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南海蔭山新監督急死騒動 - Wikipedia

南海蔭山新監督急死騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

南海ホークスの蔭山和夫新監督の急死をめぐる騒動、(なんかい - かげやまかずお しんかんとく - きゅうし - そうどう、通称南海蔭山新監督急死騒動)は、1965年11月13日1945年のプロ野球再開以来率いていた鶴岡一人の後任として福岡ソフトバンクホークスの前身、南海ホークスの監督に就任した蔭山和夫前コーチが、わずか4日後の11月17日に急死したことによって生じた騒動である。

目次

[編集] 蔭山新監督誕生までのいきさつ

鶴岡は、1939年法政大学卒業と同時に、当時としては破格の金額で南海軍に入団。すぐに史上初の二桁(10本)の本塁打数(戦前のプロ野球では飛ばないボールを使用していたため、「伝説の本塁打王」と呼ばれる景浦將でも二桁の本塁打をマークできなかった。それだけに鶴岡の二桁は驚異であった)で本塁打王のタイトルを手中にし、その年のオフ限りで応召。

太平洋戦争後期には帝国陸軍士官となって部下を率いたが、その経験を活かす形で1945年の敗戦による武装解除→プロ野球再開の際には選手兼監督としてチーム(当時の名称は「近畿日本グレートリング」)に復帰すると、チームをまとめて初優勝に導いた(巨人阪神以外のチームが優勝したのはこのときが初めてであり、1リーグ制時代では唯一であった)。

1952年に引退して以降は監督専任となり、「機動力野球」「100万ドル内野陣」「400フィート打線」「スコアラー情報を重視したデータ野球」と当時としては斬新なアイデアでチームを第1期(1946年~1955年)・第2期(1959年1966年)の黄金時代に導き、2度の日本一に輝いている。

しかし、第2期に入った頃から親会社が世帯の小さな会社ゆえ、チームの運営が必ずしもうまくいかなくなってきた。そのため、鶴岡が第1期の頃から構想を描いていた、球団職としてのゼネラルマネージャー設置案が立ち消えになってしまった(鶴岡は監督であるとともに事実上のゼネラルマネージャーであった。鶴岡の思いどおりの野球が体現できたのにはこうした事情もある)。しかも、主力のひとりである広瀬叔功がA級10年選手のボーナスを巡って球団と揉めるという事件が起きるという、『グラウンドにはゼニが落ちている』と選手を叱咤激励していた鶴岡にとっては耐え難い現実に直面する。

こうして1965年頃には、親会社の世帯の小ささ、長期展望のなさに失望し、監督の座を退くことを考えるようになっていた。そしてこの年の日本シリーズで巨人に初の日本一連覇を止められる(皮肉にも、止めた巨人が以降9年連続で日本一連覇を達成することとなる)と、遂に勇退を決意する。その後任となった人物が、前ヘッドコーチの蔭山和夫だった。

蔭山は、戦後間もない頃の早稲田大学野球部を支え、1950年のオフに南海ホークスに入団。翌1951年、新人ながら打率.315をマークして球団史上初の新人王となると、100万ドル内野陣の三塁手として華麗な守備を発揮。1959年に現役引退するとヘッドコーチとして鶴岡監督を支えた。1962年には、開幕ダッシュの失敗によりBクラスに低迷した責任から「指揮官が悪いと部隊は全滅する」との名言を吐き6月から休養した鶴岡に代わり監督代行として指揮をとり、チームをAクラスに底上げさせ、8月には休養明けの鶴岡監督に交代している。この時の監督代行としての実績が買われて正式に監督に就任した。なおその年の11月13日に鶴岡監督・蔭山コーチ同席のもとスムースな引継ぎが行われていた。

[編集] 蔭山新監督急死の報

南海ホークスで1リーグ制時代から通算10回の優勝、2度の日本一に導いた鶴岡が勇退して解説者に転じるとなると方々から「もったいない!」との声があがっていたが、実際に獲得に名乗りを上げたのはサンケイスワローズのオーナー水野成夫東京オリオンズのオーナー永田雅一の2人。水野は金田正一の巨人移籍により弱体化したチームを立て直すため鶴岡を招聘しようと考えていて、一方の永田は1960年にリーグ優勝して以降Bクラスに低空飛行するようになったチームの再建とセントラル・リーグ流出阻止のために(永田はアンチセントラル・リーグ主義者としても有名であった。実際鶴岡獲得に名乗りをあげた時「鶴岡君がいてこそパシフィック・リーグは繁栄する。」と力説していたほど。)招聘しようと考えていたわけだがまだ気持ちの整理のついていない鶴岡はとにかく東京へ出向いて話だけ聞くということにした。そして11月17日に東京に出向くこととなったわけだが、そんなところに「南海ホークス新監督蔭山和夫が急性副腎皮質機能不全で急死した」との報が届いたのである。

[編集] 鶴岡前監督の監督復帰

蔭山新監督が上記の理由で急死したのは、鶴岡前監督から引き継がれていた時点での南海ホークスのチーム状態が重くのしかかっていたためである。

蔭山は、「南海をこのまま放っておけば、近い将来黄金時代が永久に到来しない」という現実を痛感しており、その打開策を思案していたが、考えれば考えるほど眠れなくなっていたという。そのため、就任後にブランデー睡眠薬を併用してから眠る日々が続いていた。この影響からなのか、結果就任から4日後、実母が異様な寝姿に気づき119番通報、病院に担ぎ込まれ心肺蘇生を試みられたがすでに手遅れ、夜が明けたときには帰らぬ人となっていた。蔭山は野村に何か伝えてくれ……」と(担ぎ込まれた際)かすれ声でつぶやいていたが、結局それが最後の言葉となってしまった。享年38。

蔭山新監督が亡くなった日は、ちょうど鶴岡前監督が東京に出向いて水野・永田両オーナーと話をする予定日であった。鶴岡前監督への連絡はなぜか遅れていて、連絡が届いた時には既にコーチや選手、球団首脳が大急ぎで蔭山の自宅へ出向き、亡骸と対面していた。そのことを聞いた鶴岡前監督は東京行きの東海道新幹線の切符を破り捨てると、「俺は、他へはいかない。」とつぶやいた。この時点で、鶴岡前監督はサンケイもしくは東京の監督を引き受けないと決意したわけで、実際に水野・永田両オーナーも獲得をあきらめた。

蔭山新監督の急死で、後任の監督の問題が浮上した。候補となりえる人材に柚木進岡本伊三美がいたが、両者とも固辞し、鶴岡前監督の復帰を熱望した。その気持ちが強かったのは選手のほうで、主砲の野村克也「(鶴岡)親分が戻らなかったら野球をするのはやめだ」と言っていたほどである。鶴岡は迷うが、通夜で蔭山の亡骸を見たあと迷いを振り切り、監督復帰を決意する(その際鶴岡は「オレの心境は赤城山に立てこもった国定忠治の心境だ」と大泣きしていた)。鶴岡は南海で再び監督を行う決断を下した。

こうして鶴岡は南海球団と3年契約を結び、監督に復帰する。ちなみに、鶴岡は意中の球団がサンケイスワローズと東京オリオンズのどちらなのか口にしていなかったが、その後も語ることのないまま、35年後の2000年3月7日に蔭山の下へ旅立つこととなるのである。

[編集] 南海で鶴岡監督は勇退

南海に復帰すると、翌1966年には1953年以来となるパ・リーグ3連覇に導く。しかし、西鉄ライオンズの猛追を振り切ってであり、もはや往年の力は失われていた。実際、日本シリーズでは巨人に破れ、川上哲治監督下で初の日本一連覇を献上する。

この頃から、西本幸雄監督率いる阪急ブレーブスが台頭。1967年には優勝をさらわれ、自身が率いるチームは戦後初のBクラスに低迷する。

1968年には阪急と優勝争いを演じ、存在感をアピールする。しかし、10月11日に行われた大阪球場での近鉄バファローズ戦に敗れ、阪急が西宮球場での東京オリオンズ戦で勝利したため、結局阪急の軍門に下ってしまった。なお、当時医者からは「もう二度と監督を務めてはいけない」とクギを刺されていた。

鶴岡はこれを機に、前年サンケイアトムズ監督を辞任して南海にヘッドコーチとして復帰していた飯田徳治に未来の南海を託して、監督の座を降りる。その直後、藤本定義が勇退したばかりの阪神タイガースから就任要請を受けるが、辞退して解説者に転じる。その後1970年のオフ、三原脩の後任監督として近鉄バファローズから就任要請を受けるが、これも健康上の理由で固辞している。

1969年、飯田監督率いる南海は初の「親分のいないシーズン」に臨むが、成績は戦後初の最下位(6位)。親会社の展望のなさが「主力の老齢化」「若手が十分育っていない」という弊害を生んだのである。勇退は、「南海ホークス・終わりの始まり」でもあった。

[編集] 蔭山新監督の急死がもたらした影響

[編集] 南海ホークスの場合

蔭山新監督の急死が南海ホークスにもたらした影響は、鶴岡と野村との対立が決定的になったということである。このことは、これ以降の南海の歴史(後述)を見れば明白である。

鶴岡は、入団の経緯でもわかるように、エリート(法政大学のスターとして鳴り物入りでプロ入りし、すぐ初の二桁本塁打王に輝く)であった。そのため、テスト選手に対しては、格下と見る対応をすることもあった。その証拠といえるのが野村克也との関係で、野村は、京都では無名の峰山高校からテストで入団し、努力で正捕手の座をつかみ主砲にまで登りつめたが、鶴岡は野村が主砲になっても、表面上はあまり評価せず、同じ無名校出身だが自身と同郷(広島県)の広瀬叔功を可愛がる態度を取った(※1)。鶴岡は、叱咤する際は平等であったから公私混同ということはなかったものの、野村の結婚式(前夫人の正子夫人との結婚式)には出席せず広瀬の結婚式には出席するありさま(※2)で、これを野村が知るや両者の関係に溝が生じた。また1965年に野村が戦後初の三冠王を獲得した後、鶴岡は「大きな顔をするな。何が三冠王だ。本当にオレに貢献したのは杉浦だけだ。」と発言。鶴岡は事実上選手生活が終わっていた杉浦忠を慰労する意味で、野村には勘違いしないよう戒めのつもりでのものだったが、野村はこの発言が鶴岡の真意だとまともに受け取ってしまった(※1)。その後1969年のオフ、野村が選手兼任で監督に就任した際にアドバイスを受けようと鶴岡のもとを訪れたところ、鶴岡が「お前(監督というものが)どういうものかわかってるのか?!」と怒気を含んだ口調で拒絶したため(※1・3)、対立が決定的となってしまった。

蔭山は、鶴岡とは違って野村を理解しており、存命中は鶴岡とのパイプ役となって両者の仲を何とか丸く治めていた。このため、関係がこじれる事はなく済んでいたが、蔭山が急死したことによってパイプ役がいなくなり、その結果関係がこじれてしまった。以降、野村は鶴岡の意見に耳を貸さずに独自でチームの再建に着手する。その結果、チームは常にAクラスをキープするようになり、1973年にはパ・リーグ優勝を果たす。チームには徐々に若手が台頭するが、1975年頃から野村の身に伊東芳枝とのダブル不倫がささやかれるようになると、鶴岡に近い球団関係者は自分の子飼いの選手を使って野村の追放を画策、1977年についに解任に導き、鶴岡が可愛がっていた広瀬を後任監督にすえた。このとき鶴岡が「これで南海はいい人材を手に入れた」と広瀬をベタボメしていたと一部で伝えられた(発言の真偽は不明)。一方、解任された野村は「俺は鶴岡元老によって南海監督の座を追われた」と不快感を表に出した(※4・5)。

以降、鶴岡に近い関係者は(野村人脈であったドン・ブレイザーを除き)、広瀬・穴吹義雄・杉浦と鶴岡がスカウトして獲得したいわゆる鶴岡子飼いの選手を推薦して監督に据えるのだが、女性問題にかこつけて鶴岡に近い関係者が気に入らない野村を追放したことで、鶴岡が直接関与したと受け止めた世間やジャーナリストスポーツライターの反感を買う。同時に、野村解任に反対して江夏豊など数名の選手が行動を共にするなど、チームが空中分解。さらに親会社の慢性的な赤字で満足な補強ができないこともあり、1978年以降南海はBクラスに低迷。1988年秋にはチームがスーパーマーケット大手チェーン(当時)のダイエーに身売りされ『福岡ダイエーホークス』となり、鶴岡が愛していたチームは消失してしまった。鶴岡にしてみれば、自身が南海ホークスと心中を決めた結果、野村との対立を生み、あげくのはてには強い南海ホークスそのものを失うという悲哀を味わうことになってしまった。これがもとで晩年の鶴岡は球界での発言力を急速に失い、2000年3月7日に83歳でこの世を去る。

一方の野村は、1989年のオフにヤクルトスワローズの監督に就任。1998年までの9シーズンで、日本一3回・セ・リーグ優勝4回とチームに初の黄金時代をもたらす。1999年2001年の阪神タイガース監督時代はのちの星野仙一監督下でのトラ・フィーバーの土台を作り、2003年から3年間は社会人チームシダックスの監督兼ゼネラルマネージャー、2006年からは東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を勤めるなどしており、また講演会でも活躍している。

[編集] こぼれ話

  • (※1)ただ、選手が観光気分になったために失敗した海外キャンプでは唯一の収穫として野村を評価していた。また、鶴岡は、「野村が繊細な性格だった事に気がつかず図太い性格だと思って怒られ役にしてしまった」と後年のインタビューで自らの失敗を認めていた。

(続く)また、野村がヤクルト監督時代に「正力松太郎賞」を受賞した際には、鶴岡は選考委員の一人として野村を推薦していた他、最晩年の読売新聞のインタビューでは、「野村の阪神は大丈夫だろうな」と心配するコメントをしていた。また、野村も最近のインタビューでは、「自分の場合は、なんだかんだと言っても鶴岡親分だった」と必ずしも鶴岡に否定的ではないコメントをしている。

(続く)このように、後年はお互いに歩み寄る姿勢を見せていたが、やはり周囲(鶴岡=沙知代に批判的な子飼いのOB・野村=沙知代の存在)が柵となり、お互い和解を果たせぬまま鶴岡は逝去し、沙知代の存在及び意向が影響したのか、野村は鶴岡の葬儀に出席する事を遠慮した。つまり、世間で言われる「野村は鶴岡への恨みから葬儀に欠席した」というわけではない。

(続く)鶴岡は、自身の解任への関与を否定しているが、真偽は不明。ただ、野村及び沙知代の行動を問題視して解任に動いた球団関係者は多くが鶴岡に近い人物だったといわれ。このことからそれらの関係者が鶴岡の名前を利用したという説もある。そのため、鶴岡と野村との確執はでっちあげという説もある。

  • (※2)鶴岡は前夫人との結婚に、ある事情から反対していたという。前夫人は南海電鉄の重役の娘だった。
  • (※3)蔭山が急死する前は、後述の通り蔭山がパイプ役となっていた事から関係がこじれていなかったので、蔭山が固辞した場合は、後任監督の第2候補として兼任もやむなしと野村を考えていたという。
  • (※4)無論、伊東芳枝(現野村沙知代)が采配に介入し、選手を罵倒する等の行動をしており、それを抑えられなかった野村の側にも問題があり、一方的に野村が被害者という訳ではない。
  • (※5)この解任劇は後年テレビ朝日系列の野球中継にも影響した。同局は引退後の野村を野球解説者に起用したが、系列局の広島ホームテレビでは、既に鶴岡子飼いの国貞泰汎が解説者を務めていた事から、広島対巨人戦の全国中継では、両局の配慮により、国貞の出演を控える措置を取った。また、不公平を避けるために、南海OBではないにもかかわらず、同じく当時広島ホームテレビの解説者だった渡辺弘基(阪急OB)の出演をも控えさせざるを得なくなった。

[編集] サンケイアトムズ・東京オリオンズの場合

蔭山新監督の急死によって『サンケイアトムズ・鶴岡監督』または『東京オリオンズ・鶴岡監督』が実現しなかったのは周知の事実だが、これが両チームにもたらした影響は「球団身売りのきっかけになったこと」である。

水野成夫・永田雅一両オーナーが鶴岡を監督に招聘しようとしたのは、自身が球団を持っている時代にチームを常勝チームに作り上げる、もしくは名門再建を達成させるという意図があったためであるが、蔭山新監督の急死でそれらが頓挫。両オーナー共改めて監督の人選に着手したものの(サンケイは飯田徳治、東京は田丸仁)Bクラス脱却に至らず、1・2年で交代のうき目を見た。オリオンズは濃人渉監督を招聘してパ・リーグを制したことはあったものの、結局は自分の時代で隆盛を見ることなく身売りすることとなってしまった。両者とも身売りが自らの本意ではなかったことが、不幸に拍車をかけた。

水野の場合は1968年に病気で倒れフジサンケイグループの実権を盟友の鹿内信隆に譲り渡したが球団オーナー職につかず1969年から資本参加したヤクルト本社松園尚巳社長にオーナー職を丸投げしたため事実上の身売りに、永田の場合は1969年に菓子メーカー大手のロッテに今でいうところの『命名権売却』というアイデアでチームを「ロッテオリオンズ」と称させて経営を維持するが(このため命名権売却時代は球団名は大毎オリオンズ時代からと同じく「株式会社毎日大映球団」であった)。自身が社長をつとめる大映の赤字が膨らんだため1971年のキャンプイン直前に球団そのものをロッテに売却してしまった。その際永田が「僕の体の半分は映画、そして野球。そのオリオンズを人手に渡すのは身を引き裂かれる思い…」と記者会見で大泣きした。もし蔭山新監督の急死がなかったら、現在の東京ヤクルトスワローズと千葉ロッテマリーンズもなかったとされる。

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