鎌倉学園中学校・高等学校
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鎌倉学園中学校・高等学校 | |
過去の名称 | 鎌倉中学校 鎌倉学園鎌倉中学校 鎌倉学園鎌倉高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 財団法人鎌倉学園 |
設立年月日 | 1253年11月22日 建長寺創建 1921年(大正10年)設立認可 |
校訓 | 礼義廉恥 |
教育方針 | 知徳体一体の教育 |
創立者 | 初代校長 富士川游(医学博士・文学博士) |
校長・理事長 | 校長 福井安正 教頭 竹内博之 理事長 高井正俊 総裁 吉田松蔭(臨済宗建長寺派管長) |
共学・別学 | 男子校 |
中高一貫教育 | 併設型 |
分校 | なし |
課程 | 全日制の課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 普通科 商業科(1982年廃止) |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒247-0062 |
神奈川県鎌倉市山ノ内110番地 | |
アクセス | #学園へのアクセス |
電話番号 | 0467-22-0994 |
外部リンク | 鎌倉学園公式ホームページ |
鎌倉学園中学校・高等学校(かまくらがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県鎌倉市にある中高一貫の私立男子校のひとつ。80年以上の歴史を有する伝統校でもあり(前身である宗学林、さらにその前身である修行寺も含めると、750年以上の歴史)、2001年に卒業生であるタレントの堺正章を招いて創立80周年式典を行った。知徳体一体の教育を理想とする教育方針(文武両道)を持つ。現在では宗教教育は一切なされていない(詳しくは#建長寺との関係を参照)。
目次 |
[編集] 名称について
中学校は「鎌倉学園中学校」、高等学校は「鎌倉学園高等学校」である。現在では、県立鎌倉高校と区別するため「かまがく」と略して呼ばれることも多い。ちなみに、甲子園出場時前後には、「鎌倉学園鎌倉高等学校」と呼ばれていた。今でも県立鎌倉高校を「けんかま」と呼ぶのはこの名残である。実際、1921年の設立当初は「鎌倉中学校」であった。
[編集] 沿革
- 1253年(建長5年) 鎌倉幕府五代執権北条時頼が日本最初の禅の専門道場として建長寺を創建。
- 1886年(明治19年) 前身となる宗学林の設立。
- 1921年(大正10年) 財団法人鎌倉中学校設立認可。
- 1947年(昭和22年) 新制中学校設置認可、財団名を鎌倉中学校から鎌倉学園に変更。
- 1948年(昭和23年) 学校名を財団法人鎌倉中学校から財団法人鎌倉学園鎌倉中学校に変更、財団法人鎌倉学園鎌倉高等学校を設置認可。
- 1951年(昭和26年) 学校法人鎌倉学園認可。
- 1952年(昭和27年) 高等学校に商業課程を併設。
- 1971年(昭和46年) 創立50周年式典挙行。
- 1975年(昭和50年) 学校名を鎌倉学園中学校・高等学校に変更。
- 1981年(昭和56年) 創立60周年式典挙行。
- 1982年(昭和57年) 商業課程の募集を廃止。
- 1987年(昭和62年) 中高一貫教育を開始。
- 1991年(平成3年) 創立70周年式典挙行。
- 2001年(平成13年) 創立80周年式典挙行。
[編集] 校歌
「鎌倉学園校歌」
- 作詞 小林好日(3代校長)
- 作曲 松島彜(学習院大学教授・作曲家)
- その他、「鎌倉学園応援歌」が別に存在する。
- 校歌・応援歌は戦前に作詞されたので、軍事色が強い。しばしば議論の対象になっている。
[編集] 校風
- 自由放任であり、スポーツマン、典型的なガリ勉、オタクをはじめ、高校生プログラマーやバンドマンまで多種多様な生徒がいる。いわゆる不良は少なく、各々が平和に生活している。
- 部活動の種類は多く、生徒の部活動加入率はかなり高い。
- 真面目な者は高校1年頃から、普通の者で高校2年頃から大学受験の勉強をはじめる。伝統的に教師はあまり生徒に干渉をしない。逆に言えば、自分で行動しないといけないと言うことである。
- 明文化された校則は、ほぼ存在しないに等しい。しかし
の様なごく当たり前のことから、
-
- 「カップラーメン持ち込み禁止」
- 「中学1年生は学園祭に必ずクラス参加」
- 「観光客をひやかしてはならない」
- 「校内でガムを食べてはいけない」(人工芝になってから)
- 「ロッカーをAV保管庫にしてはならない」
の様なよくわからないものまで、慣習法的な校則として事実上効力を発揮している。
- 「カップラーメン持ち込み禁止」の校則は、校門のすぐ隣にある雑貨屋で購入、お湯を注いで校内に持ち込む者が多かったことから設けられたとされる。かつて生徒会で解禁が議論されたことがあるが、結局、解禁には至らなかった。生徒が残り湯の処理をきちんとしないのが主な原因。
- 「観光客をひやかしてはならない」の校則は、観光地・鎌倉という土地柄、また、すぐ隣が有名な観光スポット・建長寺であるという背景によるものである。「変わった校則」として、テレビ番組でもしばしば取り上げられるが、教室の窓から隣の建長寺の観光客に向かって罵声を浴びせる者が、年に数度現れるため、運用現場ではそれなりに現実性のある校則である。
[編集] 建長寺との関係
[編集] 学園の経営元としての建長寺
- 鎌倉学園の前身は「宗学林」という名の建長寺の修行僧学校である。
- 経営としては建長寺が出資しているため、総裁・理事長・理事・事務長など重要ポストは建長寺の僧侶、または建長寺派の僧侶が就任する。
[編集] 宗教教育に関する誤解
- 以上のことより、鎌倉学園は、熱心な仏教学校と誤解されがちだが、現在は、積極的な宗教教育と呼べるものは基本的にされていない。
- 2006年に必修科目未履修問題が全国の高校で次々と発覚したが、鎌倉学園は大学受験に関係のない科目(保健体育や理系学生の世界史など)も進学校であるにもかかわらず、意外と律儀にこなしていたため、未履修問題はないと思われていた。しかし、ある程度、学校ごとに自由にカリキュラムのくめる家庭科や2003年に新設された情報などの科目の不備が指摘され、今後座禅の時間などでそれらを補う(座禅教室を家庭科の単位にあてる)ことが予想される。
[編集] 創立記念日の由来
- 11月22日の創立記念日は建長寺の建立の日を元にしている。
- これが750年以上の歴史の根拠であるのだが、他の有名な寺院が母体となっている学校と比べると特に古いというわけでもない。
- 例
- 和宗総本山四天王寺(593年)→「天王寺高等女学校」1922年(大正11年)※現四天王寺高等学校
- 華厳宗総本山東大寺(733年)→「東大寺学園」1926年(大正15年)
- 天台宗総本山延暦寺(788年)→「天台総校」1873年(明治6年)※現比叡山中学校・高等学校)
- 真言宗総本山東寺(796年)→「東寺高校」1881年(明治14年)※現洛南高等学校)
- 浄土宗総本山知恩院(1175年)→「勧学院」1868年(明治元年)※現東山高等学校)
- 臨済宗総本山建長寺(1253年)→「宗学林」1886年(明治19年)※現鎌倉学園高等学校)
- 浄土真宗総本山本願寺(1272年)→「金亀教行」1876年(明治9年)※現平安高等学校)
- 寺院の建立から数えるならば四天王寺高等学校が日本最古の高等学校ということになる。しかし、一般的には明治時代の学校令を基準にするので、日本最古の高等学校は1870年(明治3年)創立の洛北高等学校といわれている。県内最古の高等学校は1897年(明治30年)創立の希望が丘高等学校。
[編集] その他
- 数少ない仏教系の進学校であることから、伝統を重んじる家庭、あるいは特定の信条を持たない家庭からも人気である。ちなみに県内の有名私立高校の例を挙げると、ミッション系の栄光学園・聖光学院・サレジオ学院・山手学院、新興校である桐蔭学園・桐光学園・公文国際学園、大学まで一貫の慶應高・法政二高・東海大相模、分校の逗子開成、公立高校と似た校風の浅野学園などがある。
- 勉強、スポーツに励行した生徒に毎年「建長寺賞」なるものが贈られる。
[編集] 教育課程
鎌倉学園中学校から進学してきた生徒を「内進生」、他の中学校から受験して入学してきた生徒を「外進生」と区別し、卒業までクラス、授業内容は別(一部の選択授業、年中行事、クラブ活動などでは一緒)。
- 中学校
1年次、2年次、3年次の生徒をそれぞれM1、M2、M3と呼び、中高一貫教育が行われている。Mの意味はMiddleのMと言われている。
- 高等学校
1年次、2年次、3年次の生徒をそれぞれH1、H2、H3と呼ぶ。 高校入学前に美術か音楽の選択がある。選択しなかった科目は3年で選択できない。 高校1年修了時に本人の希望を基にコースを選択。2年次「文系コース」「理系コース」「理数系コース」にクラスを分ける。
[編集] 教育方針
- 習熟度別レッスン制授業(高等部)
- 外国人講師による英語指導…ネイティブスピーカーによる英語授業。
- コンピューターによる授業
[編集] 主な年間行事
4月
- 8日 降誕会 (中学1年のみ)
5月
- クラス対抗競技会
6月
- 学園祭
8月
- 開山忌
- 登校日(中学生のみ)
10月
- クラス対抗競技会
11月
- 22日 創立記念日
12月
- 14日 成道会
1月
- スキー教室(中学生)
2月
- 15日 涅槃会
3月
- 1日 高校卒業式
[編集] 制服
11月~4月は冬は黒の詰襟の着用は義務、5月~10月はワイシャツ、詰襟は自由。
以前は学生帽着用が義務だったが、現在は自由。
一時期、PTA・生徒からはブレーザー制服への変更、夏は白のポロシャツの許可を嘆願したが、老年層の教員、OB、生徒会の反対で実現へは至らなかった。
[編集] 施設
[編集] 主要な施設
- 中央校舎…特別教室、実験室、講義室、図書室、高校2年、高校3年の理数系の教室など。(2階と4階の一部以外改装済み)
- 西側校舎(通称:高梨側校舎)…主に高校の教室がある。(改装済み)
- 東側校舎(通称:建長寺側校舎)…中学ほぼ全クラスと高校3年の文系の教室。(改装済み)
- 体育館兼講堂…柔道場、剣道場、卓球場、大アリーナ、小アリーナ、テニスコートなど。
※全施設とも冷暖房完備。
- 第1,2グラウンド(第1グラウンドは2006年3月に人工芝に改装。)
- 合宿所
- 学生食堂はないが、購買部にパンなどが売っている。また、朝に近隣の業者に弁当(400~700円)を注文することができる。50円追加で大盛りも可。
[編集] 様々なことに利用されている校舎
比較的大きな私立校であること、きれいな内装、歴史のある外観などを理由に校舎が内部、外部を問わず様々なことに利用されている。以下はその一例である。
[編集] 伝説
- かつて地下に屋内プールが建設されるという計画があったとされるが、校舎の地下には鎌倉時代の遺跡があるので、その発掘にかかる費用などから挫折したといわれている。
- 円覚寺後背地付近に第3グラウンド設置の計画があったとされるが、円覚寺の強い反対により挫折したといわれている。
- 内装は頻繁に改装しているのに、校舎の外観がほとんど改装されないのは、鎌倉市に「景観を保護する条例」が施行されたためであるとされる。今の校舎は条例の施行前の校舎である。
[編集] クラブ活動実績
- 硬式野球部…過去、春の甲子園に2度出場(昭和37年ベスト8、昭和44年1回戦敗退)
※特別枠に推薦されたものの、最近の甲子園への出場はない。県ベスト8かベスト16止まりの年が多い。
- サッカー部…過去に全国高等学校サッカー選手権大会でベスト4(1964年大会)。現在の成績は余り振るわないものの、練習環境は悪くない。
- 山岳部…関東大会優勝
- 剣道部…関東大会第3位
- アメリカンフットボール部…県内順位4位
- マジック同好会…市内の老人施設や保育園、幼稚園などへの慰問活動。テレビ・新聞への出演等。
- 数学研究同好会…他の学校でいうところのパソコン部に相当する。岩崎学園主催のソフト・アイ・コンへの応募等が主な活動内容。同コンテストで2002年度、2004年度グランプリ。
- 硬式野球部と山岳部は練習はきつい。あとは他の強豪校ほどは苦しくない。入部・退部は比較的自由。教師はあまり干渉しない。
[編集] 進学実績
- 1982年に商業科の募集を停止して以来、ほとんどの学生が4年制大学へ進学している。
- その進学先として多いものとして、国公立大学では横浜国立大学、電気通信大学など、私立大学では早慶上智、東京理科大学、MARCHなどが挙げられる。
- 平成に入ってからは、東京大学に1~2人、早慶上智+理科大に120~140人程度をコンスタントに合格させた実績がある。
- 全体として、生徒の志望は高く、塾や予備校、あるいは通信教育を早いうちからこなしている者も少なくない。これは、鎌倉学園が県内の最難関校(中学では栄光学園・聖光学院・浅野学園など、高校では慶應義塾高等学校・桐蔭学園など)の滑り止めとして人気が高く、これらの学校に落ちてしまった生徒がリベンジを図っているためと思われる。また近年では他の進学校と同様、トップ層の生徒がメディカル系の学部を目指すケースが多く、週刊朝日のムック誌には「医学部に強い高校」として挙げられたこともある。
[編集] 2006年進学状況
- 2006年度は、私立大に関しては、早慶上智97人、理科大37人、MARCH192人と難関~準難関私立大が中心。国立大は、横浜国立大学+電気通信大学+東京農工大学が10人、東京藝術大学が1人。最難関国立大学(旧帝大+一橋+東工大)が、3人。
- 現役決定率は60%程度。現役で2流大なら1浪して1流大という考えを持つ者(親)が多いのが理由。1浪して早慶レベルの大学に合格する生徒も非常に多い。
[編集] 入学試験関連
[編集] 中学校
- 毎年2月上旬に1次入試、2次入試、3次入試の計3回実施。
- 受験科目は国語・算数・理科・社会の計4科目の筆記試験。
[編集] 高等学校
- 1月中旬に推薦入試、2月中旬に1次入試、3月上旬に2次入試を実施。
- 受験科目は国語・数学・英語の計3科目の筆記試験
[編集] 職員状況
- 教諭・講師・その他職員を合わせて、約120人。
- 教諭は各教科専任教師、司書教諭、養護教諭である。
- 講師は教員免許を持つ者は勿論、塾講師、大学の教員、研究員など幅広い。
- 院卒の教師も多い。
- 東京理科大学卒の教師が多い。
- 2003年度までは男性教諭(講師含む、以下同)しかおらず、女性教諭は中学生の英会話クラスを受け持つ外国人教諭のみであった。2004年度以降は日本人女性教諭も採用している。(2003年度以前も、事務員及び購買の店員には女性もおり、保健医及び図書館司書は女性のみであった)
[編集] 地域とのかかわり
- 回数自体は、あまり多くないが地域のボランティア活動に積極的に貢献している。マジック同好会が地域の老人ホームに慰問として出張していることなどが好例である。
- 地元のラジオ局である鎌倉エフエム放送に部活動などで活躍する生徒が頻繁に出演する。
- 生徒会が年に1~2回ほど通学路清掃を実施している。地域社会の美化に奉仕する学園の一面が伺えるものの、通学路を汚しているのは他ならぬ生徒自身であるのが現状である。
- 生徒の行動範囲は広く、大船駅や藤沢駅はもちろん、東は横浜駅、西は平塚駅、時には小田原駅でも生徒を見かけることがある。
- 学校のすぐそばに「高梨商店」という食料品などを売っている店舗があり、特に部活動に所属している生徒に比較的多く利用されている。
- 近隣の学校で自殺事件やボートの事故などが発生しているのに対して、鎌倉学園が長い歴史を持つにもかかわらず、幸運にもそのような事件・事故がほとんど聞かれないことから、「北条氏の御守」があるといわれることもある。
[編集] 当校の問題点
- 男子校であるが故に、下ネタに関しては生徒・教師・OBともにオープンである。
- partyを「パーテー」と読む英語教師がいる。
- 授業中、常に飴を舐め続ける教師がいる。
- ポルシェに乗る教師がいる。
- 着メロを瀬川瑛子の曲にすると加点してくれる教師がいる。
- 職員室の机の上におジャ魔女どれみのフィギュアが置いてある教師がいる。
- 赤点回避はゴネればなんとかなることが多く、これを理由に勉強しない生徒もいる。
- 夏場は冷房が効きすぎて教室が寒い。何も考えずに18度まで下げる生徒が多いので、センター管理されていることが多い。
- 音漏れ防止をしているためか音楽室が異様に臭い。
- 犬に松坂牛を食べさせているらしい。
- たまに霊が出るとの噂。
- 登下校のマナーの悪さで近隣住民から激しい怒りを受けている。何度も注意されているが改善される様子はない。ただ、通学路の歩道の幅が非常に狭く(鎌倉は細い道が多い)、通行を裁ききれないなどの要因もある。
- 人力車で登校した生徒がいた。
- 頻繁にガラスが割れる(教室内での球技を嗜む生徒が多いためか)。
[編集] 卒業生徒
- 半沢士郎(プロ野球選手)
- 堺正章(タレント、歌手、俳優、コメディアン、司会者)
- 桑田佳祐(歌手、作詞家、作曲家サザンオールスターズ)
- 一色伸行(脚本家)
- 石川顕(アナウンサー)
- 桂米丸(落語家)
- 若田部健一(プロ野球選手)
- 長田秀一郎(プロ野球選手)
- 竹之内雅史 (プロ野球選手)
- 青木勇人(バスケットボール選手)
- 職種が幅広いのが特徴である。もちろん会社員・公務員になる者が多いのであるが、地域の有力者(親の有力会社を継ぐ、事業を興す、地方代議士・税理士・弁護士・会計士になる等)になる者も多い。同レベルの進学校と比べると美大に行く者が多く、クリエイティブな職業(デザイナー・広告マン等)につく者も比較的多い。
- 戦前は、陸軍士官学校に進む者も多かった。将校クラスの卒業生も多い。そんな歴史的背景もあってのことか毎年、防衛大学校や防衛医科大学校から宣伝が来るのだが、一部の左派PTAの圧力で大々的な説明会をするまでには至らない。
- 2005年4月15日~2006年8月28日まで、Wikipediaに「漫画家の藤沢とおるの出身高校は鎌倉学園である」と掲載されていたが、それは全くのデマであることが発覚した。発覚が遅れたのは氏の代表作である湘南純愛組!に鎌倉の私立高校の描写があり、また一部の鎌倉学園の生徒が抱く神奈川県の暴走族への憧れもあいまって、噂が大きくなったためである。実際、今でも藤沢とおるの母校は鎌倉学園と信じている者も少なくない。ちなみに当の藤沢とおるは、鎌倉学園の存在自体知らなかったようである。
[編集] 学園へのアクセス
- 横須賀線北鎌倉駅徒歩13分、鎌倉駅から徒歩15分。
- 江ノ電バスでは大船駅バス停から「鎌倉駅行き」で約15分。鎌倉駅バス停からは「大船駅行き」「上大岡駅行き」「本郷台行き」で約7分。いずれも「建長寺」で下車、バス停前が校門。