竹下景子
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竹下 景子(たけした けいこ、1953年9月15日 - )は、日本の女優。本名、関口 景子(せきぐち けいこ)。
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[編集] 略歴
愛知県名古屋市東区で育ち、南山中学校・高等学校女子部を経て、東京女子大学文理学部社会学科を卒業。中学校、高校で演劇部に所属。高校1年生の時にラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』のイベントに一般リスナーとして参加した際、パーソナリティを務めていた俳優の天野鎮雄にNHKの『中学生群像』(『中学生日記』の前身)を紹介され、ドラマデビューをした。その後、高校在学中にドラマロケで名古屋を訪れていた夏木陽介にスカウトされ、大学進学で上京すると、当時夏木が在籍していた三船プロに所属して本格的に女優として活動を始める。
『祭りの準備』のヌードの真否論争は話題を呼んだが後に清純派とされ「お嫁さんにしたい女性No.1」とも言われた。1984年に写真家の関口照生と結婚し、2男をもうけた。2005年の愛・地球博では長久手日本館の総館長を務めた。
熱烈な中日ドラゴンズファンとしても知られ、2005年のナゴヤドームでの横浜ベイスターズとの開幕戦では始球式を務めた。(その時点の中日監督は竹下と同い年の落合博満、横浜監督は元中日で86年オフロッテオリオンズ落合との交換で移籍の牛島和彦。その試合は前年最優秀バッテリー川上憲伸・谷繁元信が無四球完封勝利、9回裏アレックス・オチョアがその年最優秀防御率・最多奪三振の二冠三浦大輔・谷繁から背番号8継承相川亮二のバッテリーからサヨナラ満塁ホームラン、帰還した走者は立浪和義・タイロン・ウッズ・福留孝介) 彼女が中日ファンになったのは、名古屋出身だからというのもあるが、実父・竹下重人氏(名古屋弁護士会副会長経験者 故人)の影響が大きいとも言える。
[編集] クイズダービーの出演
竹下は女子大生時代の頃から、『クイズダービー』の3代目4枠レギュラー解答者(4枠の初代は萩尾みどり、2代目は岸じゅんこ)として出演、その後約16年もの間長く務め、3枠のはらたいらに次ぐ正解率を誇った。(厳密に言えば2位は、はらの前の3枠レギュラーだった黒鉄ヒロシの6割6分2厘)特に三択問題での正解率がはら以上に高かった為、司会の大橋巨泉からは「三択の女王」と呼ばれた。ただ、竹下が二人の子息の出産時の1986年3・4月に市毛良枝と宮崎美子(6代目2枠レギュラー)が、1988年10月に原日出子が、それぞれ竹下の産休代役として4枠の席に座っている。
また同番組の本番中、とある最終問題で竹下は出場者(ギャンブラー席)全3チームに賭けられたものの、不正解となり出場者全員が0点となった時、責任を感じた竹下は思わず泣き出してしまった事があった。その本番終了後、同じくレギュラー解答者の篠沢秀夫やはらたいら達に随分慰められた、という心温まるエピソードもある。
『クイズダービー』で竹下に表示される倍率は、得意の三択問題では2倍、一般問題では3倍が殆どであるが、たまに三択で3倍、一般で2・4倍の表示もあった。なお、竹下の故郷である愛知県名古屋市にちなんだ問題が出た時などは、まれに1倍がついていた。又、竹下がレギュラーになって間もない頃は、5~10倍の高い倍率が表示される事もあった(特に難しい問題では、レギュラー定着となってからもたまに5・6倍の表示がある)。そして最終問題では、はらよりも比較的倍率が高いので指名されることが多かった(はらは2の倍数の4倍が殆どだった。竹下は3・4の倍数の6・8倍がメインであるが、他にもまれに2・5の倍数の4・10倍の表示もあった)。出場者は7問目までで1万点を超えるケースは多いが、2万点を超えたことはあまり無かったからである。他にも10万点に届かなくても賞金を持って帰りたい場合に指名されることもあり。
又同じく『クイズダービー』で竹下は、はらたいらの書くマジックの音により、竹下本人曰く「どういう字を書くのかがわかるようになってきた」という理由で、たまにカンニングをしていた、と後にバラエティー番組等で告白している。そんな中、カンニングを大失敗したケースも有るという。1988年1月23日放送の最初の問題出題時の事である。
その問題は「テレビが始まった頃のエピソードです。撮影で雪が必要になったものの、冬とはいえスタジオ周辺には雪が有りません。そこで悩んだディレクターは、都内のある場所に出かけ雪を調達したのですが、その場所とは何処でしょう?」であった。そこで竹下は分からず、はらがなんと書くかのを待つと、竹下は「上野」と書いた、と分かったらしい。すぐさま竹下は「上野○○○」と書いたが、なんとはらの解答と違っていた。はらが書いた正解は「上野駅」(青森発等の北国から来た夜行列車の屋根に積もった雪を調達)だった。
その後大橋巨泉が、はらの次に竹下を紹介する際「ボクはあなたが最初の二つ(上野)書いた時は、さすが景子ちゃん!と思いましたが、何か勘違いしてしまいましたね」と語ったが、その最中竹下は「キャハハ!」と大笑いして思わず手を叩く。そして「せーの、どん!」と竹下の書いた解答を開くと、その不正解の解答は「上野動物園」だった。竹下は赤チームに500点賭けられていたが減点させてしまい、恥ずかしそうに俯きながら「ゴメンナサイ...」と謝罪している。
巨泉は竹下に「動物園の何処に雪が有るんでしょうかねえ?」と質問後、竹下は「ここにネ、観光バスがね来るんですヨ!新潟とか秋田からとか...(爆笑)...山形とか、ダメかしら??」と苦しい解答理由を説明。巨泉は「徹夜で来るわけ?駄目です」と解答理由に納得しつつも、勿論正解にしなかった。竹下は「アー!クヤシイ!!」と悔しがるが、巨泉は「イヤ、分かってるんですよ。白クマの所から盗んで来るとかそういう事を考えたに違いない!あるいはペンギンの所とかね、違うんです」と指摘すると、竹下は「ソウ...!」と口を抑え笑いながら頷いた。
この間中、はらたいらの他、当時レギュラー解答者の篠沢秀夫と山崎浩子、ゲスト解答者の湯原昌幸達も、竹下の珍解答と解答理由に対してずっと失笑し続けていた。その後巨泉は「『上野』まで書いて『動物園』にしてしまうという人は...?」と言った後、竹下は「なんか『うえの』という感じはしたんですけどネ、『ウエノ』!後がね、やっぱりネエ...」と苦笑しながらつぶやく(その最中に湯原は「発想は良かったんだけどねえ」とコメント)。そして最後に巨泉は「ちょっとオカシイですね、今日」と、笑いながらも竹下の珍解答に首を捻っていた。
[編集] 受賞
- 1978年 - エランドール新人賞
- 1982年 - 芸術祭 優秀賞(『モモ子シリーズI 12年の嘘』)
- 1993年 - 第17回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞(『学校』)
- 1993年 - 第6回日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞(『学校』、『望郷』)
- 2000年 - アジアTV祭 主演女優賞(『夫の宿題』)
[編集] 主な出演
[編集] テレビドラマ
- けんかえれじい(1973年、NHK) - 少年ドラマ
- 走れ!ケー100 第49話(1974年、TBS)
- 高校教師 第22話(1974年、東宝・東京12チャンネル)
- ふりむくな鶴吉(1974年 - 1975年、NHK)
- 必殺仕置屋稼業 第4話、27話(1975年、松竹・朝日放送)
- 俺たちの旅 第43話(1976年、日本テレビ)
- 水戸黄門 第7部 第26話 馬にひかれて善光寺・長野(1976年、TBS・C.A.L.) - お美津 役
- 赤い激流(1977年、TBS)
- 新選組始末記(1977年、TBS)
- 黄金の日日(1978年、NHK)
- 姿三四郎(1978年 - 1979年、日本テレビ)
- 北の国からシリーズ(1981年 - 2002年、フジテレビ)
- ソープ嬢モモ子シリーズ(1982年 - 1997年、TBS)
- 徳川家康(1983年、NHK)
- 真田太平記 (NHK新大型時代劇)(1985年、NHK)- 小野お通 役
- 木曜ゴールデンドラマ かくれんぼ(1985年、日本テレビ)
- 独眼竜政宗(1987年、NHK)
- 水曜グランドロマン 手塚治虫物語 いとしき生命のために(1990年、日本テレビ)
- そよ風ときにはつむじ風(1992年、TBS)
- 丘の上の向日葵(1993年、TBS)
- ぴあの(1994年、NHK)
- 毛利元就(1997年、NHK)
- 一絃の琴(2000年、NHK)
- 太陽は沈まない(2000年、フジテレビ)
- 蝉しぐれ(2003年、NHK)
- オーダーメイド~幸せ色の紳士服店~(2004年、NHK)
- 純情きらり(2006年、NHK) - ナレーション、主人公の母
- 吾輩は主婦である(2006年、TBS)
- ドラマ・コンプレックス 私が私であるために(2006年、日本テレビ)※2週連続同枠出演。
- ドラマ・コンプレックス 有吉佐和子スペシャル恍惚の人(2006年、日本テレビ)※2週連続同枠出演。
[編集] バラエティ
- クイズダービー(1976年10月 - 1992年12月、TBS) - 三代目4枠レギュラー解答者
- 日本レコード大賞(1982年 - 1986年、TBS) - 司会
- ギミア・ぶれいく(1989年 - 1992年、TBS)
- どーする?!TVタックル(1990年 - 1993年、テレビ朝日)
- 笑顔がいちばん!(2000年 - 2004年、TBS)
[編集] テレビアニメ
- 火の鳥(2004年、NHK)
[編集] 映画
- 日本任侠道・激突篇(1975年) - 映画デビュー
- 祭りの準備(1975年11月8日、映画同人社、中島利広・黒木和雄監督)
- 犬笛(1978年)
- 英霊たちの応援歌 最後の早慶戦(1979年 監督:岡本喜八)
- 火の鳥2772 愛のコスモゾーン(1980年、アニメ)
- 飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ(1982年)
- 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎(1983年)
- 男はつらいよ 知床慕情(1987年)
- 男はつらいよ 寅次郎心の旅路(1989年)
- ハリマオ(1989年)
- 学校(1993年)
- いちご同盟(1997年)
- 千年の恋 ひかる源氏物語(2001年)
[編集] ラジオ
[編集] CM
- フィールコーポレーション
- 象印
- パロマ
- 花王
- キッコーマン
- ミツカン
- 吉浜人形
- 旭化成 サランラップ
- 殖産住宅
- 片岡物産 モンカフェ
- 日本長期信用銀行
- 東海東京証券
- 大正製薬 パブロン
- 永井海苔
- 北陸銀行
- 近畿日本鉄道 松阪・伊勢・鳥羽・志摩 スーパーパスポート まわりゃんせ
[編集] 音楽
[編集] シングル
- 結婚してもいいですか(1978年、デビュー曲)
- ケイスケ(1984年)
[編集] アルバム
- 二人だけの季節(LP)
[編集] 書籍
- ハロー・プラス・ワン(1987年、小学館)
- ファミリーへ、ウエルカム(1990年、小学館)