関東バス
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関東バス(かんとう - )株式会社は、東京都城西地域に営業基盤を有するバス事業者である。乗合バスの運行エリアは、JR中央線(新宿~武蔵小金井)沿線を中心に北は西武池袋線沿線および赤羽、南は京王線沿線までに及ぶ。
営業路線は都市部に集中しており、路線長や1人あたりの乗車距離の平均が短い。このため、徒歩や自転車への切り替えによる乗客減を抑えるため、新しい形態のサービスの導入に力を注ぎ、利用を促進している。例えば、デイカード(平日10~16時限定で割引率が特に高くなるプリペイドカード。主婦層を中心に支持されている)や、学期定期券(各学期ごとにでる端数日分を割引率そのままに日割り計算出来るため、結果として通学定期の割引率が更に上がる)、環境定期券(土・日・祝に通勤定期券を持っている人に家族が同乗した場合、その家族の運賃が半額になる)等の制度が挙げられる。
また、日本初の低料金型コミュニティバスであるムーバスを武蔵野市とともに成功(定着・黒字化)させた立役者としても有名になり、その舞台裏を記したドキュメンタリー本まで出版されている。昨今、全国各地に普及しているコミュニティバスは、このムーバスを手本にしているものが多い。
本社は中野区東中野(関東バスにおける最寄り停留所は小滝橋)にある。その完全子会社としてケイビーバスがあり、一部路線の移管ならびに管理委託化を進めている。
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[編集] 沿革
[編集] 関東乗合自動車の設立と戦時統合
関東バスの歴史は、1931年(昭和6年)12月に関東乗合自動車として設立され、翌1932年元旦より新宿駅~小滝橋間の営業を開始したことに始まる。同社は地元の有志によって設立されたが、創業まもない頃は非常に規模の小さい会社であり、一時は歯科医が社長を勤めるなどしていた。このため、営業成績は芳しくなく、創業から7年を経た1938年12月には東京横浜電鉄に買収され、同社の傘下に収まっている。
この間、関東乗合は1936年に原町田乗合自動車(1921年9月、野渡太助が創業。のち平井実造が承継し、1936年4月に同社設立)を合併し、現在の町田市に原町田営業所を設けていた。しかし、町田は本社から遠く離れているため運営上不都合であったため、1941年12月には路線(原町田~図師間、原町田~小野路間、原町田~鶴間間、原町田~瀬谷間)を同じ東京横浜電鉄系の東海道乗合自動車(現・神奈川中央交通)へ譲渡し、わずか5年で撤退した。
この原町田営業所下の路線を除けば、戦前の関東乗合は、新宿から中野区東部にかけての狭い範囲において営業していたに過ぎず、路線もその後、小滝橋から椎名町(現・目白五丁目)へ延長したり、新宿駅~新井薬師口間を新たに開業したりしたが、相変わらず小規模なものであった。現在のように、中野駅周辺から杉並、武蔵野方面においても営業するようになったのは、中野乗合自動車、進運乗合自動車、昭和自動車商会の3社を戦時中の1945年1月に合併したためである(もっと早い時期に合併したとする公式資料もある)。
中野乗合自動車は、中野以西の早稲田通り周辺で運行していた京王電気軌道系の事業者で、中野区史によれば1925年(大正14年)11月に開業した個人経営の乗合自動車が起源とされる。1929年11月に株式会社となり、路線は中野駅~石神井間、中野駅~鷺宮駅間などであった。
進運乗合自動車は、五日市街道周辺に営業基盤を有していた中島飛行機系の事業者である。1920年2月の創業で、杉並区の馬橋から現在の武蔵野市にかけての東西に長い範囲に路線を有し、馬橋~吉祥寺間、井の頭公園~柳橋間のほか、西荻窪駅~立教高女前循環線も運行した。また、牟礼~烏山~丸山(寺院通の永願寺前)にも、個人事業者から買収した路線を有していた。
昭和自動車商会は、荻窪・阿佐ヶ谷周辺で営業しており、荻窪駅をターミナルに阿佐ヶ谷(現・阿佐谷北六丁目)方面、青梅街道を西荻窪・関方面、高井戸・松沢方面の3方へ向かって路線を展開していた。
[編集] 戦後の発展
これら各社を合併したことにより、戦後は新宿~石神井方面、中野~吉祥寺方面、荻窪~給田・新川方面、荻窪~中村橋方面のように、かつての会社の境界を越えて運行する路線が現れた。また、戦前は都心から郊外へ向かって東西に伸びる街道上を走る路線が主だったのに対し、中央線~西武新宿線~西武池袋線間を結ぶ路線が相次いで開設されるようになり、南北交通の希薄な都内西部に欠かせない交通手段へと発展していった。
1948年6月には、いわゆる大東急の解体により、東京急行電鉄の持株が京王帝都電鉄(現・京王電鉄)へ譲渡され、東急グループを離脱した。しかしながら、同社は京王グループとはならず、引き続き東急専務の柏村毅が社長を務め、事実上東急の衛星企業として存続した。1964年には、現在の関東バス株式会社に商号変更し、柏村社長退任後は東急とも京王とも付かず、むしろ独立会社としての色合いを強めていった。
戦後は他社との相互乗り入れ路線の開拓にも力が注がれ、鷺の宮駅~新橋駅間、石神井公園駅~東京駅間など、都営バスと共同による都心直通路線が開通した。さらに国際興業バス、西武バスといった周辺の民営事業者との共同運行路線も開設され、池袋、赤羽、大泉学園、保谷などにも手を広げている。都営バスとの路線はいずれも道路状況の悪化等により昭和40年代までに廃止されたが、民営各社との路線は引き続き運行されており、2002年には京王バス(現・京王バス東)との共同運行による松ノ木線を新たに開業した。
1998年1月12日には、サービス向上とコスト削減を目的として、100%出資の子会社ケイビーバスを設立し、まず夜行の高速路線を同社に移管した。次いで一般路線である椎名町線(宿02・新宿西口~丸山営業所)を移管し、さらに丸山営業所の一般路線の管理委託化を進め、2004年に完了した。これにより、丸山営業所の業務全般はケイビーバスに委譲されている。
[編集] 本社および営業所
関東バスの本社は、中野区東中野5丁目にある。JR中央線・東中野駅と山手線・高田馬場駅の中間付近である。旧町名を小滝町といい、近くを流れる神田川の橋名から、現在もこの付近は「小滝橋」(おたきばし)と呼ばれている。向かいには、都営バス小滝橋営業所がある。
前記のように関東乗合の創業当初は、事業規模が大変小さく、本社も現・新宿区北新宿1丁目の木造民家を借用することにより設置された。その後、利用者の増加により増車、増員が図られたことを受け、百人町への移転を経て、1935年7月10日に小滝橋近くに本社が建設された。ただし、当時の事務所は現在の本社がある中野区側ではなく、新宿区側の現・高田馬場3丁目にあった。
1945年1月の3社合併では、各社の本社・営業所を、中野営業所(旧・中野乗合。現・阿佐谷営業所)、川南営業所(旧・昭和自動車)、吉祥寺営業所(旧・進運乗合。のちの武蔵野営業所)として継承した。さらに、戦況の悪化に伴い、同年3月3日には本社事務所を小滝橋より阿佐ヶ谷(旧・中野乗合)に「疎開」させている。なおこの際、車庫は小滝橋に残ったが、1週間後の東京大空襲で罹災した。
この経緯から、終戦直後はもともとの関東乗合の事業エリア内には営業拠点がないに等しい状態であった。しかし、まもなく新宿を起点とする路線の復旧や新設・延長が相次いで行われたため、新宿側に営業所を設置する必要が生じ、1948年7月3日、小滝橋の現・本社敷地に小滝橋営業所が開設され、さらに同年11月には本社も同地に移転した。その後、罹災者の転入で人口が増加した中野区北部や練馬区など、郊外へ向かう路線が次々と作られたため、小滝橋営業所の乗合部門は1951年9月1日、これら新路線の集積地となった現・中野区江古田の新青梅街道沿いに移転し、丸山営業所となった。
合併各社より継承した中野、川南、吉祥寺の各営業所は、1948年9月にそれぞれ所名が阿佐ヶ谷、荻窪、武蔵野に変更となった。その後、荻窪営業所は、1950年1月29日に荻窪駅南側の川南から青梅街道沿いの宿町に移転し、さらに1957年5月21日、練馬区関町に再度移転して青梅街道営業所となった。なおこの間、川南には1954年2月1日に川南営業所が再設され、荻窪営業所および武蔵野営業所から主に杉並区の中央線以南における路線を引き継いで営業を開始しているが、1964年には西田町(現・成田西)へ移転し、五日市街道営業所となった。
以上の経緯より、現行の営業所は都区内4箇所(阿佐谷・青梅街道・五日市街道・丸山)、市部1箇所(武蔵野)の計5箇所となっている。いずれの営業所とも、最寄り停留所名は営業所名と同じである。車庫への入庫は、「○○営業所」という行先を掲げて営業運行していることが多いが、実質的には回送に近い形のものもある。
[編集] 車両
車両は、日産ディーゼル工業製を中心に、日野自動車、三菱ふそうトラック・バス、いすゞ自動車の4メーカーより導入している。日産ディーゼル車は全ての営業所に配置されるが、日野は丸山、三菱ふそうは青梅街道(一部丸山や五日市街道にも)、いすゞは阿佐谷営業所を中心に少数配置される。
車両数は、2005年現在、路線バス366両、観光バス5両、ムーバス用9両、はなバス用3両である。多種多様な形態の車両を使用していることも同社の特徴の1つである。特に1990年代までは、3つ扉車の本格的な採用、後扉(最後部)降車方式の採用、路線に合わせた新型車両のメーカとの共同開発等を通じ、周辺他社では見る機会の少ない個性的な車両を積極的に導入した。
その中で、最も特筆すべきは3つ扉車である。従来の一般的なワンマンバス車両は、車体最前部と中央部または最後部の2箇所に扉が設けられていたが、関東バスでは前・中・後の3箇所に扉を設けた車両を全国に先駆けて考案し、1964年度より1995年度までの30年余りにわたって集中的に投入した。この方式では、2箇所の降車扉を開放することにより(ただし乗降客の多い鉄道との接続停留所等に限られる)、乗降時間を従来の半分以下に短縮させることができ、同様の車両は周辺事業者や事業区域に大規模ベッドタウンを抱える事業者にも広まっていった。しかし、車両の低床化が進むにつれ、車体の最後部に扉を設けることが構造上難しくなったことや、車体の中央部に折り戸を連続して配置する方法によっても時間短縮効果が得られることから、1996年度以降は3つ扉方式をやめ、同時に降車扉も中央部に移り、一般的な前・中2つ扉乗降方式となった。
一般乗合車のカラーリングは、アメリカの鉄道・バス会社であるパシフィック電鉄(PE)のバスを模したものである。この塗装は終戦間もないころに採用され、当初はPEと同じく下地が銀色であったが、その後まもなく白地に変更された。赤色の塗り分けは同じで、正面のエンブレムも似ている。
また、関東バスではラッピングバス(車体広告車)を運行しているが、同社独自の仕様として車体後面のみに広告を施した車両がある。この車両は、「ゼッケンバス」と称されている。[1]
[編集] その他
- 伊豆進出
- 1954年5月より中伊豆の月ヶ瀬にて温泉旅館を経営している。この他沼津と下田でタクシー会社を経営している。これは東急の伊豆進出と同時期に進出しており、東急の伊豆急開業に協力する意味合いが強かったようだ。
- 富士進出
- 1956年3月、河口湖汽船の経営を東急より受託、1958年6月には山中湖遊船渡船、8月には富士汽船を富士急行・小田急と共に交互で経営を行い、山中湖・河口湖の遊覧船事業に進出していた。1970年3月に東急が河口湖汽船の全株式を富士急へ売却したため、関東バスは富士山麓から撤退した。
- タクシー事業
- 路線競合
- ファンサービス
- 2002年より、『関東バスフレンド祭り』と称して、地域住民やバスファンと交流するイベントを毎年、初夏(5月下旬~6月上旬)の日曜日に実施している。だいたいこの手のイベントというと、熱狂的な青年バスマニアが多く集まるのが常であるが、フレンド祭りの場合は子供、或いは親子で参加する人が多く、比較的のんびり・まったりした空気になるのが特徴のようである。
- 積極的な製品化許諾
- また関東バスは、主にスケールモデルにおける製品化許諾を積極的に行っている会社としても知られている。特にトミーテックのバスコレクションにはこれまでに同社の車両が多数製品化されている。富士重工5Eが製品化された時も同社がラインナップに加わり、同社の目玉である3扉車を的確にモデル化したことで、バスファンから絶賛されている。
[編集] 参考文献
- 関東バス 『かんとう 創業五十年記念特集号』 関東バス、1981年。
- 高谷義重 『交通詳解大東京案内』 平凡社、1932年。
- 内山模型製図社地図部 『大東京市域全図』 内山模型製図社地図部、1936年。
- 東京急行電鉄株式会社社史編纂事務局 『東京急行電鉄50年史』 東京急行電鉄社史編纂委員会、1973年。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
発行事業者 | 東急バス・京王電鉄バス・西東京バス・関東バス・西武バス・国際興業・小田急バス・立川バス・京浜急行バス・東武バス・神奈川中央交通・相模鉄道・川崎鶴見臨港バス・江ノ島電鉄・箱根登山鉄道・京成バス・船橋新京成バス・富士急湘南バス・千葉中央バス・千葉海浜交通・千葉内陸バス・ちばレインボーバス・東京ベイシティ交通 |
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