野間口貴彦
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野間口貴彦(のまぐち たかひこ、1983年5月31日 - )は兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(現役期間2005年 - )。読売ジャイアンツ所属の投手。右投右打。背番号33。身長:183cm、体重:88kg。
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[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
- ボーイズリーグ時代に所属した伊丹シニアで世界大会に出場。
- 2001年関西創価高校から春の甲子園に出場。選抜初出場の同高でベスト4まで進出。2回戦では現東京ヤクルトスワローズの高井雄平と投げ合い1失点で完投勝利。最終的に準決勝まで進出するが優勝した常総学院に敗退。この時点でプロからの誘いもあったが大学進学を表明したことで指名回避される。
- 2002年4月創価大学に進学し1年時から春のリーグ戦に登板するも、9月に退部、退学。その理由として、「一発勝負の高校野球に比べ、リーグ戦の続く大学野球にあまり魅力を感じなかった」と雑誌のインタビューで語った。
- その年の秋、シダックスに入社。折しも監督に就任した野村克也から英才教育を受け、またたく間に才能が開花する。2003年の都市対抗野球ではMAX150km/h超のストレートを武器にエースとして活躍、準優勝に貢献。若獅子賞を獲得して大会優秀選手に選出され、IBAFワールドカップに出場して社会人ベストナインも受賞した。翌2004年もエースとして活躍、チームは都市対抗野球に連続出場したものの準々決勝で敗退。第22回ハーレムベースボールウィークに日本代表として出場した。
[編集] ドラフト前後
高い潜在能力を持ちながら大学を中退したことで、本人もプロへの道を諦めかけていたが、社会人野球のシダックスで名将野村克也と出会い、その能力が一気に開花したことから、プロ野球チームによる争奪戦が2003年のうちからスタートしていた。中でも読売ジャイアンツ、阪神タイガース、西武ライオンズの3球団は熱烈に野間口の獲得を目指した。まず動いたのは阪神で、2003年ドラフトでシダックスの庄田隆弘外野手を指名し、シダックスとのパイプ作りに動いた。ちなみにドラフト評論などで有名な小関順二氏はこの戦略を「野間口獲得のためであるとするならば、阪神もドラフト巧者になったといえよう」と論評している。すかさず巨人も、阪神で出場機会を与えられていなかった野村監督の愛息・カツノリ(野村克則)を金銭トレードで獲得、野村監督から「ワシはもともとジャイアンツファンやったんや」とのコメントを引き出す(巨人での野村克則は一軍で3試合の出場にとどまり1年で自由契約)。そんな中、野間口本人はセリーグ希望であるとの報道がなされ野間口サイドもそれを否定しなかったことから、西武が獲得戦線から離脱。7月20日にシダックス側から西武と阪神に正式に断りの連絡が入り、事実上争奪戦は終結した。そして2004年都市対抗野球の準々決勝でシダックスが敗れた後、野間口本人の口から巨人に入団したい旨の発言がなされた。その秋の日本選手権終了後、野間口は正式に巨人の自由獲得枠にて入団の意思表示を行った。2004年のドラフト会議で自由獲得枠で巨人に入団。
[編集] プロ入り後
2005年はファームの開幕戦先発と球団の期待度の高さが見られたがその試合は7回4失点で敗戦投手。5月1日の広島東洋カープ戦で5回4失点ながらプロ初登板初勝利初完投(雨天5回コールドになったため完投扱い)。その後2連勝するが失点が多く初登板から4試合連続途中交代となって2軍落ち。その後は故障もあり最終的に4勝3敗、防御率6.61の成績で終わった。
2006年は主に中継ぎとして26試合に登板、1勝3敗で防御率3.43という成績で終わった。ビッグマウスとは裏腹に、アマチュア時代の評判に到底達していない状況が続いている。
[編集] 日本代表キャリア
[編集] エピソード
- ズームイン!!サタデーの「プロ野球熱ケツ情報」では登場すると恋のマイアヒが流れる(理由は「野間」口だから)。
- 2007年2月2日発売のFRIDAYにおいて、元女性誌読者モデルでネイリストの女性との半同棲交際とソープランド通いが本人直撃の狼狽ぶりを交えて報道された。同時にかつて東スポ紙上で報道された巨人の先輩二人を揶揄して野間口が口走ったとされる「フン、上原も世代交代だな」、「フン、(工藤は)化石だな」という発言が紹介され、野間口のビッグマウスぶりを皮肉交じりに絶賛していた。
[編集] 年度別成績(2006年まで)
年度 | 試合数 | 勝数 | 敗数 | セーブ | 先発 | 奪三振 | 防御率 | 失点 | 自責点 | 勝率 | 投球回数 | 所属 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | 9 | 4 | 3 | 0 | 8 | 32 | 6.61 | 36 | 35 | .571 | 47(2/3) | 巨人 |
2006年 | 26 | 1 | 3 | 0 | 2 | 33 | 3.43 | 20 | 16 | .250 | 42 | 巨人 |
通算 | 35 | 5 | 6 | 0 | 10 | 65 | 5.12 | 56 | 51 | .455 | 89(2/3) | 通算 |
- 2006年まで。
- 各年度の太字はリーグ最高。
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
00 川中基嗣 | 0 木村拓也 | 2 小笠原道大 | 5 ルイス・ゴンザレス | 6 小坂誠 | 7 二岡智宏 | 8 谷佳知 | 9 清水隆行 | 10 阿部慎之助 | 11 久保裕也 | 12 鈴木尚広 | 13 林昌範 | 15 辻内崇伸 | 17 姜建銘 | 19 上原浩治 | 20 豊田清 | 21 高橋尚成 | 22 福田聡志 | 23 脇谷亮太 | 24 高橋由伸 | 25 李承燁 | 26 内海哲也 | 27 門倉健 | 28 金刃憲人 | 29 前田幸長 | 30 西村健太朗 | 31 小関竜也 | 32 円谷英俊 | 33 野間口貴彦 | 35 亀井義行 | 36 岩舘学 | 37 斉藤宜之 | 38 上野貴久 | 39 吉武真太郎 | 40 村田善則 | 41 木佐貫洋 | 42 ジェレミー・パウエル | 43 真田裕貴 | 44 大道典嘉 | 45 小田嶋正邦 | 46 野口茂樹 | 47 松本哲也 | 48 矢野謙次 | 49 デーモン・ホリンズ | 50 吉川元浩 | 51 古城茂幸 | 52 十川孝富 | 53 實松一成 | 54 三浦貴 | 56 加藤健 | 57 三木均 | 58 星孝典 | 59 深沢和帆 | 60 深田拓也 | 61 坂本勇人 | 62 越智大祐 | 63 会田有志 | 64 酒井順也 | 65 梅田浩 | 66 田中大二郎 | 67 加登脇卓真 | 68 栂野雅史 | 69 寺内崇幸 | 90 深町亮介 | 92 木村正太 | 93 東野峻 | 96 伊集院峰弘 | 100(育成選手) 佐藤弘祐 | 101(育成選手) 山本光将 | 102(育成選手) 山口鉄也 | 103(育成選手) 芦沢明 | 104(育成選手) 下山学 | 106(育成選手) 林羿豪 | 107(育成選手) 隠善智也 | 108(育成選手) 作田啓一 | 109(育成選手) 鈴木誠 | 110(育成選手) 大抜亮祐 | 129(育成選手) ウィルフィン・オビスポ
88 監督 原辰徳 | 87 尾花高夫 | 78 伊原春樹 | 85 斎藤雅樹 | 81 篠塚和典 | 84 内田順三 | 71 伊勢孝夫 | 89 村田真一 | 83 西岡良洋 | 76 白坂契 | 82 木村龍治 | 77 二軍監督 吉村禎章 | 70 小谷正勝 | 72 香田勲男 | 98 玉木重雄 | 75 岡崎郁 | 86 岸川勝也 | 79 福王昭仁 | 73 緒方耕一 | 74 西山秀二 | 94 木樽正明 | 95 宮本英治 | 97 伊藤博 | 99 内藤重人 | 111 藤田浩雅 | 130 金杞泰 |
読売ジャイアンツ 2004年ドラフト指名選手 |
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自由獲得枠:野間口貴彦 / 自由獲得枠:三木均 / 4巡目:亀井義行 / 5巡目:木村正太 / 6巡目:星孝典 / 7巡目:東野峻 |
カテゴリ: 日本の野球選手 | 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 | 1983年生 | 兵庫県出身の人物