ホンダ・アコード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アコード(ACCORD)は、本田技研工業が生産する中型乗用車である。 1985年にレジェンドが発売されるまでは同社のフラッグシップ車であった。現在はセダン(7代目)とステーションワゴンのアコードワゴン(4代目)がある。
より小さなシビックと同様、アコードはエンジン横置のFFレイアウトを採用している。更に、このクラスの車種で一度も消滅せずに存在している車種の1つである。
最近ではドレスアップカーのベース車として、人気が根強い。
目次
|
[編集] 誕生までの経緯
アコード誕生には多くの紆余曲折があり、幾多の会議の結果、1,600cc 2BOXというコンセプトが決定された。しかしその決定の背後には、頓挫した大きな計画が影を落としていた。それがクラウン、セドリッククラスに投入する2,000cc 直6 CVCCを搭載したアッパーミドルカー、「653計画」である。当時、シビックの大成功で息を吹き返したホンダは、当時のコロナ、ブルーバード(現在のプレミオやアリオン、ブルーバードシルフィに相当する)クラスではなく、シビックよりも遥か上の高級乗用車の開発を行っていた。しかしシビックがヒットしていたとはいえ、ホンダはまだ乗用車市場にしっかりとした根を張っておらず、自動車マーケットを闘い始めたばかりだった。しかし、この車の開発を通じて得た経験と技術が、後にこの計画の受け皿になったアコード計画にとっては最も貴重な捨石とした。
ボディは4ドアで、スタイルはシビックに採用されたハッチゲートを持たず独立したトランクを設けた台形デザインを採用。丸型4灯を持つフロントマスクの表情や、リアピラーを強く傾斜させたシルエットなどに、後の初代アコードとの近似性を指摘する声もある。そのエクステリア・デザインを担当したのは、本田技術研究所の専務取締役を勤め、初代シビックをはじめ、後に初代アコードや、初代、2代目のプレリュード などのエクステリア・デザインを手がける岩倉信弥(多摩美術大学教授、2004年8月現在)であった。
インテリア・デザインは、初代シビックを始め、初代アコードのインテリア・デザインをも手がけた元ホンダR&Dのエグゼティブチーフエンジニアの大塚紀元である。エンジンは、この頃コスワース移籍を模索し、最終的には残留することを決めた川本信彦が手がけ、一説によると、全長は当時のプリンスG型6気筒よりも12cmもコンパクトで、振動もバランサーシャフトが存在しないなか、ブロックの剛性配分で乗り切り、小型、軽量、静粛を実現していたという。そのような先進的なコンポーネンツの新しさもさることながら、最上級車ゆえに装備面でも当時の最先端技術を採用し、エアコン、パワーステアリング、カットパイルのカーペットの他、現在では当たり前となっているダッシュボードパネルの一体成型技術をものにしていた。
しかし、最終生産試作車を作り終え、金型発注が始まった段階で突如、本社役員会で開発中止の決定が下る。主な理由は、販売網にあった。シビックが大ヒットしていたとはいえ、本格的な販売網を整備していない状況のなかで、高級車を販売するにはあまりにもリスクが大きすぎた。代わりにホンダは、シビックよりも一つ上のクラスの車の開発を計画。それによって生まれたクルマが初代アコード(コードネーム:654)として日の目をみることとなる。ちなみにアコード計画には、653の開発に関わっていたスタッフがほぼ全員が開発に加わり、653で得たノウハウを惜しみなく投入された。
[編集] 歴史
[編集] 初代 (1976年-1981年 SJ/SM型)
1976年5月7日に、1,600ccエンジンを搭載した中型の3ドアハッチバック車として、当時のシビックを拡大したようなスタイルで登場。
現在のような4ドアセダン型のモデルは、1977年10月14日に発売された。開発当時のホンダには、シビックから上級クラスの車に買い替えるユーザーの受け皿となる車が存在していなかったことが、開発の理由と言われている。
初期モデルは好燃費・低公害車を主眼に設計され、アメリカ及び日本では、51年排出ガス規制をクリアしたEF型 直列4気筒 CVCC(低公害エンジン技術)SOHC 1,600ccエンジンを搭載した。
1978年9月1日には、53年排出ガス規制をクリアしたEK型 直列4気筒 CVCC SOHC 1,800ccエンジンを搭載。
また、最上級グレード専用ではあったものの、当時の国産車では珍しかった車速感応型パワーステアリング、エアコンを採用していた。
1979年10月にホンダマチックがOD付に(本改良で前進OD-☆-Lの3速セミATとなる、それまでは☆-Lの2速セミAT)、1980年4月25日にはエンジンがCVCC-Ⅱにバージョンアップ。パワーアップとラピッド・レスポンスコントロールシステムによるドライバビリティの向上が図られた。
また同年7月には初期型以来の1,600cc(CVCC-Ⅱ)モデルが復活した。
[編集] 2代目 (1981年-1985年 SY/SZ/AC/AD型)
1981年9月22日、フルモデルチェンジ (セダン/ハッチバック)。搭載エンジンはEP型 直列4気筒 CVCCⅡ SOHC 1,600ccとEK型 直列4気筒 CVCCⅡ SOHC 1,800ccとがある。キャッチコピーは「独創のワールド・クオリティ」であった。同時に姉妹車のビガーが誕生した
オプションで、前後の荷重変化による車高変化を修正し、2段階の車高変化が可能なオートレベリングサスペンションを装着できた。
クルーズコントロールは全グレードに装備され、操作スイッチはハンドルに取り付けられた(それまではステアリングコラムに専用のレバーを設置するのが通例であった)。
1982年11月3日に、一部変更。ATは4速フルオートマチックへ改良された。
1983年6月17日にマイナーチェンジ。直列4気筒 CVCCⅡ SOHC 12Valve クロスフロー エンジン(EY型:1,600cc,ES型:1,800cc)を新たに採用。日本車初となる4輪ABSを搭載(当時は4W A.L.B.という略称であった)。
1984年5月24日に、1,800cc PGM-FI(電子制御噴射装置)仕様エンジンを追加。
[編集] アメリカでの地位を確立
アコードの生産がオハイオ州メアリーズヴィル工場で始まった時、アコードは1982年にアメリカで生産される最初の日本の自動車になった。以来15年間、アコードはアメリカでベストセラーの日本の自動車の地位を守り続けた。
[編集] 3代目 (1985年-1989年 CA1/2/3型)
1985年6月4日、セダンをフルモデルチェンジ。国内、北米、オーストラリアモデルはリトラクタブルヘッドライト採用。ヨーロッパモデルは、セダンが異型4灯式ヘッドライトを採用した。
搭載エンジンは、新開発の直列4気筒 DOHC 16Valve 1,800ccデュアルキャブレター仕様のB18A型と2,000cc PGM-FI仕様のB20A型及びSOHC 16Valve 1,800cc シングルキャブレター仕様のA18A型で、1987年のマイナーチェンジの際に2,000ccシングルキャブレター仕様のA20A型が追加された。(北米はA20A型 キャブ/PGM-FIのみ、オーストラリア,ヨーロッパは、A20A型 キャブ/PGM-FI,B20A型 PGM-FI)なお、B18A及びB20Aエンジンは、エンジンヘッドだけでなくエンジンブロックもアルミニウム(当時は鉄が一般的)で生産され、エンジン重量あたりの出力効率は当時世界一であった。
サスペンションには、レーシングカーやフェラーリ,ジャガーといったスポーツカーが採用する、4輪ダブルウィッシュボーンを量産車として初めて採用。これ以降のホンダ車のみならず、多くの自動車メーカーのサスペンションデザインに影響を与えた。
ボディーデザインはフラッシュサーフェス処理により空力に優れ、cd値=0.32を達成した。同車は、1985年日本カーオブザイヤーを受賞している。姉妹車はビガー。
1985年7月20日、ハッチバックがフルモデルチェンジされ3ドアワゴンのような形になり、エアロデッキとサブネームが付けられた。搭載エンジンは、B18A型, B20A型及びA18A型キャブ仕様。ヨーロッパではA20A型 キャブ/PGM-FI仕様が販売された。
なお、北米,オーストラリアでは、エアロデッキとは異なったファーストバックタイプの3ドアハッチバック仕様が用意され、エアロデッキは販売されなかった。
1987年5月にマイナーチェンジ。大型バンパー、カラードドアミラー、リアコンビネーションランプの意匠変更、B20A型のヘッドカバーの塗装色変更(金→黒),2,000ccモデルのブレーキローター径の変更,オートマッチクトランスミッションの改良,インテリアトリムの変更 等である。
1987年7月3日に、ヨーロッパ向けに販売されていた異型2灯式ヘッドライトを装着した、アコードCAの販売を開始。ちなみに、「CA」とは「CONTINENTAL ACCORD」の意味である。なお、ヨーロッパ市場でも、エアロデッキはリトラクタブルライトを装着し販売された。
1988年4月8日に、北米で開発及び生産された、アコードクーペ(左ハンドル仕様)の国内販売が開始される。(海外の日本車工場の乗用車を輸入して販売するのは、これが史上初めてである)。搭載エンジンはA20A型 PGM-FI仕様のみ。
- CMキャラクターというのは設けられなかったが、森進一の歌う「SUMMER TIME」が流れる。これは当時、かなりの話題を呼び、演歌以外の歌も歌うのだということを印象づけた。またCM内で「ダブル・ウィッシュボーン・サス」とナレーションを入れるなど機能的な強調がされていた。
- このモデルまではプリモ店でも扱っていた。
[編集] 4代目 (1989年-1993年 CB1/2/3/4型)
1989年9月13日、フルモデルチェンジ。キャッチコピーは1990年代をリードする意味が込められた、「90's ACCORD」。この代は折からのバブル期に対応するために、本家アコードを中心としたワイドバリエーションが敷かれる。
- 4気筒モデル:アコード/アスコット(CB1/2型-1,800cc 2WS/4WS CB3/4型-2,000cc 2WS/4WS)
- 5気筒モデル:アコード・インスパイア/ビガー(CB5型)
初代から続いていた3ドアが廃止され、当初はセダンのみからスタートした。スタイルは、ごくオーソドックスな3ボックスセダンだが、4ライトボディのアコードに対し、アスコットには6ライトボディが採用されるなど、それぞれの独自性がみられる。また、5気筒モデルは“FFミッドシップ”と呼ばれるレイアウトにより生まれた、オーバーハングが極端に短いフロントとロングホイールベースを持つ、独特なプロポーションのハードトップボディが特徴。
先代の弱点であったボディ剛性は大幅に向上し、素材を亜鉛メッキ鋼板を使用したこととあいまって、クオリティはさらにアップした。
また、当時の流行っていたメカニズムであった4WS装着車が設定されている。また、アコードとアコード・インスパイアには当時まだ珍しかったマルチリフレクター式ヘッドライト(スタンレー電気との共同開発)が採用され、従来のヘッドライトよりも軽量で省電力の上、明るい光力を備えていた。
エンジンは新開発のF型に変更。1,800ccは先代に設定されていたDOHCモデルが姿を消し、F18A型 SOHC 16Valve 電子制御キャブレター仕様(EF/EX/EXL)のみになり、2,000ccのF20A型はDOHC 16Valve PGM-FI仕様(2.0Si)とSOHC 16Valve キャブレター仕様(2.0EXL)とPGM-FI仕様(2.0EXL-i)の3種類となった。
のちに追加される北米仕様のワゴン,セダン及びクーペに、F22A型 SOHC 16Valve PGM-FI 2,200ccを設定。インスパイア/ビガーにはG20A型 直列5気筒 SOHC 20Valve PGM-FI仕様 2,000ccで、計6種類となった。
のちに、G25A型2,500ccと5馬力アップした改良型のG20A型が追加され、計8種類となった。
ミッションは、ホンダ車の特徴的な7ポジションの4段ATと5段MTの2種。うちMTは、1,800ccと2,000ccのDOHC、及び5気筒モデルの中下級モデルに採用された。また、上級モデルにはATでもスポーティな走りを実現できるように、シフトスケジュールを高回転寄りに変更出来るSモードが装備された。
1990年4月1日に、2代目のアコードクーペが販売された。このモデルも北米で開発及び生産され、搭載エンジンはF20A型 DOHC 16Valve PGM-FI 2,000cc。
1991年4月4日に、北米で開発及び生産された2車種目のアコードワゴンが販売された。搭載エンジンはF22A型 SOHC 16Valve PGM-FI 2,200cc。
同年7月にマイナーチェンジが行われ、SRSエアバッグやTCSの安全装備 追加の他、グレード体系(1,800cc 4WSは廃止)の見直しが行われた。
1992年2月には、クーペにF22A型エンジン搭載の「2.2iエクスクルーシブ」が追加された。
同年3月3日にイギリスで生産される欧州アコードの日本版であるアスコット・イノーバが誕生した。
6月には、アメリカ HAM生産のF22A搭載セダン(左ハンドル)“スペシャル・エディション”が2,000台限定で発売された。
だが、販売成績は振るわず、立て続けに投入し軒並み不遇を囲っていたセダン群とRV参入の遅れによって、もともと芳しくなかったホンダの国内市場の足をさらに引っ張る結果となってしまう。
このことから、ホンダは次期モデルのCD型には、もっとも人気のあるアメリカ市場をさらに意識したモデルとなる。また、この頃のセダンの拡販路線の惨敗の状況は、当時、隆盛を誇っていたRV市場への参入に大きく近づくこととなり、それは、現在のミニバン路線の礎となるオデッセイが誕生するきっかけにもなっていった。
全体的に地味なイメージしか残らなかった4代目だが、この代は欧州アコードが、1995年からホンダUKによりイギリスツーリングカー選手権(BTCC)への参戦を果たしている。ボルボやルノー、ヴォクソールなどの強豪がしのぎを削る中、序盤は低迷したものの、熟成が進むにつれ次第に上位に食い込むような活躍をみせるようになり、JTCCアコードのVTECエンジンを得た1997年には待望の初優勝を飾っている。
ちなみに、日本のアスコット・イノーバがハードトップであったのに対し、欧州アコードはサッシュドアを採用したごくオーソドックスなセダンであったというのはあまり知られていない。ちなみにローバー600は欧州アコードをベースにしていた。
[編集] 5代目 (1993年-1997年 CD3/4/5/6型)
1993年9月2日、セダンをフルモデルチェンジ。この代はアメリカのマーケットを強く意識した設計がなされ、全車3ナンバーボディとなった(全幅1760mm)。ただ、あまりのアメリカ志向のために国内での売れ行きを心配したホンダは、このモデルの保護として、5ナンバーのアスコット/ラファーガをデビューさせたが、すべて不評となった。ボディは当初、3ボックスのセダンからスタート。翌年には、アメリカ生まれのクーペとワゴンが追加される。
エンジンは1,800cc、2,000ccは基本的に先代同様。しかし、主力モデルは2,200ccに移行され、ノーマルグレードのF22B型、スポーツグレードはH22A型 2,200cc・190psが搭載され、ともにVTEC化が施される。また、アメリカ仕様には、初代レジェンド用のC27A型 2,700 V6に改良を施したエンジンを載せたモデルも用意された。
なお、欧州では前述のイノーバベースのセダンが引き続き販売された。
- いすゞ自動車へアスカとしてOEM供給(6代目アコードも)。
- CMには橋爪功、坂井真紀が出演した事があった(尚、橋爪功は後にトヨタ・マークIIのCMに出演している)。
- 1996年、1997年に全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) に参戦。シビックフェリオでの苦戦が嘘のような勝利を挙げる。
- 新車当時は3ナンバーサイズのボディが不評だったものの、中古市場では先代(4代目)ともどもドレスアップを好むユーザーの間での人気が現在でも根強い。1800ccのみフロントグリルが多少違う。
[編集] 6代目 (1997年-2002年 CF3/4/5/CL1型)
1997年9月4日、セダンをフルモデルチェンジ。エンジンは新開発のF18B型1,800ccVTEC、F20B型の2,000ccVTEC(ノーマルグレードはSOHC、スポーツグレードはDOHC)。SIRにVSAと呼ばれる車両挙動安定化システムを標準搭載。上位グレードのロービームにディスチャージヘッドランプを装備。キーコンセプトは「HONDA DNA」。
このモデルから世界共通フレキシブルプラットフォームを採用し、地域別に違うボディサイズで生産されるようになった。先代のアコードはメインターゲットの北米市場を意識し、衝突安全性能向上の為等で大型化されたのが日本市場では不評だった為、日本仕様は5ナンバーのボディサイズに縮小された。途中で「ユーロR」のグレードが追加される。
- 1997年10月、ワゴンをフルモデルチェンジ。姉妹車のトルネオを追加し、アスコット/ラファーガは廃止された。なお、今回からワゴンは国内生産となった。
- 2000年6月、スポーツグレードのユーロRを追加。エンジンは再びH22A型2,200cc・DOHC・VTEC(220ps)が搭載された。
[編集] 北米・アジア仕様
アメリカでは乗用車の年間売上のトップ争いの常連である為、北米仕様はキープコンセプトながらも更なる大型化がされ、V6エンジンを搭載するモデルも用意された。また東南アジア市場にも北米仕様をベースにした車種が投入されている。ボディタイプはセダンとクーペ(北米のみ)の2種類。北米市場で需要が縮小していたワゴンはラインアップから落とされた。
その4気筒モデルは、カリフォルニアのULEV基準を満たす世界で最初の市販車である。
[編集] 欧州仕様
日本仕様と比較して幅が広く、長さが短い。生産は英国のスウィンドンの工場で行われた。ボディタイプはセダンと5ドアハッチバックの2種類。エンジンは1,800cc、2,000cc、2,200ccと2,300cc。モデル途中で日本からプレリュードタイプS用の2,200ccエンジンを輸入して搭載した「タイプR」と、アコードワゴン用の2,300ccエンジンを搭載した高級志向の「タイプV」がラインアップに加わった。前の代のアコードと同様にイギリス・ツーリングカー選手権に参戦した。
[編集] 7代目 (2002年- CL7/8/9型)
国内モデルは2002年10月10日にフルモデルチェンジ(アコードワゴンは2002年11月28日発売)。搭載エンジンはK20A 2,000ccとK24A 2,400ccの2種類で、ともにi-VTECを搭載したDOHCとなった。今回から欧州モデルと統合されて生産が日本に集約されており、2,400ccがメインとなったため、1クラス上に移行された。よってセダンは再び3ナンバーとなった。キーコンセプトは「全身・全域 HONDA イズム」。
変速機はユーロRに6MT、その他のグレードにはSマチック付の5ATが搭載される。また、最近のホンダ車に見られる「鋭い目」はアコードから始まった。なお、安全対策としてドアミラーウインカーが標準装備されている。オプション設定だが、HiDS(IHCC(インテリジェントハイウェイクルーズコントロール)・LKAS(レーンキープアシストシステム))が装備できる。CMソングは「カルメン」のアレンジ版。
欧州モデルにはN22A 2,200ccのコモンレール式ディーゼルターボが搭載された(※日本での販売予定は無い)。また、イギリスではテレビコマーシャル(Cog (英語版)) が話題になり、TBS系列の情報番組サンデーモーニングにも取り上げられた。 なお日欧版アコードは、北米ではホンダの高級車ブランド「アキュラ」において、「アキュラ・TSX」として発売されている。
[編集] エンジン諸元
- K24A(2,400cc、24TL/Type S用)(内径×行程:87.0×99.0)
直列4気筒 DOHC i-VTEC 16バルブ PGM-FI 2,354cc 147kw(200ps)/6,800rpm・232Nm(23.7kgm)/4,500rpm
- K20A(2,000cc、ユーロR用)(内径×行程:86.0×86.0)
直列4気筒 DOHC i-VTEC 16バルブ PGM-FI 1,998cc 162kw(220ps)/8,000rpm・206Nm(21.0kgm)/6,000rpm
- K20A(2,000cc、20EL/20A用)(内径×行程:86.0×86.0)
直列4気筒 DOHC i-VTEC 16バルブ PGM-FI 1,998cc(FF)114kw(155ps)/6,000rpm 188Nm(19.2kgm)/4,500rpm
(4WD)112kw(152ps)/6,000rpm 186Nm(19.0kgm)/4,500rpm
[編集] 北米・アジア仕様
北米で2002年9月にデビュー。日本では2003年6月に4代目インスパイアとして投入された。エンジンは直列4気筒 DOHC i-VTEC 2,400cc K24AとV型6気筒 SOHC i-VTEC 3,000cc J30Aを搭載。また北米ではある程度の需要が見込められるクーペも引き続き発売される。また、V6エンジンのアコードハイブリッドも後に追加された。
2005年秋にフェイスリフトが行われ、リアデザインが大幅に変更された。同年11月には日本仕様のインスパイアもこれに追随して大幅変更されている。
[編集] 8代目(2007年秋発売予定)
2007年秋にフルモデルチェンジ予定。今モデルからインスパイアもアコードに統合するため、ボディサイズは大幅に拡大される予定。また、ボディータイプがセダンのみとなり、ワゴンは廃止される見込み。
[編集] 対抗車種
- トヨタ・カムリ
- トヨタ・アベンシス
- 日産・ティアナ(2300cc、2500cc)
- マツダ・アテンザ
- スバル・レガシィB4
[編集] 現行のアコードと共通のプラットフォームを使用する車種
- アコードワゴン(ステーションワゴン)
- オデッセイ(ミニバン)
- エリシオン(ミニバン)
- CR-V(SUV、3代目)
- インスパイア(セダン)
- レジェンド(セダン)
- アキュラ・TL(セダン)北米専売
- アキュラ・RDX(SUV)北米専売
[編集] 過去のアコードと共通のプラットフォームを使用する車種
[編集] 車名の由来
- Accord 英語で調和、一致、和解など。
[編集] 関連項目
- アコードハイブリッド
- いすゞ・アスカ(OEM)
- 光岡自動車(ヌエラのベース車)