多摩地域
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多摩地方のデータ | ||
国 | 日本 | |
地方 | 関東地方(南関東) | |
面積 | 1,169.49km² | |
総人口 | 4,088,364人 (2007年1月1日) |
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位置 | ||
多摩地域(たまちいき)または多摩地方(たまちほう)とは、東京都のうち、特別区(旧東京市)と島嶼(伊豆諸島、小笠原諸島)を除いた地域を指す。
概ね、令制国の武蔵国多摩郡に相当する。三多摩(さんたま)と呼ぶ事もある。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 地理
関東平野の一角で、概ね武蔵野台地、多摩川低地および多摩丘陵に位置する。気候は太平洋側気候に属する。
尚、「奥多摩」と呼ばれる山間部は関東山地の東縁に当たり、人工林である杉林が多い。
[編集] 範囲
西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡の3つの地域の総称で、現在では東多摩郡に当たる中野区と杉並区を除く。概して多摩川と秋川の合流地点より西が西多摩地域、それより下流の、多摩川の南側が南多摩地域、北側が北多摩地域である。
タクシー業界では武蔵野市と三鷹市が、路線バス業界ではこれに加えて調布市と狛江市が特別区扱いとなる。電話の単位料金区域(MA)では、狛江市の大半と調布市、三鷹市の各一部が特別区扱いになる(市外局番03)。
[編集] 呼称
[編集] 三多摩
本来の多摩地域は、令制国の武蔵国多摩郡に当たり、中野区と杉並区も含まれるため、「東京都の特別区と島嶼を除いた地域」を指す名称としては、「多摩地域のうち東多摩郡を除く、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡の多摩3郡域」という意味で三多摩(さんたま)の語の使用が正しい。
しかし、東多摩郡の旧東京市への編入(編入当時は豊多摩郡)から70年以上が経ち、中野区や杉並区域が「多摩」の一角であるという意識は薄れており、また市制施行等により西多摩郡以外の2郡は消滅したため、「三多摩」の語の使用頻度は減少しつつある。ただし、東京都議会の選挙区として北多摩第一~第四、南多摩の各選挙区がありその名前を留めている(→東京都#都議の選挙区)。
[編集] 都内・都下
「東京都内」「都内」という場合には多摩地方や島嶼も含めて東京都全域を指すが、特別区を指して「都内」と呼称した場合には、それに対して多摩地方を「都下」と呼称する場合もある。
これは、「県内」と「県下」が同義である事を考えるとおかしな表現であるが、かつて「東京市内」「東京府下」とされた呼称が、1943年7月の東京都発足時にそのまま「東京都内」「東京都下」に呼び変えられた事で起こった、慣習的な表現だと言われている。
しかし、東京都の発足から63年が経ち、とりわけ「都下」の表現が使われる機会は減少している。
[編集] 広域多摩地域(TAMA)
多摩地域に加えて、神奈川県の国道246号沿線(川崎市北部地域{多摩区、麻生区、宮前区、高津区}横浜市青葉区、緑区、都筑区)や相模原市、埼玉県のうち旧入間県(所沢市、狭山市、入間市、川越市などの南西部)は、電気・電子機械製造業の工場・開発拠点、大学などの教育研究機関が集積しているため、旧通商産業省関東通商産業局は、この一帯を総称して「広域多摩地域」と名付けた。又、TAMA産業活性化協議会は、この広域多摩地域の総称を、「Technology Advanced Metropolitan Area」(技術先進首都圏地域)の頭文字を取って「TAMA」と名付けた。
[編集] 多摩都民
「多摩都民」という語があるが、幾つかの定義を有する。
- 多摩地域に住む東京都民
- 東京都の内、多摩地域の住民を、特別区の住民と区別して扱う語。都議会議員が用いる事が多い。
- 多摩地域から東京特別区に通勤・通学する住民
- 多摩地域に住みながら、東京特別区に憧れる住民
[編集] 多摩梨
「多摩梨」という語があるが、これも幾つかの定義を有する。
第1義は、特に稲城市や神奈川県川崎市多摩区の内東急田園都市線より北西側の多摩川流域で生産される梨を指す。なお、「多摩川梨」ともいう。
第2義から第3義までは、「ちばらき」と同様に、複数の地域を諷刺する語だが、使用頻度は「ちばらき」に比べると少ない。
[編集] 歴史
[編集] 律令制の時代
現在の多摩地域は、令制国の武蔵国多摩郡に相当する。この多摩郡には、武蔵国の中枢機関に当たる国府(現在の府中市)と国分寺(国分寺市)、一宮(多摩市)が置かれた。
武蔵国は、現在の東京都全域および埼玉県全域と神奈川県東北部を含む広い版図であった。当初の武蔵国は、五畿七道では東山道に属していたが、771年に東海道所属に変更された。
延喜式神名帳には、足立郡に氷川神社(名神大社)、多摩郡に小野神社(一宮)、阿伎留神社、青渭神社等が見えるが、後世に武蔵国総社とされた大國魂神社や、東京都区部の神社として著名な神田明神や日枝神社の名は見えない。
かなり古い時代から渡来人が住んでいたようで、亀塚古墳のある狛江郷(狛江市)は高句麗に由来するとされ、他にも渡来人に纏わる伝承は多い。武蔵野台地の開発は渡来人の潅漑技術による所が大きいとされる。
[編集] 幕府の時代
武蔵七党などの勢力の勃興を経て、14世紀には、武蔵府中で分倍河原の戦いが起こり、新田義貞が鎌倉幕府軍を破った。
戦国時代の多摩郡は、関東管領の上杉氏による支配を経て、江戸を本拠地とする太田氏や、小田原を本拠地とする後北条氏の地盤となった。北条氏政の弟・北条氏照は八王子城(八王子市)を築き、西方の甲斐国の武田氏に備えた。その後北条氏も、豊臣秀吉の小田原攻めによって滅んだ。
江戸時代には、幕府直轄の天領となり、八王子宿には関東各地の直轄領(御料)を支配する代官18人が駐在することとなり、武田氏旧臣の大久保長安が代官頭を務めて、多摩地域の開発と、甲州街道や青梅街道の整備に当たった。
又、江戸幕府は、国境警備のため、八王子宿周辺の農村に八王子千人同心を配した。このため、多摩地域は江戸幕府への忠誠が厚く、新選組主要隊士の出身地ともなった(近藤勇・現調布市、土方歳三・現日野市など)。
[編集] 東京府の傘下
江戸幕府が亡んで明治維新を迎えると、明治政府が東京市(幕末までの江戸)を本拠地として、多摩郡内の旧幕府・旗本領は韮山県や品川県などに編入されたが、川越藩領との移管も含めて、各町村ごとの管轄の変遷は極めて錯綜している。
1871年8月29日(旧暦7月14日)の廃藩置県後、同年12月(旧暦11月)に多摩郡は東京府と入間県に分割されたが、多摩郡内が横浜に居留する外国人の遊歩区域に含まれるとの神奈川県知事・陸奥宗光の上申により、全域が神奈川県に移管された。
ただし、東部の中野村ほか31村(現在の中野区・杉並区)は1872年9月に再び東京府へ移管された。1878年11月に施行された郡区町村編制法により、神奈川県管下の区域は3分割され西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡に、東京府管下の区域は東多摩郡となった。
この後、多摩3郡は1893年に東京府へ移管された。この理由は、当時の政府が、日清戦争に備えての海軍力増強予算を帝国議会で成立させるためだったと言われる。更に、多摩地方は自由民権運動の中心的地方で、五日市憲法草案(あきる野市)もこの地で生まれている。そして、この時期には自由党の地盤でもあった。
これは、多摩地域に、養蚕業を中心とした製造業者と、それを横浜港から輸出する流通業者が多く、軍事よりも産業振興を求める層だったからであるといわれている。自由党の戦闘組織である三多摩壮士団を結成して、東京市内で暴動を繰り広げていたこの過激で強烈な新興産業資本家層を壊滅させることを目的として、明治政府は、多摩3郡を東京府に移管した。又、東京府への移管は、東京市の水源地である玉川上水の管理上の必要性もあった。
しかし、大阪事件以降の村野常右衛門や森久保作蔵は、組織力を生かして東京市政に市議として乗り込み、「常盤会」を結成して、数々の疑獄事件を起こして混乱を起こし、その一方で政党政治の院外団として大正末頃まで絶大な影響力を中央政界に及ぼす事となる。
1896年に東多摩郡(現在の中野区と杉並区)と南豊島郡が合併して豊多摩郡が設置された頃、「武蔵県」構想や「多摩県」構想が持ち上がった(→#多摩県設置論)。
[編集] 東京都の傘下
1943年7月1日、内務省によって東京府と東京市は合併を強いられ、東京都が設置された。
東京都発足時、道路・公共施設等の都市基盤の整備状況は特別区と三多摩地域とで大きな差として生じており「三多摩格差」の語が生まれた。
第二次大戦後、多摩地域には大規模な住宅団地や工業団地が進出し、多摩丘陵には全国最大規模の多摩ニュータウンが建設された。このニュータウンの完成に合わせて、京王電鉄相模原線、小田急電鉄多摩線が開通した。また、特別区のキャンパスが手狭になった大学の移転も相次いだ。
1964年に開催された東京オリンピックでは、八王子市に仮設された「八王子ロードレースコース」にて自転車競技が行われた。
1967年、全国第2の高速道路として中央自動車道が開通した。この道路の初めての開通部分は調布インターチェンジ~八王子インターチェンジで、いずれも多摩地域内である。
多摩地域に不足している南北間の交通を補完する目的で、1998年には多摩都市モノレールが開通し、また2002年にはこの地域内に首都圏中央連絡自動車道の東京都内部分が初めて開通し現在延伸中である。
2013年には、多摩地域と島嶼部を中心とした「東京国体(多摩国体)」が予定されている。
[編集] 自治体
現在、多摩地方には26市3町1村、計30の自治体がある。
- 市町村コード(自治体コード)
- 上2桁の13は東京都を、次の桁の2は市を、3は町村を表す。下2桁は成立順に付与される。市への移行・合併時には継承されず、新しく付与される。
[編集] 市
近年まで存在した3市も掲載してある。
市町村コード | 市名 | 成立 | 備考 | 地域(旧郡) |
---|---|---|---|---|
13201 | 八王子市 | 1917年9月1日 | 南多摩地域 | |
13202 | 立川市 | 1940年12月1日 | 北多摩地域 | |
13203 | 武蔵野市 | 1947年11月3日 | ||
13204 | 三鷹市 | 1950年11月3日 | ||
13205 | 青梅市 | 1951年4月1日 | 西多摩地域 | |
13206 | 府中市 | 1954年4月1日 | 北多摩地域 | |
13207 | 昭島市 | 1954年5月1日 | ||
13208 | 調布市 | 1955年4月1日 | ||
13209 | 町田市 | 1958年2月1日 | 南多摩地域 | |
13210 | 小金井市 | 1958年10月1日 | 北多摩地域 | |
13211 | 小平市 | 1962年10月1日 | ||
13212 | 日野市 | 1963年11月3日 | 南多摩地域 | |
13213 | 東村山市 | 1964年4月1日 | 北多摩地域 | |
13214 | 国分寺市 | 1964年11月3日 | ||
13215 | 国立市 | 1967年1月1日 | ||
(13216) | (田無市) | 1967年1月1日 | 現・西東京市 | |
(13217) | (保谷市) | 1967年1月1日 | 現・西東京市 | |
13218 | 福生市 | 1970年7月1日 | 西多摩地域 | |
13219 | 狛江市 | 1970年10月1日 | 北多摩地域 | |
13220 | 東大和市 | 1970年10月1日 | ||
13221 | 清瀬市 | 1970年10月1日 | ||
13222 | 東久留米市 | 1970年10月1日 | ||
13223 | 武蔵村山市 | 1970年11月3日 | ||
13224 | 多摩市 | 1971年11月1日 | 南多摩地域 | |
13225 | 稲城市 | 1971年11月1日 | ||
(13226) | (秋川市) | 1972年5月5日 | 現・あきる野市 | 西多摩地域 |
13227 | 羽村市 | 1991年11月1日 | ||
13228 | あきる野市 | 1995年9月1日 | ||
13229 | 西東京市 | 2001年1月21日 | 北多摩地域 |
[編集] 町・村
近年まで存在した1町も記してある。
市町村コード | 市名 | 成立 | 備考 | 郡 |
---|---|---|---|---|
13303 | 瑞穂町 | 1940年11月10日 | 西多摩郡 | |
13305 | 日の出町 | 1974年6月1日 | ||
(13306) | (五日市町) | 現・あきる野市 | ||
13307 | 檜原村 | |||
13308 | 奥多摩町 | 1955年4月1日 |
[編集] イベント
1993年4月25日から11月7日まで、多摩東京移管100年周年記念事業として、市民、大学、企業等が市町村、東京都と提携してTAMAらいふ21が開催された。
[編集] 広域行政
多摩地方の自治体は公営競技、ゴミ処理などで一部事務組合を作っている。
- 東京市町村総合事務組合 - 東京都の全市町村(多摩地域および島嶼)で組織し、東京自治会館を運営する。
- 多摩北部都市広域行政圏協議会 - 小平市、 東村山市、 清瀬市、 東久留米市、 西東京市の5市で施設の相互利用、イベントの共同開催を行っている。
- 西多摩地域広域行政圏協議会 - かつて西多摩郡に属していた青梅市、福生市、あきる野市、羽村市を含め、奥多摩町、日の出町、瑞穂町、檜原村の4市3町1村で単独の自治体では処理が困難な行政課題に対応することを目的に組織されている。
[編集] 公営競技
- 東京都十一市競輪事業組合 - 八王子、武蔵野、青梅、昭島、調布、町田、小金井、小平、日野、東村山、国分寺市の11市で 京王閣競輪を開催している。
- 東京都市収益事業組合 - 三鷹、西東京、福生、狛江、東大和、清瀬、東久留米、武蔵村山市の8市で 立川競輪を開催している。
- 東京都六市競艇事業組合 - 八王子、昭島、武蔵野、町田、小金井、調布市の6市で 江戸川競艇を開催している。
- 東京都三市収益事業組合 - 多摩、稲城、あきる野市の3市で 江戸川競艇を開催している。
- 東京都四市競艇事業組合 - 小平、日野、東村山、国分寺市の4市で 多摩川競艇を開催している。
[編集] ゴミ処理
- 東京たま広域資源循環組合 - 多摩地域のあきる野市、奥多摩、日の出町、檜原村を除く25市1町で、
日の出町にある「二ツ塚廃棄物広域処分場」の運営や「エコセメント事業」を行っている。
- 多摩川衛生組合 - 稲城、狛江、府中、国立市の4市で、稲城市にある「クリーンセンター多摩川」を運営している。
- 二枚橋衛生組合 - 府中、小金井、調布市の3市で、調布市にある「二枚橋清掃工場」を運営している。
- 多摩ニュータウン環境組合 - 八王子、町田、多摩の3市で、多摩市にある「多摩清掃工場」を運営している。
- 柳泉園組合 - 東久留米市、清瀬市、西東京市の3市で、東久留米市にある「クリーンポート」を運営している。
- 小平・村山・大和衛生組合 - 小平市、東大和市、武蔵村山市の3市で、小平市にある清掃工場を運営している。
- 西多摩衛生組合 - 青梅市、福生市、羽村市、瑞穂町の3市1町で、羽村市にある「環境センター」を運営している。
- 西秋川衛生組合 - あきる野市、日の出町、檜原村の1市1町1村で、あきる野市にある「高尾清掃センター」を運営している。
[編集] その他
- 昭和病院組合 - 小金井市、小平市、東村山市、東久留米市、清瀬市、東大和市、武蔵村山市、西東京市の8市で小平市内に「公立昭和病院」を運営している。
- 多摩六都科学館組合 - 小平市、 東村山市、 清瀬市、 東久留米市、 西東京市(開設当時は、田無市、保谷市)の5市で、西東京市にある「多摩六都科学館」を運営している。
[編集] 三多摩の行政区画の変遷
[編集] 西多摩郡
西多摩郡は現在の青梅・福生・羽村・あきる野市も含んでいたが、現在は瑞穂町・日の出町・奥多摩町・檜原村の3町1村を残すのみである。旧郡役所所在地:青梅町(郡役所廃止1925年当時)
[編集] 南多摩郡
南多摩郡は現在の八王子・町田・日野・多摩・稲城市の区域だったが、1971年に多摩・稲城の市制施行に伴い消滅。旧郡役所所在地:八王子市(同上)
[編集] 北多摩郡
北多摩郡は現在の武蔵村山・東大和・東村山・清瀬・東久留米・西東京・昭島・立川・国立・小平・国分寺・小金井・府中・三鷹・武蔵野・調布・狛江市及び世田谷区の西部(旧 砧村・千歳村)の区域。1970年に村山町が武蔵村山市に昇格したのを最後に消滅した。旧郡役所所在地:府中町(同上)
[編集] 東多摩郡
東多摩郡は1896年に南豊島郡と合併して豊多摩郡の一部となり、1932年に旧東京市に編入された。現在の中野区、杉並区に相当する。旧郡役所所在地:中野町(同上 1896年当時)
[編集] 交通
主要幹線鉄道は、明治から昭和初期にかけて完成している。
[編集] 鉄道
[編集] 道路
[編集] 多摩県設置論
東京府の時代から東京都の現在に至るまで、東京都(旧東京府)を分割して、「多摩県」の設置を求める声がある。
[編集] 第二次大戦まで
東多摩郡(現在の中野区と杉並区)は、1896年に南豊島郡との合併で豊多摩郡となって消滅した。それに前後して、「武蔵県」構想や「多摩県」構想が持ち上がった。
「武蔵県」構想は、東京市(発足当時の15区)を除く東京府、即ち多摩3郡と豊多摩郡・北豊島郡・荏原郡・南足立郡・南葛飾郡(この5郡は1932年に東京市に編入されることとなった)を含めて県を構成する案であった。この案では、豊多摩郡内藤新宿町(1920年東京市四谷区に編入)、或いは八王子市(1917年市制施行。東京市に次ぐ市制)に県庁を置く案があった。
又、「多摩県」構想は、多摩3郡のみで県を構成する案であった。この構想での県庁所在地は、八王子市とする案があった。
[編集] 平成期
現在でも、「多摩は東京ではない」「東京都を『多摩県』と『東京市』に分割せよ」という声が、地域関連のネット掲示板、個人のホームページ、2ちゃんねるやまちBBSなどを中心として、ネット上で多く見られる。
又、国道246号と国道16号が交差し、しばしば神奈川県内と誤認される町田市を、東京都から神奈川県に転属させてはどうか、との声も見られるが、隣の神奈川県相模原市がしばし東京都と誤認され、また実際東京都との結びつきが強いことを考えるとこれは現実的ではないだろう。
ネット上でこの「東京都分割論」が多く見られる背景には、以下の点が挙げられる。
- そもそも、「東京」とは幕末までの江戸であって、多摩地域は含まない。しかし、この論からすると現在の区部の内、江戸の「墨引き」の外側であった地域(豊島区、渋谷区、荒川区、北区、目黒区、品川区、板橋区、江戸川区、葛飾区、足立区、練馬区、中野区、杉並区、世田谷区、大田区)も「東京」ではなくなる。
- 東京府と東京市が強制的に合併させられた経緯から、多摩地域や島嶼部には、市役所および町村役場が存在するのに、区部には「東京市役所」が存在しない。そのため東京都知事は「東京市長」兼「東京府知事」であるため、「東京市長」としての業務の比重が大きく、多摩地域や島嶼部の案件を軽視しやすい。このため、多摩地域(と島嶼部)の行政を「多摩県知事」が担い、区部の行政を「東京市長」が担う、という風に分けた方が効率的である。
又、各国において首都は過密化するため、東京市を特別市として、パリ市のように一市で単独で県を構成する方が効率的である。 - 区部(旧東京市)の周辺を四方に分けると、南に神奈川県、北に埼玉県、東に千葉県が単独の県として分立しているのに、西の多摩地域だけが単独の県ではない。ただ、この配置に関する論からすれば多摩地域を単独県にするよりは神奈川県に含めた方がバランスはよい。
- 区部は首都で過密都市、その上に「本店経済都市」となっているのに対して;多摩地域にはニュータウンが立ち列び、中小都市や「営業所経済都市」が多い。この経済的観点から見ても、区部と多摩地方は全く異なる地域である。
ただし、これらはネット上の議論であり、東京都および東京都内各市町村が、多摩地域の独立を検討しているということはない。また道州制議論の中で、都心3区(千代田区、中央区、港区)を国直轄にする案はでているが、東京都を区部と多摩地域とで分割する案はでていない。 また、住民の多くは東京都民である事に執着することが予測される(現に町田市と相模原市の境を流れる境川の河川改修が基で発生した飛び地を解消させる際に、神奈川県→東京都を選択する住民は多くいたが、逆はいなかった)為、東京都の分割は行われないことが予想される。
[編集] 作品
多摩地域を舞台にした文芸作品には、国木田独歩の『武蔵野』や大岡昇平の『武蔵野夫人』など著名なものをはじめ、武蔵村山市を舞台にした『OUT』や国分寺市の『さらば国分寺書店のオババ』などがある。また漫画作品では、東久留米市の『めぞん一刻』、吉祥寺の『GTO』『ろくでなしBLUES』、国立市の『姫ちゃんのリボン』などがある。
又、スタジオジブリが小金井市に、タツノコプロが国分寺市に本社を置いており、多摩地域はアニメスタジオの地盤となっている。多摩ニュータウンはスタジオジブリの作品である『耳をすませば』と『平成狸合戦ぽんぽこ』の舞台となっており、三鷹市には三鷹の森ジブリ美術館が立地する。
作品の一覧については「東京を舞台にした漫画作品」「東京を舞台にしたアニメ作品」「東京を舞台にした文芸作品」を参照する事。
[編集] 関連リンク
- 『多摩のあゆみ』
- 東京雑学大学「拡けゆく多摩」
- 多摩ちゃんねる (自由な多摩地区全域の掲示板)
- まちBBS 東京多摩地区掲示板
- 多摩地区地方紙【地方新聞】多摩ニュータウンタイムズ
[編集] 関連項目
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- 東京都の自治体
-
特別区: 千代田区 | 中央区 | 港区 | 新宿区 | 文京区 | 台東区 | 墨田区 | 江東区 | 品川区 | 目黒区 | 大田区 | 世田谷区 | 渋谷区 | 中野区 | 杉並区 | 豊島区 | 北区 | 荒川区 | 板橋区 | 練馬区 | 足立区 | 葛飾区 | 江戸川区 その他市部: 八王子市 | 立川市 | 武蔵野市 | 三鷹市 | 青梅市 | 府中市 | 昭島市 | 調布市 | 町田市 | 小金井市 | 小平市 | 日野市 | 東村山市 | 国分寺市 | 国立市 | 福生市 | 狛江市 | 東大和市 | 清瀬市 | 東久留米市 | 武蔵村山市 | 多摩市 | 稲城市 | 羽村市 | あきる野市 | 西東京市 西多摩郡: 瑞穂町 | 日の出町 | 檜原村 | 奥多摩町 島嶼部: 大島町 | 利島村 | 新島村 | 神津島村 | 三宅村 | 御蔵島村 | 八丈町 | 青ヶ島村 | 小笠原村