愛知県立岡崎北高等学校
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愛知県立岡崎北高等学校 | |
過去の名称 | 岡崎町立高等女学校 岡崎市立高等女学校 岡崎市立高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛知県 |
設立年月日 | 明治40年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 |
学科 | 普通科 |
特殊学級 | なし |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒444-0079 |
愛知県岡崎市石神町17-1 | |
電話番号 | 0564-22-2536 0564-22-2537 0564-25-9231(FAX) |
外部リンク | 岡崎北高等学校 |
愛知県立岡崎北高等学校(あいちけんりつおかざききたこうとうがっこう)は、愛知県岡崎市石神町にある公立の高等学校。各学年の募集定員は360名であり、全校生徒は現在1,080名程度。同窓生の数(卒業生の累計)は平成18年4月現在、29,602名である(公式ホームページによる)。通称、「きたこう」、「おかきた」など。
目次 |
[編集] 沿革
- 1907年(明治40年) 岡崎町立高等女学校開設。
- 1916年(大正5年) 岡崎市立高等女学校に改称。
- 1948年(昭和23年) 学制改革により、岡崎市立高等学校に改称、男女共学となる。
- 1952年(昭和27年) 県に移管され、愛知県立岡崎北高等学校に改称。
- 1955年(昭和30年) 現在地の岡崎市石神町に移転。
- 2001年(平成13年) 伝統的に3学期に行われていた球技大会「クラスマッチ」が当年度(2002年3月)で終了となる。
- 2006年(平成18年) 普通教室全室と特別教室2室にガスエアコン設置。
- 2007年(平成19年) 創立100周年を迎える。
[編集] 概要
[編集] 環境・校内
岡崎市の北部に位置し、近くには乙川の支流である伊賀川が流れている。また南には岡崎学園高等学校、北には岡崎市立葵中学校などがある。あたりは新興住宅地で、付近にはファーストフードショップやインターネットカフェ、エスニック料理店などがある。
校内は比較的緑が多く、東西南北の敷地のほぼ全体が木々で囲まれている。校庭自体も木々で囲まれており、その南側に桜の木が一本、東側には雑木林があったりと自然に恵まれた環境にある。また、校舎の前にそびえるポプラ並木は地元でも有名である。
建物としては校舎の他に体育館、武道場、弓道場、それ以外にテニスコート、野球場、プール、校庭などがある。中でも校庭(陸上競技場)はスタンド(階段席)のある400メートルトラックであり、その広さは県内有数である。
敷地面積は78,601平方メートルと広大で、県内の公立高校では時習館高校に次ぐ広さである。
2007年(平成19年)で創立100周年である。それを記念して正門周辺環境整備事業が起案されており、2007年秋には完成する予定である。ちなみに2006年当時、「"来年100周年"Tシャツ」というものが存在し、ほぼ全ての教職員が持っていた。
[編集] 歴史
現在の石神町に移転したのは昭和30年のことであり、それ以前は校舎は現在の市民会館の位置にあった。
もともとは女学校であり、男女共学校としての歴史は60年程である。1973年(昭和48年)学校群制度開始によって愛知県立岡崎高等学校と学校群を組み、かつては西三河で最も難易度が高い時期もあった。もっとも、現在では1989年(平成元年)に開始した複合選抜制度により難易度は当時と比較して低下している。しかしながら市内第2位の進学校であり、岡崎市のみならず近隣市の中学生には今もなお人気の高い学校のひとつである。
[編集] 校風
かつて地元では「自由な校風の高校」として評判であった。しかしながら現在では、服装や頭髪などの面における管理・監督が厳しい学校のひとつと言われている。検査および指導は頻繁に行われているが、成果が上がっているとはいえないのが現状である。
勉学に対する意識が高い進学校という側面の他に、部活動などの活動にも力を入れており、文武両道を掲げる学校のひとつである。
[編集] 教育目標
「高い知性と豊かな情操、たくましい気力・体力の養成」
- 強い目的意識の醸成と旺盛な学習意欲の育成
- 礼節を重んじ社会規範の認識と実践
- 強健な心身の育成と体力の向上
- 母校への愛と誇りの高揚
[編集] 校歌・応援歌
- 岡崎北高等学校校歌 中田喜直作曲、畔柳稔作詞
- ※畔柳稔氏は当時本校の国語教員であった。
- 岡崎北高等学校応援歌 永見貞三作曲、畔柳稔作詞
- ※応援歌は歌われる機会がほとんどなく、在校生・卒業生ですら歌えない者も多い。ちなみに校歌ですら一部しか歌っておらず、口すら開いていない者も多い。
[編集] 制服
制服の上着は男女共に紺色のブレザーであり、ズボン・スカートも紺色である。同じく紺色のウェストコートを着用する場合もある(始業式・卒業式など)。男子は灰色のネクタイを着用し(夏服着用時は非着用)、女子は灰色のリボンを着用する。ちなみに、男子のネクタイはかつては学年別に赤・黄・青と分かれていた。
[編集] 部活動
運動部の多くが毎年好成績を残しており、文化部も吹奏楽部や放送部は全国レベルの実力を有している。さらにスクール部(学校誌の作成を行なう)は、スクール創刊より200号以上が発刊されているという非常に古い歴史をもち、伝統ある活動を行なっている。
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- 運動部
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- 文化部
[編集] 主な学校行事
修学旅行(5月)
- 2年次に行われる。行き先は例年中国地方であり、広島市の原爆ドームや山口県美祢郡の秋吉台・秋芳洞がメインスポットとなっている。しかし行き先に関しては、近接する他高校と比較してもあまり人気のある場所とは言えず、生徒からの不満の声も少なくない。
球技大会(6月)
- 学年を超えたクラス対抗の球技大会。
- 例年、文化祭が2日間、体育祭が1日間で、9月の中旬に連日で行われる。文化祭は1日目が文化部およびクラスによる発表が中心で、2日目は岡崎市民会館において演劇やコンサートの鑑賞をする。体育祭では全員が競技種目に参加する。また、体育祭では校庭の東側にあるスタンドで応援合戦と呼ばれる踊り・ダンスが各クラスごとに披露され、その衣装や踊りの練習は夏休み中から自主的に行うクラスが多い。
予餞会(2月)
- 1、2年生が企画・運営の中心となり、卒業を間近に控えた3年生を送り出す「予餞会」が催される。懐かしいVTRや恩師からのメッセージの放映、音楽ライブなどが行われる。
卒業式(3月)
※3年生が卒業した3月には、かつて1、2年生が参加するクラスマッチという球技大会があった。6月に行われる球技大会とほぼ同様のものであるが、ゆとり教育の流れで授業日数が減少したことにより、生徒側からの反発はあったもののやむなく2002年3月の実施をもって終了となった。今の在校生でこのクラスマッチの存在を知る者はほとんどいない。2004年3月に卒業した生徒がこのクラスマッチを経験した最後の卒業生ということになる。
[編集] 進学
本校に限らず県内の高校(とりわけ公立高校)においては、大学入試に対する意識として伝統的にいわゆる「国公立大学至上主義」というものがあり、国公立大学へ進学する生徒の割合が、その高校のレベルをはかる尺度の1つとなっている。これは高校の指導のみならず、家庭や地域の多くにそのような意識が根付いているとされる。このような地域性のためか、入学時には生徒のほとんどが国公立大学進学を志望している。
また学校側も積極的に国公立大学への進学を勧めており、教育課程も国公立大学の受験対策を主としている。その一方で、私立大学を志望する生徒からは「国公立大学に固執し過ぎだ」などの不満が出ることも少なくない。
とはいえ実際に国公立大に進学するのは例年150~160人程度であり、ほぼ同数が私立大学へ進学する。卒業後に受験準備(浪人)をする生徒も1割ほどいる。短期大学や専門学校への進学をする者もいるが、就職をする者は極めて少ない。
県内および隣接する県の大学に進学する者が多く、国公立大学では愛知教育大学、名古屋工業大学、愛知県立大学、静岡大学および名古屋大学、私立大学では愛知大学、名城大学および南山大学が多い。また関東では上智大学、中央大学、立教大学、青山学院大学、明治大学、法政大学、学習院大学、東京理科大学、関西では同志社大学、立命館大学、関西学院大学、関西大学などの難関私立大学への合格者も毎年出している。さらには早稲田大学や慶應義塾大学、バカ田大学にも1桁ではあるが毎年確実に卒業生を送り出している。
近年では早朝や放課後、休日および長期休暇において課外授業を積極的に行っており、進学実績のアップを図っている。課外授業は原則的に全員が参加することになっている。
[編集] アクセス
- 名鉄バス - 岡崎北高前、岡崎北高東門前、石神橋
- ※敷地に最も近いのは岡崎北高前であるが、バスの本数が少なく、東岡崎駅からの所要時間も長いため、同駅から学校へ向かう場合は、敷地から少し離れた石神橋に停車するバスを利用する場合が多い。なお、近年は不審者対策を目的として正門以外は封鎖していることもしばしばで、多くの生徒・来客は正門から入校する。
- ※当駅から学校まではやや距離があるために、当駅を利用する者は駅から自転車を利用する場合が多い。
- ※当駅から学校までは距離があるために、駅から自転車を利用する者と名鉄バスに乗り換える者がいる。
この他に、多くの生徒が自宅からの自転車通学をしている。