パンアメリカン航空
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パンアメリカン航空(愛称:パンナム)はアメリカ合衆国の航空会社。英語名はPan American World Airways及びPAN AM。
会社が破産し運行が停止したが、「パンナム」の名は別の会社に権利が移動して現在も運行している。
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[編集] コードデータ
[編集] 概要
1927年に設立され、最初はカリブ海路線を運行し、その後は経営者であるホワン・トリップ会長の強力なリーダーシップとアメリカ政府の庇護の元、1930年代から1970年代にかけて世界中に広範な路線網を広げていった。航空業界内での影響力も大きく、アメリカ初のジェット旅客機であるボーイング707や、世界最初の超大型ジェット旅客機であるボーイング747といったボーイングを代表する機材の開発を後押しした。
しかし、1960年代後半頃より海外旅行が大衆化するに連れ、世界的な価格競争が激化する中、高コストの経営体質を改善できなかったことや、1970年代にジミー・カーター政権下で導入された航空自由化政策「ディレギュレーション」の施行により次第に経営が悪化し、1991年12月4日に会社破産し消滅したが、別会社が同じペイントと機体で、同じブランドとして運行をしており、元の会社ではないが復活しているといえる。
「アメリカ帝国主義」の権化とみなされることも多く、その様な評価や知名度が仇となり、ハイジャックやテロの標的になることも多かった。
[編集] 歴史年表
- 1927年: フロリダ州キー・ウェスト~キューバ共和国ハバナ便を開設。その後、アメリカ政府の補助金でアルゼンチンやブラジル行き飛行艇便を開設。
- 1934年: サンフランシスコ~ホノルル~マニラ~香港の世界最初の太平洋横断航空便を開設。
- 1946年: 新規にホテル部門を「InterContinental Hotel」(現インターコンチネンタルホテルズグループ)と命名して設立。
- 1958年: アメリカ初のジェット旅客機・ボーイング707がニューヨーク~パリ線に就航。
- 1959年: TBS系列で放映された兼高かおる世界の旅の協賛となる。
- 1961年: 大相撲の賛助(スポンサー)に。パンアメリカン航空賞を授与開始。「ヒョー、ショー、ジョォー」で始まる故デビッド・ジョーンズ極東地区広報担当支配人の独特の口調が有名に。
- 1963年: マンハッタン島のパンナムビル(現在のメットライフビル)竣工。
- 1970年: ボーイング747「ジャンボジェット」超大型ジェット旅客機をニューヨーク-ロンドン線に就航。
- 1976年: ボーイング747SPにより東京-ニューヨーク直行便を開設。
- 1980年: ナショナル航空を吸収合併し国内線を強化。
- 1985年: 太平洋路線と機材、従業員などをユナイテッド航空へ譲渡。これにより日本線も撤退。
- 1988年: イギリス上空でパンナム機爆破事件が起きる。
- 1991年: 12月4日に破産し運行停止。その後ロンドンへの路線と中南米路線をユナイテッド航空へ譲渡。他のヨーロッパ路線はデルタ航空へ、マイアミ国際空港のターミナルをアメリカン航空へ譲渡。
[編集] 歴史
[編集] 創設期
1927年に創設されたパンアメリカン航空は、政界との関係が深かったファン・トリップの元、初の国際線であるキューバ便をはじめとするカリブ海路線の開設を皮切りに急激にその路線網を拡大して行った。
1935年11月には、マーチン M130"チャイナ・クリッパー"飛行艇によるサンフランシスコ-マニラ間を結ぶ太平洋横断路線を開設した(その後イギリス領香港まで延長した)。また、1937年にはサンフランシスコ=オークランド(ニュージーランド)間を結ぶ路線を開設したが、1939年9月に勃発した第二次世界大戦によって機材は軍に徴用され、その拡大の勢いは一時的に止まることになった。
なお、クリッパーの呼称は、その後数多くの機体に愛称として用いられ、パンアメリカン航空自身のコールサインやビジネスクラスの祖といわれる「クリッパー・クラス」にもその名を残すこととなった。
[編集] 国際線拡大
第二次世界大戦後の航空業界の復興時に、トリップはアメリカ発の国際線を独占しようとたくらみ、「パンナム選出議員」と言われたオーエン・ブリュスター上院議員が提出した、パンアメリカン航空の国際線独占を後押しする法案である「コミュニティー・エアライン法案」の成立に奔走したものの、トランス・ワールド航空やアメリカン航空などの強硬な反対によりその目論見が成功することはなかった。
しかし、1947年6月に世界初の自社運航による世界一周路線を開設(ニューヨーク=ロンドン=イスタンブール=カルカッタ=バンコク=マニラ=上海=東京=ウェーク島=ホノルル=サンフランシスコ=ニューヨーク)したほか、DC-6やロッキード・コンステレーション、ボーイング377「ストラトクルーザー」などの最新鋭機を次々に導入、他社に先駆けて大西洋無着陸横断路線を開設するなど、航空機の技術革新を背景に再び世界中にその路線を拡大して行った。
[編集] 航空界のリーダー
また、1958年にはアメリカ初のジェット旅客機・ボーイング707の導入を行い、ニューヨーク-ロンドン線を皮切りに世界各地への路線へ就航させた他、ボーイング707とダグラスDC-8の就航に合わせ、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港(建設当時の空港名はアイルドワイルド空港)へのジェット機就航に対応した巨大な専用ターミナルビル「ワールドポート」の建設を行った。
その後もマンハッタンのランドマークの一つであった巨大な本社ビル「パンナムビル」の建設や、パンナムビルの屋上のヘリポートからジョン・F・ケネディ国際空港までのヘリコプターの運行、世界初のビジネスクラスである「クリッパー・クラス」の導入、1960年代後半の超大型ジェット旅客機・ボーイング747の大量発注、超音速旅客機であるコンコルドやボーイング2707の発注(その後両機に対する発注はキャンセルされた)など話題に事欠かなかった。
第二次世界大戦後の民間航空の復興期である1940年代中頃から、航空自由化政策(ディレギュレーション)が施行され、運賃競争が始まる直前の1970年代中頃にかけてがパンアメリカン航空にとっての黄金期であった。
[編集] 経営悪化
しかし、1970年代初めには、自らがローンチ・カスタマーとなったボーイング747の大量導入による供給過多が重くのしかかってきた上に、オイルショックによる燃料の高騰で体力が弱ってきたにも拘らず、パイロットやスチュワーデスの高給をカットできず、高コスト体質のまま国際線の価格競争が次第に激化していったことで慢性的な赤字経営に陥っていった。
その上、1970年代後半にジミー・カーター政権による航空自由化政策(ディレギュレーション)が施行されて以降、他社による国際線への進出が進んだことにより価格競争がさらに激化したことから、国内線の強化を目的に、国内線航空会社であるナショナル航空を買収したものの赤字体質はまったく改善せず(結果的にナショナル航空買収は裏目に出た)、その上に度重なる事故などにより経営が急速に悪化し、1985年に日本路線を含む太平洋路線をユナイテッド航空に売却した。
なお、太平洋路線はハワイまでの国内路線のみを残し、その後1988年に日本路線復帰の計画が持ち上がったが、同年12月に起きた、いわゆるパンナム機爆破事件の影響で白紙になった。
[編集] 終焉
この爆破テロ事件で乗客の激減と多額の補償金という致命的なダメージを受けたパンアメリカン航空の経営に、湾岸戦争による乗客激減と燃料高騰、そしてデルタ航空による支援策の白紙撤回がとどめを刺す結果となり、ついに1991年12月4日に破産し運行停止し、かつての名門は終焉を迎えた。
パンナムはまさにアメリカの繁栄とその先進性を象徴する企業と見なされ、スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」においてスペースシャトルの運行主体として想定されていたほどで(実際に1960年代後半に、世界最初の民間宇宙飛行の運行会社になることを想定し乗客の予約を受け付け始めたことさえあった)、その終焉はアメリカ国民のみならず、全世界を驚嘆させる出来事であった。
なお近年、元パンアメリカン航空のスチュワーデスで、日本路線撤退に伴い解雇された日本人女性が、複数の雑誌内でその異常な経費の浪費と会社全体に横行する横領行為(自らも頻繁に行っていたと告白している)について暴露している。
[編集] 「新パンナム」
その後、1992年には「パンアメリカン航空」の商標権は管財人により競売にかけられ、商標を買い取った元アイルランド大使のチャールズ・コブが1996年に元パンナムのエアバスA300などを使い「新生パンアメリカン航空」の運航を開始。名称はもちろん機材の塗装やロゴまで当時のまま使用し再生が期待されたものの1998年に破綻した。
その後、アメリカ中西部を基点とする運送会社が経営する小規模な航空会社がボーイング727を使い再び運航を開始したものの2004年11月に運航停止となった。現在は同じくアメリカ東海岸を基点とする航空会社、ボストン・メイン・エアウェイズに機材を移管して運航を再開し、ボストン-トレントン(ニュージャージー州)線やオーランド-サンフアン(プエルトリコ)線などを運行している。
[編集] 主な運行機材
- シコルスキーS-38
- シコルスキーS-40
- シコルスキーS-42
- マーチンM-130
- ボーイング307
- ボーイング314
- ボーイング377
- ボーイング707
- ボーイング727
- ボーイング737
- ボーイング747
- ダグラスDC-4B
- ダグラスDC-6B
- ダグラスDC-7C
- ダグラスDC-8
- マクドネル・ダグラスDC-10
- ロッキード・コンステレーション
- ロッキード・トライスター
- エアバスA300
- エアバスA310
[編集] 事故及び事件
便数が多かったこともあり、数十件の航空事故を起こしている。また、アメリカを代表する航空会社であったことから、テロの標的になることも多かった。
[編集] 事故とテロ(の一部)
- 1952年4月29日:202便(ボーイング377)、プロペラの設計ミスでブラジル北部を飛行中に空中分解し墜落。50人死亡。
- 1963年12月8日:214便(ボーイング707)、飛行中に落雷によりメリーランド州に墜落(パンアメリカン航空214便墜落事故)。
- 1977年3月27日:1736便(ボーイング747)とKLMオランダ航空 4805便(ボーイング747)がスペイン領カナリア諸島のテネリフェ島ロスロデオス空港で離陸滑走中に衝突。583名死亡(航空史上最大の航空事故、テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故)。
- 1982年7月9日:759便(ボーイング727)、ニューオーリンズ国際空港を離陸直後に墜落。153人死亡。
- 1988年12月21日:103便(ボーイング747)、イギリス・スコットランド上空でリビアのテロリストによって仕掛けられた爆弾が爆発し墜落(パンナム機爆破事件)。
[編集] 遺産
[編集] コレクターズアイテム
1950年代(日本においては1970年代)以前の飛行機での旅行がまだ高嶺の花だったころ、パンアメリカン航空は、時代の最先端を行くアイコンの1つとして捉えられていたことから、現在においても当時の広告や制服、機内サービス備品などのグッズなどがコレクターズアイテムとして取引されている他、日本においてもピチカート・ファイヴなど様々なアーティストが好んで使用している。
[編集] パンナムが登場する映画
パンアメリカン航空の黄金期であった1930年代から1970年代に撮影された映画や、その頃を時代背景とする映画の多くにパンアメリカン航空の機材やパンナムビルが登場している。海外へ渡航する際にパンアメリカン航空を利用する設定とし、自社機の離着陸シーンや機内のシーンを組み込むことを条件に、出演者や撮影スタッフの航空券を提供するなどの形で数々の作品でスポンサーを務めた。
[編集] 日本におけるパンナム
[編集] アジアのハブ
第二次世界大戦が終結した2年後の1947年に羽田空港に乗り入れを開始した。以降、同空港(1978年以降は成田空港)をアジアにおけるハブ空港とし、香港やシンガポール、バンコクやサイゴンなどのアジア各地やグアム、サイパン、さらには伊丹空港などへの乗り継ぎ便の運行など路線を広げていった。なお、日本への乗り入れ便数は外国航空会社の中でノースウエスト航空に次いで2番目の多さを誇った。
また、パンアメリカン航空自慢の世界一周路線の寄港地であった他、1959年には初の本格大型ジェット機であるボーイング707型機を東京-サンフランシスコ線に就航させ、その後1976年にはボーイング社に特注した超長距離型のボーイング747SP(SP-スペシャル・パフォーマンス)型機により世界初のニューヨーク-東京間の無着陸直行便を就航させるなど、当時のパンナムにとって日本は非常に重要な寄港地であり、収益源であった。
しかし、経営不振を打開するための資金調達のために、1985年に太平洋路線と社員、機材をユナイテッド航空に売却し、日本路線から撤退した。なお、千代田区有楽町にあった東京支店は、1991年12月に運行が停止されるまで営業を行っていた。
[編集] デビッド・ジョーンズ
海外旅行に縁が無かった1960年代の多くの日本人に「パンアメリカン航空」の名を知らしめたのは、その広大な路線網でも羽田空港に並ぶパンアメリカン航空の機体でもなく、大相撲千秋楽の表彰式の際、大相撲ファンで知られたデビッド・ジョーンズ極東地区広報担当支配人(当時)が、「ヒョー、ショー、ジョウ」と日本語でスピーチし、優勝者した力士にトロフィー(パンアメリカン航空杯)を授与したシーンであろう。
平成3年(1991年)夏場所までの約30年間に亘る、氏のユーモラスかつユーモアに富んだトロフィーの授与シーンは、千秋楽に無くてはならない光景として大相撲ファンそして多くの日本人に親しまれ、「パンアメリカン航空」の名と共に今なお語り草となっている。
映画「アルプスの若大将」ではマドンナの澄子(星由里子)がパンアメリカン航空のクルーとして出演したが、氏も上司役として出演したほか、授与式のシーンも収められている。
[編集] 日本の乗り入れ空港
他にも嘉手納基地や横田基地などにアメリカ軍チャーター便運航の実績がある。
[編集] 関連事項
- アメリカ横断ウルトラクイズ
- インターコンチネンタルホテルズグループ
- 兼高かおる世界の旅
- 三遊亭圓楽 (5代目)
- トランス・ワールド航空
- 日本航空
- 機内誌
- ファーストクラス
- ビジネスクラス
- エコノミークラス
- 砂原良徳
- 西武ライオンズ - 前身球団の一つ、西鉄クリッパースの球団名がクリッパーにちなむ。
[編集] 外部リンク