白鳥 (列車)
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白鳥(はくちょう)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)と北海道旅客鉄道(JR北海道)が運転する特別急行列車の愛称名である。うち、JR北海道の車両によって運転される列車についてはスーパー白鳥(すーぱーはくちょう)と称する。八戸駅・青森駅~函館駅間を東北本線及び津軽海峡線(津軽線・海峡線・江差線・函館本線)を経由して運転されている。
目次 |
[編集] 運転概要
- 八戸駅発着列車(8.5往復)
- 青森駅発着列車(1.5往復)
- 青森駅始発・終着列車のうち、「白鳥」41・45号は、青森駅近傍の車両基地である青森車両センターから函館駅への送り込み列車(車両の回送を兼ねる営業列車)として設定されている(平成18年3月18日改正時点)。
- 函館発の最終列車である「スーパー白鳥」44号は、車両運用の都合上、青森駅止まりとなっている。この車両が翌日の青森駅→八戸駅の「つがる」6号となり、八戸到着後は、函館行「スーパー白鳥」95号となる(2006年3月18日改正時点)。
日中の列車は、函館で特急「北斗」・「スーパー北斗」に接続する。函館駅での乗換えは原則同一ホーム(函館駅5・6番のりば及び7・8番のりば)で行っている。
「白鳥」と「スーパー白鳥」の基本的な停車駅に差異はなく、その停車駅も青森駅に必ず停車する以外は一定していない。一部の列車は青函トンネル内の竜飛海底駅に停車する。なお特急料金不要の特例区間が海峡線に設定されているが、この区間を通過する全列車が全駅停車する訳ではない。
[編集] 使用車両・編成
[編集] 白鳥
- JR東日本485系電車
青森車両センター所属。485系3000番台は予備編成が少ないため車両の故障が起きると、789系電車が緊急で使用されることがある。
- 6両編成時(定員380名)
青森← | →函館・八戸 | |||||
6 指× |
指× |
5 指× |
4 指× |
3 自× |
2 自× |
1 指× |
- 8両編成時(定員516名)
- グリーン車指定席…8号車青森寄り(禁煙)
- 普通車指定席…1・4・5・6・7号車、8号車函館寄り(禁煙)
- 普通車自由席…2・3号車(禁煙)
[編集] スーパー白鳥
- JR北海道789系電車
- 6両編成時(定員345名)
- グリーン車指定席…1号車函館寄り(禁煙)
- 普通車指定席…1号車青森寄り、4・5・6号車(禁煙)
- 普通車自由席…2・3号車(禁煙)
- 8両編成時(定員465名)
- グリーン車指定席…1号車函館寄り(禁煙)
- 普通車指定席…1号車青森寄り、4・5・6・7・8号車(禁煙)
- 普通車自由席…2・3号車(禁煙)
[編集] 停車駅
八戸駅 - 三沢駅 - 野辺地駅 - (浅虫温泉駅) - 青森駅 - (蟹田駅) - (津軽今別駅) - <<竜飛海底駅>> - (知内駅) - (木古内駅) - (五稜郭駅) - 函館駅
- ( )内の駅は一部列車通過。
- << >>内は、海底駅見学者のみ乗降可能。
- この書体の区間は、特急料金不要乗降区間内駅。特急券不要区間も参照のこと。
[編集] 担当車掌区
- また、JR北海道とJR東日本の両区間を走行するため、基本的には青函トンネル案内時の車内アナウンス以外「JR」とアナウンスする。しかしながら始発駅発車後の放送や終点駅到着前の放送、青森・蟹田駅到着前の放送では「JR東日本」や「JR北海道」を用いることが多い。
[編集] 車内販売
全区間でJR東日本の関連会社である日本レストランエンタプライズ(NRE)盛岡営業支店青森営業所が担当。
[編集] 津軽海峡線の臨時列車
[編集] ドラえもん海底列車
海峡線の吉岡海底駅では、「ドラえもん広場」を設置するなど、漫画「ドラえもん」とタイアップした企画が行われていた。これに合わせて、列車にも内外装に「ドラえもん」に登場するキャラクター等を入れた編成が使用されることがあった。
快速「海峡」が運転されていた時期には「海峡」用の客車(50系客車および14系客車)の一部にペイントを施すなどして運転していたが、「海峡」廃止後は781系電車にペイントを施すなどした「ドラえもん海底列車」が臨時特急として運転されていた。北海道新幹線工事のため、吉岡海底駅見学コースは休止し、「ドラえもん海底列車」も、2006年8月27日を最後に運転終了となった。
「ドラえもん海底列車」の停車駅は以下の通り。
往復乗車が原則であり、吉岡海底駅行は吉岡海底駅のみで降車、函館駅行は吉岡海底駅のみで乗車可能であった。
なお、吉岡海底駅では車両を留置することも折り返すこともできないため、吉岡海底駅~蟹田駅間を回送して蟹田駅で折り返していた。
[編集] 利用方法
- 全車指定席で定員制のため、乗車券のほかに指定席特急券・海底駅見学整理券が必要となる。
- 「吉岡海底駅では安全上の理由から2号車と4号車のドアのみ開く」とアナウンスがあるが、実際は全ての車両のドアが開き、乗降は2・4号車のみであった。
[編集] さくらエクスプレス
函館駅~弘前駅間で運転される臨時特急列車。弘前でのサクラの開花時期に合わせて2000年から運転開始。
初年度はキハ183系気動車お座敷改造車両だったが、翌年運転からキハ183系気動車(ノースレインボーエクスプレス)であった。この際、青函トンネル内では気動車はATC装置未搭載のため自走することが不可能であり、函館駅~青森駅間はED79形電気機関車に牽引されて運転されている。そのため列車番号上は函館駅~青森駅間は客車列車扱いとなり、気動車を表す「D」のアルファベットは付加しない。
停車駅は以下の通り(毎年共通)。
[編集] ねぶたエクスプレス
青森ねぶたに合わせて2005年・2006年に函館駅~青森駅間で運転された臨時特急列車。
「ドラえもん海底列車」に使用される781系電車6両編成を使用して全車指定席・全車禁煙車として運転された。
停車駅は以下の通り(2005年・2006年実績)。
[編集] ハーバー函館
JR東日本秋田支社が主体となって運転された臨時列車。運転当初は急行「ハーバー函館」でのちに「ハーバーレインボー」に改称し、その後、特急「ハーバーレインボー」となる。なお、「ハーバーレインボー」時代に1往復だけ大館~洞爺間で運転されてことがある。また夏祭りシーズンは「夏祭りエクスプレス」として運転されたこともあった。車両はJR北海道の「ノースレインボーエクスプレス」を使用していた。
その後、特急「ハーバー函館」を数回運転したが、この時はJR東日本青森運転所(当時)の485系1000番台6両編成で運転された。
ダイヤは基本的に秋田発土曜日朝、函館発日曜日の昼であったが、秋田発金曜日の晩発で函館着土曜日の朝着だったこともあった。
[編集] 津軽海峡線(青森駅~函館駅)直通特急列車の沿革
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[編集] 青函連絡船代替快速「海峡」
前身は、1988年(昭和63年)3月の津軽海峡線開業時より青森駅~函館駅間を運行していた客車快速「海峡」(かいきょう)と、東北新幹線に接続して盛岡駅~青森駅~函館駅間を運行していた電車エル特急「はつかり」である。
- 快速「海峡」の停車駅としては基本的には以下の通り。
- ()内の駅は一部列車のみ停車。なお油川駅停車は上り1本のみで、これは駅近くにある青森北高校の通学生を輸送するためであった。
- <>内の海底駅は海底駅見学コースに指定された列車のみ停車(海底駅見学整理券「ゾーン539きっぷ」を所持している乗客のみ乗降可能)。
- 多客臨扱いの80号台は五稜郭駅を通過していた。
- 1988年3月13日 青函航路代替及び津軽海峡線内の地域輸送列車として青森駅~函館駅間を運転する快速列車「海峡」運転開始。
- 1995年3月1日 「海峡」1往復を毎日運行ながら臨時列車化。実際には列車番号が6000番台の季節列車である。また、このころまでに、5両編成での運転が主体となる。
- 1997年3月22日 1往復を「はつかり」に格上げし、「海峡」は臨時列車含めて7往復に減少。また、この時青森駅始発の「海峡」1号を「はつかり」41号に、函館駅で夜行快速列車「ミッドナイト」に接続する列車を「はつかり」21号から「海峡」13号に立て替えるなど、ほぼ2002年11月30日までダイヤ自体は踏襲される。この改正で1・14号の1往復が臨時列車に格下げ。
- 津軽海峡線の開業当初にあった「青函トンネルブーム」は数年で収束し、以後の利用者は年々減少傾向にあった。これ以降「海峡」の地位は単なる青函間連絡列車という地位に甘んじる結果となる。
- 1997年 てこ入れの一環として、50系客車「海峡」の一部列車にカラオケ個室を設けた車両を設置(末期は非連結)。
- 1998年3月 津軽海峡線開業10年を記念して映画ドラえもん『のび太の南海大冒険』とのタイアップを行い「ドラえもん海底列車」の運行を開始し、以後2002年まで毎年継続。
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[編集] 全列車の特急化
運転開始より15年が経過した時点では、以下のような問題が顕著となっていた。
- 快速「海峡」の専用客車(50系客車)と電気機関車(ED79形電気機関車)の老朽化が進行した。
- 機関車入れ替えや速達化の限界など、客車特有の作業の繁雑さが問題となった。
東北新幹線八戸駅延伸に際し、これらの問題の抜本的改善が目論まれ、快速「海峡」を廃止して青函間直通の昼行旅客列車を全列車特急化することが決定された。従来運転されていた特急「はつかり」の分も含め、列車本数は従来分を確保する事とし、「はつかり」と「海峡」の時間帯が接近している列車については統合した。
全列車特急化にあたり、当初は781系電車を転用する計画であったが、実際に781系電車を試験走行させたところ、青函トンネル内のあまりの湿度の高さに長期運用では耐えられないことが判明し、新たに専用の電車を製作することとなった。これがJR北海道789系電車である。
愛称は一般公募により、「スーパー白鳥」(JR北海道789系電車使用分)と「白鳥」(JR東日本485系電車使用分)と決定された。2006年現在でもこれは踏襲されている。
なお「海峡」の廃止により、JRにおける客車を使用した定期普通列車は消滅した。
以下はこちらを参照されたい。
[編集] 「白鳥」の列車名としての沿革
[編集] 秋田~青森連絡準急「白鳥」
[編集] 気動車特急「白鳥」
- 1961年(昭和36年)10月 「サン・ロク・トオ」と呼ばれる大規模ダイヤ改正がこの時行われる。「白鳥」は、新たに設定された大阪駅~直江津駅~青森駅(北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由)と大阪駅~直江津駅~上野駅(北陸本線・信越本線・高崎線・東北本線経由)を結ぶキハ80系気動車を使用した特急列車の名称となった。これに先立ち、従来の準急「白鳥」は改正前の9月に「岩木」と改称されている。
- 大阪駅~直江津駅間は、両列車を併結した多層建て列車として運行された。混乱を防止するため国鉄内部では青森方面の列車を「青森白鳥」、上野方面の列車を「信越白鳥」と呼んで区分していた。また、青森発着「白鳥」は大阪駅~青森駅間1052.9km(当時)を走るという、昼行特急列車としては日本一の走行距離を有する列車となった。対北海道連絡列車でもあり、青函連絡船の深夜便を介して、北海道内の特急「おおぞら」に接続していた。青森以北の夜行便に接続するダイヤは、以後大阪駅~青森駅間「白鳥」の廃止まで踏襲された。
- 車両には同年に開発された新型の特急形気動車キハ82系が充当された。前年の1960年に開発され、東北本線特急「はつかり」に投入されたキハ81系の改良型である。
- キハ81系は急造設計の車両であったため、「はつかり」へ投入された時は初期故障を頻発させ、マスコミから「はつかり事故ばつかり」と揶揄される不名誉な前歴があった。そのためキハ82系では、故障防止のために入念な走り込みなどが行われた。それでも運行開始直後の冬には、雪害によって「白鳥」が運転不能となる事態が発生し、またマスコミから「瀕死の白鳥」と書き立てられたこともあった。
- この「白鳥」では青森発着編成・上野発着編成は共に同一のキハ82系標準とされる一等車・食堂車各1両を連結した7両編成で組成されており、それぞれの有効時間等の兼ね合いで編成毎に食堂車が営業していた。調理・給仕を行う日本食堂も、青森発着編成は青森、上野発着編成は上野と担当する営業所が別になっていた。
- 特急「白鳥」運転開始時のエピソードの一つに能生(のう)騒動がある。詳細は能生騒動を参照。
- 1965年(昭和40年)10月 上野駅発着列車を上野駅~金沢駅間運転の「はくたか」として分離し、「白鳥」は大阪駅~青森駅間特急のみの名称となる。
[編集] 電車特急「白鳥」
- 1972年(昭和47年)10月 羽越・奥羽本線電化に伴い、大阪駅~青森駅間の全線電化が完成。「白鳥」の車両は青森運転所所属485系電車に置き換えられ、電車特急化される。当時、「運行距離世界最長の電車列車」といわれた。
- 1975年(昭和50年)3月 山科駅~近江塩津駅間のルートを湖西線経由に変更。これにより、運行区距離が、1039.9kmとなるが、同時に延伸開業した東海道・山陽新幹線「ひかり」の東京駅~博多駅間直通列車の方が1069.1kmと29.2km程度長くなった関係で「在来線運行距離最長の電車列車」と称された。しかし廃止までこの運転距離は続くこととなった。
- 1978年(昭和53年)10月 ヘッドマークに「飛び立つハクチョウ」を描いたイラストマークに変更。
- 1982年(昭和57年)11月 ダイヤ改正により、従来の金沢駅~青森駅間急行「しらゆき」を格上げする形で、福井駅~青森駅間に「白鳥」1往復を増発し、「白鳥」は計2往復となる。
- 1985年(昭和60年)3月 福井駅~青森駅間「白鳥1・4号」は、「北越」・「いなほ」の2列車に系統分割される形で廃止され、「白鳥」は再び1往復となる。なお、このダイヤ改正で食堂車の連結を廃止(食堂営業自体は1984年11月1日を最後に休止していた)。車両受け持ちを向日町運転所に移管。
- 1986年(昭和61年)11月 車両受け持ちを上沼垂運転区に移管。
- JR化後に同所所属車はグレードアップが行われ、指定席車のシートピッチ拡大、自由席車を簡易リクライニングシートに統一、塗色変更などが行われる。
- 1988年(昭和63年)3月 青函トンネル開通に伴い、「白鳥」が青森駅で接続する対北海道ルートは、従来の青函連絡船から青森駅~札幌駅間運転の夜行急行列車「はまなす」へと切り替えられる。
- 1997年(平成9年)3月 車両受け持ちを京都総合運転所に移管。但し担当する車掌は、廃止されるまで全区間JR東日本(新潟運輸区・秋田運輸区)のままであった。
- 車内は、リクライニングシートに変更されている以外、国鉄時代と大差がなく、それまでの上沼垂所属車に比べ自由席車はシートが良くなったが指定席車は見劣りした車両となった。
- 2001年3月運転終了時までの停車駅
- 2001年(平成13年)3月 ダイヤ改正で「白鳥」を以下の3系統の特急に分割することとなり、大阪駅~青森駅間「白鳥」は約40年の歴史を終えた。これにより、昼行で新潟駅を跨いで運行する列車が無くなってしまった為、北陸~東北間の移動には新潟駅での乗換えを強いられており、不満の声もある。
-
- 大阪駅~富山駅間 「雷鳥」・「サンダーバード」
- 金沢駅~新潟駅間 「北越」
- 新潟駅~青森駅間 「いなほ」
[編集] 津軽海峡連絡列車「白鳥」・「スーパー白鳥」
- 2002年(平成14年)12月 「はやて」や「つがる」と共に、「白鳥」は一般公募で今の運転形態の列車の名称に採用され運転経路は変わるも約1年半で復活し、現在に至る。この時使用する車両の違いから、「スーパー白鳥」の名称も登場する。
- 2006年(平成18年)3月 789系電車の増備が行われ、寝台特急「日本海」1・4号の青森駅以北の区間を「白鳥」・「スーパー白鳥」に立て替え、1往復を「スーパー白鳥」に変更。また、「スーパー白鳥」は1両増強し「白鳥」と同じ6両編成となる。ただし、2006年8月現在、増結車両が全部落成しているわけではないため、8両編成に限り、基本5両+増結3両の編成が存在する。
- これは、485系が車両製造から20~30年経っており車両の老朽化が著しく、3000番台改造車でも北海道内での雪による故障が多発し、789系が代走に入ることが多くなっていたことが挙げられる。また789系の6両編成化については、青森~八戸間の混雑が著しく、特別企画乗車券で指定席の確保できない乗客は自由席に流れ込み、自由席の混雑に拍車をかけていたためである。
- 2007年(平成19年)3月18日 健康増進法第25条により、全車両禁煙となる。
[編集] 列車名の由来
歴史が長く、列車の姿が何度も変わっているため、由来はそれぞれで異なっている。「白鳥」号では一番有名な大阪~青森間の特急時代の愛称由来は「新潟県北蒲原郡水原町(現阿賀野市)の瓢湖(ひょうこ)に飛来する白鳥」とされていた。
現在の八戸~函館間特急では現行の運行区間に準じ、国の天然記念物でもある「青森県平内町の浅所海岸に飛来する白鳥」とされている。ここから取られた列車愛称としては、気動車準急時代の「白鳥」号も同様である。
[編集] 関連項目
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