マフムード・アフマディーネジャード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イラン・イスラーム共和国第6代大統領
|
|
任期: | 2005年8月3日 – 現職 |
---|---|
副大統領: | パルヴィーズ・ダーウーディー |
元首: | アリー・ハーメネイー |
|
|
出生日: | 1956年10月28日 |
生地: | セムナーン州 ギャルムサール |
政党: | イスラーム技術者協会 |
マフムード・アフマディーネジャード! ?は[1] (1956年10月28日 - )はイラン・イスラーム共和国第6代大統領。2005年の大統領選に勝利し、2005年8月6日に就任した。前職はテヘラン市長で、2005年の世界の市長最終候補者になっている。博士。
アフマディーネジャードはアメリカ合衆国のブッシュ政権に対して歯に衣着せぬ批判で知られる。ロシアとの関係を強化し、その支援を背景に国際連合による核開発計画の中止要請を拒絶した。またイスラエルは「地図から抹消されるべきだ」との発言したとの報道により[2][3][4][5][6][7]、またホロコーストを「神話」として否定する発言を繰り返した[8][9]ことで、広範な批判にさらされた。ただしアフマディーネジャード自身は反セム主義者でではないと主張してる。[10]。
目次 |
[編集] 私生活と研究・教育
マフムード・アフマディーネジャードは、テヘランにほど近いギャルムサールの鍛冶屋の息子として誕生。長じて交通技術・計画の分野でイラン科学技術大学から博士号を取得、同大学で講師をつとめた。1976年、アフマディーネジャードは国立大学入学資格試験(コンクール)を受験、トップクラスの諸大学への入学資格を得た。この際の成績は同年の受験者40万人以上のうち第132位であり[11]、名門イラン科学技術大学に入学、土木工学を専攻した。
革命後の1984年、土木工学の修士課程に入学、さらに研究を進め1997年、交通技術・計画の分野で博士号(Ph.D.)を授与されている。アフマディーネジャードの受けた大学院教育は革命防衛隊関係者のために設置され資金が投入された特別課程であった。博士論文研究中の1993年から1997年にかけてはアルダビール州知事を務め[12]、大学院修了後はイラン科学技術大学土木工学部助教授職に補されている。アフマディーネジャードの研究でイラン科学技術大学から出版されたものはなく、また特許も取得していない[13]。既婚で2男、2女がある。
[編集] 大統領就任以前の政治的経歴
政治に関わったのは1979年のイラン・アメリカ大使館人質事件への学生としての参画である。このときにはアリーレザー・ハギーギーの主導する大使館占拠に反対し、当時の左派のなかでは周縁に追いやられることになった[14]。このため政治的にはほとんど無名で、のち2003年5月3日の第2回テヘラン市議会で保守派「イスラーム・イラン建設者同盟」の支援を得て12%を得票、テヘラン市長に当選した際には、ダークホースといえる候補者であった。市長職にあっては、穏健・改革派の前任者らによる施策を覆した。前市長の設立になる諸文化施設については宗教的な活動に重点をおき、また市庁舎エレベーターでの男女分離を推進[15]、さらにイラン・イラク戦争戦没者をテヘランの主要広場に埋葬されるべきと提案するなどしている。これらの政策は、スープの貧困層への無料配給などの慈善事業の強調と抱き合わせに行われたものであった。
市長となって2年後、アフマディーネジャードは2005年世界の市長の最終候補者65人のうちに名を連ねた[16]。このときの全体の候補者は550人、そのうちアジアからの候補者は9人であった[17]。
大統領選挙出馬時のアフマディーネジャードはいまだ有名な政治家とはいえなかったが、すでに先行する改革を覆す者という特徴を明らかにしていた。大統領当選後にテヘラン市長を辞任、これは2005年6月28日に受理された。
アフマディーネジャードはイスラーム技術者協会中央協議会のメンバーであるが、同時にイスラーム・イラン建設者同盟(アーバードギャラーン)内にさらに強力な支持基盤を持ち、同同盟の主要人物のひとりと考えられている。[要出典]
[編集] 大統領として
[編集] 選挙運動
アフマディーネジャードはその政策として、アメリカ合衆国のアナリストが宗教保守派および貧困層に訴えかけるものと評する類のさまざまな計画を語っている[18]。選挙戦での標語は「やればできる」(ペルシア語: میشود و میتوانیم「そうなる、我々にはできる」)であった。
アフマディーネジャードは選挙戦においてポピュリスト的戦略をとって、自らの生活の慎ましさを強調し、第2代大統領モハンマド・アリー・ラジャーイーと比較するなどしている。これについてはラジャーイーの家族から抗議を受けている。アフマディーネジャードはイランにおいて「世界の人々にとって模範的な政府」を作ると主張した。また自身を「原理主義者」であるとし、イスラーム的およびイスラーム革命的諸原理に基づいた政治を行うと言明している。政策目標として掲げたものの一つが「石油収入を人々の食卓へ」であって、石油収入の貧困層への分配に言及した[19]。
対米関係改善反対を主張したただ一人の候補者でもある。イラン・イスラーム共和国放送による選挙直前の政見放送インタビューでは、国際連合についても「一方的で、反イスラーム世界的に仕組まれている」と発言し[20]、特に安全保障理事会常任理事国5カ国のもつ拒否権への反対を明らかにし、同じインタビューで「世界の認めることをわずかな国が審理し拒否するということは公正ではない。このような特権が存続すべきであるならば、15億の人口を擁するイスラーム世界にも同じ特権が必要だ」と述べている。くわえて、イランの核開発計画を擁護し、「少数の傲慢な勢力」がイランの産業・技術の発展をこの分野のみならず制限しようとしていると非難した。
アフマディーネジャードは選挙ののち次のように宣言している。「殉教者の血に感謝を。新たなるイスラーム革命が勃発した。1384年(当年)のイスラーム革命は——神が望まれるならば——世界の不正の根を取り除くだろう」。「イスラーム革命の波」はただちに「全世界に到達する」に違いない[21]、とも発言している。
決選投票前の運動期間中には「我々は個々の政府の革命に関わろうとしているのではない。……この革命は世界大の政府に至ろうとするものだ」と述べている。また外交関係の改善のためにテロとの戦いによる連帯を推進することを計画しているとし、同時に周辺諸国との関係拡大、ビザ要件の撤廃と相互免除などを「人々は望むところに自由に赴くことが可能であるべきである。人々は巡礼、旅行において自由であるべきだ」として主張した[22]。アフマディーネジャードは当選以来、支持基盤勢力を背景に強硬な外交姿勢をとっている。
アフマディーネジャードのイデオロギー的・精神的背景にはゴムの高位ウラマーであるアーヤトッラー・モハンマド・タギー・メスバーフ・ヤズディーがいる。これはアフマディーネジャード自身によって確認されている。メスバーフ・ヤズディーはイランでのハッガーニー学派の創始者であり、その一派は2005年の大統領選挙において、アフマディーネジャードを強く支持した[23]。
[編集] 選挙
- 詳細はイランの大統領選挙 (2005年)を参照
アフマディーネジャードは決選投票において、ラフサンジャーニー元大統領の約2倍にあたる63%の得票を得て勝利[24]、2005年8月3日、最高指導者・アーヤトッラー・アリー・ハーメネイーの認証を受け[25]、2005年8月6日に大統領に就任した。認証式典の際、アフマディーネジャードはハーメネイーへの忠誠の証として、その手への口づけを行っている[26][27]。これに関連してジャーナリストのアミール・ターヘリーはハーメネイーの長男モジュタバーがアフマディーネジャードの選挙参謀を務めたと主著している[28]。
[編集] 内閣
大統領は15日以内に閣僚名簿をマジュレス(議会)に提出しなければならない。議会は1週間にわたって閣僚の承認について審議を行う。アフマディーネジャード陣営幹部のマスード・ザリーバーファーンは、宣誓当日に閣僚名簿が提出されるとの見通しを示したが、閣僚名簿が実際にマジュレスに送られたのは8月14日のことであった。これにより、大統領提案の閣僚名簿についての審議のためのマジュレスは8月21日までに開会されることになる。
議会ではすでに8月5日、非公式の会合を開いた。この時点でアフマディーネジャードは、議会の意向を探るため各閣僚について3名ないし4名の候補者名簿を発表している。最終的な候補者名簿が公式に議会に送られたのは先述の通り2005年8月14日のことである。
マジュレスでの閣僚候補審議は2005年8月21日に始まり、激しい議論を交わしたのち2005年8月24日に投票がおこなわれた。結果は不承認閣僚候補がでるというイスラーム革命後、初の事態となった[要出典]。不承認となったのは協同組合相、教育相、石油相、福祉社会保障相の4候補である。すべてアフマディーネジャードのテヘラン市長時代の部下であった。この結果4人をのぞく各候補が閣僚として承認された[要出典]。
閣僚候補名簿と承認投票での結果は以下の通りである[29]。
省庁 | 閣僚候補者 | 承認 | 不承認 | 棄権 |
---|---|---|---|---|
農業 | モハンマド・レザー・エスキャンダリー (略歴(ペルシア語)) | 214 | 45 | 24 |
商務 | セイイェド・マスード・ミールカーゼミー | 169 | 85 | 25 |
情報通信技術 | モハンマド・ソレイマーニー | 220 | 43 | 16 |
協同組合 | アリーレザー・アリー=アフマディー | 105 | 134 | 34 |
文化イスラーム指導 | モハンマド・ホセイン・サッファール・ハーランディー | 181 | 78 | 20 |
防衛流通 | モスタファ・モハンマド=ナッジャール | 205 | 55 | 17 |
経済財政 | ダーウード・ダーネシュ=ジャアファリー (略歴(ペルシア語)) | 216 | 47 | 19 |
教育 | アリー・アクバル・アシュアリー (略歴(ペルシア語)) | 73 | 175 | 31 |
エネルギー | パルヴィーズ・ファッターフ (略歴(ペルシア語)) | 194 | 56 | 23 |
外務 | マヌーチェフル・モッタキー (略歴(ペルシア語)) | 220 | 47 | 16 |
厚生医療教育 | キャムラーン・バーゲリー・ランキャラーニー (略歴(ペルシア語)) | 169 | 86 | 27 |
住宅都市開発 | モハンマド・サイーディーキヤー | 222 | 31 | 25 |
鉱工業 | アリーレザー・タフマースビー | 182 | 58 | 30 |
情報 | ゴラーム・ホセイン・モフセニー・エジェイー (略歴(ペルシア語)) | 217 | 51 | 13 |
内務 | モスタファ・プールモハンマディー (略歴(ペルシア語)) | 153 | 90 | 31 |
法務 | ジャマール・キャリーミー=ラード (略歴(ペルシア語)) | 191 | 59 | 24 |
社会労働 | モハンマド・ジャフロミー | 197 | 59 | 20 |
石油 | アリー・サイードルー | 101 | 133 | 38 |
石油 | モフセン・タサッロティー | 77 | 139 | 38 |
石油 | カーゼム・ヴァズィーリー・ハマーネ | 172 | 53 | 34 |
道路交通 | モハンマド・ラフマティー (略歴(ペルシア語)) | 214 | 43 | 21 |
科学研究技術 | モハンマド・メフディー・ザーヘディー (略歴(ペルシア語)) | 144 | 101 | 35 |
福祉社会保障 | メフディー・ハーシェミー | 131 | 108 | 36 |
新内閣による初の閣僚評議会(閣議)は8月25日、マシュハドで開かれた。アフマディーネジャード政権では首都テヘラン以外でも頻繁に閣議を開催すると言明している。空席となった4省庁については8月27日、協同組合省にモハンマド・ナーゼミー・アルダカーニー、福祉社会保障省にダーウード・マダーディーがそれぞれ代理として任じられてる[要出典]。
[編集] 国内政策
[編集] 経済
- イランの経済も参照
アフマディーネジャードは2006年1月15日、政権としての初の予算案(2006年4月〜2007年3月期)を議会に提出した。この予算案では前年度予算に対し27%増の、総額1956兆リヤール(2174億米ドル)を要求している。これは歳入のかなりの部分を占める石油収入について輸出価格を1バレル39.70ドルと予測、これを基準として編成されたものである。本予算案提出にあたっての政策方針として、国営銀行に対し低収入家族向けの消費者金融および発展途上地方の小規模企業への融資の割合を拡大するよう要求してる。また低収入家族のための住宅助成の増加も目立つもので約10億ドルとなっている[30]。
また政府はNGOを敵対的に捉えているが[31]、アーヤトッラー・メスバーフ・ヤズディー関連のNGOについては350億リヤール(約350万ドル)をつぎ込んでおり、これは前年度比で約10倍となっている[32]。
2006年6月、50人のイラン人経済学者が、大統領マフムード・アフマディーネジャードに対して書簡を送り、物価安定のための商品、セメント、政府サービスについての価格干渉、および労働省提案により高等労働会議で発令された労働者給与の40%増を酷評した。アフマディーネジャードは激しく反発し、これを公式に非難する声明を出している[33]。
2007年1月25日、アフマディーネジャードは、高率のガソリン消費を国民経済が直面している主要な問題と指摘した[34]。
「今年(2006年3月21日〜)、今に至るまで石油省はガソリンの輸入のために何億ドルもの予算を費消した」と言及。そのうえで政府は高率のガソリン消費を制御しようとしているが、市価でのガソリン販売を計画にいれていないとする。しかしアフマディーネジャード自身もガソリン価格の段階的引き上げを拒否しており、引き上げは政府が公共交通機関を整備し、必要な準備を整え終わる5年後以降のことになるとしている[35]。
[編集] 家族計画・人口政策
- イランの家族計画も参照
イラン学生通信によると2006年10月、アフマディーネジャードは各家庭に2人の子供を推奨する政策に反対、イランが現在の7000万人に加えて、さらに5000万人を養うことが出来ると発言した[25]。
この意見は批判を招いたが、アフマディーネジャードは議員に対し、現状の3人目以降の子供をもつことを制限する産児制限政策を廃止したいとの意向を語っている[26]。
批判側では、急速なインフレーションと、非公式統計では25%とも推定される失業率増大への対策が急務となっている現状にあって、大統領の発言は分別を欠いたものであるとして警鐘を鳴らしている。高出生率を望むアフマディーネジャードの呼びかけは、1979年のイラン・イスラーム革命後にルーホッラー・ホメイニーが志向した政策と類似性を持つ。この政策は人口爆発につながり、経済に対する重圧となり、のちに撤回されている。その結果、人口増加率は最高を記録した1986年の3.2%から、現在はおよそ1.2%程度まで低下しており、これはアメリカ合衆国のそれと同程度である[27]。
[編集] 住宅
アフマディーネジャード政権による最初の法案は、12兆リヤール(13億ドル)規模の「レザー慈悲基金」を設置する法律である[36]。基金の名はシーア派イマームの一人アリー・アッ=リダーによる。同基金はアフマディーネジャード政権によれば、石油収入を若年層の就職・結婚、住宅購入の支援にあてるものとされた。著しい負担となる都市中心部での住宅購入を援助し、晩婚化の進行(現在男性28歳、女性25歳)への対策でもあった。基金では慈善寄進も募り、各州に理事会を置くものとしている。本件は国会承認が必要であるが、同基金設立を経済問題解決への政権の努力と捉えて、保守派が多数を占めるマジュレスで強い反対にあうことはないと見られていた。しかし2006年、議会は同法案を否決。アフマディーネジャード政権は行政機関による運営に切り替え、実質的にこの政策を実施に移していると伝えられている[37]。
[編集] 女性の権利
2006年4月24日、アフマディーネジャードは、女性に対してのスタジアムでの男性スポーツ観戦禁止がまもなく撤回されると発表した[38][39][40]。国営テレビではアフマディーネジャードが「各スポーツ団体首脳にナショナルマッチ観戦のためにスタジアム観客席を用意するよう命じ」たと報道し、アフマディーネジャードの「ナショナルマッチほか重要な試合が開催されるスタジアムでは、女性と家族に観客席を用意されるべき、というのが最高の姿勢だ」という発言を伝えている。またこの前々日には、正しくヘジャブを着用せずにスタジアムを訪れた女性に対する懲罰に反対している。このようなアフマディーネジャードの姿勢は、サポーターの一部の怒りを買った[41]。また直ちにマルジャ位を含む高位法学者ら、アーヤトッラー・メスバーフ・ヤズディー、大アーヤトッラー・ヌーリー・ハマダーニー、大アーヤトッラー・ナーセル・マカーレム・シーラーズィー、大アーヤトッラー・サフィー・ゴルパーイガーニー、大アーヤトッラー・ファーゼル・ランキャラーニー、アーヤトッラー・ジャヴァード・タブリーズィーなどがアフマディーネジャードの決定への異議を発表し、同令の緊急撤回を要求した。ゴムでも多くのウラマーが大統領の決定に反発しデモをおこなった[42][43][44][45][46]。最高指導者アリー・ハーメネイーは大統領決定を撤回[47]、村レベルから全国レベルに至るシャリーア法廷の裁判官の6万人以上が懸念を表明した。シーア通信は、スタジアムでの女性観戦許可にかかわる声明はイラン政府に対する合衆国主導の陰謀から防衛する政治的処置であった、とのアフマディーネジャードの顧問のひとりの発言を伝えている。これによると、アフマディーネジャード政権は先述の許可声明を翻し、女性のスタジアムでの観戦は反シャリーア的で禁じられるべきとしているという[48]。
保守派はイスラーム共和国の定められた服装規定遵守の崩れを容認するものとして、大統領発言に怒りを表明した。保守派議員ラファート・バヤートは、ヘジャブ着用の遵守が乱れだれているのは、アフマディーネジャードが「この問題に関しさして厳格でない」ためだとして非難している[49]。
[編集] 教育・研究
2006年、アフマディーネジャード政権が、多数の研究者・大学教授に辞職・引退を強制したと伝えられる。これは以前のイスラーム文化革命にちなみ「第二の文化革命」と称された[50][51]。この政策は現任の教授を退職させ、若返りを図るものとされ[52]、多くの大学教授が予想外の早期退職勧告を受けた[53]。アドバール通信によると、イラン科学技術大学では2006年11月、53人の教授が突然の辞職を強制された[54]。
2006年、アフマディーネジャード政権は、医学、歯学、薬学分野での大学入学学生を男女同率とすべく入学制限を適用した。これは大学での女子学生数のこれ以上の増大を抑制するためのものと考えられる。批判に対し、厚生医療教育相キャムラーン・バーゲリー・ランキャラーニーは女子学生用の十分な施設、寄宿舎が不足しているためと弁じている。ザーヘダーン大学のマスード・サーレヒー学長は著しい女性の存在は、交通機関に若干の問題を生ずる、とする。バーボル医科大学のエブラーヒーム・メカーニキー学長は、女子学生率の増大により適切な教育を施すことが困難になるだろうと述べ、テヘラン医科大学のバーゲル・ラーリジャーニー学長も同様の発言を行っている。アフマディーネジャード政権の成立以降、このような法的根拠のない規制が実施に移され、「家族」と「宗教」の尊重という支持を背景に正当化されている[55]。
[編集] スィーヴァンド・ダム建設と文化遺産破壊問題
2007年1月22日、エネルギー相はスィーヴァンド・ダムへの貯水を一週間以内に開始すると発表した。スィーヴァンド・ダムで沈む地域には、キュロス大王廟など多数の古代遺跡があるボラーギー渓谷とパーサルギャド平原が含まれる。貯水開始日は28年前アーヤトッラー・ホメイニーが帰国し権力を奪取した記念日にあわせてのものである[56]。
スィーヴァンド・ダム計画はイランにおける文化遺産破壊の計画であるとして、革命後イランで最も非難されるプロジェクトの一つであった。大部分のイラン人は、パーサルガダエにも非常に近い、このダム建設に激しい怒りを感じており、ダムによって得られる利益は、とうていダムによる文化遺産破壊を正当化するレベルのものではないとしている[57]。
[編集] 核開発計画
- イランの核開発問題も参照
アフマディーネジャードはイランの核開発計画の支持者である。2006年1月11日、アフマディーネジャードは、イランはまもなく平和的核技術を獲得するであろうと発表し、同時に核兵器の製造はイラン政府の方針ではないと強調、そうのような政策をとることはないし、それは「違法で、我らの宗教に反する」と述べている[58]Template:Check。
さらに同じ2006年1月のテヘランでの会議の席上、「文化、理性、文明」を持つ国々は核兵器を必要とせず、核兵器を求めた国々は武力で全てを解決しようとする国々である、と付け加えている[59]。
2006年4月、アフマディーネジャードは、イランが核燃料サイクルに適合するウランの精製に成功したと発表。マシュハドでの学生・研究者むけ演説では、イランの状況はいまや完全に変化し、核技術所有国としてそのような立場で外国と交渉できる、と述べたという[60]。
2006年4月13日、国営イスラーム共和国通信(IRNA)は、アフマディーネジャードの発言として、イランの平和的核技術はいかなるものの脅威ともならない、それは「我らは平和と安定を欲し、何者にも不正を引き起こさず、同時に不当な扱いも甘受しない」からである、との報道をおこなっている。[61]。
しかしながら、イランの場合、大統領は核政策への権限・責任を負っておらず、最高国家安全保障会議の管轄である。同会議は最高指導者から任命された者、および軍当局、政府、司法府、立法府などの代表者(たとえばアリー・ラーリジャーニー)によって構成され、最高指導者アリー・ハーメネイーに直接責任を負う。アリー・ハーメネイーは2005年、核兵器に反対するファトワーを発している[62]。
2006年11月15日、アフマディーネジャードは「本日、イランは完全な核燃料サイクル技術を獲得した」と発表した[63]。
[編集] 国内での批判
アフマディーネジャードは合衆国批判に必要以上に時間を費やし、逆に停滞する経済改革に時間を割いていないとして、国内での評判は悪化してきている[64]。
2006年12月時点で、2006年夏に比して野菜の価格は3倍に、住宅価格は2倍にそれぞれ上昇した。家計支出の増大と西側諸国との対立をもたらすアフマディーネジャードの強硬姿勢にイラン人は不満を示している。アフマディーネジャードに批判的なのは改革派ばかりではなく、2005年の選挙において彼を劇的な勝利に導いた保守派からも強い反対に遭っている。選挙戦でアフマディーネジャード陣営で活動したモハンマド・ホシュチェフレは、アフマディーネジャード政権は「ポピュリスト的スローガンは得意だったが、その行政運営は上手なものではない」と指摘している[65]。
イランの経済的・外交的孤立化が進むにつれ、保守派とアフマディーネジャードの間隙は深まりつつある。議会では2007年1月、50人以上の議員が署名して、議会にて弁明を行うようアフマディーネジャードに要求した[66]。複数のイラン関係筋は、最高指導者ハーメネイーがアフマディーネジャードに不快感を表したということ、およびハーメネイーが大統領罷免権を持つという事実から、アフマディーネジャード政権がきわめて脆弱な基盤に立っている可能性を指摘している。ハーメネイーは通常、公の言明することを控えているが、核問題を大統領が「個人化している」として自身の個人的所有になる新聞では強く非難している[67][68]。さらにアフマディーネジャード政権は2006年の地方選で惨敗し、専門家会議選でも、政権の精神的バックボーンであるモハンマド・タギー・メスバーフ・ヤズディーが第6位の票しか得ることができなかった[69]。
議会へのアフマディーネジャード召還運動は盛り上がりを見せ、一部の議員は内務相および教育相の弾劾を示唆した。諸通信社の報道によると内相モスタファ・プールモハンマディーおよび教育相マフムード・ファルシーディーは2006年1月24日、議会に召還された[70]。
金曜礼拝での説教でも、インフレーションに対する政府の無為怠慢を厳しく批判する声が多い。保守派でもアフマディーネジャードの強硬な政策への不満を表明しており、国際連合安全保障理事会による対イラン決議案もアフマディーネジャードの軽率な声明にその原因があるとしている[71]。
2007年1月にはホセイン・アリー・モンタゼリーが、アフマディーネジャードは国を害している、と激しく非難した。モンタゼリーはイランにおける最年長の高位ウラマーでマルジャエ・タクリードである。また前上級核交渉担当者モハンマド・ムーサヴィヤーンは、アフマディーネジャードが安全保障理事会での投票によって科される制裁の重大性について国民を欺いていると告発。ハーメネイー傘下の新聞「イスラーム共和国」も「大統領への我々の助言は、核問題については国政の重要会議の際にのみ話し、合衆国のような攻撃的諸国を挑発するのをやめる、ということである。そして人々が日々必要としていることに集中すべきだ。人々はこれに関する公約によって大統領に投票したのだ」と述べている[72]。
資本主義的立場をとるアリー・アクバル・ハーシェミー・ラフサンジャーニーは、アフマディーネジャード政権下での経済の民営化のペースが非常に遅いことに最高指導者が不快感を示したむね示唆している[73]。
[編集] 2006年12月の学生抗議運動
2006年12月11日、テヘランのアミール・キャビール工科大学で学生たちがアフマディーネジャードの演説を中断させるという事件が起きた。イラン学生通信によると、学生らはアフマディーネジャードの写真を焼き、爆竹を投げるなどしたうえ、「独裁者は死ね」と繰り返した。これはアフマディーネジャード政権発足後初の公共の場での大規模な抗議運動である。学生側はウェブサイトに声明を発表した。アフマディーネジャード政権下で強まりつつある政治的圧迫への抗議であるとし、政権の腐敗、失政、差別を訴え、「広範なプロパガンダ活動がおこなわれたが、大統領は学術界を欺くことはできなかったことを学生は示した」と付け加えている。一部の学生は、ホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議の開催への憤りから抗議に参加したとも報道されている。抗議運動に加わった学生は、会議は「恥ずべき」で、「世界中が我が国をナチス、人種差別主義者として非難するだろう」と述べている。
上記のような学生側の声明に対し、大統領は「我々は独裁に対抗してきた。1000年のうちに独裁を確立することの出来る者はいないだろう。たとえ自由を名目にしたとしてもだ。米英独裁政権の手先が我が国イランに傷を与えたとしても、独裁の芽生えを許す者はだれもいない」と発言[74]。イランの各メディアは、たとえテレビカメラを壊したり、アフマディーネジャードに手製の爆弾を投げるようなことがあっても[28]、当局者による抗議活動参加者への尋問や妨害を禁ずるよう大統領が命じたと伝えている[75]。
また諸新聞では、この前日には1000人の学生が、改革派にたいする圧力の高まりを非難し抗議活動に参加したと報じている。また前週の全国学生日[29]にもテヘラン大学で2000人以上の学生が、アフマディーネジャード政権発足以来、大学における言論統制があるとして抗議活動を行った[76][77]。
[編集] 2006年地方議会選および専門家会議選
- 詳細はイラン地方議会選挙 (2006年)を参照
- 詳細はイラン専門家会議選挙 (2006年)を参照
2005年に発足したアフマディーネジャード政権にとって初の全国的選挙となる地方選および専門家会議選で、アフマディーネジャード陣営は敗北した。報道によると投票率は約60%と高率になっており、選挙結果は有権者の穏健派支持に傾きつつあることを示唆している。カールゴザーラーン紙は社説で「結果は有権者が、過去から学び、穏健派への支持が必要とされていると結論したことを示している」と述べ、イラン政治アナリストは「アフマディーネジャード=メスバーフ・ヤズディーへの打撃」と評した[78]。
[編集] 議会における反対と最高指導者による拒否
マフムード・アフマディーネジャードは当選当初より議会から多くの抵抗に遭った。これは閣僚などの候補者や政府提出法案の承認をめぐるものである。
女性のスポーツ観戦を許可するよう法律を改正しようとした際には最高指導者アリー・ハーメネイーに拒絶されている[79]。大統領と最高指導者のあいだには他にも顕著な見解の相違がある。たとえば服装規定の施行の程度の問題であり[80]、これについてアフマディーネジャードは選挙時の予測に反し、実際には女性の権利関連の問題ではより自由主義的な立場に立っている。
西側諸国への批判は議会における論争の的となり、弾劾の可能性は低いが、アフマディーネジャードの議会召還問題につながっている[81]。
[編集] 対外政策
[編集] アメリカ合衆国との関係
- 詳細はマフムード・アフマディーネジャードによるジョージ・W・ブッシュへの書簡を参照
- アメリカ合衆国とイランの関係も参照
- マフムード・アフマディーネジャードをめぐる論争も参照
2006年5月8日、アフマディーネジャードはアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュあてに、イラン核論争終結のための「新提案」として親書を送った[82]。合衆国国務長官コンドリーザ・ライスおよび国家安全保障担当補佐官ステファン・ハドリーは、これを交渉上の策略でスタンドプレーに過ぎず、イランの核開発計画に対する合衆国の懸念に答えるものでないと一蹴した[83]。ジャカルタでの会議の数日後、アフマディーネジャードは同親書について「全ての神の預言者に共通する一神教と公正への招待状であった」と発言している[84]。
2006年8月8日、アフマディーネジャードは60 Minutesの記者マイク・ウォーレスによるテレビ・インタビューに出演した[6]。
2006年半ばには、合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュを2006年9月19日に予定された国連総会での討論に招待した。この討議はウラン濃縮に関するイランの権利を巡って開催されるものであった。ホワイトハウス報道官トニー・スノーは「大統領とアフマディーネジャードとのあいだで恨みをはらんだ鉄骨での殴り合いなどおこなわれるようなことはないだろう」と述べ、直ちに拒絶した[85][86]。
2006年11月29日、アフマディーネジャードはさらにアメリカ国民に宛てた公開書簡を発表した。書簡で、中東での合衆国政府の諸活動と現在の事実を隠蔽するような行動について緊急に対話が必要である、とし彼の不安と懸念を示している。そのうえで合衆国政府の政策の多くを批判。アメリカ国民は「最近の選挙でその不満を示したのだ」とし[87]、合衆国の多くの人々はイランをテロ支援国の筆頭と考えているが、イランもまたすべてのテロリズムを非難していると述べている [88][89][90]。
[編集] イランとロシアの関係
- イランとロシアの関係も参照
アフマディーネジャードはロシアとの関係強化を推進、2005年10月には専管の部局を設置している。核問題に関してロシア大統領ウラディーミル・プーチンと協働し、さらにカスピ海問題を含む諸問題についても、両首脳は両国の相互協力を強化する意向を表明している[91]。ただし、西側情報当局者はアフマディーネジャードが対ロシア戦を戦うチェチェン武装勢力に資金提供し、さらにイラン国内で訓練しているとして非難を加えている[92]。
[編集] 反イスラエル諸発言
- 詳細はマフムード・アフマディーネジャードとイスラエルを参照
- イランとイスラエルの関係も参照
2005年10月26日、アフマディーネジャードは反イスラエル発言を含む演説をおこなった。広範に流布された翻訳によると、アフマディーネジャードはアーヤトッラー・ホメイニーの声明とするものに同意し、「占領体制」は除去されるべきであり、これを指して、「イスラーム世界の不名誉な汚れ」を「拭い去らねばならない」と発言している[2]。
アフマディーネジャードの発言は西欧諸国政府、欧州連合、ロシア、国連安全保障理事会、国連事務総長コフィー・アナンらの批判を招いた[93]。またエジプト、トルコ、パレスチナの指導者もアフマディーネジャード発言に不快感を示している[94]。当時のカナダ首相ポール・マーティンは「このイスラエルの存在に対する脅威、ジェノサイドの要求は、イランの核への野望と表裏一体のものであり、全世界の無視できない問題である」と評した[95]。
ただしこの問題の文言については翻訳上の疑問があると指摘する専門家もおり、「地図から抹消する wipe off」ではなく、「時間のページ」あるいは「歴史のページ」から「除外する eliminate」「拭い取る wipe away」とするのがより正確であるとする[96]。 ニューヨーク・タイムスの外信担当副編集イーサン・ブロンナーはこの翻訳論争を概観し、外務省・大統領府などの「全ての公式翻訳」を見ると、「イスラエルを拭う wipe away」との訳となっていると指摘している[97] 。
2006年のイスラエル・レバノン紛争について、アフマディーネジャードはイスラエルの行動を第二次世界大戦時のアドルフ・ヒトラーの行動と比較し、「まるでヒトラーのようだ。シオニスト体制は軍事攻撃の名分を求めている」「まさにヒトラーのように行動している」と述べた[98]。
2006年8月8日、アフマディーネジャードは60 Minutesの記者マイク・ウォーレスのテレビインタビューに応え、その場でイスラエルの「残虐な体制」に対するアメリカの支援およびイスラエルのレバノン侵攻の道義的根拠に疑問を示した[6]。
同12月2日のカタル・ドーハでのパレスチナのイスマーイール・ハニーヤ首相との会談で、イスラエルは「地域の支配をねらう傲慢な諸国によって、イスラームの心臓ともいえる地への侵入を可能ならしむるために創られた」のだと発言している。アフマディーネジャードはイスラエルを「脅威」とし、域内に緊張を引き起こし、地域に英米の政策を強要するために建国されたものである、とも述べている[99]。
同12日にはホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議で演説。イスラエルの将来に言及し「イスラエルは崩壊しようとしている。これは神の約束であり、全世界の望みである」「ソ連が消滅したそのとき、誰しもが知ったはずだ。これがシオニスト体制の運命でもある、ということを。そして人類は自由になるだろう」と述べた[100]。
[編集] ホロコースト否定と反セム主義者との告発
- 詳細はマフムード・アフマディーネジャードをめぐる論争を参照
- マフムード・アフマディーネジャードとイスラエルも参照
2005年12月、アフマディーネジャードはホロコーストについて、これを「神話」とよび、ヨーロッパのホロコースト否認諸法を批判するなどの複数の発言をし、論争の的となった[101]。2006年5月30日には、デア・シュピーゲル紙のインタビューに応え、再度ホロコーストについて疑問視、これについて「二つの意見がある」と主張、ホロコーストが神話かどうかと尋ねられると「自らの実際確信するところを真実と信じるのみ」と応えている [102]。
これらの発言に対し、合衆国上院[103]などさまざまな機関が、アフマディーネジャードを反セム主義的として非難した。のちにアフマディーネジャードは自身が反セム主義者ではないとして「一部の人々が私を反ユダヤとして非難しているのならば、問題は解決できると思う。なぜなら私は反ユダヤではないからだ。私はユダヤ人を大変に尊敬している」[104]と述べている。
アフマディーネジャードがホロコーストを否定した、ということ自体も議論の対象で、アフマディーネジャードはイスラエルの現体制の存在を正当化するためにホロコーストを用いることを批判しているだけだ、との立場もある。Information Clearing Houseによれば、アフマディーネジャードはイスラエル現体制の維持発展のためにホロコーストを利用しており、彼の言動は文脈を無視してホロコースト否定発言として扱っているという[105]。
また国営イスラーム共和国通信では、アフマディーネジャードの発言は次のようなものであったとしている。「……現実のホロコーストはパレスティナにおいて探し求められるべきである……圧政に苦しむ人々が毎日のように血を流している。これはイラクでも同様だ。無防備のムスリムたちが毎日死んでゆく……一部の西側政府、特に合衆国政府は預言者ムハンマド(彼に平安あれ!)への冒涜を認めている。ホロコーストの神話、すなわちシオニストが過去60年間他国に対し圧力を振るい、罪無きパレスチナ人への殺害を正当化する根拠として用いられているホロコーストの神話は拒絶する。イスラエル現体制の行ったことは犯罪のように思えるのだ……」[106]。
「ホロコーストの神話」の意味として、ホロコーストが歴史上の事実であって拒絶できず、ゆえにイスラエルが無謬であるということを意味すると考える立場があるのである。
2006年12月11日、ホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議が開催され、広範な批判を招いた[107]。この会議はアフマディーネジャードの要求と命令によって開かれたもので[108]、「ホロコースト否認会議」「ホロコースト否定主義者会合」といわれた[109]。イランはホロコースト否認会議ではないとしている[110]。
[編集] 人権
- 詳細はイラン・イスラーム共和国における人権を参照
現在のアフマディーネジャード政権下でのイランの人権状況は劣悪であり、たとえばカナダ政府はイランを2006年の最悪の人権抑圧国13カ国の1つと公表した。アムネスティ・インターナショナルによると、非暴力的な反体制活動であっても妨害、拷問、処刑の可能性があり、アフマディーネジャードの大統領選当選は改革派支持者の敗北を意味するものであった[30]。ヒューマン・ライツ・ウォッチは「基本的人権、特に表現の自由および集会の自由について、イランは2006年中に状況が悪化した。政府は、拘留した反体制派を日常的に長期かつ徹底的な独房監禁などで拷問・虐待している」としている。
同時に、ヒューマン・ライツ・ウォッチは現況イランでの人権侵害の根源は、最高指導者アリー・ハーメネイーに責任を負う司法府、アフマディーネジャードに直接任命される諸官にあり「アフマディーネジャード政権の発足以降、Evin Prisonや司法府、情報省、イスラーム革命防衛隊が内密に運営する施設などで、拘留者の待遇は悪化している」という[31]。 アフマディーネジャードはたとえばジャーナリストのザフラー・カーゼミーの処刑に責任のある検察官など、反体制派への拷問・殺人に直接関与する官吏を用い、昇進させている[32]。
大衆抗議に関するアフマディーネジャード政権の対応には幅がある。同じくヒューマン・ライツ・ウォッチは「アフマディーネジャード政権は明らかに前大統領モハンマド・ハータミー政権の方針からはシフトしたし、平和的な抗議・集会についても忍耐を示すことはなくなっている」という。
- 2006年1月、治安部隊がストライキ中のバス運転手らを襲撃、数百人を拘留、政府は運転手らの独自組合の認定あるいは彼らとの団体交渉を拒否した。2月には政府部隊がゴムの宗教施設門前での平和的なスーフィズム集会を解散させるため放水や催涙ガスを使用している。3月には、テヘランで私服警官を含む警察隊が、国際婦人デーを祝う女性権利活動家による平和的集会に乱入、参加していた数百の男女を殴打した。さらに6月、同じくテヘランでの女性権利擁護の集会にも治安部隊が介入。警棒での殴打、ペッパーガスの噴射がおこなわれ、ガスの染料により参加者を特定し、70人が拘留された[33]。
上記のような類型の例外は2006年12月のテヘランでの学生抗議の事例である。この例外が生じた要因はアフマディーネジャード個人の意向によるものと考えられている。アフマディーネジャードは騒がしい抗議によって、アミール・キャビール工科大学での演説を中断させられたが、当局に学生を妨害しないように命じた[111]。ただし他の抗議活動で、アフマディーネジャード政権発足以降、大学での異議申し立て活動に対する取り締まりが存在していたと指摘がなされている[112][113]。
[編集] 関連項目
- イランの政治
- ハッガーニー派
- アーヤトッラー・モハンマド・タギー・メスバーフ・ヤズディー
[編集] 出典
- ^ [mæhˈmud æhmædineˈʒɒd]。ペルシア語ではمحمود احمدی نژادと綴り、ラテン転写でMaḥmūd Aḥmadīnezhādとなる。これを英語ではMahmud, MahmoodまたAhmadinezhad, Ahmadi-Nejad, Ahmadi Nejad, Ahmady Nejadなどと転写し、日本語ではこれをローマ字読みして、マームド/マフムドまたアフマディネジャド/アハマディネジャドと表記されることが多い。
- ^ a b Fathi, Nazila (October 30, 2005). "Text of Mahmoud Ahmadinejad's Speech" Week in Review. The New York Times. .
- ^ "Ahmadinejad: Why so sensitive about Israel?" CNN: September 21, 2006. .
- ^ "Iranians say Israel spat is really about nukes" MSNBC: October 30, 2005. .
- ^ "Iran vote seen as referendum on Ahmadinejad" The Boston Globe: December 15, 2006. .
- ^ a b c "Iranian Leader Opens Up: Ahmadinejad Speaks Candidly With Mike Wallace About Israel, Nukes, Bush", 60 Minutes, CBS News, August 13, 2006. Accessed 2006-10-18
- ^ "Iran leader's comments attacked", BBC News, October 27, 2005.
- ^ "Ahmadinejad: Holocaust a myth", Al Jazeera, December 15, 2005.
- ^ "Iranian leader: Holocaust a 'myth'", CNN, December 14, 2005.
- ^ "Iranian leader 'not anti-Semite'", BBC News, September 21, 2006.
- ^ "Iran's president launches weblog" BBC: August 14, 2006. .
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ Secor, Laura, "Whose Iran?", New York Times, 28 January 2007. Retrieved on 2007-01-28.
- ^ "تفكيك آسانسور خانمها و آقايان سیاست مفیدی ست/ جداسازیها باعث پیشرفت زن و مرد می شود ((ペルシア語))" Entekhab News: 2005. .
- ^ vom Hove, Tann (2005). "More than 87,000 took part in the World Mayor 2005 project" World Mayor Award. .
- ^ The 2005 World Mayor finalists
- ^ ""Hard Line Figure in Iran Runoff""
- ^ ""Iran and the art of crisis management""
- ^ Brea, Jennifer. "Profile: Mahmoud Ahmadinejad, President of Iran" About.com. .
- ^ Navai, Ramita, "President invokes new Islamic wave", The Times (UK) Online, 30 June, 2005. Retrieved on 2006-05-12.
- ^ "Profile of Mahmoud Ahmadinejad. Friend or foe?".
- ^ "Iran Symposium: 'Divide and empower'".
- ^ "Iran hardliner hails poll victory" BBC: June 25, 2005. .
- ^ "Iran hardliner becomes president" BBC: August 3, 2005. .
- ^ "Behind Ahmadinejad, a Powerful Cleric" New York Times: September 9, 2006. .
- ^ [3]
- ^ "Winners and Losers Turn the Fate of Iran" Gulf News: June 29, 2005. .
- ^ "كابينه احمدي نژاد مشخص شد ((ペルシア語))" Presidency of The Islamic Republic of Iran. .
- ^ Habibi, Nader (2006). "Iran's 2006–07 Budget Puts More Emphasis on Economic Justice" Perspectives. GLOBAL INSIGHT. .
- ^ Rafizadeh, Shahram (January 15, 2006). "NGO Crackdown in Iran" Rooz. .
- ^ "سه و نيم ميليارد تومان بودجه موسسه وابسته به آيت الله مصباح ((ペルシア語))" Entekhab News: 2005. .
- ^ Asefi, Soheyl (June 28, 2006). "The Need for Economic Solutions" Rooz. .
- ^ Times, Tehran (January 25, 2007). "Iran trying to prevent another UN resolution: president" Tehran Times. .
- ^ Dr. Bakhtiar, Abbas (January 25, 2007). "Ahmadinejad's Achilles Heel" Payvand. .
- ^ "صندوق مهر رضا" بايگاني شد ((ペルシア語))" Rooz. .
- ^ "مهر رضا، صندوق سياسي 530 میلیاردی ((ペルシア語))" Rooz. .
- ^ Reuters (April 24, 2006). "Iran president says let women into sports stadiums" Yahoo!. .
- ^ "دستور غيرمنتظره ((ペルシア語))" Rooz. .
- ^ Iran split over female soccer fans CNN
- ^ "موضوع زنان و فشار گروه های مذهبی بر احمدینژاد ((ペルシア語))" BBC Persian. .
- ^ "مخالفت مراجع مذهبی با حضور زنان در ورزشگاههای فوتبال ((ペルシア語))" BBC Persian. .
- ^ "آيتالله نوري همداني، از مراجع تقليد: شركت بانوان در مراكز ورزشي آقايان مخالف موازين اسلامي است، ايلنا ((ペルシア語))" Gooya. .
- ^ "در اعتراض به دستور احمدينژاد مبني بر حضور بانوان در ورزشگاهها؛ طلاب و روحانيون حوزه علميه قم در مدرسه فيضيه تجمع كردند، ايلنا ((ペルシア語))" Gooya. .
- ^ "آيتالله مكارم شيرازي: چه ضرورتي دارد بانوان درفضاي ناامن ورزشگاههاحضور پيدا كنند؟ ايسنا ((ペルシア語))" Gooya. .
- ^ "اعتراض شديد مصباح يزدي به دستور رييس جمهوري مبني بر حضور بانوان در ورزشگاهها، ايسنا ((ペルシア語))" Gooya. .
- ^ Iran to keep stadium ban on women
- ^ "دستور ورود زنان به ورزشگاه، از زبان مشاور روحانيون احمدينژاد ((ペルシア語))" Baztab. .
- ^ http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6213854.stm
- ^ "مخالفت با انقلاب دوم فرهنگی ((ペルシア語))" Rooz. .
- ^ Irani, Hamed (June 23, 2006). "Cleansing in the Name of Retirement" Rooz. .
- ^ "انتقاد خوش چهره از خانه نشين كردن اساتيد ((ペルシア語))" Aftab news. .
- ^ "ابعاد خانه نشین شدن استادان دانشگاه ((ペルシア語))" Aftab news. .
- ^ [4]
- ^ [5]
- ^ [6]
- ^ [7]
- ^ "احمدی نژاد: بزودی به انرژی هسته ای دست می يابيم ((ペルシア語))" BBC Persian. .
- ^ "Excerpts: Ahmadinejad conference" BBC News: January 14, 2006. .
- ^ "Ahmadinejad: Iran can now talk to world from vantage point of a nuclear state" Arabicnews.com: April 13, 2006. .
- ^ "Ahmadinejad: Iran nuke right non-negotiable" UPI: April 13, 2006. .
- ^ Recknagel, Charles (June 27, 2005). "Iran: Election Of Ahmadinejad Unlikely To Affect Nuclear Negotiations" Radio Free Europe. .
- ^ "Ahmadi Nejad: Iran Completes Nuclear Cycle" The Media Line: November 15, 2006. .
- ^ [8]
- ^ [9]
- ^ [10]
- ^ [11]
- ^ [12]
- ^ [13]
- ^ [14]
- ^ [15]
- ^ [16]
- ^ [17]
- ^ [18]
- ^ [19] [20]
- ^ Nazila Fathi. "Students disrupt speech by Iran chief", New York Times News Service, December 12, 2006.
- ^ MICHAEL THEODOULOU. "Protesters condemn Holocaust conference", The Scotsman, December 12, 2006.
- ^ Edmund Blair. "Results in Iranian Vote Seen as Setback for Ahmadinejad", Reuters, December 18, 2006.
- ^ Iran women sports ruling vetoed BBC News, 8 May 2006
- ^ Iran police move into fashion business BBC News, 02 January 2007
- ^ Growing pressure on Ahmadinejad BBC News, 16 January 2007
- ^ "Timeline: US-Iran ties" BBC News: May 31, 2006. .
- ^ Vick, Karl; Colum Lynch (May 9, 2006). "No Proposals in Iranian's Letter to Bush, U.S. Says" pp. A18 The Washington Post. .
- ^ "President says his letter to President Bush was invitation to Islam" Islamic Republic News Agency: May 11, 2006. .
- ^ "No 'steel-cage, grudge match' between Bush, Ahmadinejad" CNN: Thursday, September 07, 2006. .
- ^ "President rules out UN debate with Iran" Iran Focus: Friday, September 08, 2006. .
- ^ "Message of H.E. Dr. Mahmoud Ahmadinejad President of the Republic of Iran to the American People" Foxnews: November 29, 2006. .
- ^ Richard L. Armitage, Deputy Secretary of State (November 28, 2003). "U.S. Policy and Iran. Testimony before the Senate Foreign Relations Committee" U.S. Department of State. .
- ^ R. Nicholas Burns, Under Secretary for Political Affairs (November 30, 2005). "U.S. Policy and Iran. Johns Hopkins University Paul H. Nitze School of Advanced International Studies" U.S. Department of State. .
- ^ Central Intelligence Agency (November 30, 2006). "Iran, The World Factbook" .
- ^ "Ahmadinejad: Special Hq to be formed for Tehran-Moscow cooperation", Islamic Republic News Agency, October 26, 2005. Retrieved on 2006-04-14.
- ^ "Teheran 'secretly trains' Chechens to fight in Russia", The Daily Telegraph, November 27, 2005. Retrieved on 2006-04-14.
- ^ "Annan ‘dismayed’ by Iran remarks" BBC News: October 28, 2005. .
- ^ "UN raps Iran's anti-Israel rant" BBC News: October 28, 2005. .
- ^ Martin, Paul (November 15, 2005). "Prime Minister Martin Speaks Before Jewish Leaders in Toronto" Carolyn Bennett. .
- ^ Steele, Jonathan (June 14, 2006). "Lost in translation" The Guardian. .
- ^ Bronner, Ethan (June 11, 2006). "Just How Far Did They Go, Those Words Against Israel?" .
- ^ "Ahmadinejad compares Israel to Hitler" IndiaeNews.com: July 16, 2006. .
- ^ "President Ahmadinejad, Palestinian PM meet in Doha" IRNA: December 2, 2006. .
- ^ "Iran students rebel over Holocaust denial" UPI: December 12, 2006. .
- ^ "Iranian leader: Holocaust a 'myth'", CNN, December 14, 2005.
- ^ ""We Are Determined": Spiegel interview with Iranian President Mahmoud Ahmedinejad" Der Speigel: May 30, 2006.
- ^ Condemning antisemitic Statements of the President of Iran
- ^ BBC News, Iranian leader 'not anti-Semite'
- ^ [21]
- ^ [22]
- ^ "Iran hosts Holocaust conference" CNN: December 11, 2006. .
- ^ "Iran: Holocaust Conference Soon in Tehran" Adnkronos International (AKI): January 5, 2006. .
- ^ *"Holocaust denial outrages Europe", The Washington Times, December 13, 2006.
- "Holocaust deniers gather in Iran", Edmonton Journal, December 13, 2006.
- "Holocaust deniers rebuked". Los Angeles Times, December 13, 2006.
- "Canadian prof attends Tehran's gathering of Holocaust deniers", The Globe and Mail, December 13, 2006.
- "Iran's great pretender", The Boston Globe, December 13, 2006.
- "Holocaust denial can be dangerous", Los Angeles Times, December 13, 2006.
- "Across Europe, outrage over meeting of holocaust deniers", Zee News, December 13, 2006.
- "World reacts with outrage over meeting of Holocaust deniers in Iran", Calgary Sun, December 13, 2006.
- "Holocaust deniers' meeting spurs outrage", Houston Chronicle, December 12, 2006.
- "Across Europe, outrage over meeting of Holocaust deniers in Iran", International Herald Tribune, December 12, 2006.
- "Holocaust deniers gather in Iran for 'scientific' conference", The Guardian, December 12, 2006.
- "Revisionist fringe gathers for Iran's Holocaust denial jamboree", The Independent, December 12, 2006.
- "Holocaust Denied at Iran Forum to `Research' Nazis", Bloomberg Television, December 11, 2006.
- "Holocaust Deniers and Skeptics Gather in Iran", The New York Times, December 11, 2006.
- "Iran students rebel over Holocaust denial", United Press International, December 12, 2006.
- "There's no denying Arabs' Holocaust lies", New York Daily News, December 12, 2006.
- "Ever heard of terrorism?", Toronto Sun, December 21, 2006.
- Swedish teacher at Holocaust denial conference, The Local, 14 December 2006.
- "Iran Further Isolates Itself with 'Holocaust Denial'", Weekend Edition, National Public Radio, December 17, 2006.
- CAIR "Condemns Iranian Holocaust Denial Conference", Council on American-Islamic Relations, December 13, 2006.
- "Statement on Holocaust Denial Conference Sponsored by Iranian Regime", The White House, Office of the Press Secretary, December 12, 2006.
- ^ "Berlin Counters Holocaust Conference" Spiegel Online: December 11, 2006. .
- ^ [23] [24]
- ^ Nazila Fathi. "Students disrupt speech by Iran chief", New York Times News Service, December 12, 2006.
- ^ MICHAEL THEODOULOU. "Protesters condemn Holocaust conference", The Scotsman, December 12, 2006.
[編集] 読書案内
- Harris, David [34] (2004).The Crisis: the President, the Prophet, and the Shah—1979 and the Coming of Militant Islam. Little, Brown.
[編集] 外部リンク
- 大統領公式サイト(ペルシア語および英語)
- アフマディーネジャード大統領公式Blog(ペルシア語と英語、フランス語、アラビア語)
- Interview with Ahmadinejad in TIME Magazine(英語)
- Media Vilification Of Ahmadinejad
|
|
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | イランの政治家 | 1956年生