名鉄瀬戸線
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名鉄瀬戸線(せとせん)は、愛知県名古屋市東区の栄町駅から愛知県瀬戸市の尾張瀬戸駅までを結ぶ名古屋鉄道の鉄道路線。瀬戸電気鉄道を前身とすることから、今でも「瀬戸電」(せとでん)の愛称で親しまれている。
栄町駅から東大手駅~清水駅間が地下、東大手駅~清水駅間から大曽根駅~矢田駅間までが高架によって立体交差化されている。 他の名鉄の路線と接続していない「孤立路線」であるため、車両の転属を行う場合は、道路上をトレーラで輸送することになる。
運賃計算区分はB(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)。
なお、2006年12月15日まで栄町駅~東大手駅間を利用する場合は加算運賃が必要であった。また同日まで、栄町駅と名鉄名古屋駅、金山駅は通過連絡の措置がとられていたため、東大手以遠から本線方面とは通し切符が購入できた(但し、通学定期は2009年12月15日まで制度据え置き)。
全ての駅でトランパスが使用できる。
目次 |
[編集] 路線データ
[編集] 運行形態
急行・準急・普通列車が運転されている。昼間時間帯では毎時急行2本、準急2本、普通列車が4本ある。また栄町~喜多山・尾張旭間運転の区間列車もある。
昼間は普通2本が尾張旭折り返しで、急行列車が尾張旭で連絡する。平日の朝と夜間、休日の19時以降は一部除いて普通列車のみの運用。特に栄町方面の平日朝7時~8時においては、尾張旭~栄町間は普通列車のみが4分間隔で走る高密度ダイヤになっている。なお平日朝ラッシュ時間帯の瀬戸方面は準急と普通が交互に走り、普通の大半と準急1本が尾張旭折り返しになる。
2003年のダイヤ改正時に昼間は現在のような運行形態となったが、毎時2本運行される尾張旭折り返し普通と連絡するのは急行で、普通のみ停車の駅と水野・瀬戸市役所前との間を行き来する場合は実質毎時2本になってしまった。そのため2005年のダイヤ改正で水野・瀬戸市役所前を急行停車駅にし、尾張旭折り返し普通に連絡できるようにした。
なお途中に追い抜きが可能な駅がないため平行ダイヤとなっており、優等列車による下位列車の待避はされない。よって各方面へは、先発列車が必ず先に着く。
[編集] 準急・急行の存在意義
待避の設備がない瀬戸線における急行・準急の存在意義は「停車しない駅」がある列車を運転することによって、乗降客を「急行・準急停車駅」での乗降客と「普通のみが停車する駅」での乗降客とに分離することであろうかと思われる。
似たような例としては岐阜市内線及び揖斐線・谷汲線(3線とも既に2005年4月1日廃止)に存在した市内線と揖斐線・谷汲線直通の「急行」が挙げられる。
曲線区間が多い上に旧性能車が在籍するため、急行といえども実質的な最高速度は85km/h程度である。また車両性能が向上する度に停車駅も増えてきたので、全区間の所要時間は30分前後と600V時代の特急からほとんど変わっていない。
[編集] 利用状況
[編集] 輸送実績
瀬戸線の近年の輸送実績を下表に記す。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色の枠で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色の枠で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色の枠で囲んで表記している。
年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 特 記 事 項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合計 | ||
1975年(昭和50年) | |||||
1976年(昭和51年) | |||||
1977年(昭和52年) | |||||
1978年(昭和53年) | |||||
1979年(昭和54年) | 956.8 | 838.4 | 905.8 | 2701.2 | |
1980年(昭和55年) | 1043.8 | 872.7 | 939.9 | 2856.5 | |
1981年(昭和56年) | |||||
1982年(昭和57年) | |||||
1983年(昭和58年) | |||||
1984年(昭和59年) | |||||
1985年(昭和60年) | |||||
1986年(昭和61年) | |||||
1987年(昭和62年) | 1247.8 | 943.2 | 909.5 | 3100.5 | |
1988年(昭和63年) | 1284.7 | 974.3 | 928.9 | 3187.9 | |
1989年(平成元年) | 1295.2 | 983.0 | 955.0 | 3233.2 | |
1990年(平成2年) | 1320.4 | 994.5 | 929.2 | 3244.1 | |
1991年(平成3年) | |||||
1992年(平成4年) | |||||
1993年(平成5年) | |||||
1994年(平成6年) | |||||
1995年(平成7年) | |||||
1996年(平成8年) | |||||
1997年(平成9年) | |||||
1998年(平成10年) | |||||
1999年(平成11年) | |||||
2000年(平成12年) | |||||
2001年(平成13年) | 1290.4 | 729.2 | 960.6 | 2980.2 | |
2002年(平成14年) | 1258.9 | 707.8 | 961.3 | 2928.0 | |
2003年(平成15年) | 1248.8 | 708.9 | 968.2 | 2925.9 | |
2004年(平成16年) | 1269.4 | 721.9 | 947.0 | 2938.3 | |
2005年(平成17年) | |||||
2006年(平成18年) |
[編集] 収入実績
瀬戸線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色の枠で、最低値を青色の枠で囲んで表記している。
年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 |
||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 手小荷物 | 合 計 | |||
1975年(昭和50年) | ←←←← | ||||||
1976年(昭和51年) | ←←←← | ||||||
1977年(昭和52年) | ←←←← | ||||||
1978年(昭和53年) | ←←←← | ||||||
1979年(昭和54年) | 1,054,035 | ←←←← | 1,317,595 | 1,943 | 2,373,574 | 52,991 | 2,426,566 |
1980年(昭和55年) | 1,150,097 | ←←←← | 1,376,163 | 584 | 2,526,845 | 59,318 | 2,586,164 |
1981年(昭和56年) | ←←←← | ||||||
1982年(昭和57年) | ←←←← | ||||||
1983年(昭和58年) | ←←←← | ||||||
1984年(昭和59年) | ←←←← | ||||||
1985年(昭和60年) | ←←←← | ||||||
1986年(昭和61年) | ←←←← | ||||||
1987年(昭和62年) | |||||||
1988年(昭和63年) | |||||||
1989年(平成元年) | |||||||
1990年(平成2年) | |||||||
1991年(平成3年) | |||||||
1992年(平成4年) | |||||||
1993年(平成5年) | |||||||
1994年(平成6年) | |||||||
1995年(平成7年) | |||||||
1996年(平成8年) | |||||||
1997年(平成9年) | |||||||
1998年(平成10年) | |||||||
1999年(平成11年) | |||||||
2000年(平成12年) | |||||||
2001年(平成13年) | |||||||
2002年(平成14年) | 2,233,061 | 407,382 | 2,664,224 | 0 | 5,304,667 | 249,654 | 5,554,321 |
2003年(平成15年) | 2,212,232 | 409,139 | 2,671,942 | 0 | 5,293,313 | 267,131 | 5,560,444 |
2004年(平成16年) | 2,236,955 | 414,482 | 2,614,816 | 0 | 5,286,253 | 277,036 | 5,543,289 |
2005年(平成17年) | |||||||
2006年(平成18年) |
[編集] 車両
瀬戸線は前述の通り名鉄の路線網から外れた位置に存在する路線であるため、それ専用として登場した車両がいくつか存在する。現在では6000系が本線系路線から転属して活躍している他は、瀬戸線独自のものが使われている。詳しくは名鉄6000系電車・名鉄6750系電車を参照。また、すべての編成に瀬戸線専用の自動放送装置が搭載されているのも特徴で、各駅到着前に、バスのようなスポンサー企業の案内放送が入る。
全て4両編成で運行。平日朝ラッシュ時は検査車両を除き全編成で運行し、予備編成はない。そのため事故や故障で1編成でも車両が使えなくなると、数本の運休または区間運休せざるを得なくなる。運休となった場合は次の列車を利用するよう案内される。また、運休や遅れによって乗り換え予定の列車に乗り遅れてもその補償はしないといったことが駅の時刻表に掲示されている。
なお現在の喜多山検車区は老朽化と高架化のため、2007年に尾張旭駅付近に検車区を移転する予定であるが、新しい検車区には塗装設備を整備せず、代わりに現行の車両をすべてステンレス製車体の車両(300系か3代目3300系がベースになる)に更新、それと入れ替わる形で6000系や6600系といった新性能車系統は名古屋本線系統へ転属、吊り掛け車の処遇は未定である(6650・6750系は新性能化改造に対応可能ではあるが、同時期に登場した3300系(2代)は既に廃車されている)。
[編集] 歴史
瀬戸電気鉄道の前身、瀬戸自動鉄道により1905年に開業した。当初は非電化で、セルポレー式蒸気原動車で運行していたが(これが日本初の気動車運行である)、故障が続出したため、1907年に電化し電気運転を開始した。
当初の起点は大曽根で、のち名古屋市街地への乗り入れに当たっては、用地買収の関係で、堀川~土居下で名古屋城の堀の中に路線を通したことから、「お濠電車」とも呼ばれていた。この区間には堀に線路を通すという特殊条件下、狭い本町橋のアーチを通すため、ガントレット(単複線)と呼ばれる複線の上下線が重なる線路が設けられ、路面電車並みの急カーブが存在していた。しかしそれらが輸送上のネックとなり、また堀川駅はターミナルとしても市街地中心部から若干離れており不便であったので、栄町駅への地下新線を建設することとなり、その工事開始に伴って堀川~土居下が1976年に廃止された。この東大手~栄町の延伸については、名古屋市と協議の末(開通した場合に地下鉄名城線栄~大曽根と競合するため、路線認可には名古屋市の同意が必要だった)、八事~赤池(現:地下鉄鶴舞線)の免許を名古屋市に譲渡する見返りとして路線免許を取得、名鉄長年の悲願であった瀬戸線の都心乗り入れを果たした。なお、都心乗り入れには、ほかにも堀川からそのまま直進し、名古屋本線の栄生駅に連絡するルートも検討されていた。
またかつては「特急」も存在した。詳しくは瀬戸線特急を参照。
- 1905年(明治38年)4月2日 瀬戸自動鉄道により矢田~瀬戸(現在の尾張瀬戸)間が開業。
- 1906年(明治39年)3月1日 大曽根~矢田間が開業。
- 1906年(明治39年)12月18日 瀬戸自動鉄道が瀬戸電気鉄道に社名変更。
- 1907年(明治40年)3月17日 大曽根~瀬戸間が電化。電車運転開始。
- 1911年(明治44年)5月23日 土居下~大曽根間が開業。
- 1911年(明治44年)10月1日 堀川~土居下間が開業し全通。
- 1913年(大正2年)8月14日 土居下~大曽根間が複線化。
- 1915年(大正4年)6月16日 森下駅開業。
- 1921年(大正10年)2月15日 大曽根~小幡間が複線化。
- 1921年(大正10年)2月19日 瀬戸駅を尾張瀬戸駅に改称。
- 1921年(大正10年)4月13日 全線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。
- 1922年(大正11年)2月24日 新居駅を旭新居駅に改称。
- 1924年(大正13年)12月17日 三郷~根ノ鼻(後に廃止)間が複線化。
- 1927年(昭和2年)2月1日 横山(現在の新瀬戸)~尾張瀬戸間が複線化。
- 1927年(昭和2年)7月1日 喜多山駅、霞ヶ丘駅開業。
- 1927年(昭和2年)7月2日 小幡~印場間が複線化。
- 1927年(昭和2年)11月11日 印場~三郷間が複線化。
- 1928年(昭和3年)12月27日 根ノ鼻~横山間が複線化。
- 1929年(昭和4年) 清水~尼ヶ坂間の師範下駅廃止。
- 1935年(昭和10年)6月1日 横山駅を尾張横山駅に改称。
- 1936年(昭和11年)6月3日 瓢箪山駅開業。
- 1939年(昭和14年)9月1日 名古屋鉄道が瀬戸電気鉄道を合併。瀬戸線となる。今村駅を水野駅に改称。
- 1941年(昭和16年)2月10日 聯隊前駅を廿軒家駅に改称、
- 1941年(昭和16年)2月24日 社宮祠~森下間の坂下駅廃止。
- 1942年(昭和17年) 守山口~廿軒家(現在の守山自衛隊前)間の木ヶ崎駅、印場~旭新居間の聾石駅廃止。旭前駅開業。
- 1944年(昭和19年) 東大手駅、社宮祠駅、駅前駅、守山口駅、瓢箪山駅、笠寺道駅、小幡原駅、霞ヶ丘駅、印場駅、平池駅、根ノ鼻駅休止。
- 1946年(昭和21年)6月1日 廿軒家駅を守山町駅に改称。
- 1946年(昭和21年)9月15日 瓢箪山駅営業再開。
- 1948年(昭和23年)1月5日 印場~大森間で脱線転覆事故発生。瀬戸線史上最悪の惨事となる。
- 1955年(昭和30年)2月1日 守山町駅を守山市駅に改称。
- 1956年(昭和31年)10月15日 尼ヶ坂~森下間の社宮祠駅、森下~大曽根間の駅前駅廃止。
- 1958年(昭和33年)1月20日 追分駅を瀬戸市役所前駅に改称。
- 1966年(昭和41年)3月15日 守山市駅を守山自衛隊前駅に改称。
- 1969年(昭和44年)4月5日 守山口駅、笠寺道駅、小幡原駅、霞ヶ丘駅、印場駅、平池駅、根ノ鼻駅廃止。
- 1971年(昭和46年)11月1日 旭新居駅を尾張旭駅に、尾張横山駅を新瀬戸駅に改称。
- 1976年(昭和51年)2月15日 堀川~東大手(1944年(昭和19年)から休止中)間が廃止。東大手~土居下間が休止。
- 1978年(昭和53年)2月15日 貨物営業廃止。
- 1978年(昭和53年)3月19日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 1978年(昭和53年)8月20日 栄町~東大手間の地下新線が開業。東大手~土居下間が経路変更、営業再開。東大手駅営業再開、土居下駅廃止。栄町~東大手間に対して加算運賃を設定。
- 1983年(昭和58年)8月21日 森下~矢田間が高架化。0.1km延長。
- 1990年(平成2年)9月30日 東大手~森下間が立体交差化。
- 1992年(平成4年)11月14日 大森駅を大森・金城学院前駅に改称。
- 1995年(平成7年)12月22日 印場駅開業。
- 2001年(平成13年)4月14日 尾張瀬戸駅が移転。0.1km延長。
- 2005年(平成17年)1月29日 瓢箪山駅の表記を正字から略字の「箪」に変更。
- 2006年(平成18年)7月25日 尼ヶ坂駅を皮切りに駅集中管理システムを順次稼働開始(12月15日までに急行通過駅と瀬戸市役所前駅・水野駅に導入)。
- 2006年(平成18年)12月16日 栄町駅乗り入れ時の加算運賃と名古屋本線名鉄名古屋駅、金山駅との通過連絡措置の廃止に伴う運賃改定実施。またストアードフェアシステム「トランパス」導入。
[編集] 加算額
栄町駅~東大手駅間は新線であるため、この区間内、またはこの区間をまたがって乗車する場合には、キロ程で算出された運賃に加えて、別途30円(おとなの普通運賃に対する)の加算額が必要であった。資本費の回収が進んできたため、2006年12月16日より加算額は撤廃された。
[編集] 駅一覧
[編集] 営業中の区間
駅名 | 営業キロ | 普通 | 準急 | 急行 | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
栄町駅* | 0.0 | ● | ● | ● | 名古屋市営地下鉄:東山線・名城線(栄駅) | 愛知県 | 名古屋市東区 |
東大手駅* | 1.5 | ● | ● | ● | 名古屋市中区 | ||
清水駅 | 2.2 | ● | | | | | 名古屋市北区 | ||
尼ヶ坂駅 | 2.7 | ● | | | | | |||
森下駅 | 3.6 | ● | | | | | 名古屋市東区 | ||
大曽根駅* | 4.6 | ● | ● | ● | 東海旅客鉄道:中央本線 名古屋市営地下鉄:名城線 名古屋ガイドウェイバス:ゆとりーとライン |
||
矢田駅 | 5.9 | ● | | | | | |||
守山自衛隊前駅 | 7.0 | ● | | | | | 名古屋ガイドウェイバス:ゆとりーとライン(守山駅:徒歩5分) | 名古屋市守山区 | |
瓢箪山駅+ | 7.6 | ● | | | | | |||
小幡駅* | 8.6 | ● | ● | ● | |||
喜多山駅* | 9.9 | ● | ● | ● | |||
大森・金城学院前駅* | 10.7 | ● | ● | ● | |||
印場駅 | 12.2 | ● | ● | | | 尾張旭市 | ||
旭前駅 | 13.1 | ● | ● | | | |||
尾張旭駅* | 14.7 | ● | ● | ● | |||
三郷駅* | 16.1 | ● | ● | ● | |||
水野駅 | 18.0 | ● | ● | ● | 瀬戸市 | ||
新瀬戸駅* | 18.7 | ● | ● | ● | 愛知環状鉄道:愛知環状鉄道線(瀬戸市駅) | ||
瀬戸市役所前駅 | 19.4 | ● | ● | ● | |||
尾張瀬戸駅* | ※20.6 | ● | ● | ● |
- ●:全ての列車が停車 |:通過
- *:有人駅、+:時間帯により無人、無印:終日無人駅
※:運賃計算の際は、瀬戸市役所前駅~尾張瀬戸駅間の営業キロは駅移転前の1.1キロを用いる。
[編集] 廃止区間
堀川駅 - 本町駅 - 大津町駅 - (東大手駅 - 土居下駅 - 清水駅)
※廃止時点のもの。東大手駅は1944年から休止されていたが新線上で再開された。東大手~清水間は新線切り替え区間。