福岡県立修猷館高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福岡県立修猷館高等学校 | |
過去の名称 | 福岡県立修猷館 福岡県中学修猷館 福岡県立中学修猷館 福岡県立高等学校修猷館 |
国公私立の別 | 公立学校(県立) |
設置者 | 福岡県教育委員会 |
創立記念日 | 5月30日 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | なし |
分校 | なし |
課程 | 全日制の課程 |
二部以上の授業 | なし |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科 |
学科内専門コース | なし |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒814-8510 |
福岡県福岡市早良区西新6丁目1番10号 | |
電話番号 | 092-821-0733 |
FAX番号 | 092-822-6564 |
外部リンク | 公式サイト |
福岡県立修猷館高等学校(ふくおかけんりつしゅうゆうかんこうとうがっこう)は、日本の福岡県福岡市早良区にある男女共学の公立(県立)高等学校である。九州屈指の進学校として有名。
一般的な略称は修猷館(しゅうゆうかん)、または修猷(しゅうゆう)。修猶館(高等学校)の表記は正式表記ではないが、「猷」の字の入力が困難であるため代用表記として多く用いられる。
アイザック・ニュートンのリンゴの木の子孫が敷地内に植えられている。
目次 |
[編集] 学校概要
修猷館の名は尚書「微子之命」の章句、「践修厥猷」(湯王の道を踏み修む)から取られた。同県の第七学区に属し、第五学区の福岡県立福岡高等学校、第六学区の福岡県立筑紫丘高等学校と共に「御三家」と称されることがある。県下有数の進学校として知られるが、校風は自由であり、生徒に学校運営をほぼ委ねる自治を認めている。有名な部活動としては、ラグビー部、陸上部、ヨット部、新聞部、ディベート部などがある。
校長を館長、校歌を館歌、校旗を館旗と称する。
なお、九州で、1784年(天明4年)設立の修猷館より以前に設立された学校で現在まで存続しているのは、1670年(寛文10年)設立の五教館(ごこうかん、現・長崎県立大村高等学校)、1758年(宝暦8年)設立の思永斎(現・福岡県立豊津高等学校)、1783年(天明3年)設立の明善堂(現・福岡県立明善高等学校)の3校であり、大変歴史のある学校である。しかしながら実際のところは沿革を見ればわかるように藩校修猷館が1871年に一度廃止された後に、福岡藩の第11代藩主黒田長溥侯爵と、卒業生で 当時 元老院権大書記官であった金子堅太郎及び福岡の旧藩士と県との協議の末、福岡県立修猷館が1885年に設立・再興されたのであり、実質的には名称が引き継がれただけで 1885年に設立された福岡県立修猷館に端を発する、と考えることもできる。
なお、再興された修猷館の初代・第四代館長である隈本有尚は、夏目漱石の小説「坊っちゃん」に出てくる数学教師・山嵐(堀田)のモデルとされており、第四代館長在任中の1897年(明治30年)には、当時まだ旧制第五高等学校講師であった漱石が英語授業の視察で修猷館を訪れ隈本館長に面会している。ちなみに、隈本有尚は夏目漱石と正岡子規、秋山真之の東京大学予備門(旧制第一高等学校の前身)時代の数学教師である。
[編集] 沿革・歴史
- 1784年2月6日 福岡藩の藩校として修猷館(東学問稽古所)開館
- 1784年2月19日 同じく福岡藩の藩校として甘棠館(西学問稽古所)開館
- 1798年2月 甘棠館焼失。生徒は皆修猷館に編入。
- 1871年10月25日 藩校を廃止。(後の1874年 福岡県はこの地に診療所を設置した。これが九州大学の起源となる。)
- 1879年1月 向陽社(後の玄洋社)により向陽義塾設立
- 1881年1月10日 向陽義塾(同年1月7日閉校)を引き継ぎ、黒田家により藤雲館開館。
- 1885年1月 黒田長溥侯爵,金子堅太郎と福岡の旧藩士の尽力により修猷館を再興することが決定
- 1885年5月30日 福岡県令より、英語専修学校である福岡県立修猷館の設置が告示される(同日を創立記念日としている)。
- 1885年9月10日 福岡県立修猷館を開館。開館式を行う。黒田家の寄付により藤雲館の校舎・什器一切を引き継ぐ。
- 1889年3月15日 かつての藩校修猷館跡である大名町堀端に移転
- 1894年12月 六光星の徽章を制定
- 1899年4月 中学校令改正のため、新年度より福岡県中学修猷館と改称。
- 1900年7月17日 大名町から西新町(現在の場所)へ移転
- 1901年4月 新年度より福岡県立中学修猷館に改称。
- 1923年 館歌制定
- 1925年4月 新年度より福岡県中学修猷館に再度改称。
- 1945年6月19日 福岡大空襲により大きな被害を被る。
- 1948年4月 新年度より学制改革により高等学校となり、福岡県立高等学校修猷館に改称。
- 1949年4月 新年度より男女共学となる。
- 1949年8月 福岡県立修猷館高等学校(現校名)に改称。
- 1979年3月 学校正面の六光星(徽章)落下。同年6月に修復。
- 1985年 創立200周年記念事業開始(~1987年)。同年4月 菁莪堂(正しくは菁莪記念館)竣工。
- 2002年4月 文科省よりスーパーサイエンスハイスクールの指定を受ける。
[編集] 教育組織
[編集] 教育方針
[編集] 学校生活
生徒による大幅な自治が認められており、校則は存在しないが、生徒心得という明文化されたルールが存在する。一部には「生徒心得は校則である」とする考え方があるが、大多数の在校生はそうではないという立場を取っているように見受けられる。校内での携帯電話の所持・使用が認められていることなど福岡県内の他校と比較すると大変規則は緩やかであるが、私服登校やオートバイ通学は認められていない。また、部活動への入部率が高く、文化部の兼部が可能である。
[編集] 制服
男子は一般的な黒色の学生服。女子は後の襟の両側に六光星の模様が入ったセーラー服。
[編集] 学校行事
[編集] 修猷2大行事
外部に広く公開される大規模な学校行事は年に1回ずつ存在する。いずれも企画立案段階から各行事における運営委員会が設置され、生徒主体の運営が行われる。
- 修猷大文化祭
- 毎年6月上旬頃の土曜・日曜の連日に開催。例年、一般公開されている。内容は大別すると各クラスが一体となって展示を行うクラス展示、文化的な部活動(茶道部・ディベート部・文芸部など)が部活動の内容を紹介するあるいは部活動に関連した内容の展示を行う文化部展示、バンド・歌・ダンスなど有志が中心となっておこなわれる文化祭有志という3形態がある。特に3年文系クラスが主に行う演劇は毎年レベルが高く、これを目当てで訪れる一般客も少なくない。
- 修猷大運動会
- 毎年9月上旬の日曜日に単日開催。例年、一般公開されている。全校生徒約1200人、30クラスをおおよそ300人ずつ、7クラス~8クラスの赤・青・黄・白の4ブロックに分け、各競技を競う。また4ブロックとは別に運動会全体の企画・準備・当日の進行(審判や救護なども含む)を担当する、運営委員会(緑ブロック)が有志により組織されている。運営委員はその業務の性質から、または公正を期すため、一般競技に参加しないことが多い。ただ、リレー競技など一部競技においては緑ブロックとして正式に出場することもある。運営委員会の一部の部署に運営補佐(黄緑)が存在する。運営補佐のうち、常駐は一般競技に参加しない。常駐でない補佐は、いくつかの一般競技に参加することもできる。
- 特筆すべきはブロックの運営法であり、各ブロックとも3年生が中心となって生徒主体の運営を行っていく。それぞれ生徒代表として選出された「ブロック長」1名と「大幹」(注)30名程度が配置され、彼らが運動会までの数ヶ月間、ブロック単位で行われる企画・準備作業や各競技の練習を統括していく。また、競技そのものは一般的な種目が多いが、騎馬戦において実際に落とし合う大将落とし形式を採用していること、タンブリングにおいて7段ピラミッド、4タワーを採用していること、以上二点が特筆すべき事項としてあげられる。
- 注…「大幹」は大幹部の略である。各ブロックとも主要競技ごと(例:タンブリング長)に配置され、各々担当分野を統括する。
- タンブリング
- 各ブロックの男子全員が参加する組体操のような種目。4ブロックが得点を対抗する形式で行なわれる。必ずテーマがあり、そのテーマに沿ったストーリーを表現していく。3部構成となっており、2部で4タワー、3部で7段ピラミッドを立て締めくくる形が主流となっている。8段以上のピラミッド、5段以上のタワー以外であれば基本的に何を作ってもよく、3タワーが回転したり、4タワーの周りでピラミッドを歩かせたりと奇抜な技も多い。
[編集] その他の行事
上記の他にも、代表的な行事としてクラスマッチ、予餞会、十里踏破遠足が存在する。いずれの行事も執行部が企画・運営する。
- クラスマッチ
- いわゆるスポーツ大会である。サッカー、バスケット、ドッジボールなど、さまざまな競技をクラス対抗で行う。かつては水泳等も行われていたようである。1学期末テスト終了後、夏休み直前に2日間行われる。一般には公開されない。
- 予餞会
- 『3年生を送る会』ともいえる行事で、1月下旬、修猷独自の対話形式で行われる。3年生は様々な思いを後輩に伝え、1、2年生は先輩への最後の言葉を贈る。会終了後1、2年生は応援歌の『玄南の海』で3年を送り出す。この行事は全校生徒が参加する最後の行事でもある。
- 十里踏破遠足
- 十里行軍とも呼ばれる。文字通り十里(約40km)をひたすら歩く行事である。毎年2月上旬ごろに開催されるため、基本的に3年生は不参加で、1、2年生計約800人が参加する。ただし、ここ数年、3年生からも毎年数人が参加している。毎年コースは変更されるが、主に糸島半島周辺で行われることが多い。よく開催される地方の住民には「今年もがんばって」等の声をかけられることもある。一般生徒が私服であるのに対し、応援部は長ラン+素足+下駄で、さらに団旗を絶対地面につけてはいけない等ルールが存在する。十里を歩き終わった後に応援部主導で館歌(校歌)、応援歌を熱唱する。
[編集] 通学手段など
- 生徒の主な通学手段
- 最寄り鉄道駅など:
[編集] 著名な卒業生
[編集] 政治家
- 広田弘毅 第32代内閣総理大臣 城山三郎「落日燃ゆ」主人公
- 金子堅太郎 大日本帝国憲法起草 第二次・第三次伊藤内閣農商務大臣 第四次伊藤内閣司法大臣 枢密顧問官 日本法律学校(現日本大学)創立・初代校長 日露戦争における対米世論工作に尽力 従一位大勲位菊花大綬章
- 平岡浩太郎 玄洋社初代社長
- 安部磯雄 社会主義者 社会大衆党初代委員長 同志社教授 東京専門学校(現早稲田大学)教授 早稲田大学野球部創設 日本野球殿堂特別表彰(1959年)
- 緒方竹虎 吉田内閣副総理 自由党総裁 内閣官房長官 元朝日新聞主筆 緒方貞子の義父
- 中野正剛 政治家 早稲田大学における「天下一人を以て興る」の演説 大政翼賛会総務 国民同盟結成 東方会結成
- 三輪寿壮 社会運動家 弁護士 日本労農党初代書記長 岸信介の一高、東大からの親友(東京裁判では弁護人も務めた) ゾルゲ事件の尾崎秀実の官選弁護人
- 阿部源蔵 元福岡市長 元インドネシア・スラバヤ市長(内務省官僚)
- 広瀬正雄 第三次佐藤内閣郵政大臣 元日田市長 儒学者廣瀬淡窓の末裔(広瀬家第10代当主) 広瀬貞雄(元富士紡績社長)、広瀬勝貞(大分県知事)、広瀬道貞(テレビ朝日会長)の父
- 楢崎弥之助 政治家 元社会民主連合書記長 国会の爆弾男 勲一等旭日大綬章
- 山崎拓 元自由民主党幹事長・元副総裁 近未来政治研究会会長
- 赤間文三 元大阪府知事 佐藤内閣法務大臣 大阪湾防波堤建設 千里ニュータウン建設決定
- 荒巻禎一 元京都府知事 京都文化博物館館長
- 山崎広太郎 前福岡市長 元衆議院議員
- 桑原敬一 元福岡市長 元労働事務次官
- 土肥隆一 衆議院議員 元民主党副幹事長 元民主改革連合代表
- 原田義昭 衆議院議員 中退・都立小山台高へ
- 笠浩史 衆議院議員
- 吉村剛太郎 参議院議員
- 中村隆象 古賀市長
[編集] マスコミ
- 福本日南 (本名:福本誠) ジャーナリスト 政治家 史論家 陸羯南・古島一雄らと新聞「日本」創刊 九州日報(西日本新聞の前身)第二代社長(初代は頭山満) 衆議院議員 「元禄快挙録」において現在の忠臣蔵のスタイルを確立 中央義士会設立
- 高原操 元大阪朝日新聞取締役編集局長 「普選と軍縮の高原」
- 大西斎 元東京朝日新聞論説委員 元東亜問題調査会常任幹事
- 香月保 元朝日新聞編集局長・ロンドン支局長 元田川市長 修猷館の同級生赤間文三と大阪府知事選を争う(1947年)
- 笠信太郎 元朝日新聞社論説主幹 元大原社会問題研究所専任研究員 「ものの見方について」「花見酒の経済」の著者
- 益田豊彦 元朝日新聞代表取締役・元論説委員
- 箱島信一 朝日新聞社取締役相談役・元社長 元日本新聞協会会長
- 伊藤正孝 元朝日ジャーナル編集長 元朝日新聞社編集委員
- 中野達雄 元読売テレビ会長
- 白根邦男 スポーツニッポン社長
- 渡辺俊介 日本経済新聞社論説委員
- 松原耕二 TBSニューヨーク支局長 元TBSニュースキャスター 元TBSニュースの森編集長
- 山本周 フジテレビ報道局政治部長 フジテレビ「ニュースJAPAN」コメンテーター
- 音成正人 NHKチーフプロデューサー
- 真崎理香 NHK国際放送局制作センターチーフディレクター
- 青木裕子 NHKラジオセンターチーフアナウンサー
- 堤信子 日本テレビ「ズームイン!!朝!」元レポーター「のんちゃん」 フリーアナウンサー TBSテレビ「はなまるマーケット」ほか
- 大坪千夏 元フジテレビアナウンサー
- 茅野正昌 RKBアナウンサー
- 草柳悟堂 九州朝日放送元アナウンサー 報道部所属
- 谷口慎一郎 NHKアナウンサー
[編集] 財界
- 團琢磨 三井合名会社理事長 三井財閥の総帥 日本工業倶楽部設立・初代理事長 作曲家團伊玖磨の祖父
- 安川第五郎 元安川電機社長 元九州電力会長 日本原子力発電初代社長 日本原子力研究所初代理事長 日本原子力産業会議初代会長 東京オリンピック組織委員会会長 勲一等旭日大綬章
- 高木幹夫 元東京海上火災保険社長
- 原吉平 ユニチカ初代会長 元大日本紡績社長 女子バレーボールチーム「東洋の魔女」(ニチボー貝塚)を育成 元日本貿易振興会(ジェトロ)理事長
- 有吉新吾 元三井鉱山会長 元日本石炭協会会長
- 岡誠 元ケンウッド社長
- 高岩淡 東映取締役会長 日本アカデミー賞協会会長
- 藤吉敏生 日刊工業新聞会長
- 横瀬一郎 三菱商事顧問・元常務取締役
- 可児晋 三菱商事顧問・元常務取締役・元関西支社長
- 中山悠 明治乳業会長 元日本乳業協会会長
- 西村英俊 双日(旧日商岩井)初代社長 日中経済協会専務理事
- 鳥飼一俊 熊谷組会長 世界一の超高層ビル「TAIPEI101」(508m)建設(2004年)
- 和才博美 NTTコミュニケーションズ社長 NTTレゾナント社長 元日本電信電話(株)副社長 全国地域情報化推進協会会長
- 牧文一郎 損保ジャパン副社長
- 井出明彦 三菱マテリアル社長 セメント協会会長
- 長谷川閑史 武田薬品工業社長
- 大須賀賴彦 小田急電鉄社長
- 三井信雄 元米IBM副社長 元日本IBM副社長 修猷館無線部部長時代に九州初のテレビ受像機の製作に成功・文部大臣賞受賞(1949年)
- 久水宏之 経済評論家 元日本興業銀行常務取締役
- 藤野宏 栗田工業社長
- 松尾修吾 元ソニー・ミュージックエンタテインメント会長 元日本レコード協会会長 国立科学博物館監事
- 芦塚日出美 九州電力副社長
- 橋田紘一 九州電力常務取締役
- 伴拓郎 都市再生ファンド運用株式会社代表 元共立株式会社社長
- 原恒樹 ジャスダック常勤監査役
- 出光豊 新出光会長
- 出光芳秀 新出光社長
- 大城金夫 元東京湾横断道路株式会社社長(東京湾アクアライン開通当時)
- 中山眞 安川電機取締役会長
- 広瀬貞雄 元富士紡績社長 儒学者廣瀬淡窓の末裔(広瀬家第11代当主)
- 石黒正大 東京ガス副社長
- 秋山英一 元ロッテ百貨店副社長 日本式接客を導入することによりロッテ百貨店を韓国ナンバーワン百貨店に導く 「韓国百貨店業界の父」
- 小原健史 嬉野温泉和多屋別荘社長 全国旅館生活衛生同業組合連合会(全旅連)会長
[編集] 学界
- 寺尾寿 天文学者 近代日本天文学の祖 東京帝国大学理学部星学科教授 日本天文学会初代会長 東京天文台(国立天文台の前身)初代台長 東京物理学校(現東京理科大学)創立・初代校長
- 寺尾亨 法学者 東京帝国大学法科大学教授 東京帝国大学に初めて国際法の講座を開く 日露戦争開戦前に対露強硬論(主戦論)を唱えた七博士の一人 頭山満らと孫文、インド独立運動の志士ラース・ビハーリー・ボースの亡命を援助 寺尾寿の弟
- 松井元興 第10代京都帝国大学総長 第5代立命館大学学長 物理化学者 日本物理化学研究会初代会長
- 田中耕太郎 法学者 吉田内閣文部大臣(教育基本法を起草) 元最高裁判所長官 元国際司法裁判所判事 東京帝国大学法学部長 正二位大勲位菊花大綬章 文化勲章(1960年)
- 藤井甚太郎 歴史学者 文部省維新史料編纂官 法政大学名誉教授 元日本歴史地理学会会長
- 後藤格次 元東京大学農学部教授 元日本農芸化学会会長 学士院恩賜賞(1949年) 北里柴三郎・鈴木梅太郎の門下
- 松月秀雄 元東京理科大学学長 文学博士
- 関嘉彦 社会思想史家 東京都立大学名誉教授 元参議院議員
- 桑木務 哲学者(現象学) ハイデガー「存在と時間」の翻訳で知られる 中央大学名誉教授
- 和田光史 元九州大学総長 九州大学農学部名誉教授 元土壌肥料科学会会長
- 不破敬一郎 東京大学名誉教授 国連大学顧問 日立環境財団理事 元国立環境研究所所長 元日本分析センター会長
- 興膳宏 京都大学文学部名誉教授 元京都国立博物館館長 元日本中国学会理事長 六朝学術学会副会長
- 荒木尚志 東京大学法学部教授 労働法
- 後藤晃 東京大学先端科学技術研究センター教授 元東京大学先端経済工学研究センター長
- 勝木元也 自然科学研究機構基礎生物学研究所所長
- 瀬尾和大 東京工業大学教授 工学地震学
- 小島朋之 慶應義塾大学総合政策学部長 中国政治 霞山会理事 元アジア政経学会理事長
- 田中素香 中央大学経済学部教授 EU研究の第一人者 日本EU学会理事長 日本国際経済学会副会長
- 中川八洋 筑波大学国際総合学類教授 国際政治学
- 高西淳夫 早稲田大学理工学部教授 ロボット研究の第一人者 ロボット産業振興会議副会長
- 西村幸夫 東京大学工学部教授 都市工学
- 下田正弘 東京大学文学部教授 インド哲学 仏教学
- 井尻秀憲 東京外国語大学外国語学部教授 国際関係論
- 大宅憲一 東北芸術工科大学未来デザイン学系/情報計画コース教授 福岡市の都市戦略、地域活性化事業に関わる
- 佐藤英明 神戸大学大学院法学研究科教授
- 糸瀬茂 エコノミスト 元宮城大学事業構想学部教授
- 内田交謹 北九州市立大学経済学部助教授
[編集] 医学界
- 古森善五郎 元ドイツ陸軍軍医少佐 大腿切断の重光葵を治療
- 清澤又四郎 元日本医師会副会長 元福岡県医師会長
- 高木健太郎 生理学の世界的権威 元名古屋大学医学部長 元名古屋市立大学学長 元参議院議員
- 陣内伝之助 元大阪大学医学部教授 脳外科の権威 拡大根治術術式を確立 外科手術における評価の規格化に貢献 胃癌研究会(現日本胃癌学会)を発足
- 柴崎浩 京都大学名誉教授 国際臨床神経生理学会連合理事長 元日本臨床神経生理学会理事長
- 田中雅夫 九州大学大学院医学系研究科臨床・腫瘍外科教授 日本膵臓学会理事長
- 木村彰方 東京医科歯科大学医学部 難治疾患研究所 教授
- 出雲正剛 ハーバード大学医学部内科教授 ノバルティスBioMedical Research社副社長 東大医卒
- 笹月健彦 国立国際医療センター総長 ヒトの免疫応答遺伝子と免疫抑制遺伝子を世界で初めて発見(1985年)
- 牛尾恭輔 国立病院機構九州がんセンター院長
- 友池仁暢 国立循環器病センター病院長
[編集] 官界
- 栗野慎一郎 初代駐フランス大使 外務省取調局長・政務局長・駐米公使・駐伊公使・駐仏公使を経て日露戦争開戦時の駐露公使 日露交渉打切りをロシアに通告 枢密顧問官 勲一等旭日桐花大綬章
- 添田壽一 大蔵次官 法学博士 日本興業銀行初代総裁 台湾銀行頭取 鉄道院総裁 貴族院議員 報知新聞社長
- 明石元二郎 第7代台湾総督 陸軍大将 日露戦争を有利に導くためロシア革命支援工作を画策 戦艦ポチョムキンの反乱
- 山座円次郎 外務省政務局長 駐英国大使館参事官 駐中国特命全権公使 日英同盟締結に尽力 日露戦争宣戦布告文を起草 「山座の前に山座なく、山座の後に山座なし」
- 安河内麻吉 内務次官(昭和2年) 静岡県知事、広島県知事、福岡県知事、神奈川県知事を歴任
- 山内確三郎 司法次官(大正10年) 東京控訴院院長(大正13年)
- 吉田美利 元駐ベルギー大使 元宮内庁式部官
- 原口初太郎 陸軍中将 陸軍砲工学校長 第5師団長 ワシントン会議随員 立憲政友会総務 元衆議院議員
- 藤吉晙 海軍中将
- 富田勇太郎 元大蔵省財務官
- 入江海平 拓務次官 朝鮮総督府理財課長 満鉄理事
- 石原雅二郎 山形県知事、千葉県知事を歴任(内務省官僚) 元中央大学教授 元津市長
- 日高信六郎 元駐イタリア大使 元駐支大使館参事官 元日本山岳会会長 モンブラン日本人初登頂(1921年)
- 守島伍郎 元駐ソ連特命全権公使 元外務省東亜局第一課長 元衆議院議員 東京裁判で広田弘毅の弁護人を務める
- 辻英雄 元福岡県副知事(内務省官僚) 元衆議院議員
- 鳥巣健之助 元海軍第6艦隊(潜水艦部隊)回天特攻担当参謀
- 松尾金蔵 元通産事務次官(城山三郎「官僚たちの夏」丸尾のモデル) 元日本鋼管会長
- 小山田隆 初代駐バングラディッシュ大使 元駐ニュージーランド大使
- 久保田勇夫 現西日本シティ銀行頭取 元国土事務次官(旧国土庁)
- 永井慎也 現駐アルゼンチン大使
- 伊藤哲朗 現警視総監 元皇宮警察本部長 元警察大学校長 元警察庁生活安全局長 東大法卒 42年卒
- 折田康徳 現群馬県警本部長 元熊本県警本部長
- 宮本雄二 現駐中国大使 元沖縄担当大使 元中国公使 42年卒
- 小川洋 元特許庁長官 元経済産業省産業技術環境局長 43年卒
- 洞駿 元国土交通審議官 元国土交通省航空局長 元自動車交通局長
- 中川勝弘 トヨタ副会長・前副社長 元通商産業審議官 通産省大臣官房長
- 吉武民樹 児童育成協会理事長 元厚生労働省年金局長 東大法卒 42年卒
- 吉戒修一 現静岡地方裁判所長 元法務省人権擁護局長 九大法卒 42年卒
- 佐渡島志郎 外務省アジア大洋州局審議官 元外務省アジア局中国課長 元外務省経済協力局参事官
- 筑紫勝麿 サントリー常務取締役 元大蔵省造幣局長
- 吉永國光 元国際協力事業団理事 元大蔵大臣官房参事官
- 竹田五郎 第12代統合幕僚会議議長
- 佐藤守 軍事評論家 平河総合戦略研究所理事 岡崎研究所特別研究員 元航空自衛隊空将
- 近藤重克 防衛庁防衛研究所統括研究官
- 山内豊徳 元環境庁企画調整局長(佐高信「官僚たちの志と死」で取り上げられる)
- 谷口博文 金融庁総務企画局審議官
- 並木徹 元通商産業省環境立地局長(通産技官) 元電源開発常務取締役 原子力発電技術機構理事長 元日本エネルギー学会会長
- 古川公毅 東京都道路公社理事長 元東京都建設局長
[編集] 法曹界
- 西嶋勝彦 弁護士 袴田事件弁護団長
- 羽田野節夫 弁護士 福岡県弁護士会会長
- 椿康雄 国際弁護士 椿総合法律事務所所長
- 中牟田博章 裁判官 福岡高等裁判所第1刑事部
- 岡田健 裁判官 佐賀地方裁判所唐津支部長
[編集] 文化
- 豊島与志雄 小説家 仏文学者 芥川龍之介、菊池寛らと第三次「新思潮」刊行 ユゴー「レ・ミゼラブル」の翻訳で知られる
- 梅崎春生 直木賞作家 「ボロ家の春秋」「桜島」
- 宇能鴻一郎 (本名:鵜野広澄) 芥川賞作家 「鯨神」
- 夢野久作 (本名:杉山泰道) 小説家 「ドグラ・マグラ」
- 和田三造 洋画家 「南風」 映画「地獄門」でアカデミー衣装デザイン賞受賞(1954年) 文化功労者(1958年)
- 児島善三郎 洋画家
- 中村研一 洋画家 「コタ・バル」
- 中村琢二 洋画家 日本芸術院賞(1963年)
- 寺田竹雄 洋画家 日本芸術院賞(1984年)
- 荒谷俊治 日本指揮者協会会長 元東京フィルハーモニー交響楽団指揮者
- 中村天風 日本初のヨガ行者 天風会創始者
- 西高辻信良 太宰府天満宮宮司 菅原道真の直系の子孫
- 芳田秀明 にっかつ撮影所監督
- 坂口寛敏 東京芸術大学美術学部絵画科教授
- 小阪修平 評論家(哲学・現代思想) 駿台予備学校論文科講師
- たまいまきこ (本名:玉井牧子) 漫画家
[編集] 芸能
- 八奈見乗児 (本名:白土繁満) 声優 俳優 「巨人の星」の伴宙太、「タイムボカン」のグロッキー、「ドラゴンボール」シリーズのナレーション、愛・地球博のマスコットキャラクター「モリゾー」などを担当
- 神田紅 (本名:戸井田(樋口)和子) 女流講談師
- 清水幸次 吉本興業専務取締役
- 林幸次郎 日本一のちんどん屋 ちんどん通信社代表 NHKドラマ「青空にちんどん」のモデル
- 神崎ちろ (本名:吉村羽津美) 声優 操演家
- 西本健一郎 世界旅行者 作家
- 松尾潔 音楽プロデューサー 作詞家 音楽ライター CHEMISTRY、平井堅、Skoop On Somebody等のプロデュースで知られる
- 髭男爵・ひぐち君 (本名:樋口真一郎) お笑い芸人
[編集] スポーツ
- 葉室鉄夫 ベルリンオリンピック競泳男子200m平泳ぎ金メダリスト(1936年) 国際水泳殿堂入り(1990年)
- 河野昭修 元西鉄ライオンズ一塁手 三原脩監督の元で1956年からの3年連続日本一に貢献
- 稲川誠 元大洋ホエールズ投手・コーチ 元横浜ベイスターズスカウト 王貞治の一本足打法のホームラン被弾1号(1962年)
- 坂井保之 プロ野球経営評論家 元西武ライオンズ・福岡ダイエーホークス球団代表
- 友池一寛 Jリーグアビスパ福岡社長