独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)
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『独眼竜政宗』(どくがんりゅうまさむね)は、NHKが1987年に放送した大河ドラマである。己の知恵と才覚によって仙台藩62万石の礎を一代で築いた奥州の戦国武将・伊達政宗の生涯を描いた。
放送期間は1987年1月4日 - 12月13日で、全50回。その後2004年に衛星劇場でCS初放送となり、翌2005年8月 - 9月下旬には同チャンネルでアンコール放送が行われた。さらにその一年後、時代劇専門チャンネルで2006年9月下旬から11月下旬にかけての月 - 金曜日週5回の放送とともに、2006年9月下旬から約半年間かけて毎週土曜日に2話連続放送が行われた。
NHK大河ドラマ | ||
通番 | 題名 | 放映期間 |
第24作 | いのち | 1986年1月5日 ~1986年12月14日 |
第25作 | 独眼竜政宗 | 1987年1月4日 ~1987年12月13日 |
第26作 | 武田信玄 | 1988年1月10日 ~1988年12月18日 |
目次 |
[編集] 制作の前段
1984年の『山河燃ゆ』以降の大河ドラマは三年連続で近代路線シリーズが続いていた(『山河燃ゆ』、1985年の『春の波涛』、1986年の『いのち』)。時代劇路線の視聴者のためには「NHK新大型時代劇」が水曜日の枠でつくられた。しかし近代路線シリーズは最終作の『いのち』を除き視聴率的に評判が悪く(『いのち』29.3%に対し、『山河燃ゆ』21.1%、『春の波涛』18.2%)、その一方で「NHK新大型時代劇」は良作が続き評判がよく、視聴者は時代劇を求めていると判断したNHKは1986年の『いのち』をもって当初五作を予定していた近代路線シリーズを終了し(『いのち』は視聴率的には近代路線シリーズ中で唯一成功し、ドラマ性も評価も高かったものの、登場人物に歴史上の人物が全く登場しない異色作で「これが大河ドラマなのか?」という疑問の声もあった。)、1983年の『徳川家康』以来四年ぶりに時代劇路線シリーズの大河ドラマが復活した。
[編集] 特徴
[編集] 大河ドラマ最大のヒット作
平均視聴率39.7%は、大河ドラマの歴代トップを誇っており、最高視聴率47.8%は、『赤穂浪士』(53%)、『武田信玄』(49.2%)に次ぐ第3位の記録である(2006年7月現在)。不動明王について教えられた梵天丸(政宗の幼名)がその養育係である喜多に語った「梵天丸もかくありたい」という台詞は流行語となった(本編でこのセリフが出たのはこのシーンと、第11回「八百人斬り」で政宗が刀に映った自分の顔を見て、少年時代を回想したのち、刀を振るいながらこのセリフを繰り返す場面のみ。先述の梵天丸のシーンはこの第11回の回想シーン以外にも、第26回「絶体絶命」で一揆扇動の企てが露見したために政宗が京へ弁明に向かう際の回想シーンにも出てくる)。
また2003年、NHKが放送開始50年を記念して行なった「もう一度見たいあの番組」という一般視聴者によるテレビ番組のリクエストでは、総合部門の第9位、大河ドラマ部門の第1位に輝いた。また、2005年に行われた好きな大河ドラマは?というアンケートで第1位を獲得。放送から19年経った今でも人気は根強い。なお2004年1月3日・4日に総合テレビで、同年7月26日~30日に衛星第2テレビで総集編が本放送当時の完全ノーカット版で再放送された。
[編集] 画期的なオープニング解説
オープニング前に史実の解説などを行う手法は本作が初の試みとも言われ、以降の大河ドラマの恒例となった。
NHKでの本放送ではオープニング前に1987年当時の世相などを絡めて史実の解説などが行われていた。以下に具体例を挙げる。
- 秀吉・家康・政宗の年齢差を長嶋・王・清原に置き換えて説明した。
- 梵天丸役の藤間遼太が米沢城の間取りを紹介。
- 本能寺の変の説明を、過去の大河ドラマの映像から信長が自刃する場面を交えて行った(これは総集編でも見られる)。
- 小田原攻めでの解説では、CGを使い豊臣軍20万の兵が北条軍が立てこもる小田原城を包囲している様子を詳しく説明(これも総集編で見られる)。
- 本物の花押にしか入れていないと政宗が主張したセキレイの眼で有名なエピソードでは、当時の中曽根総理の花押を紹介。
- 最終回ではジェームス三木が仙台城大広間のセットに登場し、政宗の有名な五言絶句・「馬上少年過ぐ」の解説を行った。
しかし現在では肖像権や著作権、プライバシー保護などの面から、NHK以外での放送(CSの衛星劇場、時代劇専門チャンネルなど)ではともにカットされている。なお、DVDなどで販売されている「完全版」に関しては、このオープニング前の紹介・解説も完全に収録されている。
またオープニング映像自体も大河ドラマの常識を変えた作品と言われる。それまでの大河ドラマのオープニングは空撮や風景の映像などを延々流す、悪く言えば退屈な映像が多かったが、本作品ではレーザー光線や合成など特殊効果を存分に使い、大河ドラマだけでなく時代劇の常識をも超えた映像を見せ、以降の大河ドラマのオープニングではこのような特殊効果の使用が頻繁に行われるようになった。また宣伝用のポスターにも特殊効果を用いたり、あるいはタキシード姿の渡辺謙に兜を持たせ眼帯を付けさせるなど、時代劇の枠を超える色々な工夫が施された。
[編集] 革新的な演出「遺骨映像」
もっとも斬新な演出の一つとして、伊達政宗本人の遺骨が映像として紹介された。政宗墓所・瑞鳳殿は第二次大戦時の戦災で焼失、1979年に再建されたが、それに先立ち1974年に行われた発掘調査で発見されたもので、年月が経過していたにもかかわらず、奇跡的に残っており、科学的鑑定により生前の政宗の容貌・体格・血液型なども推定できた。それらを紹介したことはドラマのイメージを膨らませるのに革新的とも言える演出であった。
[編集] 屈折したヒーロー・政宗
このドラマの特徴の一つは,主人公が必ずしも「完璧なヒーロー」ではないことである。特に幼少時の失明による強いコンプレックス、強烈なマザコン、若い頃、野望を剥き出しにして、思い通りにいかないと妻や周囲に当たり散らし、父や家臣の助言にも耳を傾けず、秀吉に最後まで抵抗しようと試みたりと、とにかく危なっかしい青二才の印象を与えている。秀吉に服従していても一揆を煽動したり、秀次との懇意が仇となり配流の憂き目にあいそうになったりするなど、視聴者をよくハラハラさせていた。しかし、だからこそ物語後半の何かを悟ったような落ち着きと天下をきっぱりあきらめた後、天下のご意見番としての地位を確立してからの堂々とした立ち居振る舞いは、同じ俳優が演じているとは思えないほどのギャップを印象付け、人の一生の変化に強烈なインパクトを与えている。近年の大河は、若年のうちから落ち着きがあったり、老年期に達してもメイクや演技に変化が乏しかったりして、第1話と最終話を見比べても、政宗ほどのギャップは見られない作品も多い。
[編集] 登場人物のイメージを重視した俳優陣
また、「渡辺謙=高くはない知名度」、「勝新太郎=衆目の知るところの大御所」という図式が、そのまま「政宗=奥羽の大名」、「秀吉=天下人」にも当てはまるなど、役者の立場・イメージと演じる役の立場がぴったりという印象が強いのも特徴である。(多少ミスキャストと思えるものもあるが、最近の大河と違い、極力そういったものがないように配慮がなされている。)奥羽では暴れ放題であった政宗が、秀吉を前に平伏する有様は、奔放に振る舞っていた若い俳優が、ベテラン勝を前にして自分の小ささを思い知らされているようで、画面からあふれ出るインパクトが視聴者にとっても興味深かったはずである(このシーンの収録後、渡辺は勝から「いい眼をしていたぞ…」との声をかけてもらったという。まさに「渡辺=政宗」が「勝=秀吉」に認められたという、シーンそのままの構図が実際の収録現場にも当てはまったのである)。そしてその「渡辺=政宗」は次第に勝や津川とも対等以上に渡り合うようになり、政宗と共に渡辺も俳優として成長しているのがリアルに感じられた。その他にも、お東=烈女=岩下志麻、輝宗=優しさと男気=北大路欣也、小十郎=忠義者=西郷輝彦など、役者のイメージを最大限発揮した生き生きとした演技に多くの視聴者が魅了された。また、これまでは「『赤いシリーズ』における百恵さんの相手役」としての性格が強かった三浦友和が、無骨な頑固者である伊達成実を見事に演じ、中堅俳優として脱皮するきっかけとなった番組ともいえる。
主演の渡辺謙は1984年の「山河燃ゆ」以来、2度目の大河ドラマ出演であり、同じくNHKで前年に放映されていた連続テレビ小説「はね駒」出演中に「眼がいい」と言われ、抜擢されたという。彼は当時必ずしも知名度のある俳優ではなかったが、本作品で一躍一流スターの仲間入りを果たした。ただ、野心みなぎる政宗を好演しあまりにはまり役であったために、渡辺謙=伊達政宗の固定イメージが定着してしまい、彼はその後苦労したようである。十数年後、渡辺謙は「ラストサムライ」でアカデミー賞候補に挙げられるが、その時の記者会見でも「これでようやく伊達政宗から卒業できるかな」と発言している。渡辺謙は本編すべてにわたって右目を閉じた状態で出演。ただ、第11回「八百人斬り」において、夢の中のシーンにて、かつ鏡に映った姿でのみ両目を開いた状態で登場している。最終話の脚本段階では、政宗臨終の幻想シーンで両目が開かれるという演出が盛り込まれていたが、本編では用いられなかった。
本作品での渡辺謙の起用成功以降、大河ドラマの主演を20代~30代前半の若手俳優が務めることが多くなった。ただ、そのほとんどは既にある程度の知名度を持つ二世俳優・伝統芸能(歌舞伎など)の世襲後継者・アイドルスター等で、どちらかといえば人気先行・話題性重視の起用である。才能はあるが知名度の高くない演劇俳優を抜擢し成功した本作の事例はやはり稀有なものである。
[編集] 大河バブルの先駆け
また、本作の大ヒットの結果、仙台市を初めとした縁の地には、東北新幹線(1982年開業)により観光客が殺到し、渡辺謙や桜田淳子が参加した仙台七夕も過去最高の観光客数となって「大河バブル」のさきがけとなった。この作品以降、各自治体は地元でインフラ整備したりオープンセットを作ったりしてでも、大河ドラマの舞台地の誘致をするようになる。
しかし、本作はバブル景気(1986年12月~1991年2月)初期に放送され、好景気による国民の高揚感と、受け入れ側の仙台市の政令指定都市化(1989年)前の関連インフラ整備(仙台市営地下鉄南北線開通など)や各種イベントの開始(「青葉まつり」再開、「SENDAI光のページェント」開始、「未来の東北博覧会」開催など)等等が重なった結果であり、降って湧いたような「バブル」であった。
一方、政宗にとって最大の敵役となる最上義光があくどく描かれてしまったことや、意図の有無にかかわらず各種イベントが用意されていた仙台市や宮城県側に観光客が集中してしまったことなどに、山形県の関係者らから不満が上がった。ただし、当時は山形新幹線も山形自動車道も開通しておらず、特に東北地方以外からの観光客には山形県へのアクセスが悪かった背景もある。
また、本作の「大河バブル」で特徴的なのは「時代錯誤」(時代認識のズレ)である。すなわち、本作の時代である戦国時代の伊達氏の版図(山形・福島)より、江戸時代の伊達氏の版図(仙台)の方が「伊達政宗ゆかりの地」のイメージが強く、それが観光客側にも受け入れ側にもあったことである。仙台は江戸時代の「政宗の城下町」、宮城県を中心とする旧仙台藩領は「伊達の国」のイメージを打ち出した観光戦略を採り、米沢市は江戸時代の米沢藩ゆかりの上杉景勝や上杉鷹山に代表される「上杉の町」をアピールしており、両者とも戦国時代の歴史を観光化していない。結局、観光客は、本作前半の中心舞台となる山形県・福島県よりも、後半の十数話の舞台に過ぎないが伊達政宗のイメージが強い仙台の方に集中することになり、仙台はまさに「バブル」となった。
[編集] 登場人物とキャスト
[編集] スタッフ
[編集] 伊達一門・家臣
- 伊達政宗:(幼少時:梵天丸)藤間遼太→(少年期:藤次郎)嶋英二→渡辺謙
- 伊達家17代目当主。天下取りを夢見るが生まれた時代が遅すぎた、「遅れて来た英雄」。文武に優れた名将だが、幼少時に疱瘡(天然痘)で右目を失明した事が生涯のコンプレックス。義姫が政宗を懐妊する前に万海上人という片目の聖徳が現れる夢を見たことから、その生まれ変わりとされた。母に愛されていないという思い込みから強烈なマザコンでもある。徳川幕府体制確立後は自らの野心は捨て、天下泰平と領国経営に力を尽くす。秀吉や家康といった「天下人」達と出会い、彼らの器の大きさに感心するようになると共に己の器量などを自覚するようになっていく。娘の五郎八姫とその夫・忠輝が大人になって再登場する終盤では、彼の家族との関係がクローズアップされるようになり、幕府の要人とも渡り合う政治家としての姿と共に彼女のことで苦労する姿が描かれ、年頃の娘を持つ父としての側面が強く打ち出されていた。
- 伊達輝宗(政宗の父):北大路欣也
- 誰よりも政宗の才能を信じ、周囲の心配をよそに政宗に武将としての英才教育を施す。また、家臣の面倒見もよかったらしく、山家国頼から喜多を貰い受けたいと相談を受けた際には喜多にそれとなく縁談を持ちかけたりもしていた。その際、彼女が自分に好意を抱いていたことを知ったときは複雑な気持ちだったようだ。その後、不慮の事件で政宗の目の前で非業の死を遂げる。ちなみに輝宗役の北大路欣也は、第8話で主演の渡辺謙が政宗として登場するまでオープニングのクレジットでは筆頭であった。
- 義姫→お東の方→保春院(輝宗正室、政宗・小次郎生母):岩下志麻
- 最上家より伊達家に嫁いできた、文武に優れた女傑。最初はすぐにも輝宗の首をあげて帰ると言っていたが、輿入れしてすぐに輝宗の器量に惚れ込み、彼との間に二人の子を成す。政宗の右目の障害は自分の責任だと責めるあまり政宗とは向き合えなくなり、次男小次郎ばかりを溺愛するように。第1話での伊達家への輿入れの際には猪をしとめ、自ら火縄銃の射撃訓練に出向き、柿の木に成っているその実に的中させるなど、男勝りな女性で劇中での彼女の弁によれは、父の最上義守をして「男に生まれておれば」と言わしめたほど。また輿入れしたばかりの幼少の愛姫には薙刀の稽古をつけさせたりもした。夫・輝宗の教育方針により政宗と引き離され、その教育を乳母の喜多に任せたことから、嫉妬心から木刀での稽古と称して彼女と手合わせしたこともあった。伊達家と最上家の対立が一触即発状態まで高まった「お東、居座る」の回では鎧を着込み、侍女二人と共に国境に両軍が撤退するまでタイトル通り居座り、様子を見に来た政宗に「母の里を討つのであれば、この母をこの場で討ってからにせよ」と言って必死の説得を試みるなど、まさに烈女であった。しかし、兄・義光から「伊達家の安泰を考えるなら政宗を討て」との言葉にそそのかされ、ついには政宗毒殺未遂事件を起こし、実家の最上家に送り返されることに。その数年後政宗と和解はするが、伊達家に戻ったのは最晩年のことであった。
- 義姫役の岩下は当初「自分なら政宗が不憫で溺愛せずにはいられないだろうに、憎悪するなど考えられない。生理的についていけない」と難色を示したが、「それは全て息子を愛しすぎたが故の裏返しだったのでは」と言われ納得、実際にドラマでは彼女の微妙な心理描写が丁寧に描かれた。
- 愛姫(政宗正室(陽徳院)):(少女期)後藤久美子→桜田淳子
- 田村清顕の唯一の子だが、戦乱の世で婿養子の尻を叩いて自ら家を守り抜くような気性の姫ではなかったため、生まれた男子の一人を田村家の継承者とするという条件で、11歳で13歳の政宗に輿入れする。が、二人があまりに幼すぎることを案じた義姫の配慮もあり、実際の結婚はその3年後。しかも二人の間にはなかなか子供が授からず、田村家継承問題で夫婦仲が険悪になったり、先に側室に男子が生まれたり、豊臣や徳川の人質にされたりと、ひたすら耐えるだけの前半生。だが上方・江戸で伊達家の女性外交官の務めを立派に果たし政宗の信頼を勝ち取り、嫡女五郎八姫、嫡男忠宗らを出産しその地位を確固たるものにする。その名の通りどこまでも愛らしい女性だが、内面の強さも持ち合わせた賢夫人でもあった。
- 登勢(成実の正室):五大路子
- 亘理家より嫁ぐ。劇中では成実との間に男子1人、女子1人と2人の子供をもうけている。大内定綱が捨てた城で「八百人斬り」を断行したことを気に病んだ政宗を成実が城に連れて来たときには成実の妻として政宗をもてなした。成実の逐電により政宗は角田城を召し上げたが、召し上げを阻止すべく屋代兵衛と抗戦し、落城前に2人の子供と共に自害。史実では成実出奔前に他界しており、また、男子の方も夭折している。
- 伊達晴宗(政宗の祖父、輝宗の父):金子信雄
- 伊達家の内紛が周囲の豪族などを巻き込んでの争いとなった「天文の乱」では父・植宗(政宗の曽祖父)と対立(「天文の乱」は本編が始まる前の事件)。その後息子の輝宗とも対立したが作中では既に隠居し彼のもとで余生を過ごしている。伊達家の歴代当主の多くが足利将軍家から一字を賜って名をつけていたこともあり、輝宗が柴田勝家を通じて将軍家をないがしろにしている信長とよしみを通じていることを快く思っていなかった。輝宗とその息子で孫の梵天丸(政宗)に遺言を残し息を引き取る。
- 伊達小次郎(輝宗次男、政宗実弟):岡本健一
- 幼名竺丸。義姫の屈折した愛情を一身に受けて育ったイノセントな美少年。だがその存在自体が常に伊達家内紛の火種と危険視される。史実では母からの愛を一身に受けてることもあり、政宗とは仲がよくなかったという。劇中では兄弟仲よくしているシーンもあるが、兄・政宗と母・義姫との対立の狭間で板ばさみにあっている描写も見られた。輝宗は彼を国分家に養子として出そうとしていたが、輝宗の死後に政宗はその話をなかったことにしている。伊達家の勢力拡大のため、奥州きっての名門・葦名家へ婿養子とする縁談の話を進めていたとき、政宗とはとかく意見が衝突する義姫もこれには「葦名ならば家格的にも申し分ない」と賛成していた。が、先方が佐竹家から婿養子をとることにしたため、縁談が反故となり、面目を潰された兄・政宗が目をギラつかせて「葦名は滅ぼす!」と息巻いていたときは母・義姫と共に困惑していた。もしこの縁談が成功していれば、後のお家騒動で兄・政宗によって成敗されるという悲劇も起こらなかったであろう。自分を斬った最愛の兄政宗に抱きつきながら絶命する最期は圧巻。「彼を死なせないで」という視聴者からの助命嘆願もあったというが、史実的にも物語的にもそれは不可能で、やむなく小次郎役の岡本を元服前の少年時代から登場させた。
- (大河ドラマでのこうした先例としては、「太閤記」の高橋幸治演じる信長に助命嘆願の投書が殺到した話は有名である)
- 虎哉宗乙:大滝秀治
- 政宗の恩師。かの名将、武田信玄を教育した快川紹喜の弟子ということで輝宗の命で呼び寄せられ、依頼を受けた当初は拒絶するが、「梵天丸はかくありたい」をきっかけに了承。幼少時より様々な教育を施す。藤次郎の頬をひねって「痛いなら痛くないといえ」とへそ曲がり術の極意を教えたり、その後も「弧掌は鳴り難し」、「自燈明、法燈明」など、視聴者の心にも響く様々な教えを与える。藤次郎として政宗が初陣を迎える際には「もう一つの初陣も済ませねばならん」といって愛姫と初夜を迎えることを勧めるあたり、世俗のことにも疎いわけではないようだが、本人は「学びたいことが多すぎて女(おなご)の道は後回しになってしまい、あきらめた」とのこと。輝宗の死後は菩提を弔いつつ諸国遍歴の旅に出るが、伊達政道の墓前で偶然の再会を果たす。
- 片倉小十郎→片倉景綱(政宗守役、白石城主):江川芳文→西郷輝彦
- 喜多の異父弟、茂庭綱元の兄弟分。笛の名手。虎哉より梵天丸の師を断られて意気消沈しながら遠藤基信と共に帰城する道中の輝宗に、その笛の音色を愛でられ召し抱えられる。その才能を見出されて梵天丸の守役となるが、周囲の妬みを買い、出奔を考えたものの姉・喜多の必死の説得により取りやめ、主君のために更に尽くした甲斐あって知略に優れた名参謀となる。時として身を挺して諫言するが、家臣の手本とも言うべき忠臣。特に戦場で逆上した政宗をしかりつけた際に、どっかと座って「いたずらに猪突猛進するは、これ匹夫の勇にあらずして何ぞや!」と一喝する場面、小田原参陣の是非を論じる評定の場で「不忠、不義、不孝の罪を重ねては天の助けもあるべからず!」と絶叫する場面は圧巻。また、関白より大名取立ての誘いを受けたものの、「それがしは伊達家の家臣にござりますれば」と辞退。後に嫡子・左門に家督を譲り、後は備中守を名乗る。最後は「昔の守役に立ち返り」遺言とも言うべき助言を遺す。その中には「松平忠輝は見放せ」という辛いものもあった。
- 喜多(政宗乳母、左月の娘、小十郎の異父姉、綱元の異母姉):竹下景子
- 本当は乳母(=結婚出産歴があるはず)だが、作中では演じた竹下の(当時の)年齢に合わせて未婚で若い守役という設定。妻子ある輝宗に片思いをしていた。本作では弟・小十郎の武勇が天下に鳴り響くようにとの願いを込め、釣鐘の馬印を作ったということになっている。政宗が当主になり、母の義姫を追放してからは政宗の母親役を自認する。が、太閤より愛姫を「狐払いの祈祷」を口実に要求された時、愛姫を救う為には都から遠く離れた岩出山にいる政宗の指示を仰いでいては間に合わないと、手打ち覚悟の独断で藤姫を代わりに差し出した。後で事の次第を知った政宗は当然激怒するが、愛姫が助命を懇願したため手打ちを免れ、蟄居を命じられた。
- 蔦(片倉小十郎の妻):音無美紀子
- なかなか子ができない政宗を気遣った夫の小十郎の命により、彼との間にできた子供を殺せと言われ嘆き悲しむもそれを知った政宗が「そのようなことは断じてならん」と言ったため、それを喜多が伝えに行きすんでのところで子供は無事、喜多、蔦、そして女中の3人でその無事を喜ぶ場面が印象深い。こうして一命を取り留めた子は後に片倉重長として父同様、政宗の側近となった。
- 片倉左門→片倉重長:阿久津龍→高嶋政宏
- 父同様「小十郎」と通称され、大坂の陣での獅子奮迅の働きから「鬼の小十郎」とも称される。大坂の陣での働き振りが父・景綱の逆鱗に触れ勘当されかかるが、政宗のとりなしで許される。父の跡を継ぎ、政宗の側近として仕え続ける。妻は(後妻らしいが)真田幸村の息女、梅。大坂落城の際、幸村の指示で伊達家に庇護を求めてきた梅に惚れ込み、政宗の許可を得て妻とした。
- 遠藤基信:神山繁
- 輝宗の側近。中野宗時の謀反、知略に長け、逐電後は側近として筆頭家老的な役割を任じる。鬼庭左月(後述)とは親友であり、よいコンビであった。主君である輝宗の兄弟の名前を二人で列挙していたら二人とも途中でわからなくなってしまう等、劇中での二人のやり取りは笑いを誘うものであった(史実において二人の間にそうした交流関係があったかは不明)。家督相続後も政宗に仕えたが、輝宗の死後は後事を片倉小十郎に託すかのように墓前で殉死。
- 鬼庭左月(綱元の父):いかりや長介
- 伊達家重臣。輝宗に登用された気性の荒い猛将で虎哉宗乙を「クソ坊主」と罵ったことも。輝宗と義姫の間になかなか第2子が生まれないことを気にかけ、遠藤基信と相談し娘の喜多を輝宗の寝所に向かわせたこともある。基信亡き後は人取橋の戦いにて自ら殿(しんがり)役を買って出て討ち死にし、その後を追った。代々長寿で、綱元は「父、左月は七十四で若死にいたしました。」と太閤に語った。
- 左月と喜多・綱元・小十郎の関係について、一応作中では、左月は最初の正妻との間に喜多を設けるが男子は生まれず、側妻との間に綱元が生まれると左月は正妻を喜多共々離縁、綱元の母を正妻に直した。離縁された喜多の母は娘を連れて片倉家に再嫁し小十郎を生んだ、と説明される。従って綱元と小十郎には直接の兄弟関係はなく、二人が対立した時期もあったが、喜多は二人に自分から見れば綱元は異母弟、小十郎は異父弟なのだから、自分を挟めば兄弟同然と諭した。
- 鬼庭綱元→茂庭綱元:宮田猛→村田雄浩
- 劇中では片倉小十郎、小原縫殿助と共に梵天丸の守役として梵天丸(政宗)と共に虎哉のもとで学んでいるが、実際には政宗との年齢差は18歳近く離れており、腹違いの弟・小十郎より8歳年上で輝宗より5歳下である。政宗の家督相続を機に鬼庭家の家督を相続。評定衆の一人となる。後に伊達家奉行職。将棋の名人で太閤・秀吉との賭け将棋に勝ち、愛妾の香の前を譲り受ける。その際、「鬼が庭にいるのは不吉」として秀吉から「茂庭」に改姓させられた。
- 猫御前→飯坂氏(政宗側室、秀宗の母):秋吉久美子
- 「猫」は政宗が付けた愛称で、作中では初めて政宗の側室候補として米沢城に上がったとき、ネズミ退治をした事が由来とされている。奔放な性格で正室愛姫との関係に疲れていた政宗に寵愛されるが、偽装妊娠騒ぎを起こしたりするトラブルメーカーでもある。その為小田原参陣前には政宗の子を本当に妊娠していたのを誰からも信じてもらえず、実家に戻される道中の無理がたたり流産してしまう。その後政宗のもとに戻り、愛姫より先に庶長子秀宗を出産。一度はこの子が伊達家後継者とされ、生母として我が世の春を謳歌するが、やがて愛姫に男子が生まれると側室の悲哀を一気に味わうことに。作中では秀宗の後見として宇和島へ行くことになっているが、史実ではそれに先立って世を去っている。
- 五郎八姫(政宗長女(嫡女)、松平忠輝正室):塙紀子→沢口靖子
- 政宗と愛姫との間に結婚15年目にして授かった待望の嫡出第1子だが、あくまで愛姫との間に伊達家の正統な後継者となる男子を熱望する政宗は、生まれた子が女子だった不満と次こそは男子をという期待も込めて五郎八(いろは)と命名。父政宗や祖母義姫の激しい気性を色濃く受け継ぐ。松平忠輝正室となるが夫の改易に伴い離婚。キリシタンであった彼女は終生再婚はせず、後半生は仙台で気ままな生活を送った。政宗は若い頃なかなか子供ができないことで気をもんでいたが、もし五郎八が早く生まれていて最上義光の娘・駒姫くらいの年齢になっていたら、秀次に目をつけられたことがもとで斬罪に処されていたのは彼女のほうだったかもしれない。
- 伊達忠宗(政宗次男(嫡男)、二代目仙台藩主):小林正幸→野村宏伸
- 政宗と愛姫との間の第2子。結婚20年目、半ば諦めかけた矢先に生まれた待望の嫡出男子。虎菊丸。先に生まれた庶兄・秀宗を差し置いて伊達本家の正統な後継者となる。生母愛姫もこの出産により政宗の正室としてゆるぎない地位を確立する。どちらかと言えば祖父輝宗や母愛姫の温和な性質を受け継ぎ、聡明で慈悲深い、泰平の御世の君主にふさわしい人物に描かれる。
- 振姫(忠宗正室):林佳子
- 忠宗正室には当初家康の実娘・市姫が予定されていたが、姫は婚儀に至ることなく夭折してしまう。家康にも秀忠にも他に伊達家に嫁がせることの出来る実の娘は残っておらず、家康の外孫で秀忠の姪に当たる池田輝政の娘・振姫を秀忠の養女とした上で忠宗の正室とした。
- 伊達秀宗(政宗長男(庶長子)、初代宇和島藩主):福原学→辻野幸一
- 政宗と側室猫御前との間に生まれた庶長子。兵五郎。正室愛姫に長く男子が生まれなかったため一度は彼が伊達家後継者とされるが、愛姫の男子出産と秀宗自身が秀吉政権下で地位を与えられていた事もあり、伊達本家の継承権を失う。政宗もさすがにそれは不憫だと考え、徳川幕府に働きかけ秀宗の伊予宇和島10万石の分家が認められる。その後付家老、山家清兵衛の冤罪死事件で一時的に政宗から勘当されるが、後に許される。
- 千松→(宇和島)伊達宗実(秀宗長男):佐藤陽介
- 政宗にとっては初孫であったが、夭折してしまう。
- 村田宗殖(晴宗の弟、輝宗の叔父、政宗の大叔父):八名信夫
- 伊達一門ではあるが、政宗とはそりが合わずことごとく対立し、小次郎擁立派に回るも小次郎が斬られてからは政宗の下になびくことに。劇中ではその後、猫御前との間に生まれた政宗の子(後の秀宗)を一緒にあやしたりして隠居生活を送ったようだ。
- 鈴木元信(鈴木重信):平田満
- 京都在住の茶人で、しばし政宗に中央の情勢を知らせる。後に召抱えられる。現代の企業で言えば財務本部長のような役割。番組では「モーレツ社員から実務派重役となった戦国ビジネスマン」にたとえられ、執務中に倒れ、政宗の腕の中で息絶える。
- 小梁川盛宗→小梁川泥蟠斎:福田豊土
- 政宗の祖父、晴宗のときから仕えている重臣。政宗が家督をついでからは側近として提言などをしていた。私怨にとらわれている政宗に、「窮鳥懐に入らば、狩人これを殺さず」と言って大内定綱を家臣に加えるよう提言した。
- 山家国頼:大和田伸也
- 元最上家家臣。義姫に付き添って伊達の家臣となるが、刺客としての密命も帯びていた。しかし、輝宗の人柄、そして政宗に命を救われたことに感じ入り、心底より政宗大事の旗本として仕え、大崎、葛西の謀反鎮圧の戦で討ち死にをする。その際、「自分が死ぬのは太閤のためか、それとも御館様(政宗)のためなのか」と政宗に問いかけた。
- 山家清兵衛:中西良太
- 国頼の嫡男。伊達秀宗の守役、後に付家老。勘気を被り秀宗に成敗される。
- 白石宗実:門田俊一
- 政宗の家督相続を機に評定衆の一人となる。
- 布施定時:萩原流行
- 屋代勘解由:江夏豊
- 小原縫殿助:加瀬悦孝→岡本富士太
- 片倉小十郎、鬼庭綱元と共に梵天丸の守役となる。政宗元服の後はその任を外れ、小次郎の守役となる。小次郎が成敗された後はその遺骸を背負い、しかるべき埋葬地を求めて放浪。埋葬の後、その墓前にて割腹、殉死する。
- 粟野藤八郎→木工助→粟野秀用:潮哲也
- 縫殿助と共に小次郎の守役。小次郎を押し立てた謀反の一翼を担う。小次郎が成敗された後は出奔し、いつしか関白豊臣秀次に仕え、名を木工助秀用と改める。秀次失脚後も傍らに仕え、高野山にて殉死。
- 飯坂宗康:東八郎
- 側室・猫御前の父親。小梁川泥蟠斎の仲介で娘を側室に差し出す。小田原参陣前に猫御前が実家に戻り、流産した際は、手打ちを覚悟で政宗に抗議した。
- 香の前(政宗側室):高師美雪
- 賭け将棋に買った政宗が太閤より下げ渡された側室。懐妊後は茂庭綱元に預けられる。
- 百合姫(政宗側室):星洋子(星遥子)
- 藤姫(政宗側室):片橋久美子
- 太閤より愛姫を「狐払いの祈祷」を口実に要求された喜多が、愛姫を救う為に代わりに差し出した。
- 御佐子(おちゃこ お東の侍女):鷲尾真知子
- 義姫(お東)が輿入れした際、共に伊達家にきた侍女。同じく伊達家に同行してきた山家国頼に好意を寄せていたが、彼は喜多に好意を寄せていたため失恋に終わった。政宗の小田原出陣の際、義姫の命令を受け、義姫自ら作った手料理に毒を盛る実行犯となる羽目に。その後も終生保春院(義姫)に仕え、最晩年には保春院と共に仙台城に迎え入れられた。
- 鶴(お東の侍女):入江繭子
- 御佐子と同じく、義姫(お東)が輿入れした際に共に伊達家にきた侍女であるが、御佐子ほどキャラクターが立っていなかった。義姫による政宗毒殺が未遂に終わったあとは、御佐子共々義姫と共に最上家に送り返されたが、その後も御佐子と共に終生保春院(義姫)に仕え、彼女もまた最晩年には仙台城に迎え入れられた。
[編集] 最上家
- 最上義光:(山形・最上家当主、義姫実兄):原田芳雄
- 伊達家と並ぶ奥羽の名門で、政宗の実の伯父だが宿敵。政宗の父・輝宗が当主だった頃は彼もまだ若く、一端の武将らしく天下への野心もあったが、政宗が伊達家の当主となった頃には秀吉により天下の趨勢が固まりつつあることが明白となっていたため、それをあきらめ豊臣政権にうまく取り入ることを考えるようになり、政宗が信長を気取って奥州の周辺諸国に対し、積極的に勢力拡大を図ろうとすることを快く思っていなかった。物語構成上あくどい人物に描かれてしまったが、それが山形県の関係者らから不満が上がったことからしても、山形では名君として領民にも慕われていたと思われる。そうした不満に対するフォローからか、劇中では晩年の義光が政宗に武将としての器量で負けたことを述べる場面では、義姫が「兄上は庄内を開墾したではありませんか」とその功績を含め、内政に力を注いだことをたたえている描写があった。また、最愛の娘・駒姫を失ったこともあってか、自分の謀略で政宗との親子の縁を断ち切らせたことを義姫に詫びる一幕も見られた。自ら招いた最上家内紛の火種を案じ政宗に後事を託すと共に、政宗の立場も決して安泰ではないと忠告するが、その甲斐もなく最上家は彼の死後わずか9年で改易となった。
- 最上義守:(義光・義時・義姫の父)今福将雄
- 嫡男の義光とは確執があったといわれており、ドラマでは次男義時を擁立して義光と家督相続で対立したとされるが、これに関しては信憑性に疑問がもたれている。死ぬ前に娘の義姫とその夫・輝宗と義光を呼び、先の戦での身内同士の争いの虚しさを説いて輝宗と義光に共に手を携えることを誓わせ、その生涯を閉じた。
- 最上義康:大沢秀高→畠山久
- 最上義光の嫡男。上杉との合戦の際は援軍を求め、政宗の母・保春院(義姫)の書状を持って伊達陣中に伺候し、これによって政宗に最上家へ援軍を送ることを決意させた。家臣の讒言により無実の罪で誅殺されたが、自らの無実を訴える起請文を遺していた。
- 最上家親:堀広道
- 家康の小姓として傍らに侍るが、義康の死後義光の要請で後継。
- 最上義時:(義光の弟)山口芳満
- 父・義守は一旦は嫡男・義光に家督を継がせたが、義光の振る舞いを危惧してこの義時を擁立しようとした。そして兄・義光に対し謀反を起こしたものの捉えられた後、義光の前に引き出され、斬罪に処された。しかし彼の存在自体が実在したかどうか怪しいものであり、この話も後世の創作という意見も出ている。
- 駒姫(義光娘、秀次側室・お伊万の方):坂上香織
- 義光自慢の美貌の末娘で、秀次の目に留まりその側室となる。が、秀吉の命で秀次は切腹、その妻妾子女全員が死刑とされる。義光は恥も外聞も無く愛姫に頭を下げ北政所のとりなしを請い駒姫を救おうとするが、その甲斐も無く姫は斬殺される。
- 天童御前:小林かおり(義光室)
- 義光が攻め立てた天童家出身の義光の妻。劇中では先妻のように描かれている。精神錯乱を起こし、亡くなってしまう。
- 大崎御前:岩本多代(義光室、駒姫の母)
- 大崎家出身の義光の妻。劇中では義光の後妻として描かれていた。娘・駒姫の死を聞き、悲しみのあまり間もなく亡くなってしまう。
[編集] 奥州の豪族
- 大内定綱(大内家当主):寺田農
- このドラマの注目すべきキャストであろう。当初は政宗を馬鹿にし対立、政宗も定綱の支城小手森城攻めでは女子供に至るまで虐殺、いわゆる「なで斬り」を行なった(第11回「八百人斬り」)。また父の輝宗の非業の死も、元はといえば定綱の裏切りにあり、いわば政宗、伊達家にとっては「八つ裂きにしても飽き足らぬ男」(劇中の成実のせりふ)であった。城を放棄した後、彼は葦名四天王に迎え入れてもらうことを条件に葦名家に下るも冷遇されたため、政宗に降伏し泥蟠斎の提言もあり家臣に加わるが、その時も政宗は歯軋りしてこれを迎えたような状況であった。坊主頭で拝謁の際に「ねずみ(かつて定綱は政宗をネズミ呼ばわりした)に頭を下げるそちは何だ?」と聞かれ、「さしづめ、いがぐりでござりましょうか。」と返した。
- しかし彼は武将としてはもちろん、政宗が秀吉に雌伏して以降、伊達家の京都大阪の外交官、外務大臣として極めて有能な行動で伊達家を助けた。秀次事件や関が原の合戦時における彼の手腕は田舎の豪族とはとても思えない見事なものである。
- 秀吉に子ができないことについて「世継ぎができなくては、せっかく築いたものを後に残すこともできない」といった旨の発言をした際には、当時子供がなかなか生まれないことを気にしていた政宗の目の前だったこともあり、周囲から咎められたこともある。
- 政宗もやがて彼をおおいに評価し、彼の死の床では感謝の意を表し、後に伊達一門扱いにするに至る。定綱も「殿は定綱の誇りでござった。」という言葉を遺した。
- 政宗の叔父でありながら、その無能の故に、政宗に追放された国分盛重と対照的な人物である。
- 大内長門:塩見三省
- 定綱と同じく、大内家の一門衆。政宗の猛攻を前に城を放棄することになった際には城を焼き尽くそうとしたが、定綱が「いずれ多くの兵を率いて必ずここに戻る」と言ったため、それを取りやめて定綱と共に泣く泣く撤退した。その後の消息は不明。
- 畠山義継(二本松・畠山家当主):石田弦太郎
- 大内定綱を頼りに合戦に及んだものの、定綱の逃亡で和睦を申し出る。その際に輝宗、実元らのとりなしを頼んだが、政宗は「五ヶ村のみを残して領地を全て召し上げる」と申し渡す。窮地に陥った義継は御礼言上に伺候したと見せかけて輝宗を拉致、城内まで連行しようとするも「天下を取りたくないのか」と叫んだ輝宗に応えるように政宗が義継達に鉄砲で発砲したため、それに恐怖して輝宗を殺害したが、直後に政宗達によって斬り殺された。この事件による彼と輝宗の死がもとで伊達、畠山双方は互いに強い憎しみと恨みを抱くようになった。
- まさに「窮鼠猫をかむ」という振る舞いであり、劇中では「政宗がもう少し寛大であればこんなことにはならなかったのでは?」という印象を与えるように描かれた。
- 綾御前(畠山義継の妻、国王丸の母):市毛良枝
- 主君の義継亡き後、政宗を悪逆非道と罵り嫡男・国王丸を擁立する。その後、家臣たちと共に政宗に対し徹底抗戦したが、篭城戦がたたり餓死者が続出したため、重臣達の切腹と居城を明け渡すという条件を呑み降伏。重臣達は「(国王丸様と奥方様が)助かるのであれば喜んで腹を切りましょう」といい切腹した。劇中ではそのまま野に下り畠山氏は滅亡したとされているが、史実では畠山氏はその後葦名氏に身を寄せている。
- 国王丸(義継嫡男):八百坂圭祐
- 義継の遺児。劇中では畠山氏が野に下ったところで滅亡したとされており、その後出演しないが史実では会津の葦名氏に下り、そこで元服し義綱と名乗った。摺上原の戦いで芦名・佐竹連合軍が伊達軍に敗北した際、佐竹家から養子縁組で当主となった葦名義広に付き従い義広の実家・佐竹家の領地である常陸に落ち延びる途中、「足手まとい」として義広に斬り殺されたという。
- 蘆名義広(佐竹家出身の蘆名家当主):堤真一
- 跡継ぎが絶えた奥州の名門・葦名家に養子縁組で当主として迎えられた佐竹家出身の武将。しかし、家臣団の掌握に失敗し、彼に同行してきた配下の武将と元来の葦名家の家臣との間に軋轢が生じることになった。これを摺上原の戦いにおいても引きずっていたため、佐竹・葦名連合軍は家臣団の連携が取れず、伊達軍に大敗を喫することになり、義広は実家の佐竹家に退却。また、葦名家は秀吉と懇意にしていたため、政宗が小田原に参陣の折には秀吉によって遣わされた問責使により、葦名家を滅ぼした理由を問われることとなった。葦名義広役の堤真一は本作が大河ドラマ初出演で、翌年の「武田信玄」でも信玄の長男・義信役で出演している。
- 田村清顕(三春・田村家当主、愛姫の父、政宗の舅):久保明
- 田村家存続のため、伊達家の庇護を得るために一人娘である愛姫を政宗の下に嫁がせる。男子がいなかったため、政宗と彼女の間に生まれた第2子を養子としてもらう予定であったが、二人が一時期不仲であったことに加え、なかなか子を授からなかったことから、結局跡取りがいないまま没してしまう。舅として政宗の陣中見舞いに来たこともあった。
- 国分盛重(国分家当主、輝宗の弟、政宗の叔父):イッセー尾形
- 国分の領主として赴くも、無能で評判は悪く、輝宗も彼を廃し次男竺丸に国分を継がせる事を考える。鮎貝の乱に乗じて謀反を起こしたり、村田宗殖らと組んで小次郎を押し立て謀反を企むなど何かと問題を起こす。やがて上杉との合戦のさなかに政宗より「三日以内に兵を出さねば切腹を申し付ける」と言い渡され、そのまま佐竹氏を頼って逐電。イッセー尾形が演じていたこともあって、逐電前の心の葛藤を一人芝居で表現していた。ドラマでは、後に幕府の「一国一城令」に対する伊達家の対応を探る佐竹家のスパイとして再登場する。
[編集] 諸大名とその関係者
[編集] 豊臣家
- 豊臣秀吉:勝新太郎
- 配役決定後、渡辺は勝に事前に挨拶しておこうとしたが、勝は「小田原で政宗が秀吉と出会うまで、渡辺とは会わない」と主張。撮影は渡辺と勝が会うことがないよう調整して行われた。小田原での対面シーン本番で初めて二人は実際に顔を合わせ、そのリアルな緊張感が画面からも伝わってくる名シーンとなった。
- 若き政宗の前に立ちはだかる大きな壁ともいうべき位置づけであり、そうしたインパクトを出すため従来の秀吉像と大きく違う配役となった。そのためイメージと違うという声も少なくないが、権力者として振る舞う姿は「本当の秀吉も権力者としての振る舞いはこうだったのではないか」と思わせるだけの迫力ある演技であった。本作では、何度も政宗を危機的状況に追い込みながらも、本質的には政宗と気の合う性格で、晩年には政宗の前で思わず「ワシにおまえのような倅がいれば」と本音を漏らすなど、へそ曲がりの政宗を息子のように思っていた人物として描かれている。また、一揆扇動を画策したりして自分に楯突こうとする政宗に腹を立てながらも、どこかそれを楽しんでいたようであった。
- ねね→北政所→高台院:八千草薫
- 秀吉の正室。本作では米沢から京に来た愛姫にとっての大きな後ろ盾であり、頼れる相談役として描かれた。秀吉からの愛姫へのちょっかいをたしなめたりもしている。また、秀吉が秀次を切腹させた後、彼の血縁者を処刑することが決まったときには最上義光が秀次に差し出していた娘・駒姫の助命嘆願を愛姫から彼女に伝えてもらい、そのとりなしで助けようとしていた。(史実でもこうした交流を持っていたり駒姫の助命嘆願などを実際にしたかは不明だが、「大変な人格者で、彼女に頼めば解決できないことはない」というルイス・フロイスの人物評などを考慮して創作したエピソードと思われる。)
- 茶々→淀殿(秀吉の側室、浅井長政娘):樋口可南子
- 当時は「淀君」の呼称が用いられた。妖艶な美しさを持った女性として描かれており、秀吉の子を懐妊したことで寵愛を受けるようになる。秀吉死後はその色香で三成を抱き込み、反家康派として息子の秀頼を擁立し対決姿勢を露にしてゆく。淀役の樋口は本作で主演をつとめている渡辺と後に映画『明日の記憶』で夫婦役で共演した。
- 豊臣秀次(秀吉の甥):陣内孝則
- 鶴松の死去で世継ぎのいなくなった秀吉の後継者として、関白となる。政宗とは年齢も近く、お互いに将来を見据えて積極的に親しくしていた。が、淀殿が秀頼を出産すると、秀吉にとって邪魔者でしかなるとともに疑心暗鬼になった上、殺生関白と言われるような奇行も目立つようになり、ついには切腹を命じられる。秀次が太閤となった秀吉との仲が悪くなってきていたときには蒲生氏郷と政宗、娘の駒姫を側室に差し出していた最上義光に対し、「そなたたちはいざというときの頼りだ」と彼らのことをあてにしていた。このとき秀次が彼ら3人と話していたことから、政宗にも疑いがかけられることになる。彼の妻妾子女は全員斬罪となり、その中には先述の最上義光の愛娘・駒姫もいた。政宗も秀次と親しくしていた事から連座して追放されかかるが、家康のとりなしで許された。
- 豊臣秀頼:井上飛敏→石井保→山下規介
- 自らの立場や出生の疑惑に苦悩し、「太閤秀吉の子として死ぬ」事を望む。政略結婚ながらも千姫との愛は本物であり、彼女を人質としようとする母の淀に対し、徳川方へ解放した。最期は徳川軍に包囲される中、母の淀、それに侍従の者達と共に城の一室に立てこもり「自分は本当に太閤の子か」と淀殿に質問した後、彼らと共に自決した。
[編集] 徳川家
- 徳川家康:津川雅彦(『葵徳川三代』でも徳川家康を演じている)
- 小田原参陣以来、政宗にとっては大きな後ろ盾となった存在。劇中では小田原に到着後、政宗は家康の陣所で「田舎者ゆえ千利休に茶の湯を習いたい」と家康に告げているが、これは箱根・底倉の宿舎に閉じ込められた際、前田利家に告げた言葉だとされる(PHP研究所「戦国なるほど人物辞典」より)。秀吉に会見する際、首を繋げるためのアドバイスを政宗にしたり、他にも廃流の危機にさらされたりといった政宗のピンチにはいろいろと助言をしていた。肖像画そっくりの津川の風貌に加え、政宗の米沢から仙台への国替えを秀吉に提案したり、政宗に上杉勢の牽制をさせるための約束「百万石のお墨付き」を反故にする(ただしこれは政宗が同じく家康側についていた南部家の領内で一揆扇動を画策していたことが露見したため、文句は言えなかった)など、従来の家康像どおりの「タヌキ親父」として描かれていたが、秀吉没後あたりから描かれ方が変わっていき、孫娘・千姫の前では「秀頼母子の命を奪ったりはしない」と約束するなど同じく山岡荘八原作で「政宗」の前に製作された戦国モノの大河ドラマ「徳川家康」で描かれていた家康像よりのキャラクターとなった。政宗とは必ずしもウマが合う訳ではないが、真の天下泰平を築こうとする家康の姿に、政宗は己の野心の為に天下を取ろうとする事の愚を悟る。
- 徳川秀忠:勝野洋(二代将軍 『徳川家康』でも徳川秀忠を演じている)
- 当初は政宗を快く思わず、伊達家征伐をも検討する。しかし柳生宗炬の進言を受け入れて伊達家と婚姻を結び、ついには嫡子・家光に「政宗を父と思うて指南を仰げ」と申し渡すにいたる。
- 松平忠輝(家康の六男、五郎八姫の夫):岡田二三→真田広之
- 史実では幼少時から家康には全然愛されていなかったらしく、ドラマでも幼少時から乱暴者として描かれた。政略結婚ながらも政宗の娘・五郎八とは共にキリシタンとして生涯夫婦の関係を誓い合った仲であった。戦乱の世であれば申し分の無い器量の持ち主だが、天下泰平を目指す家康・秀忠から危険視され、結果追放される、その要因の一つは舅・政宗の存在だった。流罪にされ、幽閉されたが父・家康の死に目にせめて一目会おうと途中で伊達屋敷の五郎八のもとを訪れ、その後駿府城に向かう。劇中では家康も会いたかったが将軍自ら天下の掟を破るわけにはいかないと考え、面会を拒絶したが信長から渡されたという野風の笛を家臣を通じて渡し、「そなた(忠輝)に会いたかった」と遺言を伝えるよう家臣に言い残して息を引き取ったことになっており、政宗の前の大河ドラマ「徳川家康」をなぞる展開となった。
- 忠輝役の真田は後に「ラストサムライ」でも渡辺と共演し、五郎八役の沢口とは彼が主演の大河ドラマ「太平記」でも夫婦役で共演した。
- 柳生宗矩:石橋蓮司
- 家康の側近として絶えず傍らに侍る。関が原の合戦後戦勝の賀詞を述べるべく伺候した政宗に、仙台城築城に関して「恐れながら当家の調べによりますれば」と鋭い突込みを入れる。なお、「葵徳川三代」では同じ台詞を本多正信が述べている。家康、秀忠と政宗の会見の場では、常に宗矩と今井宗薫が侍っており、老中など家臣は同席しない。
- 松平忠輝の蟄居を家康と秀忠が決定したことに対し、政宗が家康に会見しようとした際には「それはできませぬ」として政宗を足止めしたために、激昂した政宗が振り下ろした刀を真剣白羽取りで受け止めるという離れ業も披露した。
- また、家康没後、伊達家取り潰しの意見が家臣たちから出てきたときには伊達家と婚姻関係を結んで存続させるべきと主張し、家康の外孫で秀忠の姪に当たる池田輝政の娘・振姫を伊達家嫡男・忠宗に嫁がせる事を提案。へそ曲がりの政宗は秀忠には実子で他家に嫁がせられる娘は残っていないことを承知で「娘をよこせ」と要求。秀忠は激怒するが、宗矩は振姫を秀忠の正式の養女として忠宗に嫁がせれば何の問題もないと進言し、この危機を回避した。
[編集] 豊臣家家臣
- 石田三成:奥田瑛二
- 豊臣家譜代の忠臣で権勢を振るい、後に五奉行の一人となる。ドラマでは政宗の敵役という設定のため、尊大で冷徹な事務官僚として描かれている。政宗に対してことあるごとに敵対し、秀次の一件では彼の謀略により政宗も配流の刑に処されるところであった。秀吉の没後は家康と対峙する関係上、政宗を取り込もうと図る。
- 浅野長政:林与一
- 秀吉の側近。後に政宗の指南役となる。政宗とは親しかったが、秀次の一件で自分の息子にも疑いをかけられたときには同じく秀次の一件で疑いをかけられていた政宗から弁護を頼まれたものの、謀反の疑いが絶えない政宗と関わるのを避けるため、弁護を拒否した。こうしたこともあり、後に政宗は島津家とのトラブルをめぐって長政の裁定に対する不満を理由に絶交する。小田原に政宗が参陣の折、秀吉によって遣わされた問責使の一人。「母方の伯父である最上義光と敵対するのは何故じゃ」と質問。
- 前田利家:大木実
- 五大老の一人。小田原に政宗が参陣の折、秀吉によって遣わされた問責使の一人。「相馬、大崎との事切れ」について問い正す。政宗との関係は悪くはなかったが、原作では三成の言として「伊達は二股膏薬」と非難していたという。
- 蒲生氏郷:寺泉憲
- 秀吉の旗本衆として政宗と初対面。東北攻めに加わり、政宗が召し上げられた会津の地を領する。秀吉は独眼竜の政宗に対し、彼を麒麟と評して二人を競わせた。その後は大崎、葛西の一揆の際に須田伯耆の密書を手に入れ、都に送る。いわゆる「鶺鴒の眼」の一方の主役。政宗が一揆扇動していたという動かぬ証拠を手に入れ、窮地に追いやるも秀吉が政宗の弁明を受け入れ不問に臥したため、その裁定に不満を述べたが受け入れられることはなく、それどころか秀吉は弁明のために逃げも隠れもせず自分の前に出向いてきた政宗を痛く気に入り、氏郷のことは「情けないヤツだ」という印象まで持つことに。その後も政宗とはあまり良好な関係は保たれぬまま、やがて世を去ったため、大内定綱などは「三成殿あたりに毒殺されたのでは?」と危惧した。
- 蒲生源左衛門:小野武彦
- 氏郷と同じく、蒲生氏の一門衆。
- 片桐且元:松村達雄
- 後藤又兵衛:勝部演之
- 木村重成:深水三章
- 前田玄以:湯浅実
- 福島正則:河原さぶ
- 古田織部:入江正徳
- 田中吉政:清水幹夫
- 木村吉清:牟田悌三
- 蒔田淡路守:大林隆介
- 施薬院全宗:唐沢民賢
- 稲葉是常坊:石橋雅史
- 黒沢虎之助(秀吉の手下):高木均
[編集] その他
- 今井宗薫:谷啓
- 千利休:池部良
- 長海法印:殿山泰司
- 良覚院栄真:久保晶
- ルイス・ソテロ:ホセ・カルディーニ
- セバスティアン・ビスカイノ:ジョー・グレイス
- 村岡(愛姫の侍女):浅利香津代
- こほ:桂木文
- 猫御前の侍女:田中美奈子
- 片倉家の女中:藤井佳代子
- その他:渡部篤郎
- 松原多聞(元畠山家臣・政宗を襲った刺客)林邦史朗
- 村娘ハツ(遠藤基信の嫡男・文七郎が駆け落ちしようとした相手):佐野量子
[編集] サブタイトル
- 誕生
- 不動明王
- 親ごころ
- 元服
- 愛姫
- 侍女成敗
- 初陣
- 若武者
- 野望
- 男の器量
- 八百人斬り
- 輝宗無残
- 人取橋
- 勝ち名乗り
- めごとねこ
- 南北の敵
- 宮仕え
- お東・居座る
- 大移動
- 決戦・摺上原
- 修羅の母
- 弟を斬る
- 小田原へ
- 天下人
- 人質・めご
- 絶体絶命
- 黄金の十字架
- 知恵くらべ
- 左遷
- 伊達者
- 子宝
- 秀次失脚
- 濡れ衣
- 太閤の死
- 成実失踪
- 天下分け目
- 幻の百万石
- 仙台築城
- 五郎八嫁ぐ
- 大船造り
- 海外雄飛
- 大坂攻め
- ねこ、宇和島へ
- 大坂夏の陣
- ふたりの父
- 離縁状
- 天下の副将軍
- 伊達流へそ曲がり
- 母恋し
- 大往生
[編集] 総集編
- 「梵天丸もかくありたい」
- 「男は一生 父とたたかう」
- 「母の愛は海より深く」
- 「難波のことも夢のまた夢」
- 「楽しまずんばこれいかん」
[編集] 余禄
- 本作のヒットにより、本作のオープニングテーマ音楽は、他のテレビ局も含めて「伊達政宗」や「仙台」に関する映像を流すときにBGMとする例が現在でも多々見られる。
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの鉄平が、バッターボックスに入る際のテーマソングに本作のオープニングテーマ音楽を用いている。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 大河ドラマ | 1987年のテレビドラマ | 仙台市 | テレビ番組に関するスタブ