くりぃむしちゅー
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くりぃむしちゅーは、プライム所属のお笑いコンビ。 名前の由来は有田哲平の好物クリームシチューから。なお、旧コンビ名は“海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)”であった。 略称は“くりぃむ”(海砂利水魚時代の略称は“海砂利”)。
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[編集] メンバー
上田晋也(うえだ しんや、1970年5月7日-、血液型O型)
- ツッコミ担当。デビュー当時はボケだった。熊本県熊本市出身。早稲田大学教育学部中退。
- 「たとえツッコミ」という分野を確立したパイオニアである。そのたとえは的確でありながら意外性に溢れており、他の多くの芸人に影響を与えている。持ちギャグは「ペローン!」「天天パ! 天天パ!」と薀蓄。特に薀蓄はそれ自体が独立した芸風となり『芸能界きっての「薀蓄王」』と呼ばれるようになった。その他、「てーい!」「そっちかーい!」などの名言がある(テレビ番組よりもラジオ番組で使用することが多い)。
- 熱狂的な長渕剛ファンで、一番好きな曲は「ろくなもんじゃねえ」である。
- 2004年に結婚。2006年6月に第一子となる長女が誕生。
有田哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日-、血液型O型 )
- ボケ担当。デビュー当時はツッコミ。熊本県熊本市出身。立教大学法学部中退。
- 『銭形金太郎』や『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』では殆ど「どうも、僕です(略して「どぼくです」「DB」)」の言葉から入る(オールナイトニッポンではジングルでも使用する)。2007年1月4日放送のミドル3では、去年の反省点で「軽くED」と言っていた。
[編集] 来歴
- 熊本県の進学校である熊本県立済々黌高等学校時代、同じラグビー部に所属した事がきっかけで出会う。高校卒業後別々の大学に進学するも、上田が有田を誘い共にお笑い芸人への道を選ぶ。
- 1991年にコンビを結成しデビュー。当時のコンビ名は“海砂利水魚(かいじゃり すいぎょ)”。落語「寿限無」に登場する言葉であるが、命名のきっかけは伊豆にある飲食店の店名から。コント山口君と竹田君の付き人として芸歴をスタート。以来、ライブ活動中心に下積み経験を送る。因みにデビュー当時は上田がボケ担当、有田がツッコミ担当だった。だが、有田のツッコミの語彙が乏しく勢いが無かったので、見かねた上田が役割を変えたという。
- 1994年頃からテレビ番組に出演するようになった。
- 『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ)では、第2期の『タモリのSuper~』において、キャブラーと呼ばれる芸人がネタを披露して評価(順位など)を競う「ボキャブラ発表会・ザ・ヒットパレード」というコーナーから出演。1999年に『歌う~』としてボキャブラ天国シリーズが終了するまで出演した。全国的に知名度が高まるきっかけとなった番組である。尚、出演回数(カット=予選落ちを含めてネタが放送された回数)はBOOMERと×-GUN(現・丁半コロコロ)に次ぐ第2位。初期のキャッチフレーズは“おとぼけツインターボ”である。後に“邪悪なお兄さん”と言うキャッチフレーズに変更(ヒットパレード時代)になり、2人は揃ってレザーパンツを穿いて登場するなど人相の悪さを指摘されて、これが注目を集めて人気は上昇した。有田は河村隆一の真似やb.A.d(nWoのパロディ)の活動を先頭にたって行う等、沢山いるキャブラーの中で頭角を現していった。その反面、特徴的なアゴをアンタッチャブルの山崎やU-turnの土田などと共に他の芸人にいじられるなどもした。番組後期は特に成績が良く、深夜枠に放送された『続・~』では6度キングになり、100万円も獲得している。番組終了と共に一時期テレビでの活動が衰退したこともあったが、後述の改名により、メディアへの露出が増えるなど人気は番組放送時よりも高くなる。
- 1997年10月から半年間はコント番組『お笑い向上委員会 笑わせろ!』に出演。Take2、×-GUN、U-turnと共にで手作りのギャグで実力をつけた。
- 2000年7月、アンジャッシュ、アンタッチャブルと共に、お笑いユニット“ゲバルト一族”を結成し、年に1回オムニバスライブを行った。
[編集] 海砂利水魚から改名
- 2000年に『新・ウンナンの気分は上々。』(TBSテレビ)におけるグループ名の改名対決でさまぁ~ずに敗北。2人と同郷の出身者である内村光良により、半強制的に“くりぃむしちゅー”への改名を命じられる。名前の由来は有田の好物であるクリームシチューから。(後に実際は野菜嫌いであるためクリームシチューに入っている具のほとんどが食べられない理由からそれほど好きではないと発言)また、同番組では対決企画が3回行われたが、仮に1回戦で海砂利水魚が負けた場合、コンビ名を“ザ☆トライ”とさせられる所であった。上田はこの名前をあまり気に入っていなかったこともあって、当初“くりぃむしちゅー”は半年間の期間限定ということであったが、前のコンビ名“海砂利水魚”よりはまだマシか、という理由で現在もそのまま使用している。師匠であるコント山口君と竹田君にもこのことを告げている。改名でブレイクしたとよく言われるが、くりぃむしちゅーのふたりは日経エンタテインメントのインタビューなどでそれを半ば否定するかのような発言(「改名前から売れ始めていた」等)をしており、その後の大ブレイクの直接的な要因ではないという見解を示している。
- 改名の際、海砂利水魚のままか改名するかの討論会がTBSスタジオで約100名を集めて行われた。当日司会は雨上がり決死隊の宮迫博之。出演者の遅刻により当日の討論会は2時間遅れで始まったものの、その討論会というのは実はあらかじめ発言者が決まっており、発言者以外が手を上げても発言させてもらえないというテレビ的なものであった。
- 有田曰く、さまぁ~ずとは改名対決の前後は険悪な仲だったそうだが(もちろん設定の上でであるが、それが改名対決のきっかけでもあった)、対決終了後は和解し「内村プロデュース」「ミドル3」など数多くの番組で共演を果たしている。
- 改名以後、コント重視の作家志向な芸風から一転、トークを中心としたメディア露出に活動の重きを置くようになる。単独コントライブも行っていたが、これも殆どが“海砂利水魚”時代の持ちネタであり、2003年にはファンクラブ解散と同時に中止する。以降、くりぃむしちゅーのネタは近年は基本的に元日放送の『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ)でしか見ることが出来ない。
- 転機となったのは2003年。上田がテレビ番組『虎の門』(テレビ朝日)の1コーナー「うんちく王決定戦」で優勝、一躍脚光を浴びる。以降上田は“うんちく王”の称号と共に、薀蓄芸と呼ばれる芸風で数々の執筆やテレビ番組・ラジオ・CM出演と大活躍。「たとえツッコミ」も有名である。“物知り”というよりはあくまで“薀蓄知り”であり、上田が得意気に披露した薀蓄が実は誤って認識され広まったものであった、ということもある(サンリオの由来は山梨王、等)。
- 2004年12月14日、上田が同郷の女性と入籍。『踊る踊る踊る!さんま御殿スペシャル』(日本テレビ)の収録中に発表された。因みに第一子誕生は『おしゃれイズム』で発表された。[1]
- 2006年7月13日、ゴールデンタイムでの初の冠番組、『くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!』(日本テレビ)が放送開始。(2007年3月に終了)
- 尚、久本雅美、篠原涼子と共に、2006年8月26日から8月27日にかけて放送された『24時間テレビ29』のチャリティパーソナリティに抜擢された。
[編集] 特徴
- 最近では上田のピン活動が目立つが、有田も彼の人気を僻みつつも、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系列)で女性にナンパされる企画で素の面白さが茶の間に伝わり、好評につきスペシャル番組で取り上げられる等、事ある毎に何度も行われた為、笑いの他同情や認知度が高まった。また趣味の格闘技好きを活かしCSチャンネル「サムライTV」でレギュラー番組を担当し、アントニオ猪木、高田延彦、佐々木健介、長州力らプロレスラー・格闘家のものまねでマニアを喜ばせる。また、深田恭子との交際がフライデーされて話題を呼んだ(これは上田曰く売名行為らしい)。徐々にコンビでの番組出演の機会も増加。再度訪れたお笑いブームの波にも乗って、2004年には多数のレギュラー番組を抱える中堅お笑いコンビではNo1となった。
- よく有田は上田のピン活動を「こそピン」といい、妬んでいる。また、上田の『おしゃれイズム』のイズム発言も嫌っている。
- テレビ番組ではこの2人の衣装は殆どスーツである。「普通の服だと華がないから」という理由で制作スタッフやスタイリストから義務付けられているようである(深夜番組等、単発番組ではスーツでない場合もある他、『銭形金太郎』では必ず番組専用の作業服衣装)。
- 様々な先輩芸人の番組にも出演することから、幅広い先輩芸人に可愛がられているようである。しかし、上田は○○軍団と呼ばれるような群を嫌いブレイク後、特にダウンタウン浜田とは共演をしていない。
- 何気に二人ともモノマネがうまい。(上田:松田優作、大木こだま・ひびきなど,有田:長州・猪木・アニマルなどプロレス関係)
- 冠番組では企画も担当している。
[編集] エピソード
- 現在、番組で共演している細木数子から“グリーン&ピンク”への改名を勧められており、細木自身は、すでに日常においてニックネームとして利用しているとされる。しかし、当人達に変える意思は全く無く、一部週刊誌では上田が「番組(ズバリ言うわよ!)をおりてやる」と激怒してると掲載されていた。
- オールナイトニッポンにて、上田の長女の名前を募集するも、結局リスナーのもの(千都里[ちづり(せんずり)]、素股 、デリヘル等)は採用されず。万が一採用したとしても役所が受理しない(悪魔ちゃん命名騒動を参照)。
- 1994年~1995年頃、地元熊本の情報誌(月刊タウン情報クマモト、通称タンクマ)に2ページにわたり連載していた時期がある。
- 売れっ子になり多忙になっても、痛快!明石家電視台は準レギュラーとして大阪に来て出演している。
[編集] 出演
くりぃむしちゅーとしての出演番組を記載。個別での出演番組は上田晋也、有田哲平を参照。
[編集] 出演している番組
[編集] テレビ番組
- くりぃむナントカ(テレビ朝日系)
- 笑いの金メダル(朝日放送(ABC)制作・テレビ朝日)
- 銭形金太郎(テレビ朝日系)
- ズバリ言うわよ!(TBSテレビ系)
- 世界一受けたい授業(日本テレビ系)
- 痛快!明石家電視台(準レギュラー、毎日放送他)
- 虎の門(不定期、テレビ朝日)
- 未知の世界を撮りたい 驚き(秘)映像ハンター!ドリームビジョン(日本テレビ系)
- ペケ×ポン(フジテレビ他)
[編集] 単発番組
[編集] ラジオ番組
- くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン(ニッポン放送、他全国36局)
[編集] 出演していた番組
[編集] テレビ番組
- 海砂利酔魚館(テレビ東京、1998年4月~9月、火曜深夜)
- ザ・スターボウリング(テレビ東京)
- 王様のブランチ(TBSテレビ) ※ 準レギュラー
- ガハハKING(テレビ朝日) - 1994年4月~同年9月
- お笑い向上委員会 笑わせろ!(テレビ朝日)
- ゴッターニ!(東海テレビ) - アンジャッシュらと共演
- 月曜日が待ち遠しい!(東海テレビ) - 大塚範一、清水ミチコと共演
- 新西遊記(西日本のNNN・NNS系列局) - 川村ひかる、岡本夏生と共演
- タモリのボキャブラ天国(フジテレビ、1994年~1999年)3代目グランドチャンピオン
- 熱中!海ジャリ学院(テレビ静岡)
- 海砂利水魚のふるさとBAN!BAN!(TXN九州(現・TVQ九州放送)、1997年10月~1998年、月1回土曜夜)
- 明石家マンション物語(フジテレビ)
- くりくりぃむ(ABCテレビ)
- カルチャーGパーティー(ABC朝日放送) ※準レギュラー
- リチャードホール(フジテレビ)
- ロバートホール水(フジテレビ)
- ブンブンサタデー「ヴァケスケ」(フジテレビ系)
- くりぃむしちゅーのたりらリラ~ン(日本テレビ系)
- 明石家くりぃむランド(ABCテレビ)
- 明石家くりぃむランド~新キャラの王国~(深夜単発枠、ABCテレビ制作・テレビ朝日他)
- 24時間テレビ29 「愛は地球を救う」(日本テレビ)※番組パーソナリティー
- くるくるドカン~新しい波を探して~(フジテレビ)
- くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!(日本テレビ)
- カワズ君の検索生活(フジテレビ)
[編集] ラジオ番組
- 宮川賢の誰なんだおまえは?!(TBSラジオ)
- 海砂利水魚のディスコ・ザ・ガマ(ニッポン放送)
- 海砂利水魚の本気汗(まじる)(CBCラジオ) - 1999年10月~2000年9月
- 海砂利水魚のラジオdeえびたい(TOKYO FM)
- 海砂利 Laugh Soul~笑う魂~(TOKYO FM)
- 女子高生サイコー!?裁判SHOW!! 女子高生トェンティイショック(ニッポン放送)
- 知ってる?24時。(ニッポン放送) 上田晋也
- 目からウロコ!24(ニッポン放送) 有田哲平
[編集] テレビドラマ
[編集] テレビCM
- アデランス
- 熊本自動車学園Big Pal(熊本限定ローカルCM) - 海砂利水魚時代からのCMで、若かりし頃の姿が見られる。
- 熊本県国勢調査広報CM
- 宝酒造『タカラcanチューハイ 辛口OK』 - 2005年3月~
- ディズニー映画『ハービー~機械じかけのキューピッド~』
- 京浜急行電鉄「羽田へ直結、京急。」(テレパシー編・ロケ移動編)
- ポスターでは、この他にも京急についてのうんちくを紹介する「京急うんちく王(キング)」に2人が登場している。
- 4400 未知からの生還者 -2006年12月~
[編集] 映画
[編集] 著書・ディスコグラフィー
[編集] 著書
- 「海砂利水魚の作文」(1998年7月発売、双葉社)
- 「海砂利水魚の教科書」(1999年6月発売、ソニー・マガジンズ)
- 「くりぃむしちゅー語入門」(2004年9月発売、アスコム)
- 「くりぃむしちゅーのあなたはどっち?」(2004年9月発売、マガジンハウス)
- 「くりぃむしちゅーの人間関係のゴタゴタをまる~くごまかすお笑い護身術」(2005年7月発売、ソニー・マガジンズ)
[編集] ディスコグラフィ ー
- 「ココロ花」(2005年) - 「笑金オールスターズ」名義
[編集] 同世代のお笑い芸人
- ナインティナイン - 1年先輩。1990年結成。ANNでもナイナイのほうが先輩。
- キャイ~ン - 1年先輩。1990年結成。
- ネプチューン - 『銭形金太郎』で毎週共演。名倉は1年先輩、原田と堀内は1年後輩である。
- さまぁ~ず - 2年先輩。1989年結成。お笑いユニット「ミドル3」のメンバー。
- 雨上がり決死隊 - 2年先輩。1989年結成。お笑いユニット「ミドル3」のメンバー。
- よゐこ
- 丁半コロコロ
- ほっしゃん。
など
[編集] 関連のあるお笑い芸人
- 辻本茂雄
- ウッチャンナンチャン - 『気分は上々。』で改名した張本人がいるコンビ。
- ますだおかだ - ラジオ番組『知ってる24時。』『目からウロコ!24』では上田(知ってる?24時。)、有田(目からウロコ!24)から受け継いでいる。
- 次長課長 - くりぃむナントカの準レギュラー、くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!のレギュラー。他番組や特番等で共演する事の多い唯一の後輩。
- おぎやはぎ - 次長課長と同じくくりぃむナントカの常連ゲストであり、かつてはリチャードホールで共演していた。
- 土田晃之 - くりぃむのメイン番組において、出演の頻度がかなり高い芸人。
- アンタッチャブル -かつてのリチャードホールの共演者。有田とアンタッチャブルの山崎とは親友。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ くりぃむ上田…深夜2時に婚姻届、昼には挙式→発表 ZAKZAK 2004/12/15