大塚駅 (東京都)
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大塚駅(おおつかえき)は、東京都豊島区南大塚三丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
都電荒川線の大塚駅前停留場(電停)についても記す。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
山手線は高架でほぼ東西に走り、荒川線が地上をほぼ南北に走る。両者は当駅で立体交差をする形となっている。
[編集] 山手線 大塚駅
島式ホーム1面2線を有する高架駅。線路の南北の地上部分にそれぞれ駅舎が建てられており、南口・北口となっている。のりばは南口側から1番線、2番線となっており、下記のように列車が発着する。
- のりば
1 | ■山手線 | 池袋・新宿・渋谷方面 |
2 | ■山手線 | 田端・上野・東京方面 |
改札口によって南口と北口が分断された構造であり、南口と北口を渡るには都電荒川線大塚駅前駅のホームを経由することとなる。現在、南口と北口を結ぶ自由通路の建設が行われており、この構造は解消される見込みである。
直営駅。南口にみどりの窓口がある。自動券売機と自動改札は両駅舎に設置されている。また、山手線の駅で唯一指定席券売機が設置されていない(えきねっとで予約した指定券の受け取り用機械はある)。
なお、ラッシュ時間帯の池袋止まりの電車では、池袋駅の混雑を抑えるため当駅で後続列車に乗換えるよう促す放送が入ることもある。
[編集] 都電荒川線 大塚駅前駅
山手線の高架下、大塚駅の巣鴨方に駅が設けられている。この構造から山手線大塚駅の南口・北口双方から当駅に至ることが可能であり、また当駅のホームを経由して大塚駅の南北を移動する者も多い。西側の線路に上り(三ノ輪橋方面)、東側の線路に下り(早稲田方面)の電車が発着し、駅の向原方には亘り線がある。下りホームの北端近くに窓口があり、定期券などを販売している。
[編集] 利用状況
2005年度の利用者数は1日平均52,510人(JR東日本)である。
[編集] 駅周辺
[編集] 路線バス
- この「都02」系統は非常に便数の多いバス路線である。
[編集] 歴史
山手線の駅は、同線(品川~新宿~赤羽)から分岐して常磐線を結ぶルートの開業により設置された。当初の計画では目白から分岐し、現在の文京区大塚(現在の東京メトロ丸ノ内線新大塚駅付近)を通るルートであり、大塚の地に駅が置かれるはずであったが、後に池袋からの分岐に変更されたため、計画時の駅名そのまま現在の位置に開業した。本来、当駅周辺は「巣鴨」(巣鴨村)である(大塚駅前に巣鴨警察署があるのもこの理由による)が、当駅の開業後は駅名に合わせ次第に「大塚」と呼ばれるようになり、1969年の住居表示により実態に合わせ現在の「南大塚」「北大塚」の地名となった(駅名から地名が変更された例としては他に「新小岩」などがある)。
東京都電の大塚駅前電停としては、現存する荒川線の他に春日、上野広小路方面への路線の停留所があり、車庫も併設されていた。但し、飛鳥山駅の場合と異なり現・荒川線とは線路はつながっておらず、独立した形になっていた。
戦前は花街もあり賑わっていたため、大塚に地下鉄が乗り入れる予定であったが、大塚駅一帯は低地で地下鉄を通す技術が難しかったこともあり実現しなかった。その代わりとして駅の南高台に東京メトロ丸ノ内線の新大塚駅が開業している。山手線の駅の中では知名度が低く、駅前がのんびりとしたムードであるのは地下鉄の乗り入れを逃したことが一因とされている。
[編集] 年表
- JR大塚駅
- 1903年(明治36年)4月1日 - 日本鉄道の駅が開業。貨物営業も開始。
- 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道の国有化により国鉄の駅となる(1909年10月12日より山手線所属となる)。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物取扱が廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅(山手線所属)となる。
- 都電大塚駅前電停
- 1911年(明治44年)8月20日 - 王子電気軌道大塚駅(現・大塚駅前停留所)が開業。
- 1925年(大正14年)12月12日 - 東京市電大塚駅前電停が開業。
- 1942年(昭和17年)2月1日 - 王子電気軌道が東京市に買収され、市電大塚駅前電停に組み込まれる。