陸上交通事業調整法
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陸上交通事業調整法(りくじょうこうつうじぎょうちょうせいほう。昭和13年法律第71号)は、日中戦争が開戦し、戦時体制が色濃くなった1938年8月に施行された鉄道・バス会社の整理統合の政策的促進を図るための法律である。最終改正は、平成18年6月7日法律第53号。
通称・略称 | なし |
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法令番号 | 昭和13年法律第71号 |
効力 | 現行法 |
種類 | 交通法 |
主な内容 | 鉄道・バス事業者の整理統合促進について |
関連法令 | 地方鉄道法 |
条文リンク | 総務省・法令データ提供システム |
目次 |
[編集] 成立の背景
成立の背景として、当時乱立気味で、疑獄事件にも発展する種々の問題を孕んでいた都市圏を中心とした中小事業体を集約し、運営効率化と管理統制を進める政治的な意図も強く働いていたが、1941年8月に国家総動員法に基づく陸運統制令発動によって陸上輸送は国家管理下に置かれ、戦時統合という形で全国的な事業者整理が実施された。なお、この法律自体は現存している。
太平洋戦争敗戦後、GHQによる財閥解体等の民主化政策の下で旧事業体への再編機運が高まり分離し、現在の大手私鉄の基盤が成立することとなった。
[編集] 地区別の統合状況
[編集] 東京圏
当初案では以下の2つの案だった。
- 区域内の交通機関を現物出資のうえ統合し、「帝都交通」を創設
- 東京市が区域内の交通機関を買収し、鉄道省と共同経営する
その後の審議を経て、以下にまとめられた。
- 市内(天王洲~品川駅~新宿駅~赤羽駅~荒川放水路で囲まれた地域)
- 軌道事業とバスは東京市が経営
- 地下鉄は別に営団を設立する
- 郊外路線については、中央本線、東北本線、常磐線を境として4ブロックに分け、そのブロックの統合主体が被合併会社の鉄道・バス事業等を引き継ぐ
これに基づいて、まず地下鉄(東京地下鉄道、東京高速鉄道、京浜地下鉄道(未成))は、1941年に帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄)に統合。東京市内(上記定義に基づく地域)の路面電車やバス事業は、1942年に市に一元化(1943年に東京都成立)。そして、民営の郊外電車・バスは東京横浜電鉄・武蔵野鉄道・東武鉄道・京成電気軌道の4グループへの整理統合が進められた。
このうち1942年5月に東京横浜電鉄が同じ五島慶太が経営していた京浜電気鉄道と小田急電鉄を合併して東京急行電鉄が誕生。同時に品川区内を運行していた城南乗合自動車を統合。同年12月には大田区の梅森蒲田自動車を統合。1943年には傍系会社である相模鉄道の運営を受託、1944年5月に京王電気軌道を合併し、いわゆる「大東急」が成立する。8月には府中乗合自動車商会をも統合。ただし、南武鉄道や鶴見臨港鉄道などの浅野財閥系各社は東急に統合されず別途国有化され、西武多摩川線と川崎鶴見臨港バス、武蔵野乗合自動車は統合対象から外された。終戦後、大東急は1947年に相鉄の委託解消に次ぎ、1948年6月には京浜急行電鉄・小田急電鉄・京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)が分離。このとき旧小田急の帝都線(井の頭線)が京王の所属となった。
武蔵野鉄道関係は同じ堤康次郎の系列企業であった「食糧増産」に対する審査に手間取り統合が遅れ、戦前は1940年に多摩湖鉄道(現在の西武多摩湖線)が合併されただけで、終戦後の1945年9月にようやく西武鉄道(初代。現在の西武新宿線など)と食糧増産を合併し、西武農業鉄道となった。1946年6月、西武農業鉄道のバス部門は子会社の武蔵野自動車(現在の西武バス)に譲渡された。なお、東武東上線は統合対象外とされ、東急系の東都乗合自動車・関東乗合自動車もそのまま存置された。
東武鉄道については、1943年5月に下野電気鉄道(現在の東武鬼怒川線)、同年7月に越生鉄道(現在の東武越生線)、1944年3月に総武鉄道(現在の東武野田線。ただし、京成ブロックにかかる柏-船橋間は分断せず)を合併している。バスに関しては、子会社の東武自動車が東武本線と東武東上線沿線の群小会社を整理統合していたが、1947年6月、東武鉄道は東武自動車を合併して直営とした。
京成関連では、同法施行までに該当地区(東京城東・千葉東葛)の事業者の殆どは京成系列に入っていた。従って、1942年に東京地下鉄道系列の葛飾乗合自動車の路線の一部を京成電気軌道が買収した程度の調整しか行われなかった。なお、調整地区外の千葉県上総地区では、別途陸運統制令に基づき安田財閥系の小湊鐵道およびその子会社の袖ヶ浦自動車(1947年7月小湊鐵道に合併)を買収し、系列におさめた。
[編集] 名古屋圏
名古屋圏では、法制定に3年先立つ1935年に名古屋鉄道(名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併)が誕生した。既に名岐鉄道は美濃電気軌道(現在の名鉄名古屋本線笠松~名鉄岐阜間、後の岐阜市内線など)、各務原鉄道(現在の名鉄各務原線)などの合併によって愛知県尾張北部から岐阜県中濃にかけての鉄道網をほぼ独占しており、私鉄統合の基盤は確立していた。法制定後、名鉄は瀬戸電気鉄道(現在の名鉄瀬戸線。1939年)、渥美鉄道(1940年)、三河鉄道(現在の名鉄三河線。1941年)、知多鉄道(現在の名鉄河和線)、東美鉄道(現在の名鉄広見線)、竹鼻鉄道(現在の名鉄竹鼻線。1943年)などを合併。1944年の碧海電気鉄道(現在の名鉄西尾線の西尾以北)、谷汲鉄道の合併によって、現在に至る路線網を形成するに至った。なおこの時、路線を国家買収された豊川鉄道・鳳来寺鉄道(現在のJR東海飯田線の南部)も合併している。終戦後、名鉄は大東急や近鉄、京阪神急行のように分割されることもなく、旧渥美鉄道を傍系の豊橋鉄道に譲渡(1954年)したにとどまり、中部唯一の大手私鉄の地位を築いていくことになる。
[編集] 大阪圏
1940年に南海鉄道が阪和電気鉄道を合併、1941年に大阪電気軌道が子会社の参宮急行電鉄を吸収して関西急行鉄道が誕生、1943年に関西急行と大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)が合併、1944年5月に南海から旧阪和電鉄が国有化(国鉄阪和線)、1944年6月に南海と関西急行が統合して近畿日本鉄道が誕生する一方で、1943年10月に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が統合して京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)が誕生している。
終戦後、近鉄は1948年6月に南海鉄道が分離(高野山電気鉄道が譲り受け南海電気鉄道が誕生)、 京阪神急行は1949年12月に京阪電気鉄道が分離(うち新京阪線はそのまま残り現在の阪急京都本線になる)。
調整地区内でも、水間鉄道や宇治田原自動車(のちの京阪宇治交通を経て現在の京阪バスの一部)、茨木バス(現在の近鉄バス)、日の出バス(現在の高槻市交通部)など中小会社は統合されずそのまま存続した。大手であっても阪神電気鉄道のように全く独立を守った会社も存在した。
[編集] 福岡県
1942年9月に九州電気軌道を母体として福博電車・九州鉄道・博多湾鉄道汽船・筑前参宮鉄道を統合した西日本鉄道が誕生した。これ以前に福岡県南部の中小私鉄は九州鉄道に吸収合併されており、筑豊を除く県内全地域の鉄道・バス事業者がほぼ統合された。一方、石炭や石灰石などの資源産出地である筑豊に路線を持っていた小倉鉄道および産業セメント鉄道は統合対象から外れ、1943年に国有化された。
[編集] 富山県
富山県では1943年に富山電気鉄道を母体とした富山地方鉄道が成立した。統合には富山県や富山市も参加し、県営鉄道や市営路面電車の経営を移管させている。公営鉄軌道の民間への譲渡は当時では異例であった。富山電気鉄道は以前から「富山県の一市街地化」と称して県内の交通一元化を目指していたが、これが戦時統合によって実現した形となった。
[編集] その他の地域
陸上交通事業調整法に基づく地域は以上の5地区とされており、それ以外の地区は陸運統制令に基づく運輸通信省通達による統合が全国的に行われた。最終的には終戦直前の1945年になって統合された事業者もある。
[編集] 施行後
この法に基づく統合によって生まれた事業者の路線であっても、その後の戦局の悪化の影響を受け、戦争完遂のために特に重要と見なされ国有化された路線がある。これについては戦時買収私鉄の記事を参照されたい。