盲学校
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盲学校(もうがっこう)とは、視覚障害児、もしくは弱視児のための学校のことである。
自分の安全を図るための手段とその工夫を学びつつ、点字などを中心に幼稚園、小学校、中学校、高等学校に準じた教育を受ける。
目次 |
[編集] 盲学校の歴史
世界最初の盲学校は、1784年にアユイらによって、フランスのパリに作られたものとされている。この盲学校はフランス革命直後の1791年に王立パリ盲学校となり、王政廃止後は国立パリ盲学校となった。
日本では、1876(明治9)年、に設立された楽善会訓盲唖院が最初の盲学校で、官立東京盲学校・東京教育大学教育学部附属盲学校を経て、現在に筑波大学附属盲学校になっている。
[編集] 盲学校の普通科教育
小学部から高等部においては、普通校の小学校から高等学校と同じ内容の国語、数学(算数)、理科、社会、英語、技術・家庭、体育、音楽、美術といった教科も教えられるが、それぞれに視覚障害を克服したり、伸ばすことの出来る能力を発展させるよう、教える工夫がなされる。理科では、授業の中で化学実験をはじめとする実験観察がおこなわれ、理系大学への進学者もいる。体育でも障害の特性に応じた工夫がなされている。例えば、健常者がおこなうバレーは、視覚障害者ではフロアバレーボールと呼ばれ、健常者のようにボールを打ち上げるのではなくネットの下をくぐらせる方法でプレイする。ゲームでは弱視者の後衛3人と全盲生(またはアイマスクをつけた人)の前衛3人によって行い、後衛が前衛に声で指示しながらプレイするなど、内容的にかなりの創意工夫がなされている。盲学校などの特殊学校(2007年4月よりは特別支援学校)では、自立活動という教科が障害の特性に応じて設置されている。盲学校では自立活動の時間に生徒の障害の特性や程度に応じて、点字の指導、白杖歩行の訓練、弱視者への拡大読書器などの障害補償機器の指導、卒業後の生活自立へ向けての生活訓練などをおこなっている。
[編集] 盲学校の職業教育
日本では数百年の永きに亙って、盲人の職業として、鍼と按摩が受け継がれてきた。鍼・按摩は、学問といよりも職人的な技芸であるため、戦前は徒弟制度によって術者が養成されていた。
しかし戦後、「あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師・柔道整復師等に冠する法律」が施行され、はり師、マッサージ師として就業するためには、2年(現在は3年)の専門教育と国家試験が課せられるようになったため、これに対応する形で、職業課程の「理療科」が設置された。
理療科は、高卒後3年で、鍼灸マッサージ師の国家試験受験資格を得る専攻科理療科と、あん摩マッサージ指圧師だけの受験資格を得る保健理療科がある。
理療科という名前は、薬物や外科手術でない、物理的な刺激療法という意味であるが、盲学校だけのことばで、また、理学療法士(いわゆるリハビリテーションの技術者)と紛らわしいため、言い換えを求める意見が多い。
一部の盲学校には、盲人の伝統的な職業である箏曲の演奏家等を養成する音楽科、理学療法士を養成する理学療法科が設置されてところがある。
[編集] 盲学校と寄宿舎
盲学校が普通学校と一番違うところは、(横浜市立盲学校、神戸市立盲学校を除く)大半の盲学校に寄宿舎が併設されていることである。盲学校は1都道府県に1,2カ所と少ない場合がほとんどで自宅からの通学が困難な児童生徒が多く、また視覚障害者が十分に訓練を受けないと、電車やバスを乗り継いで通学するのが困難なことによる。盲学校の新入児童生徒には、衣服の着脱、歯磨きや入浴など、日常の所作が十分にできない者も多く、そうしたことを教えるのは寄宿舎の寄宿舎指導員の仕事になっている。
[編集] 盲学校のことが書かれている文芸作品
虹の輪 (遠浜 々著、文芸社)
[編集] 関連項目
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