科(物理・生物・ソリューション・化学・数学・天文地学)のグループに分かれて、様々な研究をするというものである。イメージ的には部活動と同じである(現になぜか部活動扱いのときもある)。しかし、利便上、校外で発表するときなどは理数ゼミ~班ではなく、科学部~班と名のることが多い。部活動と違うところは、顧問である本校の教員の他に、TA(ティーチングアシスタント)として地元大学から院生や教員を招き、研究の指導・助言等を依頼している点である。理数ゼミ活動はSSHの一環であり、理数コースの生徒は全員所属している(普通コースの生徒も一部所属)。もっとも、理数コースの生徒は全員所属しているといっても、実際に活動しているのは一部の者だけである。また、1年に一度、SSH事業報告会の中で研究発表が行われる。
[編集] 理数ゼミの主なイベント
[編集] 参加コンテスト等
- インテル国際学生科学フェア(ISEF)
- ソリューション班・物理班がそれぞれ、ISEF2005に出場、ISEF2006にサイエンスリポーターとして派遣。また、物理班がISEF2007に派遣される予定。
- ジャパン・サイエンス&エンジニアリング・チャレンジ(JSEC)
- JSEC2004
- ソリューション班・物理班が出場。ソリューション班が優秀賞受賞。
- JSEC2005
- 物理班が出場。アジレント・テクノロジー賞受賞。
- JSEC2006
- 物理班が出場。横河電機賞・審査員奨励賞-基礎研究部門-受賞。
- JSEC2004
- 広島県科学賞
- 第49回広島県科学賞
- 物理班・生物班が、準特選(広島県教育委員会賞)受賞。
- 第50回広島県科学賞
- 生物班が特選(読売新聞社賞)・準特選(広島県教育委員会賞)受賞。物理班が準特選(広島県教育委員会賞)受賞。
- 第49回広島県科学賞
- 物理チャレンジ
- 物理班が過去2回出場している(2005年(2人)・2006年(5人))。
- すばるマカリィスクール
- 広島大学理学部主催 中学生・高校生科学シンポジウム
[編集] これまでの大きな研究成果
これまで大きな成果をあげた研究としては、物理班の「水中の泡の運動」(JSEC2005でアジレント・テクノロジー賞受賞)や「単振り子の運動についての研究」(JSEC2006で横河電機賞、審査員奨励-賞基礎研究部門-受賞)、ソリューション班のKNOPPIXを利用したMPIの研究(JSEC2004で優秀賞受賞)、生物班のオオサンショウウオのDNA解析、天文地学班の「惑星状星雲の観測提案」(すばるマカリィスクール最終審査出場(2005年))などがある。特に物理班は、3年連続インテル国際学生科学フェア(ISEF)(世界大会)に出場・派遣されるなど多くの成果をあげている。
[編集] 各班の主な研究・活動内容
- 物理班
- 水中の泡の運動(JSEC2005でアジレント・テクノロジー賞受賞)
- 単振り子の研究(広島県科学賞で準特選受賞、JSEC2006で横河電機賞、審査員奨励賞-基礎研究部門-受賞)
- 浮力を利用した空気密度の測定(広島県科学賞で準特選受賞)
- コイルガンの製作
- 物理チャレンジ出場を目指した勉強
- 生物班
- ソリューション班
- 化学班
- 数学班
- フラクタルの研究
- 天文地学班
- 惑星状星雲の観測提案(すばるマカリィスクール最終審査に出場)
- 星空継続観察(年2回夏・冬)
[編集] 理数ゼミの現状
理数ゼミとくくられてはいるが、各教科毎に独立して研究を行っているので、教科によって活動の内容(レベル・活発度など)・予算に差があるのが現状である。また、「高校レベルを超えた研究」といわれる研究があるが、実際には、「大学教員の研究を手伝っているに過ぎない」という批判もある。
[編集] 今後の課題
校内の理数教員以外の教員は、各理数ゼミがどのような研究を知らないのが現状である。そのため、校外に活動をアピールすると同時に、校内にも活動を知ってもらうことが課題となっている。また、学校指定の研究しか校内外にアピールしていないのが現状であり、他のハイレベルな研究が無視されている。そのため、各班の研究を満遍なく情報発信していく必要がある。
[編集] 宇宙授業~宇宙に架ける夢の橋~
2006年1月10日、本校とJAXAが共同で国際宇宙ステーションと交信を行った。 この「宇宙授業」では、生徒スタッフが中心となり準備・運営を行った。生徒スタッフは、運営・質問・ステージ・フロアという4つのグループに分かれて準備を行い、記録は放送部が行った。 国際宇宙ステーションとの交信の他に、すばる望遠鏡とのTV会議や広島大学学長による宇宙論に関する講義などがあった。
[編集] 施設・設備
現在、アスベストが発見されたため、校内各設備のリフレッシュ工事が進められている。
[編集] 校舎
300号棟(5階建て)と400号棟(4階建て)の二つの校舎があるが、どちらも古びている。2006年から400号棟のリフレッシュ工事を行う予定。 両方の校舎をつなぐ渡り廊下は正門側と裏門側の両方にあるが、正門側は1階~3階、裏門側にいたっては1階と2階だけにしかなく(2階の渡り廊下の上に少し柱が出っ張っており、また300号棟に渡り廊下を繋げられそうなトマソン状のテラスがあり、まるで作る途中で放置されたような状態だ)300号棟の4階から400号棟への移動などは、階段の上り下りをしなければならなく、非常に不便である。 また400号棟の廊下と渡り廊下には壁の上半分および窓がなく、ほぼ外になっているために雨や雪は直接廊下に降る。さらに廊下が冬とても寒いのは言うまでもない。 但し、エアコンはほぼすべての教室に設置してある(教員室にはないとのこと。)
[編集] 体育館
体育館のある建物は2階建てになっており、1階には剣道場・柔道場・倉庫などがある。体育館の広さは一般的な大きさである。もちろんこの体育館は授業や部活動以外の様々な行事などにも使われる。たまに授業などで広島県立西高等学校の体育館を借用する場合もある。
[編集] スポーツ
[編集] 高校野球
コアな高校野球ファンなら広島一中(広島中学)の名前はよく知られるところである。今や季節の風物詩として定着した高校野球、大正4年(1915年)に行われたその記念すべき第1回大会(当時は全国高等学校野球選手権大会ではなく全国中等学校優勝野球大会という名称であった)の開幕戦(対鳥取中学(現・鳥取県立鳥取西高等学校))で登場したのが広島一中である。この時の試合の詳細は分からないが、現在も続く試合開始前の挨拶を始め、多くの儀式やプレイが高校野球全国大会の“第1号”という事になる。現在もはっきりと記録として残っているものとして、2005年までの通算1000本を超えた夏の大会のホームラン、その第1号が広島一中の中村隆元選手(ランニングホームラン)として残っている。但し試合は大敗(7-14)であった。そういう訳で高校野球史にもその名を残す学校なのだが、第2回以降はまったく全国大会の出場が無いことでも知られる。夏春通じて出場が無く既に1世紀近くが経とうとしている。最近は2005年に広島県春季大会で準優勝するなど、奮戦はしている。
[編集] サッカー
また広島一中は中等サッカー草創期からの強豪としても知られる。広島の旧制中学校では広島商業、広島高等師範附属中学(現広島大学附属高校)と共に明治後期からサッカーが始められたが、広島商業は野球に押されてサッカーは立ち消えになり、熱狂のあまり観客の暴動など問題の多かった野球にかわり広島一中や附属中学ではサッカーが奨励され実力を付けていった。大正2年(1913年)広島一中に蹴球部が正式に発足。当時のメンバーには後に日本サッカー協会会長となる野津謙らがいた。大正8年(1919年)に似島のドイツ人捕虜チームと親善試合をした広島高等師範学校の主将だった田中敬孝が、翌年からサッカー部監督としてチームを指導。関西遠征でも互角以上の戦いをし、当時の日本代表チームにも勝つ程であった。また広島一中のOBチーム・鯉城蹴球団は1924年(大正13年)、1925年(大正14年)と明治神宮競技大会兼ア式蹴球全国優勝大会(天皇杯の前身)で二連覇の偉業を達成した。また広島一中も現在の全国高等学校サッカー選手権大会の前身・日本フットボール優勝大会が、実質の全国大会となり全国中等学校蹴球選手権大会と名称を変えた1926年(大正15年)の第9回大会に初出場すると決勝に進出、 御影師範に敗れたものの1948年(昭和23年)までに優勝・準優勝を各3度果たすなど、前記の附属中学やのち台頭した修道中学(現修道高等学校)と広島の中等サッカーを引っ張り、また関西勢と共に草創期の日本の中等サッカーをも引っ張った。
そういった事情もあり日本で最も権威有るサッカー大会、天皇杯全日本サッカー選手権大会が、1957年の5月に、国泰寺高校のグラウンドで開催されたことがある。なお試合は、地元の期待を一身に集めた東洋工業(現・サンフレッチェ広島)が、決勝に進出するも中大クラブに惜敗している。サッカーが長い期間マイナースポーツで観客があまり入らなかったこと、また同校が市内中心部にあって交通の便がよかったこともあり、東洋工業はその他日本サッカーリーグ(JSL)などの公式戦も、しばしば同校グラウンドを使用した。
[編集] キャンペーン
[編集] マナーアップキャンペーン
広島市のマナーアップキャンペーンに賛同する形で時々行われる。主に自転車の運転マナーについて指導され、稀に駐輪場所について指導される。このようなキャンペーンを行うのは、やはり広島市中心部にある学校であり、生徒の多くが放課後に市内中心部に立ち寄って帰るからなのだろう。
[編集] 遅刻0キャンペーン
これは、このキャンペーン中に1回でも遅刻をしたものには罰(3日間の校門での挨拶運動)が与えられるというもの。
[編集] 著名な出身者
- 下瀬雅允 - 発明家(下瀬火薬発明者)
- 川崎卓吉 - 政治家(元商工大臣、文部大臣、法制局長官、内務次官)
- 長崎英造 - 実業家
- 鈴木三重吉 - 児童文学者
- 吉本直志郎 - 児童文学者
- 坂村徹 - 遺伝学者
- 賀屋興宣 - 政治家(元大蔵大臣)
- 瀬越憲作 - 棋士(日本棋院初代理事長)
- 野津謙 - 元日本サッカー協会会長
- 灘尾弘吉 - 政治家(元厚生・文部大臣、元衆議院議長、内務次官)
- 織田幹雄 - 陸上選手(三段跳び)、日本初の金メダリスト(アムステルダムオリンピック/1928年)
- 田部武雄 - 巨人軍二代目主将 / のち広陵中へ、野球殿堂
- 田部文一郎 - 実業家(元三菱商事社長、元日本商工会議所副会頭)
- 藤田明 - 元日本水泳連盟会長
- 松尾孝 - カルビー創業者
- 高橋進 - 陸上選手(長距離)、指導者
- 岡田茂 - 元東映社長
- 長石多可男 -映画監督
- 寺西忠成 - 元八幡製鉄サッカー部監督、東福岡高等学校コーチ
- 巻幡展男 - 元関西テレビ社長
- 三宅一生 - ファッションデザイナー
- 河原さぶ - 俳優
- 水口洋次 - サッカー選手、監督
- 緒方喜治 - NHKスポーツアナウンサー
- 義田貴士 - スポーツジャーナリスト
- 吉田安孝 - サッカー選手、スポーツ解説者
- 野村雅之 - 岡山県作陽高等学校サッカー部監督
- 窪田崇 -映画監督・演出家
- 岩畔豪雄 - 日本陸軍参謀、特務機関・「岩畔機関」長(INA育成)、京産大理事
- 源田実 - 日本海軍大佐、航空幕僚長、参議院議員
- 三川軍一 - 海軍中将、第8艦隊(三川艦隊)司令長官
- 末次信正 - 海軍大将、内務大臣、艦隊派
- 木村兵太郎 - 陸軍大将、東京裁判にて絞首刑判決
- 西原一策 - 陸軍中将、機甲師団長
- 早速整爾 - 大蔵大臣、文部大臣、鉄道次官
- 佐上信一 - 内務省地方局長、京都府知事、北海道庁長官
- 石黒英彦 - 奈良県知事、岩手県知事、北海道庁長官、文部次官
- 伊藤日出登 - 文部次官
- 田中義男 - 文部事務次官、内務省出身
- 加藤陽三 - 防衛事務次官、内務省出身
- 谷川昇 - 内務省警保局長(現・警察庁長官)、広島カープ創設
[編集] アクセス
- 広島電鉄中電本社前電停か中電本社前バス停から、中電本社ビルの右脇の道に入るとすぐに見えてくる。
- 平和大通りの白神社東交差点を、鳥取銀行の見える方に曲がって直進すると左手に見える。
- 国道2号の広島市役所の横の道を入ると、右手に見えてくる。