ヨーロッパ航空航路
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ヨーロッパ航空航路は、日本からヨーロッパへ向かう航空路線のこと。現在使用されているシベリア上空経由の他、南回りヨーロッパ線と北回りヨーロッパ線などがある。
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[編集] 南回りヨーロッパ線
日本などの極東から東南アジア、中東などを経由してヨーロッパへ向かう航空路線のこと。一番古くから運行されていた路線で、乗り継ぎ(機材、便の変更)をしない直行便としては第二次世界大戦後の1940年代から、乗り継ぎありの便としては第二次世界大戦前の1930年代から存在していた。
[編集] 概要
[編集] 始まり
1930年代にフランスやオランダ、イギリスなどの航空会社が、植民地であるインドシナやインドネシア、香港やオーストラリアなどと自国を結ぶ航空路を開設した際に、航空技術が未発達で、航続距離が短い旅客機しかなかったために、北アフリカや中東、インドなどに点在する自国や友好国の植民地を何箇所も経由して行く便を運行したのが始まりである。なお、当時これらの航空路の開拓のために、これらの航空路を使った長距離レースが開催されたこともある。
[編集] 北回りヨーロッパ線登場までは花形路線
その後、第二次世界大戦を経て旅客機の航続性能が飛躍的に向上したものの、ヨーロッパと極東の間に横たわる共産主義国家・ソビエト連邦の領土上空を飛行することが許されなかったため、1957年に、スカンジナビア航空のダグラスDC-7C型機による世界初の北極圏経由の北回りヨーロッパ線である東京-アンカレジ-コペンハーゲンが開設されるまで、唯一の極東とヨーロッパを結ぶ路線として使用されていた。
変わったところでは、1970年代後半にエールフランスが北京、カラチを経由する便を一時期運航。ルーティングから「シルクロード超特急」と呼ばれた。また、ルフトハンザ航空はカラチのみに経由する特急便を一時運航しており、フランクフルトまでの所要時間がアンカレッジとハンブルクに経由する北極経由便よりも短かったことを宣伝していた(後にミュンヘンに経由するようになる。)。スイス航空も同時期、東京 - チューリヒ線においてボンベイ(現ムンバイ)のみに寄港する最短ルートで運航していた事があり、こちらも「スイス特急」の異名で呼ばれていた。
[編集] 難点
霧、砂嵐、南方特有の前線活動の激変といった特異な気象状況や、寄港地国の飛行資料や情報の不正確さ、空港設備の不備、さらに1960年代から1970年代にかけて西アジアや中東諸国の戦争や政情不安が頻発したことなど、問題が多く危険性が高く経費もかかる上、飛行距離や飛行時間が長く、パイロットやスチュワーデスなどの乗員管理が難しいという問題もあったこともあり、次第に各航空会社は北周りヨーロッパ線にその主力をシフトしていった。
[編集] シベリア経由線登場で更なる窮地へ
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1960年代に入り、ボーイング707やダグラスDC-8などの長距離飛行が可能なジェット機の就航により、より所要時間が短くて済む北回りヨーロッパ線が、極東とヨーロッパを結ぶ航空路線としての主流となっていった。
また、1966年に日本政府とソビエト政府間で航空協定が結ばれ、アエロフロートと日本航空にモスクワ経由での日本-ヨーロッパ線(「シベリア経由」とも呼ばれた)の運行を許可し、翌1967年4月からアエロフロート機材(ツポレフTu-114型ターボプロップ機)による運航が開始された(日本航空による自主運行は1970年3月から、DC-8-62型を使用して開始された)など、南回りヨーロッパ線に比べ飛行時間が短い航路が相次いで登場したことから、次第にその重要性は低下していった。
[編集] 現在
さらに航続距離が10,000キロを超えるボーイング747-400やマクドネルダグラスMD-11・エアバスA340 などの就航や、1990年代初頭のソビエト崩壊によりシベリア上空経由の航路が全面開放されたことにより、1980年代後半から路線運行の廃止が相次ぎ、現在この路線を運行する航空会社はなくなった。しかしながら、各駅停車のローカル線のように、何度も離着陸を繰り返しながら飛ぶこの路線を懐かしむファンも多い。
[編集] 南回りヨーロッパ線のルートの一例
- 東京-香港-バンコク-カラチ-アテネ-フランクフルト(1981年:ルフトハンザ・ドイツ航空、機材:ダグラスDC-10-30、経由地:4箇所)
[編集] 運行していた航空会社(一部)
[編集] 北回りヨーロッパ線
日本などの極東からアラスカなどの北極圏を経由してヨーロッパへ向かう航空路線のこと。北極圏を経由することから「ポーラールート」とも呼ばれる。
[編集] 概要
[編集] 北回りヨーロッパ線の登場
日本などの極東とヨーロッパを飛行機で結ぶ際は、ヨーロッパと極東の間に横たわる共産主義国家・ソビエト連邦の領土上空を飛行するのが一番の近道であったものの、第二次世界大戦後の冷戦下において、ソビエト連邦政府が自国上空を西側諸国の航空機が飛行することに厳しい規制を加えた(当初は全面禁止、後年も多額の通行費請求・ジャンボ機など広胴機の運行禁止など。目的は軍事機密保持のほか、自国の航空会社アエロフロートを守るためと思われる)。そんな状況下で、1957年にスカンジナビア航空は、当時の最新鋭機であるダグラスDC-7C型機による世界初の北極圏経由の北回りヨーロッパ路線である東京-アンカレジ-コペンハーゲンを開設し、次第に他の航空会社もこれに倣って北極圏経由の北回りヨーロッパ線を開設していった。
[編集] 極東 - ヨーロッパ線の主力に
当時は東南アジアや西アジア、中東を経由してヨーロッパへ向かう南回りヨーロッパ線が極東とヨーロッパを結ぶ主要なルートとして使用されていたものの、霧、砂嵐、南方特有の前線活動の激変といった特異な気象状況や、寄港地国の飛行資料や情報の不正確さ、空港設備の不備、さらに西アジアや中東諸国の戦争や政情不安が頻発したなど問題が多い上、飛行距離や飛行時間が長く、パイロットやスチュワーデスなどの乗員管理が難しく経費がかかるなど問題が多かった南回りヨーロッパ線を嫌う航空会社は多く、次第に各航空会社は北回りヨーロッパ線にその主力をシフトして行った。
さらに1960年代に入り、ボーイング707やダグラスDC-8などの長距離飛行が可能なジェット機の就航により、より所要時間が短くて済む北回りヨーロッパ線が、完全に極東とヨーロッパを結ぶ航空路線としての主流となっていった。
1970年代から1980年代にかけては、北回りヨーロッパ線の唯一の中継地点であるアンカレジ国際空港は、燃料補給のため着陸するアジアやヨーロッパの航空会社の大型旅客機で一年中賑わうようになり、空港ターミナル内には一時寄港する日本人乗客のための大型免税店やうどん屋まで登場した。
[編集] シベリア経由線の登場
しかし、1966年に日本政府とソビエト政府間で航空協定が結ばれ、アエロフロートと日本航空にモスクワ経由での日本-ヨーロッパ線の運行を許可したことにより、より飛行時間の短いシベリア上空経由が開設されることになった。
また、デタント(東西緊張緩和)が進んだ上、人工衛星技術や撮影技術の発達により、スパイ衛星からでも航空写真と同じくらいの精度の撮影が出来ることになったことなどから、1970年代以降にソビエト政府が次第に日本以外の西側の航空会社にもシベリア上空の航路を開放していったことや、さらにDC-10の改良型やボーイング747-400などの航続性能の高い機材が登場してきたことにより、ソビエト領空を避けつつもノンストップで日本-ヨーロッパ間を飛行することが可能になったことから、北周りヨーロッパ線の重要性は次第に低下していった。
[編集] 現在
さらに、1990年代初頭のソビエト崩壊によってシベリア上空経由の航路が全面開放されたことにより、現在、旅客便でこの路線を運行する航空会社はなくなったが、アンカレジ国際空港ターミナルのうどん屋の味とともにこの路線を懐かしむ人は今も多い。
なお、貨物を積載しているために離陸重量の重い貨物便では、航続距離の関係から現在もその多くがアンカレジ国際空港を経由している。
[編集] 大韓航空機撃墜事件
極東-アラスカ間/アラスカ-ヨーロッパ間ともに、当時冷戦下の緊張状態にあったソビエト連邦の国境線の近くを長時間飛行することもあり、航法ミスなどにより航路を外れソビエト連邦の領空を侵犯し迎撃を受けるという事件が何件か起きたことから、航空地図上には「ソビエト領土を侵犯した場合、無警告で撃墜される恐れがあります」と赤字で書かれていた。にも拘らず、1978年には、ソビエト領空に誤って侵入した大韓航空の旅客機がソビエト軍の戦闘機に銃撃されムルマンスクの凍結湖に不時着する事件(乗客2名死亡)、更に1983年には同じ大韓航空の旅客機がサハリン上空で撃墜されるという惨事が発生し、冷戦末期の世界に衝撃を与えた。
また、それに先立つ1970年代前半のベトナム戦争当時には、フェアバンクスの空軍基地から兵士を満載して日本へ向かうアメリカのシーボード・ワールド航空機がソビエト軍機のスクランブルを受け、カムチャッカ半島のソビエト軍基地に強制着陸させられるという事件が起きた。
[編集] 運行していた航空会社(一部)
- 日本航空
- 大韓航空
- 中華航空
- 英国海外航空
- KLMオランダ航空
- エールフランス航空
- サベナ・ベルギー航空
- アリタリア航空
- スイス航空
- ルフトハンザ・ドイツ航空
- イベリア・スペイン航空