鉄道唱歌
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鉄道唱歌(てつどうしょうか)は、明治時代に作詞された鉄道の数え歌。全5集、334番からなる。第1集東海道編第1番の歌詞である、「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり……」は広く知られている。
長らく日本一歌詞が長い歌だったが、1987年に発表された『石坂まさを一人旅して─全国我が町音頭』(県別編・市町村編合わせて3355番)が記録を大幅に塗り替えた。
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[編集] 経緯
1900年(明治33年)5月10日の第1集東海道篇を始め、この年の年末までに全5集が発表された。詞はいずれも大和田建樹によるもので、曲は第1集・第2集が多梅稚と上眞行、第3集が多梅稚と田村虎蔵、第4集が納所辨次郎と吉田新太、第5集は多梅雅が2種といったように、各曲に2つずつつけられた。これは「鉄道唱歌」が書籍の形式で販売されたので、「読者に好きな方を歌ってもらおう」という大和田建樹の配慮だったといわれている。だが第1集から第3集、そして第5集の曲の1つであった多梅稚のそれが、余りにもテンポがよく旅情がそそられるといった事情のためか広く歌われるようになって、他の方の曲はほとんど歌われなくなってしまった。現在知られているのはもちろん多梅稚の曲である。
「地理教育鐵道唱歌」と銘打たれているように、元々は子供の地理の学習のために作られた曲であった。膨大な詞の中に沿線の地理や歴史、民話や伝説、名産品の紹介を折り込んだこの曲は、大人の間でも人気となった。そのため、発表直後から模倣作品が多く製作された。
なお東京都千代田区の交通博物館(2006年5月閉館)には、大和田建樹直筆の鉄道唱歌第一番の歌詞が飾られていた。また、この交通博物館の最終営業日の閉館時には、この歌を歌い閉館を惜しむ人たちが見られた。大和田建樹の直筆書はこののち鉄道博物館に引き続き飾られる予定である。
[編集] 内容
歌詞の方は基本的に沿線に沿って七五調で順々に詠っているが、沿線に作者(大和田建樹)の好んだ場所や歴史的な場所のようなところがある場合、またその路線の終点の場合などは、そこに多く歌詞を割り当てたりしていることがある。
- 第1集では「鎌倉」・「近江八景」・「京都」・「大阪」・「神戸」、第2集では「厳島」・「関門海峡」・「太宰府天満宮」・「熊本」・「長崎」、第3集では「日光」、第4集では「新潟」・「佐渡島」・「金沢」、第5集では「伊勢」・「吉野山」・「和歌山」、といった所などがそれに該当する。
各集の歌い始めは以下のようになっており、いずれも旅立ちの印象を強く読者に与えるものとしていた。
- (第1集1番)汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として
- (第2集1番)夏なお寒き布引の 滝のひびきをあとにして 神戸の里を立ちいずる 山陽線路の汽車の道
- (第3集1番)汽車は烟を噴き立てて 今ぞ上野を出でてゆく ゆくえは何く陸奥の 青森までも一飛に
- (第4集1番)車輪のひびき笛の声 みかえる跡に消えて行く 上野の森の朝月夜 田端は露もまださむし
- (第5集1番)汽車をたよりに思い立つ 伊勢や大和の国めぐり 網島いでて関西の 線路を旅の始にて
なお第3集と第4集は、上野駅から大宮駅に至る区間で重複しているが、それぞれにおいて歌う場所をずらすなどの配慮をし、特色を持たせてある。
第1集~第4集のそれぞれ最後にあたる部分では、急速に発達した鉄道網に対して賞賛する歌詞が見られる。以下は具体的なそれである。
- (第1集65番)おもえば夢か時のまに 五十三次はしりきて 神戸のやどに身をおくも 人に翼の汽車の恩
- (第2集67番)前は海原はてもなく 外つ国までもつづくらん あとは鉄道一すじに またたくひまよ青森も
- (第3集63番)むかしは鬼の住家とて 人のおそれし陸奥の はてまでゆきて時の間に かえる事こそめでたけれ
- (第3集64番)いわえ人々鉄道の ひらけし時に逢える身を 上野の山もひびくまで 鉄道唱歌の声立てて
- (第4集72番)おもえば汽車のできてより 狭くなりたる国の内 いでし上野の道かえて いざやかえらん新橋に
[編集] 附録・関連作品
附録として第2集に「松島あそび」、第5集に「奈良めぐり」が付いている。
またその後、鉄道唱歌に倣って各地の鉄道を歌った歌(「豆相鉄道唱歌」・「沖縄県鉄道唱歌」・「東京地理教育電車唱歌」など)が発表された。
大和田建樹自身も、その後「鉄道唱歌」の改訂版といえる「東海道唱歌」・「山陽線唱歌」・「九州線唱歌」や、北海道を歌った「北海道唱歌」、伊予鉄道を歌った「伊予鉄道唱歌」、大阪市電を歌った「大阪市街電車唱歌」、大韓帝国の鉄道・南満州鉄道を歌った「満韓鉄道唱歌」などを作成している(詳細は後述)。
また、昭和期には「鉄道唱歌」に倣う形で「新鉄道唱歌」が作成されている。これには「日本放送協会編」と「鉄道省編」の2種類がある。鉄道省編は1929年に応募曲として発表され、日本放送協会編は1937年に国民歌謡の一つとして作られた。
[編集] 使用例
鉄道唱歌は、国鉄時代から特急・急行列車の車内放送の前に流す車内チャイムの一つとして使用されている。JR西日本では紀勢本線の特急「くろしお」号の天王寺駅到着前や、上野駅~金沢駅の急行「能登」号でオリジナルの鉄道唱歌が車内チャイムで使用されている。また、2002年6月からは品川駅開業130周年を記念し同駅東海道線ホーム(5・6・11・12番線)の発車メロディとして採用されている。
なお『ズームイン!!朝!』(日本テレビ放送網)では、この鉄道唱歌の歌詞と同じルートで旅をする特集が組まれた(ただし、前述した「北海道唱歌」も鉄道唱歌の曲に載せて歌い込んでいた)。
NHKのテレビ番組『クインテット』には、山手線の全駅をこのメロディーに乗せて歌うコーナーがある。コーナー名は「鉄道唱歌 山手線」。詳細は番組の項目を参照。また、同局で放送されていた番組『ハッチポッチステーション』でも、この曲をアレンジしたメロディが流れていた(音色は三味線っぽい)。
この他、キリスト教の聖書の順番を覚える歌(通称・そうしゅつレビみん)においても、多梅雅による鉄道唱歌の曲が流用されている。
またこの歌は、太平洋戦争前に日本が朝鮮を統治していたことや満州に影響を与えていた関係もあってか、それらの地域にも伝わっている。現地では曲だけが流用されて歌詞は別のものが付けられ、全く異なる意味の歌となっている物が多い。
韓国では「学徒歌」と称し、学生啓蒙の歌となっている。モンゴルでは「人類」の題で、女性解放を唱えた歌になっている。
[編集] 各編概要
集 | 篇 | 初版発行日 | 作曲者 | 路線 | 番数 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 東海道篇 | 1900年5月10日 | 多梅雅・上真行 | 東海道本線(新橋駅→神戸駅(国府津駅→沼津駅は現在の御殿場線)) 横須賀線(大船駅→横須賀駅)) |
66 |
2 | 山陽・九州篇 | 1900年9月3日 | 多梅雅・上真行 | 山陽本線(神戸駅→三田尻駅(現: 防府駅)) 鹿児島本線(門司駅(現: 門司港駅)→八代駅) 日豊本線(小倉駅→宇佐駅(現: 柳ヶ浦駅)) 長崎本線(鳥栖駅→(長与経由)→長崎駅(肥前山口駅→諫早駅は現在の佐世保線・大村線)) |
68 |
3 | 奥州・磐城篇 | 1900年10月13日 | 多梅雅・田村虎蔵 | 東北本線(上野駅→青森駅) 常磐線(仙台駅→岩沼駅→田端駅(三河島駅→田端駅は現在田端貨物線となったルートを経由)→上野駅) |
64 |
4 | 北陸篇 | 1900年10月15日 | 納所辨次郎・吉田信太 | 高崎線・信越本線(上野駅→高崎駅→直江津駅→沼垂駅(現在貨物駅)) 両毛線(高崎駅→前橋駅→足利駅) 北陸本線(富山駅→米原駅) |
72 |
5 | 関西・参宮・南海篇 | 1900年11月3日 | 多梅雅 | 片町線・関西本線(網島駅(京橋駅の北西にあった。1913年廃止)→新木津駅(木津駅の近くにあった。現在廃止)→亀山駅→名古屋駅) 奈良線(新木津駅→木幡駅) 紀勢本線・参宮線(亀山駅→津駅→山田駅(現:伊勢市駅)) 関西本線・桜井線・和歌山線(加茂駅→奈良駅→高田駅→柏原駅,高田駅→橋本駅,粉河駅→和歌山駅(現:紀和駅) 南海本線(和歌山北口駅(現:紀ノ川駅)→難波駅) |
64 |
(路線名は現在の名称による。抜けている区間は当時未開通だった区間である)
[編集] 大和田建樹による鉄道唱歌の関連作品
名称 | 初版発行日 | 作曲者 | 路線 | 番数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
松島船あそび | 1900年10月 | 奥好義 | 名勝地松島を歌う | 4 | 鉄道唱歌第3集附録 |
奈良めぐり | 1900年11月 | 目賀田万世吉 | 奈良の名所巡り | 8 | 鉄道唱歌第5集附録 |
満韓鉄道唱歌 | 1906年 | 天谷秀 | 関釜連絡船(下関駅→釜山駅) 韓国鉄道京釜線(釜山駅→京城駅(現:ソウル駅)) 韓国鉄道京義線(京城駅→新義州駅) 南満州鉄道安奉線(安東駅(現:丹東駅)→奉天駅(現:瀋陽駅)) 南満州鉄道満州本線(奉天駅→大連駅) |
60 | 第二次日韓協約で日本の保護国となった大韓帝国の鉄道と、日露戦争で日本が利権を得た満州における鉄道(南満州鉄道)を歌いこんだ |
北海道唱歌 南の巻 | 1906年8月 | 田村虎蔵 | 函館本線(函館駅→小樽駅) | 20 | |
北海道唱歌 北の巻 | 1907年6月 | 田村虎蔵 | 函館本線(小樽駅→旭川駅) 室蘭本線(岩見沢駅→室蘭駅) 石勝線(追分駅→夕張駅) |
20 | |
阪神電車唱歌 | 1908年 | 田村虎蔵 | 阪神本線(梅田駅→加納町駅(神戸市、1933年廃止)) | 22 | 阪神電気鉄道の宣伝を兼ねて作成 |
大阪市街電車唱歌 | 1908年7月 | 田村虎蔵 | 大阪市電(梅田→天保山) | 21 | 当時の大阪市における名所を、市電を用いて歌いこんだ |
伊予鉄道唱歌 | 1909年1月 | 田村虎蔵 | 伊予鉄道高浜線(高浜駅→松山駅(現:松山市駅)) 伊予鉄道横河原線(松山駅→横河原駅) 伊予鉄道森松線(廃線、立花駅(現:いよ立花駅)→森松駅) 伊予鉄道郡中線(松山駅→郡中駅) 伊予鉄道城北線(後半廃線、古町駅→木屋町駅→道後駅(現:道後温泉駅)) |
25 | 伊予鉄道の開業20周年を記念して作成された |
東海道唱歌 | 1909年1月 | 田村虎蔵 | 東海道本線(新橋駅→京都駅(国府津駅→沼津駅は現在の御殿場線)) 横須賀線(大船駅→横須賀駅)) |
50 | 後述する「山陽線唱歌」・「九州線唱歌」と共に、「汽車」3部作として「鉄道唱歌」の改訂版の意味も兼ね作成 |
山陽線唱歌 | 1909年10月 | 田村虎蔵 | 山陽本線(神戸駅→下関駅) | 52 | 「鉄道唱歌」第2集作成の翌年に全通した山陽本線を全て歌いこんだ |
九州線唱歌 | 1909年10月 | 田村虎蔵 | 鹿児島本線(門司駅(現:門司港駅)→鹿児島駅(八代駅→鹿児島駅は現在の肥薩線・日豊本線)) 日豊本線(小倉駅→宇佐駅(現: 柳ヶ浦駅)) 長崎本線(鳥栖駅→(長与経由)→長崎駅(肥前山口駅→諫早駅は現在の佐世保線・大村線)) |
54 | 1901年に鹿児島までが全通した鹿児島本線を中心に、九州の鉄道路線を歌いこんだ |